――――何処とも知れぬ世界。摩天楼の聳え立つ都市の上空。  
 
「ここは・・・・三界の何処でも無さそうだが?」  
 
優子の背中に負ぶさったまま、疑問の台詞を口にするブロンドの女エルフ。  
薄手の革鎧越しに伝わってくる体温の温もりに、内心、どきまぎとしながらも、  
現実界の少女は懸命に理性を保ちつつ、魔力によって構成された純白の双翼を羽ばたかせ続ける。  
 
「な、なんだか、百年くらい前のアメリカに、タイムスリップしたみたい」  
 
「アメリカ?たしか、現実界の国名の一つだったな。百年くらい前はこんな風だったのか?」  
 
「そ、そうかも・・・・」  
 
興味津々な表情で質問するデルフィナだったが、  
押し付けられる、豊かな胸乳に思考を乱された蒼髪の少女は、  
顔を真っ赤にして、曖昧な返事を返すのが精一杯だった。  
ほんのりと甘い匂いのする、生温かい吐息が耳元をかすめるたび、  
<ファンタズム・ジュエリー>のエネルギーの奔流に煽られて、  
自慰を見せ合い、唇を重ね、唾液を交換し合った記憶が、脳裏にまざまざと蘇ってくる。  
 
(デ、デルフィナさんの胸・・・・背筋に擦れて・・・・気持ち良い・・・・)  
 
しなやかな革製の胸鎧に包まれた、豊満な大人のバスト。  
気のせいだろうか、その中心部分がコリコリと固くしこっているように感じられて、  
優子は、湧き出してきた生唾を、ゴクリ、と、嚥下した。  
 
(あああッ、だ、だめぇ・・・・ヘンな気分になっちゃうッ!!)  
 
純真な少女の肉体を愛撫し、性感に火をつけようと企てているのは、  
金髪エルフの胸のふくらみだけに留まらなかった。  
わざとではないにせよ、パートナーの腰が薄布越しに桃尻の表面に押し付けられるたびに、  
背筋へのタッチに優るとも劣らないゾクゾク感が生まれて、  
括約筋が、キュウウウッ、と、固く収縮し、腰椎の付け根の部分に妖しい感覚が湧き上がってくる。  
更に、むっちりとしたフトモモが、白いスカートから伸びる自身のそれに絡みつくように密着してくると、  
ショーツの奥に隠された秘密の谷間が、じゅん、という湿った音と共に、じっとりとした蜜に濡れ始めた。  
 
――――――――と、次の瞬間。  
 
「これはこれは、見目麗しき<ヴァリスの戦士>殿」  
 
不意に、横合いから掛けられた言葉に、思わず、心臓が停止しそうになる蒼髪の少女。  
半ばパニックに陥りながら振り返ると、  
目の前では、オリーブ・グリーンの鱗に覆われた、ヌイグルミのような竜が、  
蝙蝠羽根を、パタパタとせわしなく動かしながら飛行していた。  
 
「えっと・・・・ど、どなた?」「ド、ドラゴ・・・・貴様ァッ!!」  
 
次の瞬間、ほぼ同じタイミングで発せられる、二つの科白。  
当惑した問いかけと激しい剣幕とが、見事な和音を響かせ合う。  
一瞬、顔を見合わせる二人だが、パートナーの気迫に押し負けた優子に代わって、  
怒髪天を衝かんばかりの形相のデルフィナが機関銃のような勢いで詰問を開始した。  
 
「今までドコで油を売ってたんだ、エロ飢鬼めッ!?」  
「やかましい、こっちはこっちで大変だったんだ、乳デカ剣士ッ!!」  
 
目をパチクリさせる夢幻界の<戦士>を無視して、怒鳴り声を張り上げる、エルフとドラゴン。  
状況が飲み込めず、唖然としていた優子だが、  
しばらくすると、どうやら二人――――正確には一人と一匹――――とも、  
口汚く罵倒し合いながらも、決して本気で相手を傷付けようとしている訳ではない事に気付いた。  
 
(ちょっとだけ似てるかな・・・・あの頃の、わたしたちに)  
 
脳裏に蘇る、懐かしい日々の記憶。  
・・・・今にして思えば、以前の麗子は、意地悪で、皮肉屋で、会えば言い争いばかりしていたけれども、  
どんなに酷く喧嘩をした時でも、自分の事を心底から嫌ったり、憎んだりはしていなかった筈だ・・・・。  
 
「気をつけろよ、優子。  
コイツはドラゴと言ってな、女と見れば尻にかぶりつかずにはいられない変態トカゲだ」  
「人聞きの悪い事を言うな。お前だって、つまみ食いはお手の物だろうがッ!?」  
 
ぐっ、と答えに窮するブロンド美女。  
たしかに、アイザードと出会って以来、抱かれる男は彼だけと思い定めてきたものの、  
反面、同性に対しては見境無しと言って良く、  
暗黒界においても現実界においても、陥落させた少女は数知れない。  
それどころか、今、傍らにいる蒼髪のパートナーでさえ、  
(プライベートな関係においては)獲物の一人と言っても過言では無いだろう。  
 
(ま、まあ、たしかに・・・・否定はできないかも・・・・)  
 
ベビー・ドラゴンの、愛くるしい外見とはかけ離れた、あけすけな態度に、  
何とも言い難い表情の<ヴァリスの戦士>。  
当のデルフィナは、と言えば、さすがに分が悪い、と自覚したらしく、ふてくされて黙り込んでいる。  
そして、チビ竜は、してやったり、という笑いを浮べながら、  
改めて蒼髪の少女に向き直ると、無遠慮な眼差しでその姿体をねめつけるのだった。  
 
「え、えーと・・・・もしかして、あなたが『導き手』なの?」  
 
黄金色に光り輝く<ヴァリスの鎧>に覆われたカラダの各部、  
分けても、美しい胸甲に包まれた形の良いバストラインに向かって、  
360度あらゆる角度から舐め回すような視線を送って来るドラゴにいささか閉口気味の優子。  
だが、目の前の彼が、竜と呼ぶにはあまりに小さい、ヌイグルミのような愛くるしい容姿とは裏腹に、  
強大な風の魔力を内に秘めた術者である事に気付くと、自然とその疑問を口に上らせる。  
 
「フッ、さすがは<ヴァリスの戦士>。  
脳味噌に回る栄養が全部胸に行っちまった、そこの牛女と違って、察しが良いな。  
いかにも、オレ様こそがお前の『導き手』。  
優秀な頭脳でお前を勝利に導くよう、アイザード様から命じられている」  
 
精一杯の威厳を込めて言い放つ、ドラゴ。  
念のため、まだ黙りこくっているパートナーを振り返ると、  
盛大に顔をしかめてはいたものの、別段、その言葉自体を否定するような素振りを見せてはいない。  
 
「フッフッフッ、どうやら、オレ様の偉大さを認める気になったようだな。  
良かろう、ならば、『導き手』として案内してやろうッ!!  
この世界、サザーランドの中心、ニゼッティーの神殿になッ!!」  
 
「ま、待てッ!!サザーランドにニゼッティーだと!?」  
 
威勢良く宣言するや否や、  
チビ竜は蝙蝠羽根に大気を孕み、天空に向かって力強く飛翔していた。  
背後でデルフィナが発した驚きの叫びに対しては、  
どうでも良い雑音とでも言いたげに無視を決め込んでいる。  
そして、それを目にした優子もまた、真っ赤になって悪態をつく女剣士に苦笑を浮べながらも、  
背中から伸びた光の翼を羽ばたかせ、異世界の空へと舞い上がるのだった――――。  
 
――――優子たちが飛び去った少し後。彼女達がいた隣の都市区画。超高層ビルの屋上。  
 
「どこなのよ、ここはッ!?」  
 
肩口で小奇麗に切り揃えられた自慢の赤毛を打ち揺らし、  
かたわらに寄り添う巨大なドラゴンに向かって、声を荒らげる漆黒の<戦士>――――桐島麗子。  
だが、金色の鱗に覆われた双頭の雷竜は、さてな・・・・、と首をかしげ、  
物珍しそうに周囲の風景を眺めやるばかりで、彼女の質問に対してすぐには答えを寄越さなかった。  
 
「現実界を離れてしばらくしたところで、  
<ファンタズム・ジュエリー>が何かに強烈な反応を示したのだよ。  
どうやら、そのせいで引っ張られてきてしまったらしい」  
 
「じゃなくてッ!!私が知りたいのは、今いる場所は何処なのか、って事なのッ!!  
ログレスの命令無視して、あちこちほっつき歩いている、アンタなら分かるでしょッ!!」  
 
「いや、悪いが、本当に初めて見る景色だよ。  
何処と無く、現実界に似ているような気もするが、空気の匂いは全く違うな」  
 
呟きながら、彼――――暗黒五邪神最後の将であり、  
一時は暗黒界を手中に収めかけていた時期さえある老将、雷邪ヴォルデスは、大きく翼を広げた。  
尻尾の先まで含めると百メートルは優にありそうな巨体をゆっくりと旋回させつつ、大気の感触を確かめる。  
 
「へえ、アンタにも、知らない世界があるんだ?」  
 
やや皮肉っぽい口調の、<ヴェカンタの戦士>。  
ログレス直属の暗黒五邪神とはいえ、  
目の前のドラゴンは、今まで、病と称して自分の領地に引き篭ったまま、  
夢幻界への出兵にも優子の討伐にも殆ど協力する姿勢を示していなかった。  
そして、ようやく重い腰を上げたかと思えば、  
あのクソ生意気な子竜と少し戦っただけで、あっさりと現実界を後にし、  
挙句の果てに、こんな訳の分からない世界に迷い込んでしまったのである。  
 
(ったく、アンタがログレスの命令をサボタージュするのは勝手だけど、  
なんで、私まで付き合わなくちゃならないのよッ!?)  
 
赤毛の少女がふてくされるのも無理はないだろう。  
一方、怠け者の暗黒五邪神はと言えば、金色の鱗に覆われた双頭を巡らせて下界を見下ろすと、  
困ったような表情で舌打ちを漏らしていた。  
 
「いかんな、騒ぎになりかけている」  
 
何事か、と、視線を投げかければ、  
数十メートル下の路上に群れ集った人々が、こちらを指差しながら口々に何かを叫んでいた。  
無論、今いる場所からでは、何を言っているのか?聞き取れる筈も無かったが、  
状況から考えて、おおよその意味は彼女にも想像できた。  
 
「フン、まぁ、仕方が無いでしょ。絵ヅラがまんま怪獣映画なんだから」  
「あんまり、年寄りを傷付けないでくれないか」  
 
情け容赦の無い指摘にすっかり気落ちしたらしく、金鱗のドラゴンは、  
元気の無い声でボソボソと変身魔法の呪文を詠唱し、人間の体へと変化する。  
・・・・だが、魔術によって変身したヴォルデスを一目見た麗子は、  
更に辛辣さを増した感想を漏らさずにはいられなかった。  
 
「アンタの趣味をどうこう言う気は無いけど、  
どうせなら、もっと若い姿になりたい、とか考えないの?」  
 
口を尖らせる<ヴェカンタの戦士>の前に現れたのは、  
古代のギリシャ彫刻を連想させる、簡素なトーガを纏った壮年の男性。  
取り立ててダンディという訳でもなく、むしろ、野暮ったいと言っても良いほどの顔立ちと、  
中肉中背、下腹の出っ張りが気になる、典型的な中年男性の体型は、率直に言って威厳もへったくれも無く、  
一時は暗黒界最強と号された程の魔竜の化身にはとても思えなかった。  
 
「もう、見栄を張るようなトシでもないからな。そんな事より、そろそろ行くぞ」  
 
だが、冴えない中年男に変身したヴォルデスは、  
先程とは打って変わって、まるで外見に合わせて精神もオヤジ化したかの如く、  
イヤミなど何処吹く風とばかりに、スタスタと歩き始めてしまう。  
 
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。一体、何処に行く気なのッ!?」  
 
「さてな。行く先はわしにも分からんよ。  
とにかく、石の呼びかけに応じるしかないだろう」  
 
「・・・・・・・・」  
 
唖然として二の句の告げられない麗子。  
飄々とした老竜の物言いには、  
アイザードのような油断のならない雰囲気も、ベノンのような陰険さも感じられないが、  
腹の底が読めないという点では、今は亡き同僚たちにも引けを取らなかった。  
いや、むしろ、二人のように露骨に警戒感を生じさせたりはしない分だけ、  
老獪とも言えるし、あるいは、巧妙という言い方さえ出来るかもしれない。  
 
「・・・・ここが、ニゼッティーの神殿?」  
 
ドラゴの先導で降り立った先は、何の変哲も無いオフィスビルの屋上だった。  
――――否、よくよく眺めれば、殺風景な雨ざらしのコンクリートに囲まれて、  
物置小屋のような小さな建物が、ぽつん、と建っており、  
入り口らしき扉の前に、喪服のような黒衣を纏った老人が静かに佇立している。  
 
「ようこそ、優子さん。  
現役の<戦士>がこの世界にやってきたのは初めてだよ」  
 
見れば、自分よりも頭一つ分背の低い、小柄な老人である。  
年齢は、外見から判断すれば、七十過ぎ、といったところだろうか?  
頭頂部はすっかり禿げ上がり、生え際に残っている幾許かの頭髪も、髭や眉毛と同様、真っ白に変じている。  
もっとも、上体をやや前屈みにして、手にした杖に体重を預けている姿にも関わらず、  
不思議と、老いさらばえた、という印象は受けなかったが。  
 
「あなたは?」  
 
「私の名はニゼッティー、サザーランドを統括する者だ」  
 
穏やかな笑みを浮かべながら自己紹介する黒衣の賢人。  
額に刻まれた深い皺と顔の下半分を埋め尽くしている真っ白な髭の間で、  
理知的な光を湛えた琥珀色の瞳が少女を静かに見つめている。  
 
(この人は一体?さっき、デルフィナさんはひどく驚いていたようだったけど?)  
 
先程のドラゴンは、自分こそがアイザードに選ばれた<導き手>だと宣言した。  
ならば、彼が引き合わせようとしている老人は、一体何者なのだろうか?  
<導き手>の役割が、<ヴァリスの戦士>である自分をこの人物の許に案内するものだとしたら、  
ニゼッティーと名乗ったこの男は、何を知っており、何を語ってくれるのか・・・・?  
 
優子が問いを発しようとした、その刹那――――!!!!  
 
「うぐッ・・・・あぐぐぅッ!?」  
 
突如、背後で発せられる、苦悶のうめき。  
振り返ると、女エルフが左腕を押さえて蹲り、激痛に表情を歪めている。  
慌てて駆け寄った優子の目に飛び込んできたのは、  
一度は完全に塞がっていた筈の傷口が、再び真っ黒に黒ずみ、腫れ上がっている様子・・・・。  
 
「デ、デルフィナさんッ!?」  
 
「し、心配するな・・・・」  
 
気丈にかぶりを振る金髪の剣士だったが、  
顔面はみるみるうちに血の気を失い、蒼白く強張っていく。  
持ち前の再生能力だけでは不足だからと、  
<ヴァリスの戦士>の生体エネルギーを拝借してまで治癒を促進し、  
実際に、かなりの程度まで状態を改善出来た、と思っていたのだが、  
それでもまだ、負傷によるダメージ全てを帳消しする事は叶わなかったというのだろうか?  
 
「むぅ、コイツはちょっと難儀だな」  
 
頭上から状況を観察していたドラゴが、  
深刻そうな口調で呟きつつ、背中の翼を変化させた腕で、彼女の身体を抱え上げる。  
 
「ベノンとの戦いに次元移動・・・・ちっとばかしムリを重ね過ぎたんだな。  
ちょっと休ませてやらないと、後々厄介な事にもなりかねん。  
優子、悪いが、オレ達は中座させてもらうぜ」  
 
――――余計なお世話だ、さっさと降ろせ、と、苦しみながらも口だけは達者なデルフィナ。  
無論、ベビー・ドラゴンは完璧に無視すると、何処かへと飛び去っていく。  
心配そうに見送るしかない蒼髪の少女を眺めやり、  
とにかく、彼女を落ち着かせるのが先決だと判断したのだろう、  
白髭の老賢者は、軽く咳払いすると、囁くように話しかけた。  
 
「優子さん、サザーランドには、アイザード卿の肝入りで作られた研究施設が幾つかありましてな、  
あの子竜は、その何処かに向かったのではないでしょうか?」  
 
「アイザードが!?」  
 
驚きの声に、――――然様、と、深く頷き返すニゼッティー。  
過去の記憶を思い出しているのか、いささか遠い目をしながら、静かに語り始める。  
 
「・・・・サザーランドとアイザード卿との縁は浅からぬものがありましてな。  
あの御方は、まだ夢幻界にいらっしゃった頃から、ここで様々な計画を立てられ、実行されて参りました。  
暗黒界に出奔されてからも、基本的にその関係は変わらず、  
この世界の存在を秘匿して下さった上に、密かに援助までして頂いていたのです。  
おかげで、我々はヴェカンティの脅威に曝される事も無く・・・・」  
 
・・・・と、そこまで話したところで、唐突に口を閉じる黒衣の賢人。  
どうしたの?と問いかけようとした優子もまた、すぐに異変に気付くと、  
<ヴァリスの剣>をいつでも実体化できるように身構えつつ、周囲に視線を走らせる。  
 
――――次の瞬間。  
 
「そのお話、わたくしにも詳しく聞かせて頂きましょう!」  
 
天空から響き渡る、鈴を振るような涼しげな美声。  
言葉の発せられた方角を見上げると、  
宝珠を抱いた竜の彫刻が施された杖を構えた、年若い魔道士が、  
天空に穿たれた次元の裂け目から姿を現わし、二人の前へと舞い降りようとしていた。  
 
年の頃は、優子と同じぐらいだろうか?  
少し小柄でほっそりとした体つきの少女である。  
白磁の人形のように白く透き通った肌にまだ幾分幼さの残る顔立ち。  
理知的な輝きを湛えた薄青色の瞳には、  
愛らしさと共に何処か威厳めいた存在感が宿っている。  
少し青みがかった銀髪を、シニヨンとウェーブを組み合わせた独特の髪型に結い上げ、  
清らかな光沢を帯びた、白い長衣を身に纏うその姿は、蒼髪の<戦士>にある人物を連想させた。  
 
「・・・・ヴァルナ様・・・・」  
 
傍らに佇んでいたニゼッティーが、小さく呟きつつ、姿勢を正す。  
トン、と、軽やかなステップを踏んで、地上へと降り立った銀髪の少女は、  
老賢人を軽く一瞥すると、ごく自然な動作で優子に向き直り、静かに口を開いた。  
 
「ヴァルナと申します。母であるヴァリアの名代として参りました」  
 
「ええッ!?ヴァリア・・・・さま・・・・の!?」  
 
驚愕に駆られ、大きく両目を見開く<ヴァリスの戦士>。  
身に纏った雰囲気から、もしかしたら夢幻界の住人かもしれない、と予感してはいたものの、  
さすがに、目の前の、自分と殆ど変わらない背格好の少女が、  
あの、神々しいまでの威厳と力強さに満ち溢れた夢幻界の女王の娘だとまでは思い至らず、  
大いに面食らった、という体である。  
 
・・・・だが、そう言われて、改めて面立ちを確かめてみれば、  
たしかに、眼前の少女には、ヴァニティを統べる偉大な支配者の面影と、  
そして、彼女から受け継いだ力の片鱗を看て取れる。  
勿論、ヴァリア自身ほどの圧倒的な迫力は感じないが、  
少なくとも、彼女の立ち居振る舞いは、支配する事に慣れた者としての洗練に満ち溢れており、  
また、その身に宿った魔力は、質量共に並みの魔物や魔道士を遥かに凌駕するレベルのものだった。  
 
「ええ、その通りです、優子。  
やむを得なかったとはいえ、今まであなた一人だけに戦いを強いてきたのを、  
母もわたくしも、ずっと気に病んでいました」  
 
沈痛そうな面持ちで頭を下げる、夢幻界のプリンセス。  
単なる儀礼やおためごかしなどではない、心底からの謝罪に、優子は再び面食らい、  
・・・・そして、直感的に、この少女を自分の許に送ってきたヴァリアの意図に気付いて、複雑な心境に陥った。  
 
(・・・・つまり、わたしがアイザードの影響を強く受け過ぎた、と危惧している訳よね・・・・)  
 
はたして、ヴァルナと名乗った夢幻界の魔道士は、  
続く言葉で、今は亡き元夢幻界人の青年への疑念をはっきりと指摘する。  
 
――――曰く、  
アイザードは<ファンタズム・ジュエリー>の基本構造を解読し、  
限定的にとは言え、自分に都合よく作り変える術すら発見していた。  
アイザード自身は滅んだとはいえ、  
彼が<ジュエリー>にどんな改変を施したのか?は、未だ明らかではない。  
そんな危険な状況のまま、<ヴァリスの戦士>に一人で戦いを続けさせる事を、  
母は大変不安に感じており、わたくしに此処へ向かうよう指示したのだ、と・・・・。  
 
「ふむ、成る程、それで貴方様がサザーランドに・・・・」  
 
沈黙を守っていた老賢者が、呟くように漏らした一言に、  
夢幻界の王女の双眸が、ほんの僅かな瞬間だけだが、キッ、と、厳しい視線を放つ。  
 
「当然でしょう。  
この世界は、事実上アイザードの統治下にあったようなもの。  
あの男の配下やこのニゼッティーの話を鵜呑みにして動けば、罠が待ち受けていないとも限りません」  
 
咄嗟に、反論しようとする優子。  
だが、(あたかも彼女の言葉を遮るかの如く)黒衣の老爺が口を開く方が、一瞬だけ、早かった。  
 
「ヴァリア様やヴァルナ様のお考えは無理もないもの。  
されど、この地下に納められているものをご覧になれば、疑念も晴れましょう」  
 
「それは、一体・・・・?」  
 
発せられた王女の問いには答えず、  
ニゼッティーは、背後にある物置小屋のドアに手をかざし、何事かを呟いた。  
途端に、目の前の、何の変哲も無い、殺風景なビルの屋上が一変し、  
重厚な大理石の列柱の連なる荘厳な建物――――神殿へと姿を変える。  
 
「こ、これは!?」  
 
「どうぞ、お入り下さい。地下にご案内いたしましょう。  
アイザード卿のご遺命にございますれば、どうか」  
 
言い終えるなり、異世界の老人は、蒼髪の少女に向かって深々と頭を下げた。  
ヴァルナの方は言えば、判断に窮したらしく、  
――――さしずめ、彼の説明をただちに信用は出来ないにせよ、  
100パーセントの自信を持って虚言だと言い切れるだけの確証も無い、といった所だろうか――――  
困惑しきった眼差しを<ヴァリスの戦士>に投げかけている。  
 
二人のやりとりを眺めながら、静かに考えを巡らせる優子。  
・・・・もっとも、心の内は、すでに九割方、定まっていたのだが。  
 
「いいわ、行きましょう」  
 
拍子抜けするくらいあっさりとした口調で、承諾の返事を行う優子。  
あまりにも明快なその態度に、  
ヴァルナは勿論、ニゼッティーまでもが、意外そうな表情を浮かべ、少女を凝視する。  
 
「虎穴に入らずば虎児を得ず、よ。  
大丈夫、今までだって、必要なものはそうやって手に入れてきたんだから」  
 
内心、我ながら凄い事を言ってるわね、と苦笑を漏らす、蒼髪の<戦士>。  
決して嘘をついている訳ではないとはいえ、  
この局面で今のような台詞を用いるのは、本心を偽っている、と非難されても仕方ない行為だろう。  
――――だが、彼女は、反論しようとして果たせないまま、  
口をもごもごさせるばかりの夢幻界の王女に対しては申し訳ないと感じつつも、  
あくまで自分の選び取った道を押し通す腹積もりだった。  
 
(わたしは、アイザードを信じる。  
たとえ、あの人の語った言葉の全てが真実ではないとしても、それでも、わたしは・・・・)  
 
「では、参るといたしましょう」  
 
蒼髪の少女をそっと一瞥し、白髭に覆われた口元に小さく笑みを含ませた老人は、  
慇懃な態度で、二人の少女を差し招いた。  
小さく頷いて、<ヴァリスの戦士>が、列柱に囲まれた回廊に歩みを進めると、  
渋々とではあったが、夢幻界の王女もまた、彼女の後に続いて神殿の奥へと足を踏み入れる。  
 
「どうぞ、そのまま奥にお進み下され。  
突き当たりに、地下への乗り物が用意してございます」  
 
彼の言葉どおり、しばらく進むと、回廊は途切れ、  
代わりに、古風な飾り格子によって囲われた昇降機が姿を現した。  
優子、ヴァルナ、ニゼッティーの順に乗り込むと、  
(魔法なのか、あるいは、技術なのか、は判然としなかったが)格子戸がガラガラと閉まり、  
三人を乗せた昇降機は、地の底へと続く薄暗い隧道の中を、  
微かな軋ばみ音と共に、ゆっくりと下降し始めたのだった――――。  
 
――――サザーランド。とある研究所の一室。  
 
「こりゃあ・・・・ちょっとどころじゃない、かなり不味い状況だぞ」  
 
顕微鏡を覗き込んでいたドラゴが、深刻な口調で呟く。  
 
「やはり、良くないのか?」  
 
ベッドに横たわったまま、訊ねかけるデルフィナ。  
こうしている間にも、傷が広がり、痛みが増しているのか、  
エルフの表情は険しさを増す一方だった。  
 
「ベノンの炎に含まれていた瘴気が、腕の組織を犯してるんだ。  
優子の生体エネルギーを吸収して、一時的に進行が止まっていたんだろうが、  
今のままだと、ほぼ確実に、腕一本では済まなくなるぞ」  
 
「糞ッ!!オカマ野郎め、死んだ後まで厄介事をッ!!」  
 
無念そうに呻く女剣士。  
すでに、どす黒い腫れは左腕を覆い尽くさんばかりに広がり、  
ゴマ粒大の小さな斑紋は、肩口を越えて胸元付近にまで進出していた。  
 
「さすがは暗黒五邪神サマ、ってところだな。  
何とかしてやりたいが、オレは医者じゃ無いし、  
こんな進行の速さじゃあ、医者に診せた所でおいそれと治せるような代物じゃない・・・・」  
 
一体、どうしたものか、と、考え込むベビー・ドラゴン。  
単なる負傷であれば、壊死しかけた腕を切断して、  
機械制御の義手を取り付けるなり、魔術で新しい腕を生やすなりすれば良いだけだが、  
おそらくは、もはや身体の隅々にまで行き渡っているであろう瘴気が相手では、  
そんな方法では一時しのぎにもならないだろう。  
 
一方の金髪美女は、右腕一本だけで何とか体を起こすと、  
ゼイゼイと苦しげな息の下から、かろうじて言葉を絞り出した。  
 
「まだ、死ぬ訳にはいかん・・・・何か方法は無いのか?」  
 
「フン、殊勝なこったな。  
お前のその態度は、ご主人様の言い付けだからか?  
それとも、例の<戦士>殿に情が移っちまったからなのか?」  
 
「・・・・・・・・」  
 
無言のまま、すがりつくような眼差しを向ける女剣士の姿に、  
おいおい、図星かよ、と、小さく肩を竦める緑色の子竜。  
かつてのデルフィナだったならば、こんな情けない顔を曝すくらいならば、  
むしろ、従容として死を受け容れる方を選んだ筈だった。  
 
(って事は・・・・本当に本気なのか、大馬鹿エルフめ)  
 
目の前の同志を、やや驚きを以って眺めやりながら、ドラゴは胸の奥でため息をついた。  
主の命令を果たすまでは死ねない、という想いは変わらず持ち続けているとしても、  
もはや、彼女の心の中では、以前ほどの価値を持ち得なくなっているのは間違いない。  
・・・・おそらく、今となっては、現実界の少女こそが最大の求心力の源であって、  
彼女への感情の強さは、すでに、アイザードに対する忠誠心すら上回っているのだろう。  
 
「そこまで言うんだったら、方法が無い訳じゃないが」  
 
やや曖昧な言い方をしつつ、  
探るような眼差しをデルフィナの隻眼に注ぐドラゴ。  
女剣士の方は、間髪を入れずに聞き返して来る。  
 
「どんな方法だ!?  
・・・・いや、何だって構わない。今一度、戦えるようになるのならッ!!」  
 
ふう、と大きくため息をついて、風のドラゴンは研究机の抽斗を開けた。  
中にぎっしりと詰まっていた薬瓶をガサゴソと掻き分けて、  
目的の物――――微かに鈍い光沢を帯びた液体の入ったアンプル――――を取り出し、  
期待と不安を交互に浮かべているエルフの前に、トン、と置く。  
 
「<ヴァリス・オア>だ。最終処理をする直前のまだ安定していない状態のヤツだがな」  
 
「どうして、そんなものがここに?」  
 
我知らず、声を上擦らせるデルフィナ。  
心臓が、ドクン、と大きく跳ね上がり、  
血の気を失って強張っていた顔面に、束の間、赤みが戻る。  
 
<ヴァリス・オア>。  
<ヴァリスの剣>をはじめとする、<戦士>の装備の原材料となる魔道物質で、  
これを用いて作られる武器や甲冑は、極めて軽量かつ頑強であるだけでなく、  
特殊な精神感応特性を有し、主の精神力と心の状態に応じて様々な能力を発揮する、とされている。  
夢幻界の秘境と呼ばれる場所にのみ産出し、採掘量も極僅かであるばかりか、  
加工の工程は夢幻界の最高機密に指定され、文字通り、門外不出となっていた筈だった。  
 
「・・・・実際、アイザード様も、夢幻界から持ち出せたのは不純物の大量に混じった原石だけだった。  
何とかして精製しようと、色々手を尽くしたみたいなんだが、  
結局、優子から奪った<ファンタズム・ジュエリー>の力を利用するまでは、  
どんな方法を試しても上手くいかなかった、って話だったな」  
 
「さて、コイツの使い方だがな、  
早い話、触媒となる溶剤と混ぜて、お前の体組織に直接吸着させるって寸法だ。  
上手く行けば、体内の毒素や瘴気を分解するぐらい、造作も無いだろう」  
 
――――もっとも・・・・、と、ドラゴは、一瞬、言い澱んだ。  
慎重に言葉を選びながら、話を再開したものの、  
その視線は、時間と共に下へ下へと降下していく。  
 
「失敗した場合は、正直、何が起きるか見当もつかん。  
そもそも、薬として考えるなら、かなりの劇薬と言わなくちゃならん代物だしな。  
仮に耐えられたとしても、カラダが拒絶反応を起こすかもしれん。  
いくら、お前の肉体が、アイザード様直々に、遺伝子レベルから再調整を施されたものだからって、  
<ヴァリスの戦士>とは違っているからな、適合しない可能性も高い。それに・・・・」  
 
「もういいッ!!」  
 
うんざりした口調で、金髪美女は子竜の話を遮った。  
顔を真っ赤にして、一気にまくし立てる  
 
「どのみち、私の気持ちは変わらん。  
足手まといになるぐらいなら、死んだ方がマシだ。  
優子が戦っている傍で、指をくわえて見ている事しか出来なくなるのなら・・・・!!」  
 
(やっぱり、そっちが本音かよ)  
 
金髪美女には聞こえないように、小さくため息をつくベビー・ドラゴン。  
興奮したせいだろう、体に負担がかかって、苦しげに喘ぐ女エルフと、  
掌の中のアンプルに入った薬液とを交互に見比べながら、苦み走った笑みを浮べる。  
 
「分かったよ、もう止めろと言わねぇ。  
だがな、<ヴァリス・オア>を体内に入れる施術は、かなりキツイぞ?」  
 
「そんな事は百も承知だ」  
 
即答で答える女剣士。  
だが、相方は、今度は、フン、と小さく鼻を鳴らしただけで、  
研究室の隅の覆いを掛けられた装置・・・・人間一人を漬け込めるサイズの培養槽へと歩み寄った。  
 
「悪いが、その答えは、コイツを見せ終わるまで聞かなかった事にさせて貰うぜ。  
おっと、文句は無しだ。論より証拠、とにかく、これを先に見てもらう」  
 
そう言って、よっこらしょ、と、薄汚れたカバーを取り外すベビー・ドラゴン。  
途端に、布地の上に降り積もっていた埃が盛大に舞い散り、  
白い砂嵐となって、ベッドの上のデルフィナへと吹き寄せてきた。  
 
「なッ!?一体、何だッ!?」  
 
時ならぬ汚物の襲来に、思わず顔を背け、悪態をつく金髪エルフ。  
だが、再び顔を上げた瞬間、彼女の舌はピタリと動きを止め、  
血の気を失った表情は、恐怖と嫌悪によって真っ青に凍りつくのだった。  
 
「・・・・・・・・」  
 
「な?だから、キツイって言っただろ?」  
 
愕然として、眼前の培養槽  
――――否、正確には、培養液の中でのたくっている数匹の生物に釘付けになった女剣士に向かって、  
少し皮肉を込めた調子で、ドラゴが呟く。  
 
直径約2メートル、ほぼ完全な球形をした強化ガラス製の培養槽は、  
十数種類の薬剤を溶かし込んだ、紫色の溶液によって満たされ、  
底には、大きいものでは体長2、3メートルにも及ぶ、触手生物がとぐろを巻いていた。  
 
脈を打つ赤黒い血管を連想させる、不気味な肌面。  
時折り、まるで、不整脈のように、びくんッ、びくんッ、と不規則に収縮しているのが気色悪い。  
サイズは、下水管のように太く長いものから、小ぶりのウナギ程度のものまでまちまちだが、  
先端部分だけは同じ造作で、キザキザの三角歯が並んだ口が異様に大きく裂けていた。  
大きさ以上にバラバラなのは、竿肌を彩る体色で、  
濁った血のような赤錆色のものから、死人のように蒼褪めた色合いのもの、  
熱帯のジャングルに咲く食虫花の如くけばけばしいものに、  
斑紋や網目模様を纏ったものまで、個体によって完全に異なり、まるで統一感が無い。  
 
「こ、こいつらが、触媒、なのか?」  
 
やっとの思いで言葉を搾り出すデルフィナ。  
声音は、先刻までとは打って変わって弱々しく、恐怖に震え慄いていたが、それも致し方ないだろう。  
強化ガラスの向こう側で蠢いている極彩色の生物の群れは、  
暗黒界において、拷問や処刑の道具としてよく用いられる、危険極まりないタイプのものだった。  
 
「ああ、早く言えばな。  
何しろ、コイツらの身体は丈夫に出来ているから、<ヴァリス・オア>だって平気で取り込んじまう。  
前にも言った通り、<ヴァリス・オア>の劇薬成分は強烈だからな、  
一旦、コイツらに吸収させた後で、お前のカラダの中に吐き出させる必要があるんだ」  
 
――――人体に直接投与する場合に比べれば、遥かに安全性は高い筈だ、と、胸を張って答えた子竜を、  
隻眼の美女は鋭い怒りを込めて睨み付けた。  
たしかに、<ヴァリス・オア>の毒性は弱まるかもしれないが、  
凶暴さは折り紙つきの触手生物と同居する危険性を考えれば、  
まともな神経の持ち主ならば、安全性が向上する、などとは口が裂けても言えない筈である。  
 
「い、一応、人間には、無闇に襲い掛かったりしないように、色々と弄ってある。  
少なくとも、いきなり噛み付いたり、食いちぎったりはしない筈だ・・・・多分、だけどな・・・・」  
 
言い訳を並べつつ、冷や汗を浮べるドラゴ。  
チッ、と鋭く舌打ちを打ち鳴らしたデルフイナは、  
水槽の中で蠢く、目も耳も鼻も無いバケモノに、改めて嫌悪に満ちた眼差しを注ぐ。  
 
「早い話が、肉体を痛めつけるのではなく、精神を嬲り尽くす用途のために、  
遺伝子レベルから『改良』を加えて生まれた品種、って訳だな?」  
 
女剣士の口調は幾重にも苦々しかった。  
無論、彼女とて、暗黒界に生を享け、<戦士>として戦い抜いてきた身であり、  
捕虜や罪人、とりわけ、女性のそれに口を割らせるための手段として、  
この種の生物の使用が極めて効果的である事は深く知悉していた。  
そして、そのような手法を用いていたという点に限っては、  
忠誠を誓った主君であり、夜毎に互いを求め合った情人でもあった、夢幻界出身の青年魔道士も、  
ベノンのような暗黒界の大貴族たちと基本的に何ら変るものではなかった、という事実も・・・・。  
 
(そうだ・・・・思い出したぞ)  
 
あれは、アイザードの配下となって間もない頃だった。  
ある夜、任務を終えて、主君の許に帰任の報告に向かおうとすると、  
地下の研究室――――元夢幻界人の魔道士のお気に入りの場所だった――――から明かりが漏れており、  
扉の向こうから、にちゅッ、にちゅッ、という粘ついた音と、微かな悲鳴が聞こえてきた。  
 
扉の隙間から室内を覗くと、セラミック製の手術台の上に、  
全裸の少女・・・・おそらく、主の魔道実験の産物たるホムンクルスの一人が横たえられ、  
カラダに、全長数メートルの、タコとクラゲとイソギンチャクが融合したような怪物が巻き付いていた。  
よく見ると、少女の手足は拘束具によって手術台に固定されており、  
傍らでは、記録係とおぼしき、羽根つき美女が一人、無機質な眼差しを湛えて、  
(DNAの塩基配列が一つか二つずれているだけの)自らの血族が、  
『タスケテ・・・・タスケテ・・・・』と、たどたどしい言葉で救いを求めつつ、陵辱される様を観察している。  
 
(アイザード様は、いらっしゃらないのか?)  
 
重要で、なおかつ、自身の知的好奇心を満足させるに足るもの、と判断した実験であれば、  
青年魔道士が研究室に篭り切りになって、徹夜で結果を分析し続けるのは珍しくはなかった。  
逆に言えば、彼自身が立ち会わず、担当の記録者に任せ切りにしている、という実験は、  
別段、重要でもなく、興味を惹かれる対象でも無い、という訳である。  
 
(ならば、長居は無用だな)  
 
一瞬ののち、そう判断した自分は、  
哀れな羽根つき少女にも、触手生物にも、関心を失って、立ち去った筈  
――――憶えているのは、それが全てだった。  
 
この後、彼女の運命については知る由もなかったし、  
ましてや、あの化け物に関わりを持ちたいなどという考えが浮かぶ事など決してなかった。  
当時は、他にやらねばならない事や関心を持たねばならない事が山積していたし、  
何より、愛しい主以外は全く眼中に無い、と言い切っても過言では無い状態だったのだから・・・・。  
 
(――――今になって、こういった形で思い出す羽目になるとは・・・・)  
 
唇の端に浮かぶ、自嘲気味の笑い。  
拷問に直接関与してきた訳ではないにせよ、  
危険極まりない生物と知りつつ、必要悪として黙認してきた自分が、  
放っておけば全身を蝕み、やがては死に至るであろう、不治の傷を癒すためにとはいえ、  
あのおぞましい雁首を自らの膣口に受け入れる事になろうとは、運命の皮肉としか言いようが無い。  
 
「や、やっぱり、やめておくか?  
じっくりと腰を落ち着けて探せば、別の治療法が見付かるかも・・・・」  
 
「そんな時間が何処にあるというんだ?」  
 
にべもなく言い放つや否や、ブロンドの女剣士のとった行動は素早かった。  
ベビー・ドラゴンに冷やかな一瞥をくれて黙り込ませると、  
シーツを跳ね上げ、よろめきつつも寝台から床に降り立つ。  
・・・・そして、半ば這うような足取りながらも、何とか培養槽に歩み寄ると、  
分厚いガラス越しに、醜悪極まりない人造生物を、キッ、と睨み付けた。  
 
「言った筈だ。足手まといになるぐらいなら、死んだ方がマシだ、と。  
覚悟ならとうに固まっている・・・・さっさと始めろッ!!」  
 
おぞましさに全身を震わせながらも、有無を言わせぬ口調で言い放つ、金髪エルフ。  
弾かれたように立ち上がったドラゴが、  
水槽の上部へと飛び付くと、薬剤の注入口からアンプルの中身を流し込む。  
途端に、<ヴァリス・オア>の毒性に当てられて、触手の動きが激しさを増し、  
まるで強いアルコールの中へと投じられた泥鰌の如く、ビチビチと跳ね回り始めた。  
 
(ううッ!!な、なんて、おぞましいッ!!)  
 
覚悟はしていたものの、常人ならばとても正視など出来ない凄惨な光景に打ちのめされる女剣士。  
今から、この逃げる場所とて無い悪魔の大釜に、一糸纏わぬ裸体を浸して、  
狂ったようにのた打ち回る化け物の愛撫に晒されるのだ、と思うと、  
歯の根も合わぬほどの恐怖が押し寄せてきて、思考が凍りつき、何も考えられなくなってしまう。  
・・・・否、そればかりではく、獲物を徹底的に責め立て、嬲り抜くためだけに生を享けた彼らは、  
口腔、膣穴、肛門、尿道・・・・ありとあらゆる穴から体内へと侵入し、  
おぞましい体液を所嫌わず吐き出して、獲物の肉体を白濁に染めていくに違いない・・・・。  
 
(だ、だめだッ!!これしきで音を上げるようではッ!!  
優子のためには堪えるしかない・・・・とにかく、今は堪え抜かなくてはッ!!)  
 
最愛の少女を脳裏に思い浮かべ、消え入りそうになる勇気を必死に振り絞る隻眼の剣士。  
だが、極彩色の触手生物は、彼女の苦闘を嘲笑うかのように、水槽の中を暴れ回り、  
時折、ぞっとするような色合いの体液を吐き出しては、また狂気のダンスに打ち興じていた。  
目にしているだけで理性が掻き乱されるのだろう、  
デルフィナは死人同然の面持ちで、唇の端から胃液の糸を垂らしている。  
ドラゴの方はと言えば、とっくの昔に腰を抜かして、部屋の隅で情けなくガタガタと震え慄いていた。  
 
・・・・だが、無論、本当の地獄の幕開けは、  
彼らが<ヴァリス・オア>の成分を吸収し終え、  
吐き気を催させる水中の舞踏を手仕舞いにしたその時である。  
美しきエルフの乙女が、無事、悪魔の試練を乗り越える事が出来るのか?  
それとも、暗黒界の魔生物のもたらす禁断の悦楽の前に、永遠の狂気へと堕ちてしまうのか?  
未来を予測出来得る者は、三界には一人として存在していなかった。  
 
――――そう、三界のうちに存在している者の中には。  
 
――――因果地平の彼方。世界の何処にも存在しない空間。  
 
『・・・・どうやら、帰還に向けての準備は整いつつあるようだな・・・・』  
 
影・・・・いや、黒っぽい靄のような、と形容すべきだろうか?  
もはや、人間としての輪郭を留めていない、その不浄な存在は、  
しかし、三界に生きとし生ける、どんな人間にも不可能な執念深さで、  
仮初めの生にしがみ付き、安らぎに満ちた死への誘いを拒否し続けていた。  
 
『<ヴァリス・オア>・・・・死せる魂魄と生ける肉体を繋ぎ止める霊薬の滴。  
我が肉体を不滅のものとする事は叶わなかったが・・・・』  
 
おそらくは笑っているのだろう、顔にあたる部分がユラユラと揺れていた。  
幽鬼にも及ばない、このような惨めな有様と成り果ててなお、  
彼は、生前の、シニカルな性格を留め、歪んだユーモアを愛しているらしい。  
 
『我が愛しき従者・・・・未完成なる<戦士>の魂を、お前に捧げよう。  
そして、彼女の肉体は、我が魂魄を受け容れたとき、完成された器として再び用いられよう・・・・。  
全ては我が予測通りに進行している・・・・些かも、齟齬は無い・・・・』  
 
 
 
――――――――TO BE CONTINUED.  
 
 
 

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