秋ももうすぐ終わる。  
いよいよ冷え込みが強まってくる。  
本格的な冬の到来を前に他所への移住を決行する者達が絶えない。  
残っているのは、年寄りと物好きだけ―――以前誰かがぼやいていた通りの現状が無残に横たわる。  
大国の崩壊、人口の著しい流出。当然ながらゾルデの地域社会としての動力は停止寸前だった。  
活気を支える働き手が抜けて行けば、治安も日に日に悪くなるのは必然。  
セレスもいつまでも遊惰な生活を送っているわけにはいかなかった。  
崩壊した自治・警備機能を維持する為編成された自警団へ所属している。  
本当は別の仕事がしたかった。だがもうこの街に武器を扱える者など数える程。選択の余地はなかった。  
長嘆ばかりの日々から抜け出して戦乙女に渡された剣をかざす。  
いざ表に出ると、その赤い髪とは裏腹に冷酷で不気味な女だと陰口を叩かれる日々が待っていた。  
輝かしい経歴など過去のもの。もうディパンの王女ですらない。  
現在のセレスを守るのはただイージスの妹、そんな肩書きだけだった。  
方々から注がれる陰湿な視線は降り注ぐ矢のようだったが、格別苛立ったりはしなかった。  
鏡に映る女を見れば仕方が無いと思えるからだ。  
どん底からは抜け出したとはいえ、陰鬱な表情が張り付き、暗く影のかかった、まさに死んだ魚のような瞳。  
闇に少し引っ張り込まれれば途端に堕ちていきそうな雰囲気。  
これでは確かに近寄り難い。  
だが即時の改善は無理だ。  
皆に受け入れられる為、これから頑張って仕事をして成果を収め、認められてゆくしかないのだろう。  
鏡に触れる。  
――――私、こんな女だったのか。  
向こう側の女が哀しげに眉をひそめた。  
 
 
 
エーレンとクレセントがゾルデに来訪したのは突然だった。  
風の噂でセレスがいると聞きつけたらしい。  
所在など何処から漏れ伝わったのだろうだろうか。  
驚きつつ、せっかく来てくれたのにと頭痛がする程悩んだが、どうしても再会は躊躇われた。  
結局イージスに頼み込んで居留守を決め込んだ。  
現況を絶対に言わないでと何度も念を押して。  
壁の向こうでクレセントの声がする。  
セレス様は?セレス様は?とまるで鳴き声のように呼ぶクレセントは、何も変わっていない愛らしさだった。  
自分に尊敬の念を抱いてくれている年下の女性。  
どうしても彼女の中にいる自分を壊したくなかった。  
なけなしの自尊心が傷を抉って呻く。  
あの妹分はセレスがこんなことになっているなんて想像だにしていないのだろう。  
本当はちゃんと向き合い、現状打開への助力を仰いだ方がいいのはわかっている。  
だが原因を追及されたらこの惨めたらしい数ヶ月を洗いざらい話さなければならない。  
正義感の塊のような男とその養子。二人は原因となった男をどう思うのだろうか。  
話し合いで解決できる気配がまるでない。仲間同士で血の雨など論外だった。  
己への疑念と罪悪感に苛まれたまま、数日後、ソール通りからゾルデを去ってゆく二人の背中を遠くから見送った。  
しょんぼりするクレセントを慰めつつ、不意にエーレンが振り返ったので慌てて隠れる。  
一瞬だけ見えたのは何とも言い難い、困ったような顔だった。  
ああ――――  
勘がいい。いくら隠れても彼はあらかたのことに気付いているのだろうな。  
羞恥と情けなさが溢れてきて、ずるずると崩れ落ちた。  
遠のく二人はやがて点となり、消えた。  
 
淀んだ日々が過ぎてゆく。  
だがあの夢を見る以前のように、闇に呑まれているばかりの毎日ではなかった。  
決意は心の支えとなる。  
春になったらゾルデを出るつもりだ。  
前向きな考えと立ち直りをイージスも大変喜んでくれた。  
だがゾルデの状況はあまりに芳しくなく、忙殺で知らぬ間にその話も流されてしまっていた。  
深刻な人手不足。物資補給経路の崩壊。ゾルデは更に孤立してゆく。  
 
何とか活動機能を維持しているのは支援を受けられる教会ぐらいだろうか。  
先が深い霧で見えぬままでも、がむしゃらに進むしか術はなかった。  
共に働いていると、あまり表立って行動するのを好まないイージスの本心が見え隠れする。  
本当はセレスにまとめ役の任に就いてもらい、自分は補佐役に回りたいのだ。  
元はディパンの兵士。敬愛してきた王族への敬慕と期待が沁みついているのだろう。  
彼の期待に応えられないことは悔やまれるが、今のセレスでは到底こなせそうにない大役だった。  
だからその分身を粉にして働く。  
数少ない歯車の一つになって回る。  
だが本当に春になったら旅立てるのだろうか。  
一抹の不安を、ただただ日常が押し流してゆく。  
 
主を失った書物庫に入り、大量に残された歴史書を紐解く。  
昔の自分が悠然と活字になって踊っている。  
若かった頃。理想があった。勢いがあった。  
女に生まれたとて男になど負けはしない。意地があった。  
今では何もかも泡沫。  
記憶はあるのに書物内で活躍する自分はまるで別人のようだった。  
何冊か手にとると、捕虜になった時に何かあったに違いないと囃し立てる下卑た書物もあった。  
明らかに性的な虐待を期待する文章。  
ため息をつく。  
教えてやりたい。その時は何もなかった、と。――――その時は。  
「そこまで自虐しなくてもいいと思うけど」  
ログンの港でぼうっとしていると、過ぎた自嘲への戒めをやんわりと受けた。  
ゾルデで出来た数少ない友人が隣りにいる。  
「じゃあ何でこんなに皆から色々言われているのかしら」  
「そりゃあんた。美人で有能でスタイル抜群で色気たっぷりでどこかミステリアスで男の目をひくからでしょ」  
「……何それ?」  
持ち上げられる場面ではない。理解不能といった表情で翳るセレスに、  
「何で嫌われてるのかわかるでしょ。って話」  
そんな回答を投げつけてくる。  
微笑むと艶かしい色気が勝手に零れ落ちる女。  
物怖じせずはっきりした性格がセレスとあう。  
活気があった頃は荒くれた船乗り相手に娼婦をしていた女だった。  
現在は惚れ合った男と結ばれ、主婦として穏やかに生活している。  
口を出す関係者達がゾルデを去ったことで皮肉にも男と一緒になれた。  
そんな友人の、励ましだか罵倒だかわからない台詞にセレスは苦笑する。  
色気か。  
無理やり引きずり出された女の艶。  
美意識など欠片もないのにどうやら勝手にそんな女になっているらしい。己のことながら迷惑な話である。  
「あのずいぶん可愛いおちびさんがアンタの鎖みたいね」  
意表を突かれてぎくりと心臓が跳ねた。  
闇の匂い。わかる人間にはわかるのだろう。  
「…棘だらけのね」  
からくも返答すると友人は少量の笑いをこぼしたが、その長い睫毛の向こうには過去に何かあったことを察知する、  
同類への憐れみが見えた。  
友人に悪気はないのだろう。だが憫笑を買うような立場なのだと自覚してしまい、気が滅入る。  
「…大変ね」  
死んだ港、爽やかな潮風。  
友の呟きに、何も返せなかった。  
 
一方、自警団でのセレスはまた別の顔を見せていた。  
突出した能力。  
所詮女の剣とナメ切っていた豪腕揃いの戦士達が、並んで目を真ん丸にしている。  
実力故に一定の評価を受けてこそいたが、実際に動いてみての自己評価は酷かった。  
ブランクは大きい。しかも剣技にはまるで余裕がない。  
その割には動作に無駄が多く、切れ味も鈍い。解放前なら話にもならない敵に信じられない程手間取る。  
どの方面にも戸惑いと怯え、迷いが濃厚に出てしまっている。  
 
冷静にね。そんな忠告を、一体どの口が口走っていたのであろうか。  
能力の低下を感じる度、思う。  
私はやはり一度死んだのだと。  
あの戦争から二年後に迎えた死のことではない。  
逃げる為、再戦を放棄し、あの死神の手をとった時に。  
もう『セレス』は死んだのだ。  
そうとしか思えなかった。  
老人に、お前のような女があの斬鉄姫と同じ名を持つなどと何たる冒涜だなどと面と向かって言われてしまうこともあった。  
どこか浮世離れした、それでいて揺らめく光明を持つ、おかしな女。  
退廃的だがそれ故に醸し出される妖しい魅力があり、それに惑う男も少なくなかった。  
愛の告白も何度か受けた。生前だったら信じられない世界だ。  
だが明らかに体だけが目当ての輩も多く、いやらしい下心に苛立たされることも少なくない。  
その陰で不健全な魅力を振り撒いていると罵られている。  
しかし自分では何がどうなのかさっぱりわからない。  
彼女を追って様々な視線がいくつも振り返るのが、セレスの心労を濃くする一因だった。  
目立つことなど欠片も望んでいないのに、死神によって培われた色が他人を魅きつけるらしい。  
必要ないのに――――そんなもの……  
釈然としないものを感じつつも日々は刻々と過ぎてゆく。  
 
 
 
その日も一人で見回りをしていた。  
突然茂みから躍り出てきた子供に驚かされる。  
「もう。びっくりするじゃない」  
目的を達成した子供から朗らかな笑い声が響く。  
抱きついてきたので撫でてやると特有の陽の匂いがした。  
子供はいい。気持ちがあたたかくなる。  
この子の母親は良い女だ。セレスの働きを正当に評価し、子供達に勝手な偏見を持たぬようにと言い聞かせてくれている。  
どうしても中傷の声というのは大きく聞こえがちだ。  
だが、こうしてわかってくれる人々もいる。  
頑張ってみようと前向きになる。  
そう、腐らずに。  
ご機嫌の子供と手をつないで帰路についた時だった。  
小道の真ん中。  
無遠慮に行く手を遮る障害物があった。  
なんだろう。  
更に一歩近付く。  
瞬間、セレスの手は反射的に子供の目を覆っていた。  
子供は遊びの一環と受け取ったようで、突然の暗転にけたたましく笑い転げる。  
抱き上げて胸に子供の顔を押し付けることで笑い声を遮断し、セレスは一目散に走り出した。  
「ふふっ、何かしらね――――」  
何も疑わない小さな子供で助かったと思う。  
そのまま安全なところまで疾走した。  
ゾルデに戻り子供を降ろす。子供は『遊び』の続きをねだる。焦るセレスには子供特有の甲高い笑声すら狂気に聞こえた。  
そこでちょうど子供を捜していた母親と出くわしたのは幸いだった。  
子供を渡すと、素早く耳打ちして言伝を頼む。  
固まる母親と手を振る子供を尻目に、駆けて問題の現場に戻った。  
「……」  
見下ろす先には、ぼとり、腕が落ちていた。  
血溜まりの赤が鮮やか。胴体から離されて間もないらしく、生きた色を失っていない。  
特有の鉄を帯びた生臭さが漂う。  
筋肉がついたごつい男の腕。頑丈な手甲をしている。戦闘の心得がある者だろう。  
いや、だった、か。  
セレスの表情がいっそう険しさを増す。身体を冷たい矢が通り過ぎていった。  
「帰ってきたのね……」  
何の躊躇いもないすっぱりとした切り口。  
見覚えのある残忍さに目を伏せた後、剣の柄を握り締めた。  
 
エルド、だ。  
否定したくてもあまりにも確定的だった。  
まさに今、付近で殺戮を行っている。  
大量の獲物を、猟奇的に。  
冷静を要する場面とはいえ迸る恐怖を抑え切れなかった。  
木々達は丸坊主になっているが、それでもここは森の中。  
エインフェリア時代、障害物が多く死角に潜み易い場所は彼の独壇場だった。  
あの狩人の体躯で疾走し、闇から闇へ飛び移りながら命を奪う計算は、誰よりも素早い。  
狩られているであろう哀れな獲物達の、狂おしい断末魔の悲鳴が耳を障った。  
今現在この森には大量の、彼が言うところの『カモ』がいるようだ。  
焦燥と苛立ちが同時に襲ってきて、ぎりっと歯を食いしばる。  
揺らがないよう鋭い眼光を維持したまま、身も心も惑わされない為にきっちり前を見据えながら進んだ。  
一体何をしているのだこんな所で。  
何処か遠くでやればいいのに、わざわざこんな所で。  
まさか言いなりにならない私への嫌がらせ?これからゾルデの他の民にも危害を?  
悪い考えばかりが先行して焦りが増す。  
あの男はセレスが関係のない他人への迷惑を最も嫌がるのを知っている。  
止めなきゃ―――いや、止める。  
イージスには『目当てはお前なんだから何が起ころうとお前は絶対に逃げろ』と言われていた。  
が、とてもではないがそんな状況ではない。  
そしてそのイージスは現在出張にてゾルデ不在である。  
私がしっかりしなければ。  
セレスの顔つきがいっそう凶悪を帯びる。  
大丈夫――――私はもう大丈夫。何度も己に言い聞かす。  
二度とこの身に触れることなど許さない。  
今度こそ命を賭した戦いになるだろう。  
大丈夫。  
全部終わりにして、春に旅立つんだから。  
決意と覚悟を胸に顔を上げる。  
だが現状、駒は己という一騎のみ。失敗は許されない。  
まず一体何が起こっているのかを正確に把握せねばならない。  
場合によっては引き返し、ゾルデの仲間達と合流した方が良さそうだ。  
慎重に進んでいく途中でいくつかの死体を目の当たりにした。  
とりあえず皆ゾルデの者ではなさそうだ。  
死への歪みを抜きにしてもあまり様相のよろしくない死体達に、セレスの顔がさらに顰められる。  
よく見ると何人か、いや何体かに見覚えがあった。  
以前ゾルデに来襲してきた盗賊団の連中に似ている。  
疑念に苛まれつつも気配に気を付けながら少し行くと、突然開けた場所に出た。  
その奥でついにエルドの後ろ姿を捕らえた。  
小柄な体のどこにそんな力があるのだろう。大柄な男を一人、大木に押し付けている。  
エルドの足下には用済みの獲物達が魂を手放して折り重なっている。  
皆一様に苦悶の表情を浮かべており、処々に弓矢を喰らい、無残な切り口を晒していた。  
「……」  
息が詰まる。  
遊んでいる。  
エルドにどう逆立ちしようと敵わない点。  
人殺しが好きな点。  
「悪りぃなあ…」  
声が嗤っている。  
「あれ俺んのなんだわ」  
そう言うと、必死の命乞いをあっさりと無視して命を奪った。  
死体と化した男がずるずると崩れ落ち、何もなかったかのように静寂は戻る。  
命への冒涜を感じる程静かに殺める。  
鮮血で濡れた得物から雫を落としつつ、横顔には陰惨な笑みを浮かべていた。  
楽しそうだ……。  
彼にとって殺すことは紛れもない快楽なのだろう。  
激しい嫌悪に包まれつつも木の影で息を潜めていると、突如ものすごい勢いでこちらを振り返られた。  
 
童顔におさまる大きな双眸と視線がかち合う。  
えっ……  
硬直した瞬間、セレスの真後ろでどさりと音がした。  
慌てて音のした方へ目をやると、仰向けで倒れている男が一人。  
急所近く、防具のほんの少しの隙間を縫って、深々とナイフが刺さっていた。  
血だまりが面積を増してゆく。  
男の震える手には短刀が握られていた。  
セレスを殺そうとしたのか。それとも羽交い絞めにして人質にしようとしたのか。  
どちらにしても加害の意思があったのは間違いない。  
「て…め……」  
震える声が、凶器を放った相手――――エルドへの怒りを伝えてきた。  
その顔と声質にはっとする。  
この男も知っている。見たことのある賊だ。  
確か、裕福だった家に侵入しては嘲笑いながらしこたま略奪してゆく夜盗団の一人。  
自警団の者が何人も死傷している。  
セレスも一度だけ現場に遭遇し、かろうじて撃退したことがあった。  
「そ…いうことかよ……」  
死にゆく男とエルドだけしか通じない会話。  
交じれないセレスには理解が追いつかない。  
動揺するセレスの腰を、いつの間にか近付いてきていた死神が突然かき抱く。  
表情は勝ち誇っていた。  
「そういうことだ」  
盗賊の男は顔いっぱいに無念を滲ませると、エルドの言葉が終わると同時、絶命した。  
一瞬の惨劇。  
我に返って死神の手を払いのけ、慌てて距離をとる。  
心拍速度は増したまま。全身の震えも止まらない。  
急な展開にもついていけなかったが、盗賊の害意にまったく気付けなかった己の愚鈍さにも愕然としていた。  
「いくら何でもちょっとたるみ過ぎじゃねえのお姫様」  
エルドにまで呆れられる。  
目が合うと、それまでの冷たさとは別の微笑みを浮かべられた。  
「ただいま」  
「……二度と来るなって言ったわよね。私にそんな表情を与えられても困るだけなんだけど」  
本来なら礼を言うべき場面である。だがそんなことをしたら即付け入られる。  
ふいとそらして刺々しい返事を返すと、相手からは忌々しい、耳障りな嘲笑が零れた。  
理解不能の余裕に鳥肌が立つ。  
すぐにも離れたいが情報を引き出さなければならない。  
このような場所で大量殺戮に及んだのは、自分に迷惑をかける為ではとの疑心暗鬼に捕らわれていたのだが、  
息を引き取った盗賊の死に際の態度からして、どうやら違うらしい。  
「……彼等は、何?」  
「オトモダチだ」  
嫌な発音にはあからさまな嘲りが混じっていた。  
「真剣に答えて」  
「へえへえ。こいつらだ。この前話してただろ。散歩してた夫婦だかを襲って殺したの」  
警戒するセレスの目が思いがけぬ真実に大きく見開かれる。  
数ヶ月前、治安悪化の一例として、町外れで惨殺された夫婦の話をエルドにしたことがあった。  
その時は聞いているのかいないのかというぐらいの興味なさげな態度であったが。  
「本当?」  
「本当も糞も。ここに来る途中、武勇伝気取りでご披露いただいた話がほぼお前から聞いた話の内容と一致してた」  
嘘をついている気配がない。どうやら間違いなさそうだ。  
だが、何故この死神が、彼等と。  
「どういうことなの……」  
疑心を募らすセレスに向けて解説が続く。  
「お前におん出された後、さてどうするかとそこらの街ぶらついてたらよ。  
 久々に嗅ぎ覚えのあるわかりやすくて間抜けな悪意が、こうビチグソ的に臭ってきて。  
 ホイホイ覗き見たらもう何十人も集まってやがるじゃねえか。  
 『ゾルデ急襲してもう手前らは終わってるんだってことをわからせてやらねえと!!』とかやってて。  
 もう成功したと言わんばかりに盛った犬丸出しで大興奮の渦まいてた」  
 
汚い言い回しでドス黒いことをどうでもよさそうに話す。  
思いもかけない真実に、緊張が痛いくらいにセレスの体内を迸る。  
この死体と化した者達が、ゾルデへの計画的な犯行を画策していたというのか。  
「それはともかくお前、自警団に入ったんだってな」  
「……どうして知ってるの」  
「最近ゾルデに移り住んできた男がいただろう?ここ数日姿が見えないはずだが。  
 そいつが間者だったんだ。ヒゲも案外間抜けだな。こっちに情報駄々漏れてきたぜ。  
 今ヒゲが精鋭引き連れてゾルデ不在なのも計算済みだ。  
 ああ、その間者の馬鹿はそこらでくたばってるはずだから後で確認しろ」  
眩暈がする。セレスにも分け隔てなく接してくれたあの優しげな大人しい青年が、そんな――――  
恐ろしく急激な展開についていけなかった。  
反応の鈍いセレスに業を煮やしたエルドが結論を急ぐ。  
「で、俺はこの通り、こいつらんとこ潜入して、こうして内側から計画潰してやったんだよ」  
それは高く跳ね上げられ、そのまま落下し地面に叩きつけられたような衝撃だった。  
冷や汗が流れる。  
すべて真実なら。  
――――借りなどというレベルではない。  
険しい顔つきで固まるセレスに、死神がにやりと嗤う。  
「あんまり遠くで片付けちまうと証明も面倒だしな」  
そうだ、お前の為にやってやったんだ。そうと言わんばかりの姿。  
余裕綽々の正体がセレスに重く圧し掛かってきた。  
「俺も少しは役に立つだろ?お姫様」  
「……」  
「何だよ信じてもらえねえのかよ。  
 じゃあ…ああそうだ、確か、殺された夫婦のガキ2匹は生き残ってんだよな。今すぐ呼んで確認させろよ」  
死体を指すエルドに、セレスの眉間の皺がさらに深く刻まれる。  
夫婦が何度も刺されながらも守り抜き、まさに死に物狂いで逃がした子供達。  
「何言ってるの。あの子達はまだ11歳と9歳なのよ、こんな惨状見せられるわけないでしょ」  
死神はそんな怒りの抗議を鼻で嗤った。  
弄んでいたナイフをすっと立て、びゅんと振ってセレスに向ける。  
「勝手に判断しねえ」  
「何よ」  
「餓鬼だって所詮人間、そんなおきれいにゃできてねえよ。  
 大事な両親殺した連中が無様に葬られたんだぜ。喜ぶ他に何がある?」  
「……何でも貴方基準で考えないで」  
意見の却下とともに叱られても、なお嗤っている。  
薄ら寒かった。  
そう。どう跳ね除けようが、エルドはゾルデにとって物凄い貢献をやってのけたのだ。  
そしてセレスにも。  
顔面蒼白だった。  
しかしやはり礼は言わなければ。  
「……ありがとう。ゾルデやあの子達の為に、かたきをとってくれたのね」  
「は?まさか。そんなもんついでに決まってんだろ」  
「え……」  
驚愕の連続で頭が回らない。すっかり場の主導権を獲りあげられている。  
エルドがおもむろに歩いていって、一人の男を蹴り上げた。  
死体かと思ったが、息がある。むしろ無傷に近い。泡を吹いて失神している。  
「こいつがアタマな。一応生かしといた」  
ごろんと仰向けになった醜い巨体には微かな見覚えがあった。  
「覚えてね?」  
問われて、あっと息をのむ。  
セレスが一度追い返した野盗の頭だ。  
「そうだ。こいつが今回このチンピラどもかき集めた首謀者。  
 お前のこと半端なく恨んでるぞ。ものすげー執念深い」  
恨まれているのは言われなくてもわかっている。  
最初に追い払った時、振り向き様の憎悪に染まった顔を今も覚えているからだ。  
 
その上セレスが自警団に加入してから盗賊の類の撃退率は大幅に上がっている。  
恨まれていないわけがない。  
「調子のっててよ。赤い髪した女に借りがあるとかずーっと憎々しげに愚痴ってた。  
 だから適当に相槌打ってたらご機嫌になってすぐ仲間に引き入れてくれたぜ。  
 実は俺もあの女に虐げられたことがあるんです――――って同調してたらな。  
 ま、それはあながち嘘じゃねえけど」  
少量の嫌味のこもる辛辣な発言。  
過敏になっているセレスは降り注ぐ悪寒にびくりと身震いした。  
想定外。  
まさか、こんな。  
「もう何匹か吐かせ用に残しとくつもりだったんだがなぁ。ノッちまって。  
 本当はそこの奴も生かしとくつもりだったが、つい。やりすぎたな」  
半目で嘲笑いながら、先程木に押し付けて首をかっ切った男に親指を向ける。  
『あれ俺んのなんだわ』  
先程の台詞が脳裏によみがえっていた。  
多分その男もセレスに対し巨大な悪意を抱いていたのだろう。  
真っ青なセレスに帰還した死神が音なく近付く。  
「さて、お褒めの言葉をどうぞ。お姫様」  
要求を受けて更に色をなくしたセレスが思わず後ずさる。  
と同時。  
「セレスさんっ!!」  
子供の母親から報告を受けたのか、騒ぎを聞きつけたかはわからないが、ゾルデの若者が数人、  
へっぴり腰ながらも慌ててこちらに向かい駆けつけてきた。  
エルドにとっては邪魔者達のご登場。だが舌打ちしても笑みはまた浮かぶ。  
「贈り物は今度こそお気に召していただけただろ?」  
そして余裕に満ちた表情で、この状況下で拒絶できない一言を穏やかに叩きつけてきた。  
「ただいま?」  
「…………………おかえりなさい」  
 
 
 
「本格的に終わりだなこの港町も」  
床にどさりと荷が降ろされる。酒の瓶が見えた。揺れる鮮やかな液体。  
「能無しチンピラの寄せ集めとはいえ、あの程度の人数で陥落できると思われたんだからな」  
当然とばかりに装備を解いてゆく音。  
「後ろ盾のある連中じゃなくて良かったな。ギルドだなんだと出てこられちゃ糞面倒だ」  
二度と受け入れるものか。そう思っていた男が平然と室内に戻り、楽な格好になろうとしている。  
「海賊どもは来襲したことあるのか?」  
何処からそんなに出てくるのか、外された装備から仕込みのナイフがいくつも鋭く光った。  
押し黙っているとジロリと睨まれる。  
「会話くらいしろよ」  
「……」  
要求されても強張るしかできない。  
これから身に起こる悪夢を考えれば会話など、とてもそんな気にはなれなかった。  
まさに生きた心地がしない。  
 
数十分前。  
阻止されたとはいえ、突然叩きつけられた強烈な害意にゾルデは騒然となった。  
集まってきた人々の顔色は一様に青い。  
「で、残ったのは……主犯格も入れて………た、たった3人、か」  
「そいつらは?」  
「牢に……」  
遺体はすべて確認された。  
エルドの言った通り、そのほとんどがならず者で、一度または数度のゾルデへの来襲歴があり、  
街や民に危害を加えたことのある輩が大半を占めていた。  
「あ、あんた一人で殺ったのか」  
「ああ」  
 
冷淡な男に皆がうろたえている。  
セレスの家以外では常に仄暗い闇に紛れていた男。エルドの存在を知る者はほとんどいない。  
「で、でもさぁ……いくらなんでもこ、殺すこたあ無かったんじゃねえの、と思うんだけど」  
青年の一人がおどおどと視線をそらす。  
「だよなあ…」  
波紋のようにざわめきが広がる。  
だがそれもすぐに掻き消える。  
「俺は別にそれでも良かったんだが――――」  
エルドが声を張り上げると場は水を打ったように静まりかえった。  
不可解な人物の一挙手一投足に注目が集まる。  
少し離れたところでセレスが黙って立ち尽くしている。  
「今の状態で悪人を一人逃したら一体どうなると思う?悪評ってのはあっという間に広まるぜ。  
 今回こそ撃退されちまったが、ゾルデはもう、ちょっとつつきゃすぐ崩壊しちまうレベルまで落ちぶれ果ててるってな。  
 そうとわかればすぐに新しい悪党どもを補充してもっと強固に編成して、次こそはとばかり、がーっと押し寄せてくる。  
 死にかけた街は一巻の終わりだ」  
「そうとは限らないだろう。懲りて二度とこないかもしれないじゃないか」  
エルドへの不信感を露にする青年が声を上げた。  
「そんな綺麗事で済むのなら俺だって動かねえよ」  
落ち着いた応対を続けるエルドがセレスの双眸に静かに映っている。  
この弓闘士は大勢の前で大立ち回りをしたがるような男じゃない。  
では、何故今それをしているか。意図がつかめない。  
監視しているだけで冷や汗が流れる。  
「見下してる連中に反撃喰らうのは誰だって嫌なもんだ。ましてや撃退されたなんて恥もいいとこ」  
変にもったいぶった、言い聞かせるような弁舌をふるう。  
「こっちは欠けてくだけだ。だがあっちはいくらだって欠員を補える。知恵つけた連中の餌食になりたくねえだろ?」  
そんな陳腐な演説でも不安に満たされた民は見事な程簡単に足元をすくわれ、流されてゆく。  
恐怖に支配されたざわめきがやまない。  
「しかし……」  
だが流れに逆らう者もいる。  
エルドはそんな、なおも食い下がろうとする青年の相手が面倒になったらしい。  
「いいよなぁあんたは若けえからお気楽でよ。女でもねえし。ヤバくなったらいくらでもトンズラこけるもんな。一人で」  
性格の悪さが滲み出る。最後の『一人で』を異様なまでに強調した。  
「え?いや、そんなつもり」  
「年寄りや女だっているんだぜ。少しは考えてやれよ」  
台詞と共に、女達からの軽蔑の視線が青年に向かってギョロリと集中砲火した。  
いやらしい誘導。  
軽薄な青年に仕立てられてしまった若者は発言権を奪われ、議論の場からの退場を強いられた。  
「連中は…このゾルデをどうするつもりだったんだ?」  
別の男が訊ねる。  
「まだそんなことほざくのか。聞くまでもねえだろ。  
 野郎なんぞ連中には邪魔なだけだからな。まず皆殺しだ。制圧してからの若い女の配分もきっちり決まってた。  
 しばらく遊び呆けて、飽きたら売り飛ばして泡銭でも稼ぐつもりだったようだが」  
男達の顔からは血の気がひき、女達の顔には恐怖と嫌悪が満ちる。  
そこでしばらく間があいた。  
明らかに自分の引いた線路に引きずり込まれてゆく聴衆を楽しんでいる。  
「まあこれで一応の面目は保っただろ。今回でとりあえずまだ自衛機能有りって示されたわけだ。  
 やったの俺一人だけどな」  
「……あんた一体何者なんだ」  
「昔、ちょっとな。これでもそれなりの地位に就いたこともある」  
嘘ではない。  
「なぁ?」  
流し目を送られたので、  
「…ええ」  
渋々だが同意した。  
元青光将軍がにやりと嗤う。  
セレスの隣りにいた女が彼女に向けておどおどと口を開く。  
「ご姉弟なんですか?あんまり似ていらっしゃらないようですが……」  
 
だがその問いを聞き逃さず先に答えたのはエルドだった。  
「おいおいやめてくれよ。見りゃわかるだろ」  
血縁ではなくて、同居している。そしてこの台詞と苦笑い。  
一般的にそれが意味する関係は一つ。  
意図を理解したセレスの顔色がいっそう悪くなった。だがこの大演説を止める術は彼女にはない。  
一点集中する視線の只中、エルドは貼り付けた穏やかさを決して剥がさなかった。  
「わかってくれよ。残忍だと感じるのは尤もだ。だがくたばりかけのこの街を守るには仕方なかったんだ」  
目を閉じる。  
口元は嗤っていた。  
「――――彼女も困るしな」  
ぞっとして強張るセレスの心情を汲み取れる者はその場にいなかった。  
女の為だった。そしてその女は人の目を引き、妖しく美しい。  
納得と理解による安堵がさあっと一帯に広がる。  
セレスだけが固まっていた。  
仕掛けた罠に嵌った獲物のように。  
「し、しかし……」  
それでも食い下がろうとする若者もいたが、  
「ふん腰抜けどもが、文句並べるだけならいっちょまえだね」  
それまで押し黙っていた老婆に突然毒づかれ、すごすごと身をひいた。  
その老婆がゆっくりと進み出てくる。  
「私の息子も連中に殺されました。仇をうってくださったのですね。本当にありがとうございました」  
感謝を差し出されると、エルドの童顔にはゆっくりと営業用の笑顔が浮かぶ。  
「お役に立てて光栄だ」  
わざとらしい。だが弓闘士の本意を理解できるのはこの場にはセレスぐらいしかいない。  
やがて老婆はセレスに向き直り、皺くちゃの顔で微笑んだ。  
「この方は英雄ですよ。ゆっくり休ませてあげてくださいね」  
柔らかな態度に驚く。この老婆にはあまり好かれていなかったはず。  
息子の敵を討った男の恋人という誤解が、老婆の中のセレスの地位を一気に跳ね上げたのだ。  
「え…ええ…」  
ぎこちない微笑を浮かべて頷くしかできなかった。  
『もっと心動かすモン持ってこねえとだめか』  
去り際に呟いたあの一言が、心に重く圧し掛かってきた。  
 
セレスにはとんでもない手土産だった。  
事後処理は他の者に任せ、家に戻る。  
ちろちろと背中を舐め回す好奇の視線。扉を閉じることで全て遮断した。  
二度と敷居を跨がせないと誓っていたはずのエルドを、先に中へ入れてから。  
「邪魔」  
『英雄』はソファに近付くと、セレスの膝の上で丸まっていた猫を追い払った。  
空いた彼女の膝に頭を納める。まるで自分の席だとでも言うように。  
黒ブチの猫は抗議の一声をあげたがさっさと退室してしまった。  
満足げな男に無表情の女の視線が落ちてくる。  
先刻まで真っ赤に血塗れていた指で女の唇をなぞった。  
言葉にしなくてもわかっている。  
女を欲しがっている。  
殺しをしたから高揚しているのだろう。  
血と女は繋がっているらしい。  
「……」  
どうせ拒否権などない。  
あれだけの功績をあげられてはそうとしか思えなかった。  
エルドがあの盗賊団に手を下さなければ一体自分はどうなっていたかなど、安易に想像できる。  
怨恨と嗜虐性の塊のような男達。  
ならず者から守ってやったという枷はずしりと重かった。  
エルドが作成した死体の数は、32体。気絶している主犯格を入れれば33。  
生き残っていた男達を入れれば総勢35――――――  
今の自分にどうにかできただろうか。  
さすがに、そんな大勢から凄惨な暴行を受け、死ぬまで嬲られるよりは、エルド一人の方がずっとましだとは思う。  
 
わかってはいるのだが、現実は重い。  
これから自らをもって、その殺戮の灼熱を鎮めなければならないのだから。  
「いいよな」  
隣りに座り直した男が一応の了承を得ようとする。  
逃げ道はない。  
「…寝室に」  
「ここでいい」  
待ち侘びていたようだ。  
言葉も吐き終わらぬうちに顎をくいと持ち上げられて口付けられた。  
舌を絡ませたまま、髪を、頬を撫でられる。  
「ふっ。…ん…は……」  
啄ばみと水音を途切れさせることなく、衣服は器用に脱がされてゆく。  
抗えなかった。  
「逢いたかった」  
甘い声色にぞわっと総毛立つ。  
むき出しになった胸元に唇が落ちる。  
「何で固まってんだよお姫様。これだけの手柄立てて戻ったんだ、もう流石にお許しいただけたよな?」  
だがエルドの耳にはセレスからの良い返事は返ってこなかった。  
許すどころか苦渋を滲ませている女に眉をひそめる。  
「それともまさか」  
ソファに押し倒される。セレスは歯を食いしばる他なかった。  
「あんな連中の慰み物になる方が良かったのか?囲まれて、引きずり回されて血まみれになって?  
 殴られ蹴られ骨は砕かれ内臓は破裂しながら上も下も何十本も咥え込まされて?  
 お姫様にそういう趣味があるとは思わなかったな」  
本当なら、今頃セレスの身に起こっていたであろう惨劇の羅列。  
度を越えた嫌味でしかなかった。持ち堪えようとぎゅっと目を瞑る。  
剥かれて傷ついた全裸が晒された。冷気と恐怖が肌を粟立たせる。  
乳房が小さく弾んで埋もれてくる男を受け止めた。  
「う…っ」  
そのまま抱き締められたので思わず反り返る。  
数ヶ月間エルドと共に生活していたことで、学習してしまったことがある。  
殺しをした直後のこの男に抗う。それは最高に危険な行為。  
拒絶したら最後、押さえつけて文字通り喰らいついてくるからだ。  
こういう時は人形になる。それしか術がない。  
ただ猛りを鎮める為当然のごとく求めてくるのだから。  
狩りの続き。  
自分もまた獲物なのだろう。  
慄く女の瞳に映るのは、茶色の長髪からのぞく狩人の眼光。  
どちらが獣だかわからない獰猛な鋭い光。  
「ん……。…ふぅ、んん…」  
キスの間にも指は肌を這い回る。髪を撫で付けられて後ろに流され、代わりに茶色い髪が頬にかかる。  
ちゅ、といくつも音がする。赤い小花が咲く。いくつも、いくつも。  
「あっ」  
仕込まれた体は仕込んだ主の指使いに素直に反応する。  
どういう関係かと問われたら伴侶とも恋人とも程遠い。  
また望まぬまま、繋がれようとしている。  
「こっちむけ。って、言った」  
耐えてそっぽを向いていたら顎をぐいと持ち上げられた。  
死神は薄く涙ぐむ女の態度を怒っている。  
「おいマジでそりゃねえだろ。こっちは命かけて助けてやったんだぞ。一歩間違えりゃ俺が集団リンチだ」  
彼からすればそうだろう。  
感謝の念は勿論ある。  
だがセレスからすれば逃げ道のない、この上ない災難へと繋がっていたのだ。  
どうしようもない。  
「……わかってるわ。逃げられない、のよね」  
「何だその言い草」  
冷遇への不満顔が覗いてくる。  
 
「助かったわ。お礼の言いようがない。それは本当よ。でももう貴方とはしたくなかった。  
 もう二度と……絶対に嫌だって思ってた」  
童顔に青筋が増え、苛立ちに危険な匂いが増してゆく。  
「流石にあんまりじゃねえか。俺が動いてなかったら今頃お前はどうなってた?」  
鋭利な問いかけが突き刺さる。  
「わかってる。だからこうやって大人しく言いなりになってるんじゃない」  
顔面蒼白で睨み上げる女の瞳から雫が落ちた。  
「なら何でそんな惨めったらしいツラ晒してんだよ」  
「……貴方に乱暴されてから、惨めじゃない日なんて一日だってないわ」  
「へぇ」  
エルドの唇が醜いまでに歪んだ。  
拒絶を貫き通すセレスの態度により、それ以上の会話が無駄だと悟ったらしい。  
「そうか。わかった。悪りィなそれじゃ好き勝手にやらせてもらうぜ」  
切れる寸前といった男から陰湿な宣言を受けた。  
言うや否やセレスを粗雑に扱い出す。  
豊かで柔らかな膨らみを乱暴に鷲掴んできた。  
「う……」  
「俺は久っ々でものすげー欲情してるもんでな。覚悟しろよ」  
無遠慮に揉みしだかれて先端を擦られる。  
「……っ」  
いい様にされても、女の心はいつまでも死神を拒み続ける。  
恐怖に凍える女の表情のせいか、手荒さが多少緩和した。  
「お前を好き勝手できんのはいいが、こう仏頂面じゃな」  
腹を降下し、臍を撫でられる。  
「笑えよ。せめて、昔みたいに」  
こんなことをされているのに、できるわけがない。  
無言でいると相手の苛立ちは再び募ったらしい。  
何の前触れもなく開脚させられる。秘部を襲う突然の冷気。羞恥と共に思わず呻いた。  
「や、だ」  
怯えが零れる。だがにべもなく拒絶される。  
茂みを撫でられて、更にその向こうを愛撫される。  
久しぶりの異物の感覚。指を何本も出し入れられる。  
「あ…あ……っ」  
たっぷり濡らされると秘部にそれをあてがわれて目を閉じた。  
普段より薄い前戲で早めに挿入されたが、苦痛はまったくない。むしろあっさり受け入れる。  
身体がこの男に慣れたのもあるのだろう。彼はそれを承知している。  
意思に反して快楽がじんわり広がる。  
「あ―――ああ」  
勝手に迸る嬌声が嫌だった。自ら口を塞いでいたら、乱暴に手首をとられる。  
「冗談だろ。聞かせろよ」  
口元は笑っているが、目は笑っていない。  
「ああっ…ふぅ……ん、やだ、や」  
心とは裏腹に、体は久々の異性を殴りつけたくなるくらい悦んでいる。  
その抗いようのない事実に眉根を寄せるしかできない。  
今までこの男と共にした褥は、挿入に痛みを伴ったことなどほとんどない。  
その分、心が痛む。  
「あっあっあぁあ や、あ ―――ぐ、ぅっ」  
抱きしめられて傷だらけの肌が重なる。  
「やだ、やっ、いやぁ…っ」  
妥協を宣言して体を許したところで、明らかに精神はついていけない。魂が悲鳴をあげる。  
吸われた乳首からつうと唾液が垂れた。  
下半身は当然のように律動しながら更に深く、奥へと侵入していく。  
「やあぁ…」  
完全に同意していないことで逆に悩ましさを煽る。  
熱い。摩擦と共に熱も迸る。体はコントロールできない。内側で痙攣し男のものを締め上げていた。  
「あっ、あ…あ…あ…」  
一度入り口まで引き抜いて、一気に貫かれる。  
 
「――――――っ………」  
声が出なかった。  
はあ…はあ…  
痺れが甘い。真っ白な世界から戻ると、荒い息遣いだけが室内に響く。  
引き抜かれると耐え難い喪失感が甘い波となって押し寄せてくる。  
あのただ耐え抜いた長い長い日々を思い出す冷たい交わりだった。  
エルドはソファから零れ落ちて震えている女の様子に舌打ちすると、  
「そんなに嫌なら奉仕でもしてくれよ」  
それをセレスの目の前に突き出された。  
「……」  
目をそらしても口淫を求められている事実からは逃げられない。  
拒否したらまた乱暴に抱かれる。心は諦めに支配されていた。  
つい数十秒前まで己を責め立てていたそれに、震えながら舌を這わせる。  
水音だけが響く。  
ぬるり、気持ちが悪い。苦くて我慢できない。  
口淫はまだ両手で数える程もしたことがない。不慣れだった。  
竿を舐めあげ、鈴口を吸い、舌を尖らせて突っつく。  
惚れてもいない男のものを口にしていると置かれた立場を再認識する。  
嫌がっているのも、歯をたてないのも、抵抗しないのもわかっている。  
一体自分は何をしているんだろうと、ひどく悲しくなって目を閉じる。  
虚しさを隠すように行為に没頭した。  
教えられた通りに。  
突然口内で体積を増され、嘔吐いてむせた。  
思わず口を離してげほげほとせきをする。  
そんなセレスを見下ろす蔑みを含む視線は冷ややかだった。  
「へたくそ」  
「……」  
涙が一筋つたう。  
罵倒によるものではなく、絶望からくる一滴であることは明白だった。  
「うまそうにしゃぶれとまでは言わねえけどさ」  
顎をくいと持ち上げられる。淀んだ瞳には光がささない。  
「あんまつれねえ態度続けるなら顔面ぶっかけるぞ」  
脅迫を受けてもどうしようもない。もう投げやりだった。  
「好きにすればいい」  
「何だよそれ」  
「嫌だって言ったって、結局するんでしょう」  
二人の関係は最早取り繕う隙さえない。  
「ああそうかよ」  
再度ソファの上に乱暴に投げ戻され、手酷い扱いで圧し掛かられた。  
「うぅ…」  
身に起ころうとしている仕打ちを察し、呻く。  
へたくそでも、ちゃんと口でしたのに。やはりこの死神は嘘つきだ。  
狭いソファの上。  
先程まで剣を握っていたのに、あっという間に女にされた。  
性感帯は開発されて全て把握されている。  
うつ伏せにされると腰を持ち上げられ、獣の交尾を思わせる体位を強いられた。  
突き出した腰の丸みを撫で回しながら芽と秘裂を愛でられる。  
「あ…ふぁっ、あ」  
勝手に漏れる吐息が憎たらしい。  
「はぁっ ん、はあ…っい、や……」  
必死にソファにしがみ付き、いつ挿入を受けてもいいよう身構えていると、  
「えっ!?」  
予想外のところへの愛撫に電流が走った。  
桃尻の奥の蕾を指がなぞる。  
「ちょっ」  
不浄のはずの箇所を舐め回されて顔がさらに火照る。  
 
「や…やだ、そんな……」  
「好きにしろって言ったろ」  
声が冷たい。  
本気だ。  
「いやっ」  
振り返ろうとしたら背中をぐいと押し付けられた。  
余計に腰を突き出す格好になり、蒼白と火照りが混じる。  
「やめて、いや」  
「ああそうだ目隠しもしていいよな」  
完全に加虐心に火をつけてしまったらしい。  
しゅると布の音がしてあっという間に視界が暗転する。  
「ちょっ!いっいや…っ!何すっ」  
慌ててももう遅い。  
「後ろ手で縛ってもいいんだよな?」  
抵抗する間もなく両腕の自由まで奪われた。  
「いやっ!!」  
視覚を失い、腕まで縛りあげられた。さらなる恐怖が嵐のごとくこみ上げる。  
エルドはソファの真ん中に座り直すと、膝の上に女体をうつ伏せに置いた。  
「いやっ」  
必死に抗い、身をくねらすが、すべて男の腕力で押さえ込まれる。  
したことのない体勢。物そのものの扱い。  
右手で局部を弄ばれる。何本も指を出し挿れされた。指使いは先刻よりずっと激しい。  
「あ…ぁああっ。いや…はぁっ、はあっ…」  
左手で軽く上半身を抱き上げられ、胸を揉み込まれて耳を食まれる。  
「んっ、やめて」  
ぞくぞくと背中を競り上がってゆく何かに飲まれるのが怖くて無我夢中で抵抗する。  
だがいくら身をよじっても逃げ場はない。  
その上視界を遮断されるとより感じやすくなっている。  
抱くんじゃない。  
犯す気だ。  
「エルド――――」  
こんなのはいやだ。  
いや。  
いや……  
「いやだってばっ!!!」  
弾けたように、ありったけの声で叫んだ。  
舌打ちの音が聞こえたと思うと、手首の束縛が消える。  
身の自由を得たセレスは同時にソファから転げ落ち、目隠しを解いて視界を取り戻した。  
「なら好きにしろなんて偉そうにほざくなよ」  
頭上から冷酷な台詞が吐き捨てられた。  
「……」  
与えられた恐怖は消えず、古傷を抉る。  
がたがたと震えていくつも涙をこぼす姿に、死神側も流石にやっていいことの限度を超えたと気付いたらしい。  
「…………わりぃ。調子乗りすぎた」  
後味の悪さを隠さず謝罪してきた。  
だが、後悔先に立たず。女は打ち震えたまま涙と嗚咽を繰り返す。  
「……」  
体が近くても心は遠い。  
エルドは思い通りにならない苛立ちを拡散するようにかぶりを振る。  
ばさっと外套を床に敷いた。闇色が床に広がる。  
「悪りいけど、足りねえ。…来てくれ」  
嫌だった。  
「ひでえこたしねえから」  
猫撫で声が余計に耳障りだった。  
これだけしておいてよくもそんな言葉を。  
だが現在一番無難な突破口は大人しく従うことだ。  
叫んで助けを呼んだところで本性を剥き出したエルドに敵う者など今ゾルデにいない。  
 
その前に、誰も助けになどきてくれないだろう――――私などの為に。  
「セレス」  
孕みきって破裂寸前の狂気と隣り合わせの状態。  
下手に抗うとまた痛い目を見る、それが無力感へとつながる。  
絶望が手招いて早く楽になれと片隅で嗤った。  
「……」  
選択肢は一つだけだった。  
ただただ劣情を吐き出させるためだけに、床の上に敷かれた外套に横になった。  
狩人の広げた黒い海の上で、獲物の白い肢体が震えている。  
こんな男に再び圧屈するなんて。  
情けないことこの上なかった。悔しさがぼろぼろと、涙となって滴下する。  
「泣くなよ。何で泣くんだよ。俺はお前を最悪の事態から助けたんじゃねえか」  
エルドも弱り果てているらしい。困惑と苛立ちが混じって渦になり、それが声色に表れる。  
だがセレスから彼への返答はない。  
「……。勝手にしろ」  
望まぬ時間が再開した。  
揉みしだかれて乳房が幾度も変形する。  
「んっ、んっんん、ん」  
首筋に唇が這う。触手のように花弁の内で蠢く指は止まらない。  
じっとり汗ばむ肌。乱れる息と共に、くちゅくちゅと卑猥な水音がする。  
「俺を拒むな」  
命令なのか懇願なのかわからない。  
指を挿れている手のひらの、手首に近い柔らかい部分で、赤く色付く芽をつぶされた。  
「あぐぅ…っ!」  
柔肉からはとろとろと蜜が溢れる。  
「何でだよ?こんなに尽くしてやってんのに」  
「あ……あ、あっはぁっ!ああぁ」  
「ふざけんじゃねえよ」  
突然指を鉤状に曲げられてびくんと仰け反る。  
「ああぁぁっ」  
嬌声を放って軽く達しても残るのは悲しさだけ。死神に覆い被さられたまま続行する行為は苦痛でしかない。  
「や…はあ、ああ…っ。いやっ、も、…もういやっ…いやあぁ……」  
「そんな震えるなよ……」  
うんざりしているなら、もうやめてくれればいいのに。  
やがて再び挿入され、激しく突き上げられる。  
「あっ!ひあぁんっ!!」  
快楽でつま先までぴんと伸びる。嬌声は怯えを含んで冷たく、それでいて甘い。  
体内でまた体積を増され、それをいっそう締め上げてしまう。  
「はあぁあっ!!いや、や…やだっ。はあっはぁ、ああぁあ、あ…」  
勝手に艶色は増し、表情には扇情的な苦みが雑ざる。  
その後もしばらく、もし正義感の強い人間が耳にしたら問答無用でドアを蹴破られそうな  
悲しげな喘ぎ声が、誰にも気付かれずに小さく小さく窓辺から漏れていた。  
うまく立ち回ることなど、媚びることなどセレスには出来ない。  
過酷な状況の連続で、諦めることにあまりにも慣れてしまっていた。  
幾度か気をやり、最後にひときわ高い頂まで昇りつめた後、白濁にまみれた身体をやっと解放される。  
「うぅ…はあ……っ、は…」  
残る余韻は気持ちのいいものではない。  
むしろ、不快。  
殺された盗賊達のように一瞬で命を吹き消される方がましなのではないかとさえ思う。  
ただ、『使える』から手元に残された、それだけの気がしてきた。  
売り飛ばされた虜囚とどう違うのだろうか。  
終わりの見えない、いつまでも続く生き地獄。  
欲望を叩きつけられるだけの時間が漸く終わる。  
犯したばかりの女を下にして、死神が指の背で頬を撫でた。  
「笑えよ」  
滲む視界を、瞼を閉じることで闇に閉ざす。  
 
「……どうやって笑えばいいの」  
 
 
 
情欲は去った。  
エルドの手元に残ったのはぐったり横たわる女と、恐ろしいほど気まずい空気だけだった。  
床の上に紅い髪が流れ落ちている。  
同じ色をした睫毛の向こうでは、光の灯らない双眸が虚ろに開いていた。  
やがてむくりと起き上がり、エルドを置いてふらふらと退室していった。  
女は悔恨の情で満たされている。  
相変わらずの判断の甘さを痛感するしかない。  
心は耐え切れず、再び暗闇に堕ちていた。  
階段を昇れば下半身に久々の異物感が響く。  
再び穢された体が重い。  
ぼんやりしたまま自室で着替えを始める。  
拭いても拭いても汚れがとれない気がした。  
「おい」  
扉の隙間から躊躇いがちな呼び声がした。  
「その、なんだ……突然すぎたか。悪かった」  
取り繕いにきたらしい。  
ふと、何か包みを手にしているのが目に入った。  
「何それ?」  
裸身のまま近づいて奪い取り、中身を確認する。  
洋紅色の布でできた、上品な刺繍があしらってあるイブニングドレスだった。  
瞬時に丸めて投げ捨てたくなった。  
面白くも何ともないのに笑ってしまう。  
「何よこれ。どこまで辱めれば気が済むの?」  
平静を取り戻した弓闘士は狂女まがいの元同僚にすっかり気圧されている。  
「……似合うかと思って買っただけだ。嫌ならいい」  
「いいわよ。着てあげるわ。どうせもう…」  
最早何もかも投げやりだった。  
「……」  
身に着けてみて軽く驚愕した。  
露出度は高いが傷跡が程よく隠れて目立たない。  
しかも身体にぴったりと、まるで測ったように寸分の狂いもない。  
口付けで咲いた小花もしっかりと覆い隠した。計算していたのか。  
何もかもを知られてしまっていることが恐ろしかった。  
いや、実際既に黒子の数、位置さえ、本人より正確に把握しているのだろう。  
如何にこの男の手の内かを思い知らされる。  
それが更に絶望を煽り、セレスを自棄にさせてゆく。  
どうせ逃れられない虜の身ならどうでもいい。  
「その。……悪かった」  
そこまで追い詰めておいてまた謝罪を吐く。  
愚かな男。セレスは冷ややかに吐き捨てる。  
「いいわね。あんな強姦まがいなことをしても適当な謝罪の言葉で済ませられるんだから」  
同じ部屋にいたくなかった。  
エルドを置いて階下に降りると丁度来客があった。  
借り物を返しに訪れた宿屋の女性だった。  
セレスの姿を見ると、目を輝かせてきゃあきゃあと歓喜する。  
「そうよ。貴方は美人なんだからもっとこういう格好をしてもいいと思うわ」  
優しい褒め言葉もセレスの心を素通りしてゆく。  
つられて女達が入ってきた。  
対応を面倒臭がったエルドは二階から降りてこない。  
なので女達の興味は一斉にセレスへと注がれた。  
それは感謝というよりこれから先を見据えての行動だった。  
最早セレスはただの得体の知れない不気味な女などではない。  
この死地で、強者という必須の駒を動かせる唯一の存在なのだ。  
 
髪を結い上げられ、薄化粧を施される。唇に鮮やかな紅までさされた。  
まさに輝かんばかりの姿だが、悲しげな両眼に宿る光は薄く儚い。  
整えてもらっても、どうせ乱されるだけなのがわかっている。  
供物として飾り立てられる生贄のようだと思った。  
「さあそろそろ二人にしてあげましょう」  
女達はセレスを飾り立てると、気を利かせる風を装い出て行ってしまった。  
が、  
「セレス!」  
最後に友人が物凄い勢いで飛び込んできた。  
勢いのまま、美しく彩られたセレスに軽く抱きつく。  
「ふーん。きれいね。まああんた素材いいもんね。やっぱりむかつくわ」  
いつも通り微妙な褒め言葉を吐くと、耳元でそっと呟いた。  
「とりあえず枯れるまで泣いてみせてやりなさい」  
「え……」  
「変に我慢するより泣いた方が男には効くから」  
それだけ助言すると、友人は宿屋の女性に促されて素直に出て行った。  
扉が閉められた直後にがくりと膝をつく。  
来てくれたのか。  
共にいる男が非常に危険な輩だと知っているはずなのに。  
友人の言動がセレスの張り詰めた糸をほぐし、ぶっつりと切る。  
「うっ、ううっ、ふっ……」  
言われた通り素直に感情のまま涙をこぼした。  
悲しい慟哭が、二階で壁によりかかる男の耳に届いていた。  
 
 
 
気がつくとかなりの時間が過ぎていた。  
泣き疲れて疲労困憊のまま椅子にもたれている。  
化粧は剥げ、整髪は乱れてしまった。  
質の良い布地をあてても、露出度の高い服を着せても、肝心の中身がこれでは何の意味もない。  
その見本のような姿だった。  
だが勇気を取り戻したセレスはこのまま諦める気など毛頭なかった。  
そうだ、諦めてなどやるものか。  
イージスが戻ってくるまで。それまで何とか持ち堪えるんだ。  
なんとか―――――  
食卓は今までにない豪勢な食事で彩られている。  
老若問わぬ女達が我先にといそいそ運んできたようだ。  
家の奥で一人泣いていたので過程はわからない。  
「気に入らないことがあるなら言えよ」  
テーブルを挟み対面する男から言葉を促されて顔を上げる。  
多少反省点は見えているのだろうが、やはり納得いかないといった表情をしている。  
「感謝はしてるわ。でも、……もう此処には来ないで」  
「直球かよ」  
不機嫌そのものだった。  
「お前さあ、ほんっ…とにかわいくねえな」  
罵りに苛立ちが募り、語調が強くなる。  
「どうして?どうして貴方の前でかわいい女でいなくちゃいけないの?」  
棘だらけの返答。エルドは眉根を寄せ、舌打ちして食事をがつがつ貪り始めた。  
「…私が、自分をかわいいと思ってほしい人なんて、…この世に一人しかいないわ」  
ギロリと睨まれたが本当のことなのでどうしようもない。  
「…生前だって、ここまで自分の性別を呪ったことはなかった。  
 何よ嘘ばっかり。二度と酷いことしないって言ったくせに」  
火がついてしまうと恨み言は止まらなかった。  
エルドはそれをすべて耳で受け止めながら、手持ち無沙汰とばかりに手当たり次第喰らう。  
腹が膨れても心は満たされないのはわかっているのだろうが。  
「こんな女と一緒にいても楽しくないでしょ。もう別れて」  
「嫌だね」  
 
「…こんな、毎回顔を歪めて歯を食いしばってるだけの女を相手にしていて本当に面白いの?」  
別れを請う姿は常に悲しげだった。それは如何に虐げられているかの証。  
対面する相手は敵わないとばかりに酒を煽って愚痴をこぼす。  
「しばらく会わずにいたから少しは余裕できたかと思って期待して戻ったんだがな。このザマか」  
「貴方が戻るとわかっているのに安らげたと思ってる?毎日毎日不安が増していっただけよ」  
返答は回を増すごとに鋭くヒステリックになる。  
「貴方がいない間、全然落ち着かなかった。  
 いつ戻ってくるかわからない。あんな追い出し方をしたんだから怒ってるだろうって頭から離れない。  
 何処から現れて、何をされるか。忘れようと努力してもいつもそればかり。  
 貴方が去ってから私、しばらく立てなくなっていたのよ?  
 追い出しても結局貴方からは逃れられないんだと思い知らされただけだった」  
「完全に悪役設定だな。………っとによ、泣きてえのはこっちだ」  
深いため息の後、陰湿な眼光がいっそう鋭くなる。  
「まさかさっきのもまた強姦されたとか思ってんのか」  
あまりはっきり言わないでほしい。  
本当にデリカシーのかけらもない男だ。  
「答えろ。思ってんのか」  
「流石にそこまではいかないけど。……追い払えない自分に腹が立つだけ」  
言葉を濁すのは肯定でしかなかった。  
「思ってんじゃねえか」  
壁に投げつけた食器が激突して割れた。  
詰んだ。完全に詰んだ。そう判断したのだろう。  
行き場のない苛立ちを持て余し、がしがしと頭を掻き毟る。  
彼もまたどうしようもない濃霧の中で彷徨う心境なのが伝わってきた。  
とことん合わない。  
「畜生こんだけしてやってもこの扱いかよ。どうしようもねーなおい」  
「よく言うわよ。思惑通り、なんでしょ」  
手の動きがぴたりと止まり、顔色が更に険しくなる。  
「どういう意味だ」  
「…これでもう私に逃げ場はない。これだけのことをしてくれた『英雄』に反抗なんかしたら、  
 それこそゾルデに居場所がなくなる。兄さ……イージスにも迷惑がかかる。  
 逃げられないようにこんな手の込んだ工作までして。ほんとやってくれるわね。  
 苦しめる、為に戻ってきたんでしょう」  
以前のセレスなら有り得ない、あまりにも後ろ向きで否定的な考え方だった。  
エルドはしばらく目を見開き呆気にとられていたが、やがて終わったと言わんばかり、背もたれにずるりと凭れた。  
次にこれでもかという大きな長嘆息を漏らす。  
「命懸けだったんだぜ。まさかここまでして助けたのにそこまで言われて泣かれるとは思わなかった」  
賛美を一身に受ける功績者であるはずなのに。  
待遇の最悪さを嘆いた後、ぽつり呟いた。  
「死にかけの港町なんぞにいるから暗くなるんだよ。こんなシケた街捨ててどっかいかね」  
この期に及んでまだ赤い髪の主を他所へといざなう。  
「今度こそちゃんと連れてく。いいとこへ」  
「信じろって言うの?」  
「信じろよ。近場でいいとこ色々と連れてったろ」  
立ち上がってセレスに近付くと、伸びた赤髪を摘み、いつものように顔を接近させる。  
生前英雄だった女のうつろな瞳に、変わらずの死神が映る。  
「私はここにいるわ」  
そしていつも通りの拒絶を喰らう。  
「故郷も見える。私には天国よ。ここはもう、私と同様、終わってくだけの場所……」  
言葉が既に力無い。  
苛烈な姿が嘘のよう。セレスはずいぶんと儚い印象を与える女になっていた。  
凛とした雰囲気は失せ、虚無感が漂い、生気に欠ける。  
己で比喩しているとおりの亡霊のようだ。  
回復はした。  
が、壊れて治らない箇所もある。  
自覚もあるので、傷を与えた主の目にはいっそう痛々しく映る。  
 
「私はもう、害意のある者以外は誰も傷つけなくていい。  
 もうすぐ誰もいなくなる。誰も私を傷つけない……貴方以外はね」  
「……」  
イージスもこの町を見届けると言ってるし……。そう何気なく言い足そうとして思いとどまる。  
エルドとイージスは最早険悪の極みとしか言い様が無い状態に突入しているからだった。  
イージスもまた、腹の底で何を企てているかわからない男。  
二人がやりあわない互いの言い分は、「セレスが止めるから」。ただそれだけ。  
そんなことを思い返しながら、エルドがすごすご椅子へと退却する動作をぼうっと見ていた。  
数分の沈黙の後に呟く。  
「ほんと、未だにあなたの隣りにいるなんてね。変な感じ。自分がこんなに情けない女だとは思わなかった」  
苦笑を伴う自嘲。  
「面白いんでしょうね。斬鉄姫なんて呼ばれて偉そうにしてた女がこんな惨めな姿晒してると」  
「そう思いたきゃ思ってろ」  
「……ふんぞり返られても困るわ」  
無表情の危険な双眸。暴発の可能性を臭わせながら静かにセレスを見つめている。  
「もう何しようがぜってーに許さねえってことか」  
「……許さないんじゃないわ。許せないの」  
沈黙が何度も二人の間に挟み込まれる。  
「みんなお前の為だぞ。盗賊どもの只中で勘付かれないよう動くのにどんだけ苦労したと思ってるんだ」  
「だから言いなりになれと?」  
互いに譲らない。  
やがて口を尖らせ、頬杖をついて流し目でセレスを見やる。  
「やな女だな」  
冷たい口元は歪めていても、決して笑ってはいない。  
そんな凍りつく視線にも慣れてしまった。  
同じぐらいにセレスも冷たくなってしまったからかもしれない。  
「どうして……どうして私なの?何で、私なんか」  
「確信みたいなもんが一つあるだけだ。お前とならうまくやってける」  
「…うまく、やってけるですって?冗談でしょう?こんな毎日……私は削られていくだけじゃない」  
女の扱いがうまい男。  
長くうまくやっていきたいはずの女を、こんな状態にするわけがない。  
「茶番ね。いい加減、はぐらかすのはやめて正直に言いなさいよ。苦しめるのが楽しいんでしょう」  
苛立ちと共に本音を吐き捨てた。  
「好きな女をここまで追い詰められる男なんていない」  
痛い箇所を指摘されたのかエルドは押し黙った。むすっとして、依然口を尖らせている。  
「いつもそう。あなたはいつも嘘ばかり。何も真実を話してくれない」  
「へぇ。ゲロったらこの最悪な状況を打破できるとでも言うのか?」  
「打破まではわからないけど、全然違うわ。本当に、…本当にその気があるのなら、話してよ。全部話して」  
できないだろう。できるわけがない。虚妄で塗り固めたはりぼての愛情でなど。  
だが袋小路に追い詰められた相手は、観念したとばかりの溜め息をついた。  
「どこから話しゃいい」  
「えっ」  
「生前からか。戦乙女の奴隷になってからか」  
突然流れが変わった。  
意外だった。セレスの要求に応じる気があるようだ。  
「……全部。全部よ」  
欲張りかとも思ったがすべて知りたい。  
「これだからお姫様は」  
催促された男は視線をそらし、  
「…そうだなぁ……」  
髪をかき上げた。  
整った童顔には薄く諦めが見えた。  
「俺はお前が嫌いだった」  
「そう」  
「と思ってた」  
「何よそれ」  
「まあ最後まで聞けよ」  
 
投げやり気味の告白に早速不満げなセレスだったが、渋々口を閉じる。  
「生前はお前の噂聞いただけで虫唾が走った。地位にも才能にも何もかもに恵まれた完全無欠のお姫様。  
 何が斬鉄姫だ。偉そうに。どうせ女だ、そこらの売女と砂粒ほども変わんねえ。  
 ブチこみゃアンアン鳴いて自分から腰振るくせに。  
 所詮女だってことをわからせてやりてえってずっと思ってた」  
「……」  
「睨むなよ。お前がねだった話だぜ」  
険悪な雰囲気が濃さを増す。  
「こっち側に引き込むことになった時ゃあおもしれえ巡りあわせだと思ったもんだがな。  
 状況が状況だ。大事な駒、ゼノンのガードもきつい。手を出すなんて夢のまた夢だった。  
 だから気分が良かった。戦乙女の中から見てたぜ実妹様にブチのめされるまでの完全敗北をよ。  
 それから蛆虫のごとく生き長らえた二年間。ずっと嗤ってた。ざまあねえってな。」  
「そう」  
挑発には慣れている。静かに相槌を返した。  
「それで……そう、変態の塔だったか」  
「……」  
いくら事実でも呼び名がすっかり変態で定着しているのはどうかと思う。  
が、話の流れを止めたくなくて、訂正する隙がない。  
「草原の広がる階層だった」  
話の流れと共に騒動を追憶する。  
歪んだ男の創造した新世界はことのほか美しかった。  
「まがい物の太陽とはいえ気分が良かったんだろうな……ふと振り返った時、お前は光に照らされて薄く微笑んでた。  
 正直息が詰まった。なんだ。大人しくしてりゃずいぶん綺麗な女じゃねえか、と」  
とくとくと手酌で注ぎ足される果実酒。セレスの元にも甘たるい香りが漂い、鼻をくすぐる。  
「それでちょっと欲しくなったんだよ。それだけの話だ」  
「それだけって……」  
呆れる。ちょっとどころの話ではない上、とんでもなく即物的である。  
「確かに軽くかんがえたなー。3、4発もやらしてもらえりゃ飽きてこんな熱も冷めるだろみたいな」  
軽々しい告白に聞き手は肩を落とす。  
世間知らずの元お姫様はこんな男に引っかかって生き地獄を見たのだ。  
「ほんと、貴方らしいわ」  
消沈したセレスに言い訳が続く。  
「言っとくが、最初から酷いことなんてする気はさらさらなかったぞ。本当に和姦のつもりだった」  
どこが。  
つっこみどころ満載の告白だったが、ここで止めたら今度はいつ機会があるかわからない。  
話の腰を折ることだけは回避したいと口ごもる。  
「まさか斬るだの殺すだの散々脅してた奴にそこまで惚れてるなんて思わなかったし。  
 斬鉄姫様なら本当に嫌な時はもっと激しく抵抗するだろうと思ってた」  
「……」  
さっきからたまにちろちろとセレスを盗み見て観察している。  
告白内容にセレスが噴火しないか恐れているらしい。  
げんなりする。これだけしておいて何だその態度は。  
「案外簡単に手に入ったって、その時は思った。  
 俺はもう有頂天だっての。あの斬鉄姫セレス様にハメてんだぜ。もう浮かれるしかねえだろ。  
 おまけにずいぶん体の相性もいいときた。3、4発の予定なんて吹っ飛んでた。  
 笑えるよなー。あと何日もすりゃ笑って一緒にメシ食えるとか本気で思ってたんだぜ」  
「……」  
「少し経てば、あいつを見る同じ目、いやそれ以上の目で見てもらえると思ってたんだよ」  
しかし彼を待ち受けていた現実は違った。  
「ある日唐突に楽園の夢は醒めた。  
 いきなり泣き出したかと思ったら殺してなんてほざき出して、仕舞いに自分から丸坊主になって壊れちまった」  
甘たるい酒を苦々しく飲み干す。  
「こっちはずっと優しくしてやってたつもりだったからな。おまけにもうすぐもっと仲良くなれると思ってた。  
 衝撃なんてもんじゃなかったぜ。だんだんお前がお前じゃなくなってく。  
 声は嗄れて死にそうだし目が虚ろになってく一方だし食わねえから身体は痩せてくし正直俺の方が泣きそうだった」  
つい苦笑が漏れる。  
「貴方が?泣きそうに?」  
 
セレスの反応に童顔が不服で満たされる。  
「嗤うなよ。こっちにしてみりゃ天国から一気に地獄だったんだぜ」  
体を繋いだだけで心まで手に入れた気になっていたのだろう。苛立ちとともに、多少哀れにも思う。  
「こっちだってパニクるだろ普通。お前相手じゃ適当にのせて繕う気にもならなかったしな〜」  
「何よその言い方。私には甘い言葉は似合わないってわけ?」  
むっとする女に、男は酒臭い息で長嘆息した。  
「本命の女に適当な嘘つくのは気が引けるって意味だ。疑う前に少しは察せよお姫様」  
答えは真摯を帯びて重い。怒りすらもぐっと押し戻される。  
「……話がぶっ飛んでて理解の範疇を超えてるんだもの」  
ふくれてそっぽを向くと、  
「とにかく」  
話の軌道を修正された。  
「こっちはさしてひでえことしてるつもりはなかったっつってんだろ。なのにお前は目ぇ開けたまま壊れてくんだよ。  
 おまけにあの病気だ。正体がわかった今ならともかくあの時は仰天した。  
 まさかこのまま生きたまま腐っちまうのかと思ったら気が気じゃねーよ誰だって。  
 嫌なら嫌って言や良かったじゃねえかってすげえムカついてたけど必死だった。何とかしねえと何とかしねえとって」  
「……」  
「ま、嫌われちまったのはよくわかったなー。俺は何だかんだ言っても結構好かれてるって思ってたからな」  
酒臭い息とともに自嘲が漏れる。  
視覚からくる、子供の飲酒のような不快感。嫌悪がさらに増す。  
エルド側の表情も苦々しい。今宵の酒はお世辞にも良いものではないだろう。  
「さてここからが更なるお笑い草…とは言ってもお前は笑えねえか」  
「……」  
沈黙に促されて先が続く。  
「めんどくせえが、とにかく何とかしてやらねえと。  
 そしたら丁度良く帰郷してきたヒゲ糞野郎がのこのこ歩いてくるじゃねえか。  
 仕方ねえこいつ使うか。  
 お前が気付いた通り、せこせこ工作してあいつがお前んとこ行くよう仕向けた。  
 でもあの土左衛門がお前の名を呼んでドアを開けた時、しまった、って後悔した。  
 あのきったねえ水死体なんか行かせても、逆に怖がらせるだけじゃねえかってな。  
 ――――“俺でさえ拒絶されてるのに、あんな男を受け入れるわけがない”」  
「…エルド」  
セレスの表情が言い表し様のない微妙な色に染まり、歪む。  
「そ。その時点ですら、お前にとってまだそこそこの存在なんだと思い込んでたわけよ。  
 今はちょっと気まずいが、あんな溺死大先生なんぞ足元にも及ばない位置にいるってな」  
ところが現実は彼に無慈悲だった。  
「先達とはいえ大して交流もなかったはずの仲間。そいつに拒絶どころか速攻気を許して大号泣。  
 完全に頼り切ってさっさとおぶさられて病院へ行っちまった。  
 その場に残された俺は愕然とした。  
 他人以下か。俺の前じゃ決して心を許さなかったくせに。  
 ――――俺は他人以下かよ。  
 部屋を見渡したら血のついたナイフが落ちてた。冗談だろ。本気で自殺するつもりだったのか。  
 俺と寝たのがそんなに嫌だったのか。  
 ここでやっと――――」  
真実に照らされると生者達の曲解は静かにほぐされる。  
物語が緩やかに、セレスの予想だにしなかった方向へと滑り始めていた。  
「とんでもねえことをしたと、認める気になった。  
 本当はずっと前からわかってたことだがな。わからないフリはもう出来なかった」  
独白の他はさざ波だけがよせて還す。  
「飲むか」  
「結構よ」  
「俺には甘えわ」  
これしかないから仕方ないといった風に愚痴る。  
「ったく、礼ならまず酒だろ普通。気のきいたモン持ってこいっての。これだから婆さんどもは」  
文句と共に欠けた杯を煽った。甘い酒。果実と花びらを使った酒。液体はセレスの紅色に似ている。  
自分のために選んでくれたのがわかる。  
本当は一緒に楽しく飲みたいのだろう。  
 
「退院したら声をかけてみるかとも思ってたが、出てきたお前、ほぼ骨と皮だったし。  
 様子もおかしいままだ。俺が出てったら発狂するんじゃねえかって雰囲気だった。  
 こもりがちで、いつも泣いてて。いつも月をじーっと見つめてて。俺じゃない別の男を待っていた」  
言葉につられ、本心が自然とこぼれる。  
「…………今も、待っているわ」  
「知ってる」  
目を伏せた男から抑揚のない返事が返ってきた。  
「まあ俺がお呼びじゃねえのはよくわかった。  
 お前も峠は越えたようだ。後腐れは悪りいがそろそろ俺もゾルデから退散するかと思ってたらよ。  
 気が付いたら何か身体が死ぬほど、歩けないレベルに重いわけよ」  
「えっ?」  
回想に意外な転機が訪れた。  
「どうかしたの?」  
訊かれて、嫌そうに顔をしかめる。  
「あんま思い出したくねえなあ。マジで地獄だったし」  
「やだ。私の病気、伝染ってたとか?」  
流石に動揺する。伝染しないと言われている病気だが、実際はよくあるらしいからだ。  
「いや。最初はそうかと疑ったが。それなら事前に神経の軋みがあるはずだから症状が違う。  
 やべえなって冷や汗が出た。本気で歩けねえし。もうとにかく立ってるのもつれえし、その前に存在してんのがつれえ。  
 動けねえ。でもじっとしてんのもまたキツい」  
セレスの想像とはまったくかけ離れた事実が、彼女の耳の向こうへと注ぎ込まれる。  
「何があったの。はっきり言って」  
「だから……」  
らしくなく口ごもる。視線を泳がせ、首筋を撫でている。酒のせいか、何だか頬がほんのり赤い。  
「……?」  
「なんかもう。あれだ。言葉にしにくいがいろいろだよいろいろ。  
 お前は嫌がってたのに勝手に一人で有頂天だったとか。恥ずかしいなんてもんじゃねえだろ。  
 死ぬほどムカつくし情けなかった。  
 もう自分のことすらよくわかんねえ。  
 何故だ。上手くはなかったが、生前から大嫌いだった女を陥れ叩き落として、ずっといだいてた願望は叶ったのに。  
 どうして。  
 ああそうだ、―――かどわかしを暴露した時の感謝の笑顔が最後だった。  
 あれから一度も笑ってもらってねえ。最初の三週間でどうしてそんな簡単なことに気付かなかった」  
少し間があいた。  
「……それで?」  
促すと大きな舌打ちをされた。更に言葉遣いがしどろもどろになる。  
「だから、つまり。あれだ。嫌ってるんじゃなくて本当はずっと気になってたってことがわかったんだ。  
 お前が死んだ時も、戦乙女の手中とはいえ、本当はまた一緒の輪になれてすげー嬉しかった。  
 散々焦らしたのも屈服なんかより、ただお前の方から求めてほしい一心だったんだ。  
 体の相性も特に良かったわけじゃねえ。ただもっと抱き締めたり口付けたり…そういうことがしてえ女だって気付いた。  
 やっとわかったんだ。  
 だから、認めたくなかった、どうしても。完全に嫌われた、とか」  
最後の言葉は格別に言い難そうにしていたが、ついに吐き出した。  
「お前に本気でどうしようもなく惚れてるって事実を全面的に受け入れざるを得なかった」  
会話がぶっつり途切れる。  
照れ隠しも兼ねて勢いく酒を飲み干すエルドの視界で、その想い人が言葉を失い、目を丸くしている。  
波音は撫でるように静かだった。  
くっくっくっ。酔いの混じった嗤いがこぼれる。  
小馬鹿にする嗤いのようでいて、それは自嘲。  
そんな変化が、セレスには手に取るようにわかるようになっていた。  
ヤマ場を超えて自棄になったらしい。急に口調が滑らかに戻った。  
「どうするよ。やりたい放題やって。自殺する寸前まで追い詰めといて。今更そんなこと気付いても。  
 もう慰めたくても抱き締めたくても近寄ることすら許されない」  
告白の内容が心に浸透してきたセレスの頬にもだんだんと赤味がさしてゆく。  
 
「だからここから離れられなかった。お前もたまに突発的に自害したくなるのか、ナイフ見つめてるし。  
 毎日泣いてるわ身体は痩せたまま一向に戻らねえわ、時々奇声はあげるわ。どうすりゃいいんだよ。  
 死にそうになりながら屋根裏に潜んで膝かかえて耐えてた。  
 そんなに嫌だったのか。  
 けど、いくら悩んでも俺にできることはもう一つもなかった」  
ふっきれたように言葉が続いてゆく。  
真実がセレスに音無く積もりゆく。  
「欠けた月見てたら、やっと何か世界が見えてきてわかったわけよ。あーそうかもう俺なんかに笑うわけねえかって」  
「……」  
「お前だけの話じゃ済まなかった。きっと心の何処かで自分が刻んできた足跡に疑問があったんだろうな。  
 ずっと目を逸らせてた現実、糞丸出しの人生への後悔、見ないフリしてたそれが一気に出てきちまった。  
 好きな女が死にかけてるのに糞の役にも立てやしねえなんてな。しかも犯人は手前だ。  
 またこんな塵みてえな何の意味もねえ人生送るのかよって虚しくなった」  
そんなことを考えていたのか。  
そんなことを。  
「いつも通り頭ん中で全部お前のせいにしようと思ったけど、駄目だった。  
 あんな女に手ぇ出すんじゃなかったって思い込もうとしても出来なかった。  
 そうじゃない。俺がいなけりゃ良かったんだって気付いちまうだけだった」  
最早止まらない。それまでしまいこんでいた言葉にならない想いが止め処なく溢れてゆく。  
「あの日はどしゃ降りの雨だった。  
 あいつも心ん中じゃこんな風に毎晩泣いてたんだなって思ったら、もうどうしようもなくなった。  
 森ふらついてたら糞みてえな魔物に背後から襲われて血まみれになるわ散々だ。  
 俺は駄目だな。しょせん、何やらしてもダメなんだな。  
 他人踏み躙って這い上がれたつもりになったまま、陽の当たる方に行く努力なんざ何もしなかった。  
 きたねえ仕事なんぞいくらかばかりできても、それが何になる。  
 大事な女一人守れない。それどころかどん底まで叩き落として毎日泣かせてばっかだ。  
 何もかも馬鹿らしくなった。食ってもねえからもう体もボロボロだ。もういい。こんなものどうせ戦乙女にもらった命だ。  
 ならお前にやろう、と」  
「だからあんな日に来たのね」  
嵐の只中の来訪に今更ながら合点がいく。  
「死ぬなら、お前だけは浮上させてかねえとって思ってたからな。  
 これで元に戻るよなあって思ったら急に楽になってこの家へと急いだ」  
「嬉しくない贈り物ね」  
「綺麗事言うなよ。血反吐撒き散らしてのた打ち回って苦しみぬいて無様に死んでくれるのが一番嬉しいだろ」  
「……私は貴方じゃないわ。そんなことされても嬉しくも何ともない」  
「へえへえ」  
目を伏せるセレスに最早両手では数え切れない舌打ちをする。  
最後に開き直った態度で吐き捨てた。  
「ここまででいいだろ。それとも何だ。恥で嬲り殺す気か」  
「……十分だわ。ありがとう」  
真実というものは、どうしてこう斜め上を飛んでいくのだろう。  
告白は終わった。  
セレスは整理し切れない山積みの新事実に激しく動揺していた。  
「なんか驚いちゃったわ…あなたもずいぶん……」  
苦しんだのだな、と。  
いや、そういう問題ではなくて。  
目が泳ぐ。  
そこまで。  
私を。  
どぎまぎする。  
本当は苦しめたいだけなのだ、と思い込んでいたのに、この急展開。  
信じてやりたい気持ちはあるのだが、すぐには信じられない。  
しかし思考は今まで到達し得なかった地点まで駆け巡ってゆく。  
いや、だが。しかし、これは……  
セレスの明らかな変化は相手にも効果をもたらした。  
闇の濃い苛立ちがゆっくりと消え失せていき、数分後にはすっかり落ち着いた表情を取り戻していた。  
 
「顔が赤けえな。酒も飲んでねえのに」  
「なっ、何でもないわよ……」  
「ふうん」  
明白な天秤の揺れと傾きを楽しんでいる。  
「俺のために色付いてくれてんだと嬉しいんだがな」  
「違う……別に、そんなじゃ…」  
否定はあまりにも脆弱だった。  
それは相手をつけあがらせるだけ。  
「セレス」  
真面目な声色で名を呼ばれてびくりと跳ねる。  
もう何でもいいから裸足で逃げ出したいくらいだった。  
そんな女の心を逃すまいと死神が言葉の網を巡らす。  
「わかっただろう?これだけ負い目がある。悪いようにはしねえよ。俺のものになれ」  
ストレートに求められて更に動揺する。  
「嘘。どうせすぐ飽きるわ」  
「どうして飽きなきゃいけねえんだ。こんな惚れてんのに」  
言い返しがまた狡い。  
見つけた隙に容赦はない。ここぞとばかりに追い討ちをかけてきて、ぐいぐい入り込んでこようとする。  
「覚えてるか?お前、あの嵐の夜に聞こえなかったことをもう一度言えって言ったよな。  
 訊かれた時は『ごめんな』だけでお前は満足したけど」  
「え。そ、そうだったかしら」  
「髭にボコられてたし俺も正確には覚えてねえんだ。でも、実際はもっと言いたかったことを、  
 最期にどうしても伝えたいと思っていたことを言ったと思う」  
「もういいわ」  
いいと言っても相手は止まらない。  
テーブルの上に身を乗り出してくる。  
「お前の気持ちも考えず酷いことをした。反省してる。本当はずっと好きだったんだ。ごめんな」  
嘘だ。  
嘘。嘘ばっかり。  
絶対に絶対に、全部嘘――――  
「あの、ほんとにもう」  
テーブルが小さいのが災いした。手の平を向け拒絶を示したが、その手すら絡めとられる。  
「ずっと昔から」  
甲にそっと口付けられた。  
セレスが驚いたのは相手ではなく己にだった。  
理解不能な心境の変化が急激に起こっている。  
触れられるのが、口付けられるのがまったく嫌ではない。  
まさかの事態。  
心に入ってきている。  
「そろそろ観念しとけよ」  
「やめて」  
「一生かけて償うから」  
「離して」  
「約束する」  
弱い抵抗など彼の前では同意も同じ。  
「…大事にする」  
顔が燃え盛るように火照っている。  
このままでは呑み込まれてしまう。  
駄目だ。  
はっきりしないといけない。  
決意したセレスは誘惑の手を振り払うと、  
「お互いもう大丈夫よね」  
きっと顔を上げた。  
「今度こそ別れましょう」  
エルドはしばらく閉口した。落ちる気配のまるでない女にうんざりしている。  
しばらくすると再度口を開こうとしたので慌ててセレスが先手を打った。  
「ごまかそうとしても駄目よ」  
 
「ごまかすとか。ひでえな。で?ここまたおん出されたら何処に行きゃいいんだよ俺は」  
「……私に聞かないで」  
「この鮮やかな赤の無い世界なんて褪せてる」  
もう一度髪に触れようとしてきたので、きっぱりと拒絶する。  
「探して。貴方に合う人を。きっといるわ」  
「今目の前にいるのに何で探さなきゃなんねえんだよ」  
「貴方と私の関係は無理やりのつぎはぎだわ。絶対に、長くもたない」  
こんな無茶な関係には、いつか何処かで決定的な綻びが生じ、大事に至る。  
深呼吸してから言葉を続けた。  
「貴方は魅力的な人だわ。言動は蟲惑がかっているし、どうしてあんなに人気があったのか今ではわかる。  
 でも、私には合わないわ。理由はそれだけ」  
「具体的にどう合わないんだよ」  
留まる事を知らない追撃にセレスの表情が歪む。  
「しつこいわねぇ」  
「悪りいな。嫌われるのには慣れてるもんで。幸せ逃すまいと必死なんだよ」  
幸せ。その単語にセレスは引っ掛かりを覚える。  
本当にこの男はこんな関係が幸せなのだろうか。  
「私は貴方といても幸せじゃない……こんなもやもやした気持ちでいるなら、一人のがましだわ」  
傷つけるかもしれないと危惧しつつも、後には退けない。はっきりと気持ちを伝える。  
「ふーん」  
当然ながらエルドは明らかに不機嫌だった。  
だが、どこか余裕がある。  
セレスの拒絶を嘲笑うかのように天井を見上げた。  
「まあいいがな。じゃ、別れの時がきたら力一杯ごねるから。頑張れよお姫様」  
あまりの執拗さに嫌気がさす。  
「お願いそろそろいい加減にして」  
「却下」  
一言の返答はセレスを一段と曇らせた。  
「……ねえエルド。私、今でもたまにあの一ヶ月間の夢を見るのよ。  
 目覚めた時、その加害者が隣りですやすや寝てるなんて気持ちを、……本当にわかってくれてるの?」  
今度はエルドが曇る番だった。  
「知ってる。いつも汗びっしょりだ。何とかしてえけど、でもどうすればいいかわかんねえ。  
 殴りたきゃ殴れよ。そればっかりは仕方ねえ。目ぇ覚めたらあの世でも後悔する気はねえ」  
いちいち言い方が、目を伏せる仕草がずるい。  
切り出しに困っているセレスに死神がぽつり問いかけた。  
「そんなにあの糞野郎がいいのか」  
女の小さな頷きは男の大きな嘆息に変わる。  
「俺にしとけよ」  
「無理」  
大きくかぶりを振る。  
「だって…そう、夜だってそうよ。  
 貴方は……ほら、目隠ししたり縛ったり、それから、その…後ろでしたり、そういうことがしたいんでしょ。  
 私は絶対に嫌。貴方に全て委ねることのできる子を探して」  
この申し出には特に強い難色を示したエルドだが、  
「……………………………………………………わかった。一生涯もう二度と絶対にしねえ。約束する」  
たっぷり苦悩した後に思いっきり深いため息をついて、快楽の制限を受容した。  
セレスは焦る。そこは是非諦めないでもらいたい。  
「無理するものじゃないわ。私なんかじゃなくても、貴方ならすぐに良い子を見つけられるわよ。  
 実際貴方にはもっと可愛い子が似合うし……」  
「おい」  
冷たい呼びかけが台詞を遮断する。  
「いくら別れてえからって適当な口叩くな」  
持ち上げたつもりだったのだが、逆に機嫌を損ねたらしい。  
本当に気分を害したようなので続けるのをやめた。  
代わりなど他にいないということが、自尊心の欠けた今のセレスにはわからない。  
「ったく難攻不落だなこのお姫様は。侵入経路みんな遮断しやがって」  
思ったように近付けない現状に、忌々しげに舌打ちする。  
 
「お姫様、か……」  
セレスからは自嘲のこもった苦笑が漏れた。  
お姫様なんかじゃない。  
もう終わらせないと。  
「エルド。私、春になったらここを発つわ。彼を探しに旅に出ようと思うの。だから…ごめんなさい」  
心のうちを正直に明かすことで拒絶を貫き通した。  
駄目なものは駄目、無理なものは無理なのだ。  
間があいた。途方も無く長く感じられる時間だった。  
ずっと眉間に皺を寄せていたエルドが突然両膝を叩いて静寂をかき消した。  
「わかった。とりあえず、春だ。春が来ても同じ考えだったらまた言えよ。その時はきっぱり諦める」  
「あのねえ……」  
「これから寒くなる。お互い人肌恋しくなるぜ」  
セレスがため息をついた後、また沈黙が訪れた。  
今度はセレスが返答する番だ。  
断るべき場面。  
だがゾルデを救われたという事実が彼女に重く圧し掛かる。  
「わかったわ。今回のお礼もしなきゃいけないし、春まで。ここを去るまでなら貴方に付き合うわ。  
 でも気持ちは変わらないわよ」  
「そうくるか」  
エルドは何度も大きなため息をつくが、ため息をつきたいのは自分だと思わざるをえない。  
「鬼だろお前。他の男追っかけるとか。それ必死こいて求婚してる男に言う台詞かよ」  
心臓が跳ねた。  
はっきり求婚していると言われると余計動揺する。  
察せと言わんばかりの独白を提供したエルドからは不満が漂っている。  
「すげー揺れたくせに。ほら感想は?」  
顔を近付けられたのでついそらしてしまう。  
かすかに期待している空気がセレスには至極重かった。  
「感想言えよ。言わねーと俺が満足いくまでパイズリさせる刑に処すぞ」  
「嫌。言葉尻捕まえてくるから、嫌。言わない」  
「ったく」  
頑固な女から身を引き、苛立ちを吐き捨てる。  
「こんなことになるなら最初から時間かけて口説いときゃ良かった」  
「…そうして欲しかったわ」  
求婚相手は俯いたまま、悲しげに呟いた。  
「今もまだ、たまに怖くなるのよ。心臓がばくばく言って、突然思い出したりして、思わず膝を抱いてるの。  
 そして貴方に時折急激な殺意がわく。……多分これからずっと先も」  
「お前案外しつけぇよなぁ」  
「そう。そうやって貴方は私を認めてくれないでしょう。自分は悪気がなかったって証明してるし、  
 これだけしてやってるのにまだ恐怖を引きずってるなんて……許さないなんて、おかしいと思ってる」  
エルドが神妙な顔つきになった。墓穴を掘ったのに勘付いたのだろう。  
傷の深さを欠片も理解していないという露呈。  
溝はどうしても埋まらない。  
「お前はさ。惨めだの何だの言うが。俺のほうがよっぽどだろ。  
 必死こいてご機嫌取りだ。仕舞いにゃこれだけ尽くしても評価すらされねえ」  
「感謝はしてるわ。本当に心からしてる。でもそれとこれとは別よ」  
「許される日は?」  
小さく首を横に振る。有り得ないという意思表示だった。  
「お願いだから少しは私の立場にもなってみてよ。散々酷い目に逢わされた相手に言い寄られたって  
 どうしようもないじゃない」  
「そこを斬鉄姫様の度量の広さで何とかしてくれよ」  
手段を選ばぬとはいえ、最早むちゃくちゃである。  
「……何度でも言う。もっと心の広い女をさがして。私ではあなたの隣にいるには力量不足だわ」  
「だから言えよその俺の悪いとこって奴を。全部。直すからよ」  
「悪いだなんて言ってないわ。貴方は私には激しすぎる、ただそれだけよ。  
 自分に合う子を見つけて第二の人生もっと楽しめばいいじゃない」  
「やだ」  
「やだじゃないの」  
 
聞く耳持たずのエルドに語気を強め、もう一度念を押した。  
「私達は合わないわ」  
「ああもうわかったわかった。お前が嫌がることは二度としねえから。それでいいんだろ」  
「話をすり替えないで」  
今回ばかりはなあなあで済ますことも、引き下がることも出来ない。  
「聞いてエルド。本当に申し訳ないけど、私やっぱりあの人のことが好きな………」  
必死の台詞は最後まで紡がれなかった。  
途中、すいと音無く近寄られ、唇を奪われたからだ。  
甘い。ほろ苦い。長い睫毛が近い。  
「ん…ふ」  
果実と花びらを使った酒の甘たるい味。濃厚に交わってから不意打ちの口付けは終わった。  
変に蕩かされて視界が揺らぐ。  
「どこがいいんだよあんな黒いのの。アレより評価が下ってのは流石にきついな。男として」  
肩を抱かれて逃げ場がない。  
「幼稚、粗暴、自分勝手。ゴミ、カス、クズ。どれだけ揃えりゃ気が済むんだよって感じじゃねえか。  
 一緒になったところで苦労すんのは見えてるだろ」  
「……別に、一緒になりたいわけじゃないわ。だから春まで貴方に付き合えるのよ」  
それは実際口にすると己ににがい返答だった。  
「お前の気持ち知ったらぜってー豹変して襲ってくるぞ」  
嫌なことを平気で口走る男だ。セレスの全身が恐怖で波打った。  
「そんなの。そんなこと、……絶対ないわよ」  
死神を押し退ける。  
だがその危険がないとは確かに限らない。現にこの弓闘士も自分を手込めにしたのだから。  
「それとも、なんだ―――好きな男になら何されてもいいってヤツか?」  
「………」  
睨みあげる双眸は限度を知らない口先に怒り、殺気立っていた。  
誰のせいで男が怖くなったと思っているのだろう。  
やはりこの男と生涯を共にするなど有り得ない。  
「言われなくても最初からあの人に優しさなんか期待してないわ」  
ふいと顔を逸らせた。  
「じゃあ何で」  
理由を乞われて目を伏せる。  
「好きなの。どうしようもないのよ」  
そうとしか言えなかった。  
「つーかホント信じられねーよ。よりによってアレかよ。何でだよ。  
 アレに惚れてるなんて世界七不思議の一つに数えてもいい女に惚れた可哀想な俺の気持ちをちったあ考えろ」  
何だかすごいことを言われている。  
即座に反論したかったがどうも残念ながらあながち間違ってもいない。言葉に詰まる。  
「マジでわかんねえんだよ。お前こそ俺に教えろよ」  
「そんなこと言ったって」  
「どっか感情がおかしくなってんじゃねえの。お前を殺そうとした男だぞ」  
「エルド」  
呼び声は静かだが鋭かった。  
「他人事みたいに言うけど、兄さんが死の寸前で拾い上げてくれただけで、…貴方は私を一度殺してるのよ」  
エルドの頬がぴくりと反応する。  
あの時、病気を道連れにして、セレスは完全に死ぬつもりだった。  
「ううん、一度じゃない。何度も何度も……貴方は私を地獄へ突き落とした」  
最初の一ヶ月、毎日が生き地獄だった。  
神妙な顔つきになったエルドがまた椅子に戻ったのを見計らい、話を切り出す。  
「話を戻すけど。……最近、少し考えたの。どうして私はこんなにあの人が好きなのか」  
「へえ」  
頬杖をついて身を乗り出してくる。  
切り口の違う話題に興味を引かれたようだ。  
「剣だと思うわ。多分、剣でしか伝わらないことがある」  
それはエルドにとって非常に気に入らないものだったらしい。  
即座に興味を失い、がっかりと言わんばかりに椅子に凭れた。  
 
「何だよそれ。その言い分じゃ弓闘士の俺には最初から勝ち目ねーじゃん。不公平だろ」  
そう言われても。  
「一騎打ちした時。あんな状況で不謹慎だとは思ったけど。……すごく、近くに感じたの」  
漲る殺気と緊張に支配された空間。  
戦場にて名を馳せながら将軍にまで登り詰めた男と、戦場を離れ、嫁ぎ、四年もブランクのある女。  
なのに引きずり出された。正直恐ろしかった。  
だがいざ一騎打ちが始まると不思議な恍惚感がもたらされた。  
誰にも届かない世界。  
二人、向こうの世界にいた。  
あの人は笑った。  
多分、あの人と同じ笑みを、私も。  
呼ばれている気がした。早く本気になれと、内なる私が出てくるのを誘導していた。  
強い敵と戦いたい。  
それが彼の敗因だった。  
「同類なのよ」  
生前はどうしても認められなかったそれを、今のセレスは素直に認めた。  
エルドは息をついて頭の後ろで手を組む。  
「そうだよなぁ。俺もあの時はこの化け物どもがと思ったもんだ」  
「……」  
変わり果てた女は思う。  
化け物のままでいいのに。  
ずっと、化け物のままでいてくれて良かったのに。  
今では心底そう思う。  
「彼が追ってきたら再戦を受けるつもりよ。だからその時は、春になっていなくても勘弁してね」  
いつまでも惑わされていられない。ふらつきのない口調できっぱりと宣言した。  
そんなセレスに流石のエルドも少々押され気味である。  
「待ってんのかよ。自分を殺す男を。……っとに奇特な女だな」  
罵られても苛立ちはわかなかった。  
自分でもどこか壊れた想いだということはわかっている。  
「この前久しぶりに鏡をじっと見たの」  
突然の話題転換に死神は眉を顰める。  
「私、変わったわね。自分で驚いてしまったわ。……驚くほど荒んでた。  
 手荒い仕打ちを受けても我慢することさえできなくなっていた。涙を堪えることさえ、ね。  
 戦わなくなった戦士というものは本当に無様ね。  
 剣を持っても何か違う。集中できない。貴方が怖かったのもあるけれど、もっと根本的に。  
 この人もどうせ裏切るんじゃないかって、人を信じることができなくなった。もう私は、取り返しがつかないのでしょうね」  
襲われたのは事実だが、その後溺れたのも事実。  
「責めてるんじゃないわ。私にも原因はあるということを言いたいの。  
 私は逃げ出した。だからせめて、あの人の為に何かしたい。それは再戦しかないわ。  
 確かに敗北の可能性は限りなく高いわね。でも、私にはそれくらいしかしてあげられることがない」  
「未練たらたらだな……」  
「シルメリアやアリーシャには申し訳ないけど、この二度目の生もそんな長くなくていいと思ってる」  
既に再戦すれば先がないことを覚悟している。  
そこまでの想い。  
沈黙が漂った。  
「まあ、あれだ」  
完膚なきまでに振られた男はやれやれといった風に座り直すとテーブルの上で手を組み、真っ直ぐに見据えてきた。  
「俺にしとけよ」  
「……それのどこが『まあ、あれだ』なのよ」  
「お買い得だろ。弓の腕前は言うまでもねえが、なんたって浮気の心配がねえ。心がどっか行くことはぜってーねえぞ」  
「言い切るのね」  
「そりゃ糞でけえ負い目があるし、それに」  
ずいと身を乗り出してきた。  
「俺はお前に病気だからな」  
はあ、とため息をつくセレスを、濁った瞳が探るように見つめ続ける。  
 
「どうすればいい」  
「え?」  
感情の無い声色は他意を含まず真剣だった。  
「どうすりゃ俺の方を向くんだよ」  
「…エルド」  
真っ直ぐすぎて、ぐっと詰まる。  
「顔が嫌なら潰してくる。声が嫌なら喋らない。存在が嫌ならほとぼりさめるまでどっかふらついてる」  
「馬鹿言わないで」  
「言えよ。何でもする」  
しかしいくら請われても、セレスとてどうしようもない。  
ただ首を横に振り続けるしかできなかった。  
「ったく。…………たまには笑えよ」  
眉間をつんとつつかれ、指の腹でぐりぐり押される。  
「何とかならねえのかよこれ」  
「何?」  
「しわ」  
自覚がないので指摘に驚いた。  
どうやらセレスはエルドと接する時は常に難しい顔を向けているらしい。  
「クソヒゲ相手のがいい笑顔するじゃんお前」  
「兄さん…イージスはいい人だもの、自然にそういう顔で接してるのよ」  
セレスには当然の答えだがエルドには大辛な返答である。  
舌打ちしてまた天井を仰ぐ。  
「あの溺死体、目を合わせる度殺気充満してやがる。お前に愛想つかされたら即八つ裂きの刑だな」  
「……兄さんにも苦労させてるのね」  
心労は如何ばかりかと察し、申し訳ない気持ちで満たされる。  
「あいつに言わせると、お前は羽根ちぎった蝶なんだってよ。あと飛べない鳥とか。鳥かごから飛びたてねーんだと。  
 みんな俺のせいだとさ。お前さえいなけりゃ……っていつも睨まれる」  
「……」  
「そうなのか?俺が飛べなくしてるのか?」  
問われて目を伏せる。  
否定してほしいだけの問いかけには答えられない。  
「その前に、私は花でも蝶でもない」  
そんな言葉しか返せなかった。  
「兄さんはかばってくれるけど、こんな状況に陥ったのはやっぱり自業自得よ」  
「こんな状況、ね……」  
一通り話し終えた。  
エルドの目前に積み上げられたのは、思い通りにならない返答の束だけ。  
童顔が更に不貞腐れて歪む。  
「何でこううまくいかねえんだろうな。その胸ん中にいる糞野郎とか。抉り出せるもんなら抉ってやりてえっての」  
「やめてよ」  
セレスは咄嗟に胸を手で覆い隠した。何をしようがその男は心の真ん中にいるのだろう。  
「私はものじゃないわ、エルド。犯していればそのうち言うこと聞くようになるとか、…有り得ないのよ」  
そしてはっきり宣言した。  
「春までは文句を言わない。でもそれまで。私を変えようとしないで。無理なのよ」  
数ヵ月後の決別を示唆したが、  
「ふうん。じゃあ勝負だな」  
挑戦を叩きつけられたエルドも決して負けていない。  
 
屋外の太陽はとうに沈んでいた。  
だが手元にある太陽はいつ他の男の元に昇るのだろう。  
そんな不安に苛まれる男の心をセレスは気付けなかった。  
 
 
 
言いたいだけ言うと、はた迷惑な死神は欠伸とともに席を立った。  
「流石に今日は疲れた。そろそろ寝ようぜお姫様」  
「えっ」  
 
セレスが目を丸くすると相手は怪訝な表情になる。  
「何だよ」  
「だってこんな服着せるから続きするとか言い出すのかと……」  
一瞬間があいた。  
エルドの童顔がこれ以上ないぐらいに真摯を帯びる。  
「わりい気付かなかった。夜も期待してたのか」  
「違う!!」  
「わかった。けど俺は疲れた。今夜はお前がしてくれよ」  
「怒るわよ」  
あまりに余計すぎる心配だった。  
失言に頬を染めるセレスを低い声で笑う。  
「だいたいよ。下着だってもっと色っぽいヤツつけろよ。地味なんだよばばあかお前は。面白くねえだろ。主に俺が」  
「…そんな変態なもの私に買えるわけないでしょ」  
「何だよ。買ってきたら付けてくれんの」  
切り返しの手口が豊富すぎる。やはり口では敵わない。  
「お前はぜってー黒が似合う」  
更に睨み付けると楽しげに視線をそらした。  
いけない、とセレスは焦る。  
相手はいらぬ充足感を感じてしまっている。  
「点数稼げるならちょっと頑張るかな」  
そんなことまで言い出した。  
腰を抱こうとしたので慌てて身をかわす。  
言葉にも気をつけなければならないのか。弱り果てて俯いた。  
「本当に…今日はもう…。…もしあなたが手を下さなかったらってことを想像してしまって、震えるのよ」  
実際には阻止されたとはいえ、集団暴行のターゲットとして狙われていたという事実は大きい。  
エルドは少し驚いたようだった。  
「そういうもんなのか」  
「そういうもんも何も。…ゾルデの女は今日、…みんな震えて眠ると思うわ」  
瞳を伏せる女に向けて大きなため息が零される。  
「そんなに怖かったのか」  
はっきりとは言わないが、数時間前に己が彼女にした、手荒な行為のことを指しているのだろう。  
セレスが静かに頷くと、  
「悪かった」  
目を見て素直に謝罪してきた。  
謝罪にすら余裕がある。先刻の不透明な謝罪とはまったく別のものだからなのか。  
「ほんと、何でも話してみるもんだな。なんか視線が柔らかくなった」  
晴れやかな態度にいっそう困惑する。  
「そういうわけじゃないわ……」  
「こんな簡単なことだったんだな」  
セレス側の焦燥にはまったく聞く耳持たない。  
「一時はどうなることかと思ったが。終わり良ければ全て良し、だな。  
 本当は満面の笑顔で迎えてもらいたかったがそううまくはいくわけねえか。貴重な一歩踏み出せたってことにしとく」  
「エルド」  
「話してよかった」  
「……」  
告白が彼にもたらしたのは、付け入る隙が大きく広がった事実なのだろう。  
それどころか大事な何かを掴んでしまったらしい。  
間をおかずガンガン迫ってくる。  
「お前に口先だけの言葉が通じねえのはよくわかった」  
「エルドあのね、確かにお互いの誤解は多少は解けたと思うけど」  
「何でも言えよ。俺はお前のそばにいたいんだ」  
「聞く気ないくせに……」  
一歩下がれば、一歩追い詰められるだけ。  
男女の駆け引きに疎いセレスでは新しい攻撃材料を得たエルドに迎撃のしようがない。  
「眠るだけの夜だってお前を抱いてていいんだろ?」  
壁を背にして逃げ場を失う。顔を近づけられて思わず目を瞑った。  
 
耳元で小さな笑い声がする。  
「相変わらず押しが強いわね」  
「相変わらず押しに弱いよな」  
「なっ」  
反論する前に頬を撫でられた。  
長い睫毛が至近距離で自分を映す。  
戸惑い目を彷徨わせていたら、首元の小さな傷が目に入った。  
「エルド、首」  
「ああ。…流石にあれだけの人数相手して傷もらわねえなんて無茶だろ」  
指摘を受けたその傷を格好悪いと思ったのか、微妙な顔つきで口を尖らす。  
だが彼の思惑に反してそれはセレスの心を更に揺さぶるものだった。  
自分を守る為に戦ってくれたという確たる証拠である。  
思わぬ追い討ちを喰らい更に惑っていたら、顎をくいと持ち上げられた。  
「ひでえツラだ」  
「え……あっ」  
言われて初めて気付いた。そうだ。施された化粧がぐちゃぐちゃの有様なのだ。しかも長い間。  
慌てて隠そうとしたら手首をとられた。  
「いいんだ。隠すなよ」  
「だって」  
「ちょっと優しいツラになった」  
「そんなこと……」  
「向けられたツラん中じゃ一番いい顔だ」  
セレスには自覚はないが、多分本当にそうなのだろう。  
己の急変を受け入れ難い。どうしても目が泳ぐ。  
「抱き締めていいか」  
「……」  
「抱き締めたい」  
戸惑い押し黙ったままでいるのは肯定でしかなかった。  
腕に捕らえられ、強く抱き締められる。  
「あ……」  
思わず吐息がこぼれた。  
やっぱり何か違う。あれほど割合を占めていた嫌悪が和らぎ、とても小さいが温もりを感じる。  
心の中にある大きな結び目が一つ、ほどけてしまったらしい。  
「怖いか」  
「怖い。気持ち悪い」  
そんな変化を必死に否定する。  
「正直だなおい」  
不貞腐れつつも白い首筋を楽しむ。  
「こっちだって拒絶くらう度に傷ついてんだぜ」  
「……」  
小悪魔めいた容姿の男は、自分より少し背が低い。  
「俺はあの変態じゃねえし、過去へ戻るなんてキチガイじみた超人技も無理だ。  
 そんじゃ今、生きながら頑張って許しを請うしかねえ」  
「あのねエルド……」  
手をぎゅっと握ってくる。  
「信じてくれよ。本気なんだ」  
逆襲は勢いを増す。  
童顔美形という武器をフル活用して容赦なく襲ってくる。  
雰囲気に呑み込まれそうになる。セレスは何とかエルドを押し退け、漸く距離をとった。  
「そんな。突然、いろいろ言われても困るわ」  
強い口調で咎められると、不服で口を尖らせた。  
「んなこと言われたってよ。こっちだって本命に関しちゃ素人童貞みてーなもんだし」  
「またそんな見え透いた嘘を」  
「嘘じゃねえって。うまくできねえよ。確かに生前の職業がら適当なこと言って騙すのは大得意だがよ。  
 お前はそういうことしていい相手じゃないだろ。ってやってたらあんなことになっちまったけど」  
セレスの目が丸くなる。  
 
意外だった。  
どうして他の女にするように上手に誘導してくれないのだろうと、ずっと思っていたのだ。  
「…そんな」  
それでは。  
本当に私は特別だということか。  
けれども。  
今更そんな、真実を畳み掛けられても。  
「ほんとに、今更…困るわよ……」  
「困るなよ。頷けばいいだけじゃん」  
「無理」  
セレスに余裕を与えないよう立て続けに迫ってくる。  
「軽い誘惑で適当にあしらえる相手じゃないから真面目にやってんだぞ」  
「だから困るって」  
「俺を見ろよ」  
必死で視線を遠くへ投げる。  
今目を合わせたら絶対に向こう岸で連れていかれる。  
「あのね何度も言うけど本当に感謝はしてるのよ、でも」  
「そんなに私のことばかり見るな、か?」  
「ちょっ」  
「いやだ」  
「わかった、わかったから」  
完全に流されている。頬を包まれると更に火照って眩暈を呼び、くらくらする。これ以上はまずい。  
妥協策に走らざるを得なかった。  
「……もう寝室へ行ってて。私は少し片づけをしてから行くわ」  
寝床への招待。受けた男は薄く笑う。  
「待ってる」  
甘さを含ませて囁くと、やっとセレスを甘たるい責め苦から解放した。  
ぎし、と階段がきしみ、別れたいはずの男が寝室に消える。  
階下に残された女はため息をついた。  
 
 
 
嘘だらけの男だ。本意などわからない。  
だが今宵手を出してきたなら不誠実の証として正当な反撃理由になる。  
この状況では我慢するのも一手ではないか。  
そう思いつつ、寝室に入った。  
化粧を落とし簡単に手入れして着替えると、覚悟をして寝台に上がる。  
だが。  
「おやすみお姫様」  
先に寝台にいた男はセレスを抱き寄せただけで、本当に何もしなかった。  
酒に含まれていた果実と薔薇の香りが甘く漂う。  
心配せずとも、エルドはもう既にうとうと船を漕いでいた。  
緊張の糸が一気にほどけると同時、己の読みの甘さを恥じる。  
そうだ。今日は本当に疲れ果てているはずだ。これだけの大役をこなしたのだから。  
「……おやすみなさい」  
素直に感謝できない関係をやるせなく思う。  
エルドは紅髪を指で梳いてひと房に口付け、  
「ん――――…」  
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。  
すっかりリラックスしている。  
元暗殺者のくせに。  
「明日は起きたらお前がいるんだなあ」  
心底から嬉しげに言い残すと、健やかな寝息を立て始める。  
あっという間に眠ってしまった。  
 
気が抜ける。  
同時に危機的な状況を先延ばししただけだと、問題が依然改善されていない事実を理解する。  
だが残虐な男の告白はあまりに透明で幼く、はねのけようがなかった。  
その夜のセレスはただ安堵に浸かる寝顔を真横にして、困惑し続けるしかできなかった。  
どうしよう。  
―――どうしよう。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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