■そして彼は自分を殺す  
 
  床に血だまりが広がっていく。  
 その中心は、まだ若い男だ。四半世紀も生きていない美しい顔は血の気が失せ、眼鏡がひび割れていた。手袋をはめた手が伸びる。  
 全く同じ顔の男へと向かって。  
 同じ顔、同じ声。衣服だけは違い、立っている男は青い服をきて、手を血にぬらしている。  
「貴様は……貴様は」  
「レザード・ヴァレス」  
 美しい声が響いた。死にゆく男はうなずいた。  
「そうだ……私も、お前も同じレザード・ヴァレス。  
 否、違う。この世界にあるべきレザードは私であるはず。  
 貴様は肉体すら、魂すら持たぬただの情報の欠片。  
 それなのに、何故、貴様が私を上回る……」  
 忍び笑いが響く。立っているレザードは眼鏡を直した。  
「簡単ですよ。  
 
 あなたはレナスに会わず、私は出会ってしまった。  
 
 ただ、それだけの違いなのです」  
「レナス……レナス・ヴァルキュリア?戦女神の三姉妹か?確かに興味ある素体だが、それがどうかしたとでもいうのか……」  
「ふふふ」  
 心底おかしそうなのに、何故か啼いているような声だ。自分がそんな声を出せるなどと、レザードは信じられなかった。「そう、信じられないでしょうね。  
 この私が!  
 このレザード・ヴァレスが!  
 女神とはいえ女ごときに恋をしてそれに囚われ神にまでなり滅せられたとは!  
 そして未だに諦められず、賢者の石に自らの心を書き残し、ルーファスの支配する世界に自分が発生し、賢者の石を錬成する、そんな可能性に賭けたなどと!  
 笑い話です!  
 おかしくておかしくて……笑い死ぬほどだ!」  
 涙がこぼれていた。  
「……笑い話です」  
 血の海の中からレザードは手を伸ばした。「そのようなご託、聞きたくもないですね。せめてこの手で滅してさしあげましょう」  
「そういうだろうと思った」  
 レザードはレザードを見下ろした。「私なら、そうするでしょうね。  
 あなたは幸せだ。  
 レナスに会わず、この思いも地獄もしらず、穏やかに安らかに死ねるのだから……」  
「無様なっ!恋狂いのレザード・ヴァレスなど、私は認めぬっ!貴様こそ、この世界から消え失せろっ!」  
 詠唱が始まる。  
 二人とも全く同じ呪を紡ぎ、杖にほとばしる光の色まで同じだ。  
「……永遠に儚く」  
「セレスティアルスター!」  
 天より落ちる無数の光は、羽ばたきさえ伴って、この世のレザードの体と魂を打ち砕く。  
 最後に落ちた羽を拾い、レザード・ヴァレスは、物言わぬ屍となった己の目を閉じた。  
「安らかに眠りなさいレザード・ヴァレス。  
 レナスの姿も、声も、知らぬまま穏やかに。  
 地獄を見るのは私一人でいい……。  
 この恋を知るのも、私一人でいい……」  
 声は血の広がりとともに薄くなり、そして、たった四半世紀で恋ゆえに神となりその魂を滅ぼされた大魔術師レザード・ヴァレスは、還ってきた。  
 
■時は回り出す  
 人は死して魂となり輪廻を繰り返す。その前世がいかなるものであるかは、神すらも全て正しく把握はしていない。  
全ての人の魂を記憶し再生した創造神レナス・ヴァルキュリアであれば別かもしれないが、その彼女にせよ、  
今後ふえゆく人と魂全てを把握しきれるわけではないのだ。  
 そして、主神ルーファスをしていわんや。彼は未だ神としては幼く、荒れ果てた世界を再興するのに手一杯だった。  
誰が彼を責められるだろう。レザード・ヴァレスはルーファス達の世界では未だに生まれておらず、  
主神オーディンの死によって世界の可能性が分岐したときに、レナスの世界のレザードが滅したとしても、  
自分の世界でレザードとなるべき魂が存在しているということに気づいてはいなかったことを。  
 月日は流れ、レザードは生を受ける。こちらの世界のレナス・ヴァルキュリアにであう以前、賢者の石を錬成した。  
 その膨大な情報のなかに一つ紛れ込んでいたのが、あちらの世界のレザードが書き残した自らの魂の軌跡だ。  
魂を消滅させられてもなお賢者の石の中に心は潜みつづけ、そしてついに牙をむく。  
本来あるべき自らを抹消させて入れ替わった。ホムンクルスの体を奪い、実体を得る。  
 
 ただレナス故に。ただ盲愛ゆえに。  
 
「さて……今回は賢者の石もある、そして研究施設もある……。  
 だがあちらの世界にいったとしても、また繰り返しになるだけ」  
 レザードはつぶやいて外套を翻した。向かうは、亡失都市ディパン。  
 時の機械を動かして、百年昔にまた戻る。  
 
■騙された主神  
 だいたいこいつが生きているのも腹立だしいが、言ってる内容はさらに腹ただしい。つくづく不愉快な男だと、主神生活100年目、ルーファスは思った。  
「なんでお前が生きてるんだよ」  
「記憶と魂の一部を『賢者の石』に書き込んでおいたのですよ。あれを錬成すれば、自動的に私はよみがえります」  
 有り難いものになんつうことをしてくれやがったのだ。  
「それ破壊できんのか」  
「ドラゴンオーブの力くらいならなんとか。さて、冗談はともかく、本題に入りましょうか」  
 主神はなにも言わず吐息をついた。マジでこの男ならそれだけでやってのけそうだから怖い。なにしろ女神とはいえ女一人のために人間から神にまで上り詰めた男だ。念のために人よけの結界をはっておく。  
「で。何の用だ」  
「アリーシャを蘇らせたくはないですか」  
 自分の息が止まるのがわかった。  
「神々というのは勝手なものだ。自分の都合で世界を壊したり作ったり、人の定めなどなんとも思っていない」  
「貴様が言えた台詞か」  
「ふふ。私はより極端だっただけですよ」  
 自覚はあるのか。ルーファスはここまでやってこられた魔術師の技を評価して手を出していない。自分含め誰一人気づかせずにヴァルハラまで来たその実力は並の神族より上だ。  
「創造神レナス・ヴァリキュリアなら、アリーシャを蘇らせることができる」  
 ささやいた声にルーファスは拳を握った。  
「どういう意味だ」  
「そういう意味ですよ。我が愛しきヴァルキュリアは、全ての人間、全ての存在を理解し、それ故に己の身に取り込んで世界を再創造した。  
 一度レナスはアリーシャと同化しています。  
 アリーシャを再構成することは、レナスにとってたやすい話でしょう」  
「ではなぜあの時彼女はそうしなかったッ!」  
 たたきつけた拳の指輪が玉座の肘掛け石に当たり硬質の音を立てる。結界がなかったらフレイが来ていただろう。  
 
「忘れてたんですよ」  
 
「はあ?そんなことあるわけないだろーが!」  
「じゃ、聞いてみたらどうです」  
 水鏡が現れた。その中にはレナス・ヴァルキュリア……間違えようもない創造神レナスが存在している。あちらの世界のレナスだ。存在感からして違う。  
『そこで私を見ているのは誰だ!』  
「まて、俺だ、ルーファスだ!」  
 切っ先を向けられ、鏡の中とはいえあわててルーファスはとりつくろった。  
『ルーファス?ってむこうのあなた?  
 どうしてこちらと連絡ができるというの?』  
「それはともかく、レナス、聞きたいことがある。  
 あんた、アリーシャの再生はできるのか?」  
『ええ。それが何か?』  
 
「それが何か、じゃ、ねぇだろぉぉぉぉぉがぁぁぁぁぁぁ!」  
 
 結界内に空しく主神ルーファスの叫びがとどろいた。「あんた、俺の思いも、アリーシャの思いも知ってて、そーれーでー黙って帰ったってのか?  
 自分の世界さえよけりゃそれでいいのか、ああ?」  
『あー……いや、まってくれ、すまん』  
 創造神は羽根飾りをなおした。  
 
『忘れてた』  
 
 流石レザード・ヴァレス。だてに変態眼鏡ストーカーフィギュアフェチの称号は戴いていない。レナスのプロファイリングはばっちりである。  
「忘れてたじゃないだろ忘れてたじゃ!  
 今すぐ返せすぐ返せ!  
 アリーシャを返してくれぇぇぇぇぇええええっ!」  
『すまん、ほんとうに申し訳ない。  
 彼女の働きを考えたら、魂と肉体を再生してしかるべきだった。  
 今すぐ再生してそちらに送るから、送り方を教えてくれ』  
「え」  
 思わずルーファスはレザードの方を見た。彼は頭を振って口に指を当てている。黙っていろということだろうか。  
「あー、いや、それはちょっと俺もわからん。そっちでなんとかできんか」  
『できるわけがない。だってお前、そちらから接触できるのだから、そちらでなんとかできるものなんだろう?この水鏡だってそうだし』  
「いやこれはレザードが作った」  
 あーあとつぶやくレザードの前で、レザードが何故、違う話を聞いてくれ、私はだまされんぞニーベryときて鏡が壊れた。「あ、あ」  
「だから話すなといったのに」  
「又水鏡作ってくれ!」  
「作る端から愛しのレナスが壊してくれています。レナス、貴女は輝く破片の中でも美しい」  
「陶酔してないで正気にもどれよ!」  
「これでお解りでしょう。我が女神は、昔から一つの事に集中、特に私の事となると見境がなくなります」  
「そらそーだ」  
「だから私との戦いを終えたらすっきりして、アリーシャの事なんか忘れてたんでしょうね。つくづく神というのは身勝手なものです。レナスは私がいなかったら今頃消滅していたというのに、礼の一つもない」  
 その分析はどうかと思ったが、レナスの忘れっぷりはそのとおりなのでルーファスは黙った。だいたい礼の一つくらいしてりゃレザードがひねくれて過去で大騒ぎすることもなかったかもしれない。  
「さて。私の水鏡ではいけませんが、あなたの作るものなら別です。作り方を教えてさしあげる、といったら?」  
「交換条件はレナスか」  
「いいえ」  
「帰れ。って今いいえって言ったの?」  
「ええ。貴方にレナスをどうにかしてくれと頼んで、彼女が私を愛してくれるわけがないでしょう」  
「そこまでわかってて、なんでレナスにこだわる」  
「私も正直嫌気がさしてるんですよ。自分でいうのもなんですが、オーディンにすら匹敵する魔力と、それ以上の頭脳。これをもってすれば素晴らしい魔術の研究が成し遂げられることでしょう」  
 前向きなレザード・ヴァレス。嘘だ。「大体あそこまでされたら私も懲ります」  
 懲りるという文字がこいつにあったのか。「自分が情けなくなった。会って一年も経たぬ女神の為に、何故私がここ迄固執するのか?それはこの頭脳と魔力の無駄ではないのか?」  
 この男にその魔力と頭脳が無駄なのだが、その力が有効活用されたら半端ではない幸福を民衆にもたらすであろう。「そう考え、私は隠遁して魔術の研究に没頭しました」  
 専門用語でいうとふられてふて腐れて引き籠もったともいう。「しかし!呆れ果てた事に、寝ても覚めても浮かぶのはレナスの顔ばかり!忘れようと研究に没頭すること二百年、それでも私の心を虜にし続ける女神よ、汝は一体何者か?  
砂漠を彷徨う旅人が水を欲するが如き餓えに二百年苛まれ、遂に私は悟った!」  
 この演説の間ルーファスは枝毛を二本見つけて捨てた。レザードは美声の無駄遣いをしている。「我が魂は女神とともにあり、繋がりを絶たんとすればこの身を裂いても不可能なことに!」  
「二百年考えたんなら諦めろよ!」  
「諦められるもんなら諦めてますよ!大体貴方だって百年たってるのにまだアリーシャと!」  
「俺の場合は彼女と両思いだからいいんだ」  
「相手死んでるんだから不毛もいいところじゃないですか」  
「生き返るってお前が言ったんだろうが!」  
「今知ったんでしょう」  
「話を進めよう。なんで百年しかたってないのに二百年って?」  
「時間をループさせたんですよ。貴方の賽子に1が並び、僕の賽子に6が並ぶその日まで決して負けを認めず諦めない方向で」  
「それエロゲちがうから。そしてストーカーの執念はマジたち悪いから」  
「結構。かかっておいでなさい。私の意思の強さをご覧にいれましょう」  
「その意思と才能有効活用しろよ」  
「知るものか!例え神になろうと果てはせぬこの恋情を、一体どうしろとっ!」  
 吐き捨てたレザードの台詞はルーファスのある一点を貫いた。  
 神なればこそ、断ち切れない。  
「あんな事は認めない」  
「しませんよ。あと三百年、私を放っておいてくださればいい」  
「三百年?お前どんだけ頑張るつもりだ」  
「自らの力のみで創造神となる間」  
 ルーファスは絶句した。「それでも、レナスがお前に振り向くかどうか分からないぞ」  
「それでも私は存在せねばならない。それが世界の理なのです」  
「そんな理あってたまるか」  
「あるのですよ。主神ルーファス。子が親から離れていくがごとく、世界もまたいつか創造主から離れゆく。それ故の理です。また主神も一人ではおられず、傍らに侍るものを誤ればただ暴虐に走るのみ。  
主神の交代劇。こちらではうまく言ったが、あちらではうまくいかなかった。私は世界が作った調整弁のようなものなのですよ」  
 相変わらずこいつのいうことは理解できない。  
「で、水鏡の作り方は」  
「その前に、百年前のあなたに、私のことを説明して下さい。アリーシャにあう代わり、私の存在と研鑽を黙認してくださいとね」  
 細かい条件を詰めてから、主神は一歩を踏み出した。移送方陣は空間でなく時をわたり、百年前に戻ってきた。  
 

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