シルメリアに解放されてから丁度10日が経った。  
シルメリアにというか、『ヴァルキリー』にというべきか。  
晴れやかな空が澄み渡り、夕暮れのやさしい風が頬をなでる。もうすぐ夜がきて空一面に星をばらまく。  
小さな街の宿屋から見える静かな落日。  
セレスは楽な格好で窓際の椅子に腰掛け、頬杖をついていた。  
昼間、この窓からエーレンとクレセントが去っていく後ろ姿を見送った。  
大好きなエーレンと新しい生を歩み始めたクレセントの笑顔は一段と輝いていて、そんな彼女に手を振っていると  
ついに解放されたのだという事実をしみじみ噛みしめる。  
クレセントが立ち止まって振り向き、『セレス様〜〜!アタシもがんばりま――すっ!!』とひときわ大きく  
両手を振り回してから角を曲がり消えてしまったのが、つい数秒前のことのようだ。  
その時はまだ、その贈られた言葉の意味がわからなかったが。  
 
10日前。  
歪んだ新世界でのラストバトルは超展開のクライマックスを迎え、ほぼ唯一無二の変態メガネバスターと化した彼女への  
ドーピング剤生成のために、エインフェリアはガンガンと解放された。  
・某アスタニッシュグリッツ(純愛仕様)  
・某長女のお気に入りエインフェリア  
・某こいつに三姉妹融合したらどうなるんだとちょっと興味あった不死者王  
以上3名の他は皆解放されたと思う。  
計20名の解放作業は当然立て込んでバタバタした。ブラムスが水鏡の破片でミッドガルドへ送り返してくれたのだが、  
いかんせん変態もブチ切れちゃってるし今にもグングニル飛ばしてきそうなふいんき(ryだった為、“とにかく  
ミッドガルドへ!”と一丸になってで破片から放たれる細い光の柱に押し合いへし合いで突撃した結果、全員同じ場所に  
出てしまった。  
まさにマヌケのドミノ倒しといった感じで、いやどちらかといえば盗み聞きしてて突然ふすまを開けられて  
折り重なって倒れるあんな状態で、エインフェリア達はミッドガルドに無事放り出されたのであった。  
「・・・制作者にアイテム呼ばわりされたエインフェリアの扱いとはこんなものなのだな・・・」  
「やめてくれ聖水のおっさんあんたが言うとひときわ虚しく感じる」  
そうはいいつつ大量のドーピング剤を投与されムキムキになっていくヴァルキリーのちょっとヤバイ感じさえする  
勇ましい姿で勝利を確信できていたので、  
立場をわきまえている(っていうか諦めてる)エインフェリア達に心残りある者は少なかった。  
祝杯をあげて大騒ぎをした後は、一人二人とミッドガルドの各地へ向け散らばっていった。  
 
「すっかり腑抜けちまってるなオイ」  
星の瞬きに見とれていたセレスの背後に、いつの間にかエルドが立っていた。  
突然の気配に心臓が跳ねる。  
薄暗い闇からセレスの横に来て月の光に照らされたエルドは、どこと無く死神を思わせた。  
暗殺者だったという事実がそう思わせるのか、昔自分を捕らえた人間だからそう思ってしまうのか。  
彼は苦手だ。  
エルドはセレスと目を合わせるでもなく、独り言のようにはき捨てる。  
「奴隷のごとく使役しといて最後に役に立たないとなれば取れるだけぶんどってから御役御免。  
ったく、本当によく出来たご主人様だったぜ」  
エルドにまともに返答すると皮肉の矢が斜め上から飛んでくるので相手にしない。  
「…仲間、みんな行っちゃったわね」  
「仲間ねえ・・・この狂気の鎖でつながれた囚人どもがか?  
看守がドンパチ始めやがったからスキ見て逃げ出しただけの話じゃねえか」  
話題を変えようとしたらひんねじまがった矢が容赦なく打ち込まれる。  
はあ、とため息をつくセレスを面白そうにながめている。  
「つれねえなあ―――俺の大事な戦利品に最後の挨拶しにきてやったのに」  
悪意ある言い回しをしてセレスに冷笑されても、エルドは気にも留めずに続ける。  
「なんせもう二度と生身では会えそうもないからなお前には」  
「…何が言いたい」  
「アドニスだよ。あの黒いのもまだいるんだろ?お前は今こんな風にボーっとしてる場合じゃないと思うがねえ」  
冷静を装うセレスの微妙な表情変化を察知し、エルドは満足げに鼻を鳴らす。  
「逃げねえのか逃げられねえのかは知らねえが、まだ二人とも残ってるってのはそういうこったろ?  
こっちの方は臨機応変にとは行かねえわけだ」  
「逃げるも何も・・・常々言われてるもの。俺から逃げ切れると思うなよって。あなたも知ってるでしょ」  
「ああよーく知ってるぜ?一緒に戦闘に駆り出される度聞いた台詞だ。ははは、お前は何だかんだで運もねえが要領もわりいよなあ――  
せっかく解放されたってのに二回目の生はもっと賢く立ち回ってみようとか思わねえのかよ」  
この世の何もかもを小馬鹿にした耳ざわりな笑い声を漏らしていたが、  
「にしても―――――」窓の外へ目をやった時に、少々声のトーンを落とす。  
「案外冷てーもんだなぁ他の連中。誰か一人くらいお前らの間に割って入るかと思ったが誰もいなくなっちまった」  
「まあこれは流石に二人の問題だからね。干渉してもらってこじれて巻き込んだりしたら後味が悪いわ。  
そうじゃなくても足を突っ込みたい人なんていないでしょうしね」  
「勇ましいこったな。ま、強がってるだけなのはバレバレだが。」  
「・・・あなた本っ当に嫌な男ねえ・・・」  
うんざり顔のセレスに向け、嫌味をたっぷり含んだ口調で、裏があると言わんばかりの手のひらを差し出す。  
「助けてやろうか?お姫様。あいつの手の届かないところへ行きたいんだろ?  
別世界へ連れ出してやるよ――――あの時のように、な」  
「あら素敵ね。今度の行き先は奴隷市場かしら?」  
返ってきた答えにひときわ高らかな笑い声をあげると、明らかに数百年前のラッセン侵攻でセレスを捕らえた時の  
邪悪な笑みと一瞥をくれて別れを吐き捨てた。  
「ならせいぜい気張れよ。墓見かけたら花一輪くらいは供えてやるぜ。じゃあな斬鉄姫」  
窓から身軽に飛び降りて軽く手をひらひらさせてから、振り返りもせずエルドは闇に溶けていってしまった。  
「お墓なんて気を使ってくれる相手じゃないの知ってるくせに・・・」  
まったくあの女ポリゴンは――――!平静を保とうとする心が苛立ちと呆れで満たされる。  
何故最後の最後にわざわざ悪意を叩きつけていくんだろうか?  
乱された精神を落ち着けるために深呼吸をするが、与えられた戸惑いは消えなかった。  
・・・やはり、こんなものなのだろうか。共に戦った仲間とはいっても。  
背後から空間を裂いて飛んでくる神業の弓技に幾度となく助けられたが、彼にとっては自分以外の駒を円滑に動かすための  
作業の一つにしか過ぎなかったのかもしれない。  
 
・・・・・・。  
ああ、でも。  
これで本当に二人だけになったか。  
遠い昔、エルドとともに平穏だったセレスの嫁ぎ先に侵攻してきて、そこで首を刎ねられ果てた男。  
かの男が待ち焦がれた『その時』は、ついそこまで来ているようだ。  
膝の上で握る拳に力が入る。  
逃げられない。話し合いでわかってくれる相手でも、そもそも話し合いに応じてくれる相手ではない。  
仮に逃げたとしても、追ってくるかもしれないという不安に常にさいなまれる人生などごめんだ。  
旅立つのはすべてに決着をつけてから。  
私だってせっかくシルメリアとアリーシャが与えてくれた二度目の生を無駄にはしたくない、とセレスは思う。  
まあ、ちょっと亡霊気味だけど。  
やるしかない。多分実力自体は互角、大差はないだろう。  
でも。  
迷いのある今の私ではきっと勝てないとも思っている。  
 
そもそも彼に対するこの事象に気付いたのはいつだったろうか。  
否定したいが、残念ながらかなり以前からだと思う。  
共に在る時間が長すぎた。共に戦闘で背中を合わせる機会が多すぎた。  
わかっている。解放後、己の手で復讐を果たすために、セレスにまとわりつく他の敵をなぎ払っただけであろうことは。  
ただその割には内容に反則行為があまりに多かった。  
二手に分かれた時、セレスが劣勢になると文句を言いつつもその大きな黒刃で加勢にきてくれたり。  
戦闘不能から回復した時、嫌味を吐きつつも早く立てと手を差し伸べてくれたり。  
『俺にはわかる!コイツが今こそ自分を使ってくれと言ってるのが!!』―――そう毅然と叫んでノーブルエリクサー使って  
他のメンバーに無駄遣いすんなこのアホニスがと怒られて逆ギレして大乱闘になったり。  
それらの穏やかなエインフェリア生活における小ネタがもっさり積み重ねられた今現在。  
この内からあふれるヤバさを隠そうともしない男を、絵師泣かせな面倒くさい甲冑の主を、たまに、本当にたまにだが、  
 
かわいい。  
 
――――などと思ってしまう大変痛々しい手の施しようがなく救えない末期的惨状に至った。  
深刻極まりないため息をつく。どっちかというとアドニスにじゃなくて自分に。  
頭の病気だ。自分でもそう思う。  
彼は過去の汚点の始末をきっちりとつけたいだけで、決して私のためにしているんじゃない。  
ノーブルエリクサー事件だって、あれはきっと本当に何となく使いたくなっただけだ。それか何か危ない電波を受信しただけだ。  
決してダッシュで置いてけぼりになって集中攻撃喰らって瀕死だった私のためなんかじゃない。  
なのに何を勘違いしている――――  
せっかく解放されたのにもう既に何かが終わっている気が……やっぱり所詮私は生きてはいるけど亡霊(ry  
悩んでも答えは見えず、考えれば考える程理性と気持ちがせめぎあって霧の中を彷徨う感じになり、すっきりしない。  
けれど気づけば警戒の為に光らせていた両眼は自然にあの黒色を追うようになっていて。  
クレセントやキルケに話しかける黒いあいつを見てついどこと無く不安な気持ちになり、  
両名に激しく嫌がられるのを見てついホッとするようになってしまっていた。  
だいたいこんな気持ち、本人にバレたらどうなるんだろうか。  
いくつかリアクションが予想できるがいずれも速攻ボディパかまして却下したいものばかりだ。  
かぶりを振る。  
「どうすればいいのかしら…」  
ついぽつりと呟く。すぐそこまで狂気の時間は迫っているのに。  
いつも困った顔をしつつも『あんまりセレスに無理強いしてるとちょっとスピリチュアルソーンかけますよ?アドニス』と  
味方してくれるゼノンも、もう行ってしまった。何だか異様にキラキラした笑顔で。  
数日前までにぎやかだったのにもう誰もいなくなった現実を実感して、少々孤独を感じていると。  
ガチャリ。  
ついに当のご本人がダースベイダーのテーマをひっさげてご登場した。  
そして開口一番に皮肉を吐く。  
「何ぶつぶつ言ってんだこの豚野郎が」  
「・・・」  
 
女に向かって豚って、それは刺してくれと言ってるのか?  
とは思いつつこれがこの男の普段の口調なので華麗に聞き流す。  
ノックしろとか日が落ちたのに入ってくんなとか、もう言うだけ無駄なので言わない。  
解放されてから初めてアドニスの素顔を見た。  
いかつい防具を外したらどんな厳重モザイクかかる容姿かと思ったら、さすが戦乙女の選定したエインフェリア、  
無駄にいい男で拍子抜けした。  
ただあのごつい黒兜を外すと赤い目だけが存在感を放ち、ギラギラと異様な眼光で周囲を威圧する。  
近寄りがたい男なのには変わりない。  
「へえ…そうしてるとただの女だな」  
「そりゃただの女だからね。もう。完全に」  
よく言うぜ、と忌々しげに吐き捨てる。  
「エルド行っちゃったわよ」  
「あぁん?まだいたのかあいつ。つうかどうでもいい。いちいち報告するな」  
セレスには絡んでいったがアドニスを煽ってはいかなかったようだ。少々安堵した。  
けれど。どうでもいい・・・か。  
あれだけの死線を共にかいくぐってきた仲間だというのに、やはりその程度なのだろうか、エルドやアドニスといった  
類の人間には。  
アドニスは何故かセレスとは逆の方向へどすどす歩いていくと、部屋の隅まで行って止まった。  
何だか非常に機嫌が悪いのが背中を見ていてもわかる。首をなでてから頭をかきむしり、低くうなっている。  
「?」と意図を図りかねていると。  
ギヌロ。  
擬音にたとえたら正しくそんな感じの鋭い切れ目と目が合いそうになったので思わずそらした。  
ずんずんと距離を狭めてくる。装備を解いていても黒く禍々しい存在が周辺の空気まで濁し、より圧迫してくる。  
きたか。ついに。  
そうだ馬鹿な迷いは捨てなければ。  
この男の座右の銘ではないか。  
殺らねば殺られる倒れたら刺せ刺したら抉れ―――と。  
「俺から逃げ切れると思うなよ」  
再戦要求を断るたびのこの台詞に何度げんなりさせられたことか。  
結局どんな修羅場を共にくぐり抜けようが関係ない。  
私は敵。  
死闘の末に首を斬り落とした憎い相手。  
必ず復讐しなければ気の済まない女だ。  
……  
そう。それだけのこと。それだけ。  
それだけなのに。  
その執着を別の執着と勘違いしているであろう自分の思考回路を、いっそ哀れに思う。  
座っているセレスの目の前まで来てピタリと止まる。  
そして異様にドスのきいた声でぼそりと呟いた。  
 
「・・・メシ。」  
「は?」  
「は?じゃねーよメシだよメシ!このぼったくり宿メシださねーじゃねーか。忘れたのか?」  
忘れたわけではない。  
数日前『カルスタッドなら大盛りサービスなのにねー』とソファラやキルケと笑いあったばかりだ。  
ただ今まではそんな風に、他の仲間たちが一緒だった。  
外へ出ようと言ってるのか。  
私と。  
二人で。  
呆気に取られていると、アドニスは予想通りの反応された畜生と言わんばかりに理由を怒鳴り散らしだした。  
「仕方ねえだろ!エーレンが異様にテカテカした笑顔で『二人で食事に行くがいい』とかほざいて金渡してきたんだよ!!  
しかもその金がいつの間にかなくなってると思ったら、あのエーレンエーレン鳴く可愛くねえお嬢様が  
『アタシが夕飯の予約とってきといてあげたわよ!頑張んなさいよね!』とか意味不明かつ勝手なことぬかしやがるし!  
しまいには二人で行かないとメシ出さないように言っといたとかわけわかんねーんだよ!  
テメェと一緒じゃねえと俺まで喰いっぱぐれる仕組みじゃねーか!  
何だこのどす黒い陰謀は!!何だあの異様にニヤニヤしたどす黒い笑顔は!!」  
自分が普段どす黒いのを棚にあげてテーブルを思いっきり叩く。大きな拳がテーブルだけでなく部屋全体を震わせた。  
それでも依然固まっているセレスが返事を返してこないのを悪くとったのか、  
「・・・何だ俺と二人じゃメシもまずくなるってか。はっ違いねェな」  
明らかに勘違いな方向で拗ねた。  
「好きにしやがれ」  
「あ…待ってよ、行くわよ…驚いちゃって…行くわもちろん」  
戸惑いつつものろのろと立ち上がる。  
ああ、でも。これはチャンス。話ができる。ありがとうエーレン!クレセント!ビバロゼッタ!!  
「あーでも・・・ちょっと待って」  
「何だよはっきりしねぇな〜」  
「流石にこれだと…」  
ノースリーブの白の上着とホットパンツ、むき出しの太股は膝上くらいから黒のぴったりした布地が長い脚を包んでいる。  
「酒場に行くんだかまやしねえよ・・・だいたいテメェはもっと下乳のネーチャンとかケツ三武衆を見習うべきであってだな・・・」  
面倒そうにぶつぶつ言い捨て続けるそのかたわら、さっきから痛い程の視線がセレスの身体から片時も外れない。  
興味津々といった表情に悪寒を感じて流石に身を引く。  
「・・・何」  
「いや。ちゃんと女の形してんな、と」  
「何よそれ…」  
むっとして睨みつけるのを無視して、ずい、と身を乗り出してきたので、反射的に大きく後ずさる。  
存在自体の威圧感が強い。  
思わず身構えたところで、自身も対峙する男と同じく重装備を解いた格好である、という現状にやっと気付く。  
そうだ。今までずっと装備を外すことのない状況だったから―――・・・  
緊張が鋭く体を走り抜けていく。己の軽率さが信じられなかった。  
「あ・・・・・・・・」  
まさか肉弾戦・・・?  
容赦なくその凶暴な拳を叩き込まれる自分の姿が頭をよぎり、血の気がひく。  
いつの間にか壁に追い詰められている。  
もう夕飯などという会話をすることは望めそうにない。むしろ自分が喰い殺されそうだ。  
まさか。まさか・・・  
「気を抜くには早すぎたな」  
「!!」  
 
見透かしたように口元を大きく歪める。そうだ。装備が万全の状態で挑んでくるとは限らない――――  
「どうしてやろうかと思ってたが」  
顔を近づけられて思わず逸らすと、顎をつままれて強引に前を向かされた。  
力の限り睨みつける。それがまたこの男には油を注ぐだけだとわかっていても。  
「・・・そこまで悪くなさそうだな」  
だから何が!と返そうとしたが、その言葉は声になることはなかった。  
普段のギリギリのガン飛ばし合いの間合いより、さらに近づいてきたからだ。  
「え?」  
視覚からの情報によって漏れる間の抜けた声とは逆に、自由になっていた方の手が条件反射で動き、寸前で接触を遮断した。  
「・・・」  
「・・・」  
これは。  
「ちょっと…嘘。やめてよ冗談でしょ?」  
「うるせぇわめくな黙ってろ」  
「嫌だからわめくわよ。普通に。常識的に考えて」  
「黙れ!常識語るなら男の前でそんなもん見せびらかすんじゃねえ!」  
「何よそれ!そんなもんて!普段は『テメェほんとに女か』とか  
『おーいここに重戦士のくせに軽戦士だってごまかしてる奴がいるぞー』とか酷い事言うくせにっ!!」  
レベルの低い口喧嘩を繰り広げつつも、新手の肉弾戦(ある意味)は強引に開始された。  
しかも抵抗をお構いなしにがっついてこられては普段の冷静さも吹き飛びパニックになる。  
もう夕飯などという会話をすることは望めそうにない。むしろ自分がおいしくいただかれそうだ。  
命の心配ばかりしていたからこちらの方は無防備すぎた―――と後悔してももう遅い。  
だばだばと攻防戦が続く中、自分の唇が軽く相手の頬をかすった。心臓が飛び跳ねそうになるのを感じ、必死で目をぎゅっとつぶる。  
掴まれた二の腕が痛い。首筋に熱い息がかかって目まいを呼ぶ。  
近すぎる。  
「もう―――!冗談は や め て ってばっ!!」  
キリがないとばかりに苛立った大声を張り上げると、耳元で思いもよらない提案がなされた。  
「これでチャラにしてやってもいいぜ・・・って言っても冗談で済ませたいか?」  
目を見開いて固まる。つい一瞬前まで必死でしていた抗いをぴたりとやめる。  
そのままゆっくりと、相手に向けて顔をあげた。  
「・・・本気?」  
「ああ」  
「それで・・・あなたはいいの?」  
真剣な眼差しで問われるとアドニスは神妙な面持ちになり、静かに目を閉じる。  
「確かに・・・テメェの首を刎ね飛ばして力の限り踏みにじるのが俺の長年の夢だったが・・・」  
やな夢だ。ていうかそのやな夢に明らかに未練たらたらだ。  
「ま・・・こっちにもいろいろとな。あるんだよ」  
逸らした視線が微妙に泳ぐ。  
何だろう。永久にアストラルメイズしますよアドニスとか言い残していってくれたのだろうか。ゼノンが。  
「というわけで、いいから大人しくしとけ。悪いようにはしねえ」  
払いのけようとした手首をつかまれ、壁に押しつけられては流石に貞操の危機を感じる。  
ぜってーヤると言わんばかりの非常に暑苦しいはた迷惑な視線が降り注ぐ。  
困惑するセレスの無言を肯定ととったのか、この男特有の余計な一言が口から漏れた。  
「女でよかったな斬鉄姫さんよ」  
そういう言い方をされるとかえって反抗を再開しろと言われているようなもので。  
「やめて。嫌。絶対嫌」  
顔をあげ血色の双眸をしっかり見据えて、心底からきっぱりと言い放った。  
火花でも散りそうな緊迫。  
「・・・本っ当に可愛さの欠片もねえなテメェは。これだけしても怯えもしやがらねえ」  
「あらそんなことないわ。あなたの言動の突拍子のなさに慣れただけよ」  
そう言い返して、額に青筋を走らせるアドニスに向けて口元を歪めてみせる。  
あの妹にしてこの姉としか言い様がない図太さ・・・もとい度胸である。  
しばらく二人してギラギラと睨みあっていたが、アドニスの方が先に折れて、忌々しそうに舌打ちした後身体を離した。  
――――かのように見えた。  
 
一瞬の間。  
気のゆるみを突かれて身体が宙を飛ぶ。  
近場にあったベッドに投げ出され、体勢を立て直そうと起き上がる前に覆いかぶさられてしまった。  
血を映したかのような赤い瞳が、さっきよりずっと近く、ほんの鼻先にあって息をのむ。  
「その意味不明の余裕が死ぬ程むかつくんだよ・・・」  
形勢逆転。完全に追いつめられたのを理解する。  
だが、この男にここで動揺を見せたら負け―――という経験が、自動的にそのまま態度に出る。  
「だから余裕じゃないの。慣れたの。何度も言わせないで」  
毅然とした強い口調で拒絶する。本日何度目かの睨み合いが続いたが、ついにアドニスの方が根負けした。  
「チッ…ちったああわてて見せろ。つまらねぇんだよ」  
ぎしっと音を立てて。今度こそ、離れた。  
窮地を脱してホッと息をつき、そのまま天井を見つめる。  
びっくりした・・・  
一応女として見られてはいるようだ、とか場違いな感想が頭に浮かぶ。  
それにしてもタチの悪い冗談だったのか、それとも本気だったのだろうか。いや多分あの目は本気だ。  
ふうと息をつく。  
何にせよ、結局またケンカだったわけだが。  
それでもとりあえず心臓の早鐘が顔に出なかったことを安堵していると、ふっと自分への疑問が浮かび上がった。  
嫌だったのだろうか?  
いや、別に。  
嫌じゃなかった。  
求められたその行為自体は。  
「・・・」  
新しい選択肢が現れる。  
それで済むならそれでいいのではないか、と。  
アリーシャもシルメリアも、解放した仲間達が傷つけ合ってどちらかの首が飛ぶ、なんてことは望んではいないだろう。  
なにより一番大事なことは―――そう。別に嫌じゃない、ということではないか。  
・・・いや、でも。どうなんだろうそれは。  
ぐるぐると悩んでいると、先程去っていった弓闘士に要領が悪いと嘲笑われたのを思い出した。  
「・・・・・」  
枝分かれする道の一つを選ぶ。  
ぽつり呟いた。  
「しないの?続き」  
 
遠くに離れて頭をがしがしと掻いていた背中の主が、その言葉で石化したように固まる。  
緩慢に振りかえったその表情は驚きに満ちていた。  
意図をはかり兼ねているのか、ずいぶんと長い間があく。  
やがて離れたぶんだけ近寄ってくる足音がする。  
ゆっくりと再度覆いかぶさってきて呟いた。  
「…いいんだな」  
ちゃんと了解を得ようとする姿自体が意外だ。  
感心したのも束の間。三秒後にはもう本性を現す。  
「よし今拒絶しなかったな?もういやだっつってもきかねーぞ」  
黒い笑みをめいっぱい浮かべるので、つい呆れてため息をついた。  
「よっぽど酷いことされなきゃ暴れたりしないわよ。大丈夫」  
「・・・・・・・」  
妙な沈黙が相手の疑念を伝えてくる。  
「何だよ思いっきり暴れたかと思えばあっさりいいっつったり。わけわかんねえぞ」  
明らかに不可解といった顔をされて焦る。  
「別に・・・。・・・。・・・そう、さっき別れ際にエルドに言われたの。要領が悪い、もっと賢く立ち回れって。  
せっかく血にまみれない方法を提示してもらったんだから乗っただけよ」  
「・・・」  
アドニスの眉間にしわが刻まれる。何かおかしいことを言っただろうか?と焦ったが、  
「ま、いいか・・・やらせてくれるんなら文句は言わねえよ」  
あまり追及して気が変わるのを懸念したようで、この粘着男にしては鮮やかな引き際を見せた。  
ほっとしたのも束の間。  
早速その大きな両手が頬を包み込み、再度顔が近づいてきた。  
「じゃあとっとと始めるぞ」  
これからキスをされるのだと思うと緊張する。何せキスだってもちろん初めてである。  
もう少し顔が近づいてきたら目を閉じなきゃ・・・そう思っていた矢先。  
突如として間合いをつめ、噛み付くような甘さのかけらもない口付けが急襲してきた。  
「う…っ!?」  
頭部を腕と大きな手でがっちり押さえつけられて動けない。  
奪った唇の向こうで乱暴に舌を絡ませては息をつぎすぐに吸い付いて、凶暴な支配欲が振りかざされる。  
「―――っ!!」  
前戯というにはあまりに程遠い舌づかいは、ねじ伏せると表現したほうがぴったりな気もした。  
そうして十分に蹂躙した後、銀糸をひきつつようやく解放された。  
「・・・――はっ!はあっはあっ、はっ・・・」  
アドニスから顔を背け、酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。  
セレスが怒りで振り上げた手をあっさりとはじいたアドニスは、『してやったり』といった満足気な顔をしていた。  
「・・・っ、・・・キスから始めるだけっ、ましと思わないといけないのかしら・・・?」  
「当然だな」  
「そう。・・・でも今度やったら噛みちぎるわよ!!」  
すごむセレスに、同じくらい不機嫌なアドニスの赤い眼光が近づく。  
「ならこんな時に他の男との会話なんざ持ち出すんじゃねえ」  
「え」  
予想外の反撃に目が点になる。相手はちっと舌打ちして目をそらした。  
やった方が子供みたいに口を尖らせて拗ねている。  
・・・・・・それを見ていたら、呼吸が落ち着く頃には多少の納得のいかなさを残しつつも何故か怒気が散じていた。  
「と、とにかく・・・あんまり乱暴なことはしないで!怖いのよ!特にあなただと!」  
「何だよ注文の多い・・・こっちで勘弁してくれってんだろ?大人しくしてろっての」  
「好き勝手させてあげるって言ったわけじゃない!私は…その、あなたとしたいって言ったのよ・・・」  
「あぁん?同じじゃねえか」  
「違う!」  
どうも考え方が違いすぎて全然噛み合わない。まあいつものことだが。  
 
ああもう、と苛立ちながら起き上がろうとしたセレスをベッドに押し戻す。  
「もう逃げらんねえっつったろ」  
「わかってるわよ。ただはじめる前に身を清め「どうせ汗まみれになるんだ構いやしねえ」  
「・・・・・・・・・・・じゃ好きにしたら?」  
わざとらしい大きなため息をつく。  
セレスの衣服が引き裂く勢いで乱暴にはぎ取られ、あっという間に全身の肌色が広がっていく。  
脱がしている自身も不要になった布を手早く脱ぎ捨てる。鍛え抜かれ腹筋の割れたたくましい身体が露わになった。  
・・・ベッドの上でケンカになったらいろんな意味で勝てそうもないな。と冷静な分析結果をはじき出す。  
まあいい。  
もともとこの男に優しさとか甘さなんて欠片すら期待していない。宣言したとおり、余程のことでもされない限り大人しくしておこう。  
脱がされる最後に、高く結わえた長い髪までしゅっと解かれたのにはどきりとした。  
ふわりと解けて紅が白布に広がる。さらりと胸元を流れた艶やかな紅の一束がなまめかしい。  
戦場ともなると鬼でも憑いたかのような強い光を放つ瞳も、こんな時ばかりは緊張で揺らぐ。  
30にも満たず死んだ故の年若い一面もかいま見えて、大剣を構える彼女からすると想像もつかない。  
気恥ずかしさから腕で覆う豊かな膨らみは寄せてあげるまでもなく深い谷間を刻む。  
そんな一糸まとわぬ彼女を、ひっぺがした本人がものすごい勢いで見ている。  
焦げつくような熱い視線にさすがのセレスの頬にも赤みがさした。  
「あの…」  
「…すげぇ」  
「え…」  
「ちゃんと揉むところがある」  
瞬速の平手が飛んだ。  
殴られた衝撃で横を向いたままのアドニスが呟く。  
「…・・・・・・おい今のは褒めたんだぜ」  
「どこが!」  
「筋肉の塊がおでましになるとしか思えなかっt「「 こ の 正 直 者 が ッ !!!!! 」」  
派手な衝撃音。  
ガードする間も与えない光速の鉄拳が顔面にめりこんだ。  
「・・・・・・・・だから・・・・・・悪気はねえって・・・・・・」  
納得いかねえと青筋の浮かびまくる顔にかいてあったが、そこは性別的に神から魔槍を与えられし者、女を抱きたい欲に  
あっさり負ける。  
犬に例えたら噛み付く寸前といった牙むき出しの形相が急接近する。  
「…泣かす」  
「ならねじり切る」  
「テメッ……」  
黒いオーラが噴出しまくる険悪な構図が終わったのは、唐突に片胸をわしづかまれた時だった。  
びくりと目が見開かれる。  
「フン…どうせこっちの方は大した経験もねえんだろ」  
「・・・」  
図星なのが何だか悔しい。  
 
武骨で遠慮を知らない手が形の良いふくらみを欲望のままにこねくり回す。  
「ちょ・・・っと、痛いわ…」  
悪いようにはしねえと言われていても流石に少々不安になる。  
「うるせぇ指図すんなこっちだって久しぶりなんだよ」  
口では毒づくが、圧力がすっと緩んだのには安堵した。  
柔らかで豊かな膨らみを寄せ上げて本格的に愛撫に入る。  
片方を指が、片方を舌が這い、そのどちらもが尖った先端をゆっくりとなぞり押し潰す。  
己の両胸に顔を埋める男の髪と、その存在自体が妙にこそばゆくて軽く酔わされる。  
緊張で固まっていたセレスの唇からは、やがてゆっくりと甘い吐息が漏れ出した。  
「そうだ鳴け」  
勝ち誇った言い方にいちいち苛立つと疲れるのでやめた。  
胸を弄んでいないもう一方の手が過敏になった肌を容赦なく撫で回してくる。  
少々手荒な動きに体中が上気して薄く桜色に染まり、だんだんと疼きだし、耐えられなくなって身をよじる。  
「…!」  
突然まだ触れられていなかった下腹部の茂みを撫でられ、思わず仰け反る。  
手の主からはくくく…と悪者丸出しな笑い声が漏れた。  
「感じてんのか。俺を」  
ざらつく舌が腹部の方へとゆっくり、楽しみながら這い降りていく。行き着く先を想像すると思わずシーツを握りしめた。  
「テメェが殺した奴に乗っかられてるってのはどんなもんだよ」  
「…っ」  
嫌味たっぷりの挑発的な物言いに反射的に睨みつけと、顔を上げたアドニスと目が合った。  
「いい目だ」  
こんな時だけ満足げに褒める。  
乱暴に割り広げられた脚の付け根に、かつて死闘の末に自分が斬り落とした頭部がたどり着く。  
そう考えると確かに狂気だと思った。  
「はぁ…んっ、・・・」  
全身がびくりと波打つ。秘所への愛撫が始まったからだ。  
長い指は濡れた秘部を抜き差しし、関節を幾度も曲げ、頃合いを見ながら本数を増やしていく。  
そこにさらに舌がねちっこく加勢する。  
舌と指、そして唇が執拗に花弁とその奥、そして芽を攻め立てる。  
「あ・・・あ、ふっ・・・う・・・っ」  
その絶え間なく連続する行為にだんだんと熱を帯びて汗ばむ身体が、抑え目の嬌声とともに反り返る。  
軽くイきそうになるのを感じて慌てて抗う。  
もっと劣情をぶつけられるだけかと思っていたせいもあり、度重なる予想外の展開に思考も停止気味になっている。  
自身がもう充分な程に濡れているのがわかる。  
「あっああっんっやだっ…ひあ…・・・ちょ・・・も――――もういいからっ…」  
「遠慮すんなよ」  
完全に事の主導権を握っているせいかすごぶる機嫌がいい。秘所を弄ぶ指はそのままに、  
また覆いかぶさってきて豊かな乳房を再度口に含み、口内で何度も舐めあげる。  
 
「や・・・・・・・・・・・・・っ、あっ、は・・・待っ・・・、・・っ」  
声を必死で飲み込むが、どうしても漏れゆく。ついに軽く達して、ひときわ高く艶やかな嬌声をあげた。  
「へえ」  
恥じらって顔をそらすが、歪む美眉に下卑た笑みが近づいてくる。  
「案外いい声で鳴くもんだ」  
「勘弁してよ…鎧脱いでまで斬鉄姫やってられないわ」  
生理的な涙で潤んだ表情は色艶を増し、前戯によりすっかり準備が整っていることを告げていた。  
アドニスは超ご満悦状態で体勢を変える。  
「挿入るぞ」  
宣言されて思わず固まる。  
アドニスは目の前にある長い脚を大きく押し広げ、くびれた腰をつかんだ。  
入り口に、十分にたぎったそれを押し当てる。  
「はっ、―――っ…、ああ…」  
首筋には紅い小花をいくつか咲かせながらも、下の方では花園をかきわけて緩慢な速度で奥へと侵入してゆく。  
「ああ、はあっやあ…っんんっ……」  
ずっ、ずちゅ、…ずっ…  
会話がないので、卑猥な水音が嫌でも耳に届く。  
緩やかな侵入速度がかえって熱をはらみ、身体も気持ちも押しあげられるように高められる。  
挿入を促すように熱い蜜があふれて肌をつたい行く。  
「ああっ…や・・・ん」  
セレスを乱れさせている主は、彼女の片目にかかる髪をかき上げ、快楽に翻弄される彼女をにやつきながら見つめている。  
普段は髪に隠れて見えない右目が、うつろに開いたりぎゅっとつむったりを繰り返す。  
首筋に這わせる舌が耳元まで登ってゆき、耳朶に熱い息を吹きかけた。  
「や・・・っ!」  
下からくる快楽への対応だけで精一杯なのに耳にまで不意打ちをくらい、身体が弓なりに大きく仰け反った。  
視線が絡む。新しい生を与えられたとはいえ、かつては侵略され行くラッセンを舞台に死闘を繰り広げた間柄。  
既に正気ではないと思っている。自分も、相手も。  
ただ、燃え尽くすかのように熱い。  
「あああぁっ!・・・あぁ―――」  
突然激しくなる律動に声も息も荒くなる。恥じらう余裕などもう何処にもない。  
充分に慣らされた身体は荒々しく突き上げられるのをまったく拒絶しなかった。  
振動で両脚ががくがくと揺さぶられている。  
突かれる度に恍惚の波が押し寄せてきてもう何がなんだかわからない。  
ただこの男の前で意識だけは手放せないため、自分を失わないようにシーツに必死でしがみついていた。  
「―――――っ・・・」  
自分が昇りつめたのがわかった。  
動きが止まった。お互いの荒い息遣いだけが響く。  
深々と奥まで貫いていたそれが撤退を開始した。非常に緩やかな速度で引き抜かれていく。  
狭い空間を満たしていたものを喪失していくのはまた堪らない快楽が生まれ、達したばかりだというのに甘い喘ぎ声をいっそう促す。  
陰茎が完全に膣から出ると甘美な感覚は余韻を残しつつも去り、身体中からくたりと力まで抜ける。うなだれた首が力なく横を向いた。  
「フン…」  
そんな彼女を確認するとアドニスは鼻を鳴らし、束縛を解く。  
勝った。という顔をしている。  
アドニスに斬られて倒れた者はもれなくこのギラついた眼光に見送られる定めなのだろう。  
命のやり取りではなかったとはいえ――――私も例外ではない、か。  
 
わかっていたこととはいえ少々物悲しい気持ちになる。行為自体は悪くなかったので余計。  
暴力で支配する陵辱より快楽で喘がせて優越感に浸る方をとった、この男にとってはそれだけのこと。  
終わった。思っていたよりずいぶん普通な交わりだった。  
腹の上にぶちまけられた白い液体がつうと滴る。  
「…なんだそのツラは」  
つい顔に出たのだろうか、あわててそらす。  
「別に」  
「ケッ不満かよ。人が死ぬ程気ィ使ってやったってのによ」  
輝かしい勝利に彩られていた表情が、あっという間に不貞腐れて曇った。  
「…」  
理解するまで数秒を要した。  
「え?今のそうだったの?」  
「てめ本当むかつく…」  
征服欲だけのための行為かと思ったのに、どうやらこの男なりに一応かなり気遣ってくれていたらしい。  
そよぐカーテンの向こうは月の輝き出した夜。  
「チッ・・・テメェはいつもそうだ。無様にぶっ倒れたくせにすがるような情けねえ目で俺を見上げて惨めったらしく  
くたばりやがる。知ったことか!一人にするなだの何だの俺に言うな俺に!」  
何だかえらく話が飛ぶ。セレスが戦闘不能になった時のことを言っているようだが。  
身体が動かなくなったせいでつい、『私を一人にしないで・・・お願い』とか本音がこぼれてしまったあれだ。  
なんにせよ格好のいい思い出ではないのであまり話題に出してほしくない。  
「・・・・でも別にそれ、あなたに言ったわけじゃないわ」  
「目の前でほざけばみんな同じなんだよッ!!」  
何でここでその話が出てきて、何でそんなに怒っているんだろう。  
相手がよくわからないのはお互い様、か。  
気が抜ける。  
ちょっと会話を交わすだけで悲観的に見えていた世界もずいぶんと変わるものだ。  
とはいえ一連の会話で、黒光将軍前任者は不機嫌全開モードに突入している。  
困った。下手にご機嫌を取ろうとするとまたケンカに発展しそうで会話が怖い。  
流石に本当は優しい言葉や口付けがもっとほしかったとか、そんな本音は伝えられない。眉間にしわを寄せる。  
ここまで思って、また新たな選択肢が浮かんできた。  
言ったら。  
言ったら、伝えたら、どうなるのだろう――――?  
湧き上がる誘惑としばらく対峙していたが、数秒後には軽く頭を振って霧散させる。  
どうせ嫌がられるのは目に見えている。  
大きな賭けに出るよりも、今、この許された時間を自分に刻みこむことに集中しよう・・・  
「もう、わかったわよ。私も頑張ればいいんでしょ」  
ぶうたれていたアドニスを頑張って押し倒してみた。ベッドがぎしりと悲鳴を上げる。  
「おい!勝手に・・・」  
驚いたのか、下になるのが気に入らないのか抵抗しようとするので、  
「いいじゃない。嫌なの?」  
ずいと顔を近づけてみる。  
整った顔立ちに月夜の影がかかると、妖艶という言葉がぴったり当てはまる。  
「……」  
数秒間だが目を奪われてしまった自分に苛立ったのか、アドニスは心底嫌そうに舌打ちした。  
「チッ…好きにしやがれこのド淫乱」  
「もうほんと口の悪い…」  
何とか同意は得られたようだ。  
 
とりあえず一度まともな口付けをしたかったのだが、まじまじ顔を見ていたら「あぁん?」とガンを飛ばしてきたので諦めた。  
眉をひそめつつも、初めて男のそれにふれる。  
グロさに戸惑うものの、男にとって至極大事なものだとはわかっているので、指の腹で触れておそるおそる持ち上げる。  
「やったことあんのか?」  
「ないけど。頑張るわ」  
前向きな返事をしたのに思い切り嫌な顔をされた。  
「おい…歯ぁたてんなよ」  
される本人の方が緊張している。  
「擂り潰すなよ」  
「ちょっと…なに本気で心配してんのよ」  
「ボディパ「しつこい!!」  
そんな会話をしながらも今こうしてそれを許されている。  
以前とは比べ物にならない程狭まった距離を感じた。  
先端を舐め上げ、舌をつうと這わせる。  
本当に、この男は。  
私のことをどう思っているのか――――  
などと浸りつつ行為に没頭する前に、熱の冷めやらないそれはあっという間にソウルエボケーション再発動寸前に至った。  
…。  
早い。  
その回復をまじまじと凝視する。  
「なんていうか…ほんといろいろとタフよねえあなた」  
「うるせぇ!誰のせいだ!」  
視覚的な要因もかなり大きかったのだが、それを口にする男でもないし、気づける女でもない。  
「とにかく動かないで」  
「…やるなら早くしろよ」  
少々諦めも見える。  
跨ると、そろそろと慎重に腰を沈めていく。  
「ん・・・」  
挿入角度の違う初めての体位は、感じる快楽もまた真新しい。  
「あっ、…っ」  
揺れる胸をわしづかまれて揉みしだかれる。  
正常位よりずっと深く挿入ってゆく体位なのだと初めて知った。  
根元まで飲み込んでしまった体勢は既に限界に迫っていて、律動もままならない。  
考えが甘かったことを知るが気づいたところで今更どうしようもならず。  
動かなければいけないのに、既に飛びそうな意識を感じてぎゅっと目をつぶる。  
熱い。  
「ちょ・・・待っ…て…」  
「待てっ・・・て、おい・・・!」  
すべて咥えこまれて中で強く締めつけられてはアドニスの方も余裕が薄れる。  
「くっ…!こらっんなとこで止まんな…っ!」  
有無をいわさず腰を固定され激しく揺さぶられる。  
「やぁっ!ちょ、バカっ」  
予想外の猛攻にバランスをくずし後方によろめいたが、二の腕を乱暴につかまれると引き寄せられ、  
起き上がってきた厚い胸板の中にしっかと抱きとめられる。  
「やっ、いやっ!待っ――あああぁっ!!」  
後頭部と腰をわしづかまれて乱暴に腰を打ちつけられる。  
行き場のない両腕は背中に回してしがみつくしかない。  
荒々しい突き上げに耐え切れず、肌に爪を立て身悶える。  
 
「ああっ、あん!は・・・っ。はあっ、はあ、は、ああっ!!・・・・・・・アドニ・・・ス・・・っ」  
波に翻弄されてうわずる声で久しぶりにその名を呼んだ。  
抱き合った状態のため顔を見られないことに安心して、汗で短い髪の張りつく男のうなじに唇をよせて甘える。  
向こう側でアドニスに微妙な変化があったことには気づけず、ただ心音が伝わらないことを祈っていた。  
結合部からは淫猥な音とともに蜜があふれてほとばしり、さらなる交わりを潤滑にする。  
一度目より、ずっとずっと奥まで食い込んでくる―――  
「はっ・・・、はあっあ・・・んん・・・・・!!」  
全身がぶるるっと震える。  
「・・・っもう、ダメ・・・・・!気が・・・変に・・・っ」  
絶頂寸前のセレスをさらに強く抱きかかえ、大きな動きで一突きする。  
「ああぁっ―――――!!」  
快楽が結合部から頭上へと一気に駆け抜けていった。  
最早ひとかけらの戸惑いも持ち合わせない高い声を上げる。  
絶頂を迎えた後はしがみつく力さえも失せ、アドニスにぐったりともたれかかるだけとなった。  
抱きかかえたままセレスをベッドに降ろすと、攻め立てていたそれを引き抜いて白濁液を放つ。  
そうして一つ大きな息をつくと、自身の身体をセレスの横にごろんと投げ出した。  
お互い荒い息つぎで忙しく、しばらく会話が途絶えた。  
「くそ…ったれっ…何なんだ・・・すげーイイんだよ…っ手前っこの馬鹿…むかつく・・・死ね…畜生」  
切れ切れに何か言っているのが耳に届いて、こっちまで恥ずかしくなる。  
良かったのなら幸いだが。  
身体が離れてしまうと、夜の冷たい空気が急激に身体を冷やす。何だかさびしい。まだお仕舞いにしたくない。  
寄り添ったら訝しまれるので、  
「もうおしまい?」  
と呟いてみた。  
驚いたのか目を見開く。二秒後にはゆっくりと――無駄に闘志を燃やして覆いかぶさってきた。  
単純である。そこがまたいいのだけれど。  
「上等だ…腰くだけても知らねえからな」  
「いいわよ。できるものならね」  
挑発を装って頬に触れる。  
その時。  
つい、ほんの少し微笑んでしまったのが崩壊の始まりだった。  
 
それは通常の男女関係であったならば、柔らかで優しくあたたかで、男を溶かしてしまうものだったのだろうが―――  
アドニスには違った。  
刹那。  
まるで何かのスイッチが入ってしまったかのように、急に赤い目がギラついた炎を宿して燃え上がる。  
頬に添えられていた手が乱暴にはねのけられた。  
「え……」  
突然空気ががらりと変わった。明らかな敵意。異質なものを凝視する目。状況が理解できずセレスは固まる。  
「さっきから…」  
吐き出される言葉には殺気の刃が仕込まれている。  
「なんかおかしくねえか?テメェ。その目…それは俺を見る目じゃねえよな…」  
しまったという後悔が顔に出るのを止められなかった。何でこんな時だけ察しがいいのだこの男は。  
沈黙。  
「…・・・・・・まさか俺に惚れちまったとか言わねえよなあ斬鉄姫?」  
口端を歪め、否定しろと言わんばかりの問いを投げ付けてきた。  
冷や汗がにじむ。息がつまり胸の鼓動が激しくなる。  
早く否定しなくては。せっかくうまくすべてがいきかけているのだ。  
このまま穏便に朝を向かえて別れ、この歪んだ関係の終焉を迎えるのだ。  
頭ではそう思う。  
けれど、出来なかった。  
「…そうじゃなきゃ・・・受け入れなかったわ」  
そう答えてしまった。  
アドニスが発していた強烈な殺気がゆるゆると消えていく。  
代わりに残ったのは、明らかに彼の中で自分の立場が悪いほうへ堕ちていった現実だった。  
「まさかテメェが俺に何をしたのか忘れたわけじゃねえよな」  
急激にトーンの落ちた冷めた声。闇で顔は見えないがどんな顔をしているかは予想がつく。  
暗がりの中で心底からの重いため息がした。  
「こんなイカれた女だったとはなあ…」  
一言一言が突き刺さるが、反論の余地が無い。  
「つまんねえこと言いやがるから萎えちまった。  
ま、テメェにもう用はねえ…  
勝手に何処へでも行きやがれ」  
セレスの好きになった男は面倒そうにあくびをすると、彼女に背を向けて寝てしまった。  
与えられたかすかな時間はあっという間に終了を告げた。  
 
 
 
闇が濃くなり、月や星がいっそう引き立ち、地上に光を落とす。その輝きも彼女の瞳には今映らない。  
隣から一人分の寝息が響く。さっき白く薄い掛け布団をかけたが何の反応もなかった。  
――――私も寝なきゃ。明日からはまた旅になる。  
これから何処へ行こう・・・・・・ゾルデかなあ、やっぱり。そういえば何も考えてなかった。  
結局はこの男のことばかりで。  
身体はまだ熱を持ち、肌を撫で回す手のひらや、ざらついた舌の感覚が残っている。  
その熱を与えた男の腕に抱かれてうとうとと舟を漕げるなら至福の時なのだろうが、あのように言われて  
しまった後ではつらいだけの感覚。斬り落としてしまいたい程に。  
ここまで考えて己を嗤う。  
そんな男か、と。  
それにしても痛い。苦い。せつない。情けない。気を許すと泣きそうだ。いっそ消えてしまいたい。  
こんな思いは前の生でも経験がなく、対応しようにもできない。ただ痛みに耐えるだけだ。  
身体に負傷を負うよりずっと深く、心の内部まで裂けた気がする。  
認めたくはないが、多分私は自分が思っていたよりずっとこの男を―――――ということか。  
思わす自分を嘲笑う。  
馬鹿みたい。  
彼の言うとおり。あんな殺し合いをした相手を好きになるなんて狂気の沙汰だ。  
何故有り得ない奇跡を期待なんてできたのだろう。  
あるはずもないのに。  
「・・・」  
こうして横たわっているとあの空虚な二年間を思い出す。  
実の妹に負け、故郷やラッセンを捨ててまでついた国は無残に崩壊した。  
傷ついて自由にならない動く度に忌々しくきしむ身体だけが残った。  
エーレンもクレセントも、エルドも、みんないなくなった。私も多分もうすぐ。  
たまに顔を出すのは生き残ってしまった、あの本を持っていない、自分を見降ろす哀しげなゼノンの顔―――  
後悔などはしていない。ただ、思い出すのは息のつまる、どん底の孤独。  
そしてまた、みんな行ってしまった。今回はゼノンも。そして彼も、もうすぐ。  
残るのは私だけ―――  
 
 
 
街が寝静まった後も眠れずに天井を見つめている。  
胸がいろんなもので満たされていて空腹感さえ薄い。  
あの時強引にでも食事に行ってしまえば良かったと今更ながら思う。  
店に悪いことをしたな。エーレンとクレセントにも。  
せっかくお膳立てしてもらったのを無駄にした後悔と罪悪感がつのる。  
・・・・・・。  
それにしても・・・隣にいる男。  
さっきからそれはギャグでやってるのかという程の下手くそな狸寝入りを続けている。  
辛辣な拒絶の言葉を吐いたとはいえやはり動揺しているのだろう。  
気持ち悪いとか思っているのだろうか。“殺したい女が信じられない勘違いをしていて――――”想像すると泣きたくなる。  
もうこの場から去った方がお互いのために良さそうだと思った。  
静かに起き上がり、最後に少しだけその髪を撫でさせてほしいという気持ちを抑え付けて、  
好きな男の耳元に向けてそっと呟く。  
「さよなら・・・」  
そしてベッドから出ようとした時。  
ものすごい勢いで横から腕が伸びてきて、セレスの腕を掴んだ。  
「え」  
ぎょっとして振り返る。顔と身体の位置は変わっていないのに、腕だけがこちらに向かって伸びてきている。  
無言。  
そしてまたいびき。  
「……」  
セレスの眉間にしわがよる。  
「やめてよ。もう終わったんだから」  
あまり聞かれたくない震え声を絞り出して拒絶する。抵抗する腕に力が入らない。それが悔しい。  
アドニスが面白がっているとしか思えなくて、それがまた苛立つより悲しい。  
「放して」  
いくら惚れているとはいえ、されるがままになる気はない。  
「いやだってば――――!」  
こん身の力で振り払うことに成功し、その場から逃げ出そうとする。  
直後にまた腕を掴まれ、今度は身体ごとぐいと引き寄せられて自由を失う。  
いつの間にか起き上がっていた身体に抱きとめられた。  
 
一瞬呆然としたが、すぐに困惑と苛立ちが頭を支配して表情に歪みを与える。  
何故。  
何故抱きしめる。  
何故今更そんなふうに。  
包むように抱く―――――――  
こんな状況でも、どこかで胸を高鳴らせてしまう自分がいる事実を思い切り軽蔑する。  
でも駄目だ。  
そんなに強くは抱かれていないのに、抵抗したくてもうまく動けない。  
拒絶を叫ぶために開こうとした唇が一瞬でふさがれる。  
「う――――」  
熱い舌が先刻とはまた違う侵入をしてきた。  
軽い音を立てて離れ、ひと呼吸後にまた啄ばんでくる。  
「ん…」  
激しさが失せた分おかしな甘さが口内に広がり、それが頭にまで届き、意識に霧をかける。  
歯列をなぞりその奥で静かに絡む。それがまたささくれ立ったセレスの心をとかす。  
時間をかけた穏やかで長い口付けが終わると、セレスの唇を親指でぐいと拭った後、己の口元を腕で拭った。  
「いいんだろこれで。ったく・・・いちいち喚くなよ」  
「・・・・・・何がいいのよ・・・」  
逃げる気が失せたのがわかったのだろうか、ふうと息をつく。  
「ふてくされてんじゃねーよ。クソが……」  
気まずい空気に押されてか、いつもの暴言にも力が無い。引き止めたものの何を言っていいかわからないのであろう、  
明らかに困惑している。  
ならあのまま行かせてくれれば良かったのに・・・と思いつつ、もうこれが最後ならという諦めが、言葉になって口から出て行く。  
「困ってるのね。面倒なことになったって」  
反論されないうちに言葉を紡ぐ。  
「わかってるし何も言わなくていいわよ。一緒にいたいなんて誰も言ってないでしょ?  
あなたには悪いけど、どうしても伝えたかったの。それだけよ。気持ち悪い思いさせてほんとに悪いけど。  
私もう行くわ。準備して、明日には発つから。だから安心して眠っていてよ。  
ま、正直あなたがあのでっかい剣構えて追っかけてこないって約束してくれただけありがたいわね」  
痛む左胸にそっと手を添える。  
「こんな変なの、そのうち・・・すぐ、消えるから」  
「…」  
普段はアドニスの方がわめいているので、独壇場でしゃべればしゃべる程、強がりだと見透かされている気がしてせつなくなる。  
「笑わないのね。もっと嘲笑われるものと思っていたけど」  
「何処を笑えばいいんだよ面白くもなんともねえ」  
あんまりきっぱり切り捨てられたので思わず苦笑する。  
「本当は斬りてえんだよ。おい、今からでもいいから昔のギラついた全身刃物みてえなテメェに戻れ。ちょっと近づくだけで  
八つ裂かれそうな気迫まとった眼光を取り戻せ。そして俺をたぎらせて何の迷いもなく斬らせろ」  
まだ言うかこの男は。  
「無理。」  
「即答かよ!!」  
「無理よ。わかってるんでしょ。――――あなただってちょっとは悪いのよ?」  
己でも責任転嫁だと思った最後の一言は怒りを誘うかと思ったが、意外に効いたようで、口ごもる。  
身に覚えはあるようだ。  
また重々しい沈黙が訪れる。さっきから何度目だろう。  
いがみ合いながらもなめらかな会話ができたエインフェリアの頃はやはり特殊な時間だったのだと思う。  
「右目…」その沈黙を割って、アドニスがぼそりと呟いた。  
手が伸びてきてセレスの前髪をかきあげる。  
セレスの両目に手の主が映る。こうしてちゃんと両目で見たのは初めてかもしれない。  
「首落として足蹴にしてやった時に初めて拝むはずだったのに―――何だよこれ。  
払いのけるどころか拒絶すらしやがらねえ」  
 
「あなたって人はそこまで…どうしてもそれが望みなの?」  
その問いかけを最後に、ただお互い見つめ合うだけの時間が過ぎてゆく。  
そんなに見つめるのならもう斬るか抉るかすればいいのにとさえ思う。  
アドニスの方が先に、ため息まじりに目を伏せた。  
「いや…もう…今は…笑えねえだろうな、テメェなんぞの首が転がっても」  
「ああ…そうね今の私じゃね」  
自嘲の笑みを浮かべるセレスに抑揚のない呟きが漏れる。  
「そうじゃねえよ。そういう意味じゃねえ」  
けだるく閉じかけていた目が思わぬ否定に見開いて、再度二つの赤い目と視線を絡める。  
「どうして…そんなに見るの」  
「テメェが見てるからだろ」  
ミもフタもない答えが投げ返される。  
「何なんだよテメェは・・・」  
低いうなり声で問われた。  
今更睨まれて何なんだよと言われても困る。既に気持ちは伝わっているはずだ。  
悲しい気持ちの上にいくらかの悔しさが広がって、投げやりな気持ちでこう答えた。  
「・・・私だって女なのよ。・・・好きな男の前で女になっちゃいけないの?」  
直球で投げつけられた言葉に目の前の男が思い切りドン引いた。  
こいつ言っちゃったよとモロに顔に書いてある。  
あまりに気まずくあまりに重すぎる沈黙が部屋を完全に支配する。  
セレスは半ばやけくそな心持ちで、うつむいた状態からそっと上目遣いで相手を覗き見た。  
・・・何だか様子がおかしい。忙しなく視点が彷徨い続ける。明らかに喉元まで出かかっている言葉と格闘しているようだった。  
「クソッ!何でこんなことに……」  
 
そしてアドニスはついに―――――  
 
「あああぁあっ!!!!だから!おかしいだろが!!テメェはっ!!!」  
いつも通り逆ギレした。  
 
「おかしいだろ!!?俺らはもっと殺伐としてなきゃあ!!」  
「そうね・・・おかしいわね」  
セレスがあっさり認めるとぐっとつまったが、次の瞬間にはさらに大声を張り上げた。  
「何でだよ!!お前は俺を死ぬほど嫌ってなきゃおかしいだろ!!?こんな斬るだの殺すだの言いまくってたんだからよ!!  
そんなありがたい展開突然突きつけられてもどうやって受け入れりゃいいんだよ!!」  
「・・・」  
「・・・」  
「・・・えっ?ありがた・・・「ああぁああ畜生がぁっ!どいつもこいつも何勘違いしてんだか知らねえが頑張れだの素直になれだのうざってぇええ!!」  
いきなり飛んだ話の内容とファビョニス完全体の出現についていけず、つい怪訝な顔になる。  
そんなセレスを見てアドニスはものすごい勢いで頭をかきむしる。  
「だから!」  
「・・・だから?」  
「だからッ!!・・・ただ…ただだな、いいかよく聞けよこのクソったれが、その目の光が消えちまったらそれはそれで…」  
突きつけた人差し指が軽くセレスの額に当たる。  
いつもなら睨み返してくる瞳が潤んで、月光を宿して揺らぎ、艶めいている。  
そこまできて、アドニスはやっと観念した。  
「チッ…察しの悪ィ…  
 
――――――――――――――――――――――――俺もイカれてるってこった!!!これでいいか豚野郎!!!!!!!!」  
「……」  
訪れた奇跡に呆然としたまま動けない。  
夢かと疑うには現実味があり、現実だと信じるにはあまりにも夢のようで。  
口がやっと言葉を紡ぐ。  
「え・・・と。そ・・・れは――・・・「だあぁああっ!!知るか!とりあえず、明日!明日だ続きはっ!もう寝ろ!!」  
凄まじい剣幕で顔面クローをしてきて、そのままベッドに投げつけられた。  
「え?私明日発つってさっき言「「  黙れ!! 死ね!! とっとと寝ろぉおっ!!!!!  」」  
口封じとばかりに頭を枕に押しつけられる。  
苦しいのに何故か笑いがこみあげてきて、知らぬ間に笑っている。  
心の中で張りつめていた何かが溶け出して、ゆっくりと、あたたかく広がっていく。  
数滴の涙が優しく枕を濡らした。  
手を離したアドニスがふうと息をつく。  
「…おいテメェ」  
「なに」  
こちらを向いたセレスの前髪を再度かき上げる。  
「何処へ行こうが勝手だがな――――俺から逃げ切れると思うなよ」  
それはいつもの聞き慣れたフレーズだった。  
何て諦めの悪い粘着な男だ…そう、ずっとうんざりさせられてきただけの言葉。  
いつもなら呆れて冷ややかな流し目を送るだけのその台詞が。  
何故だろう。変な気持ちだ。まったく変化しない同じ台詞なのに。  
胸をいっぱいに満たす。  
そして、セレスは初めてこのお決まりの台詞に返事をした。  
「覚えておくわ」  
その顔からは先刻と同じ、好きな男に注ぐやさしい微笑みがこぼれる。  
二つの瞳に映る男は視線を外して舌打ちした。  
 
 
終  
 

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