……こんな筈ではなかった。  
クリスは真上にシャーロックの端正な顔を見上げていた。  
シャーロックはこちらが引き込まれそうな真剣なまなざしでずっと見つめていたのに  
今、なぜだか目をつぶっている。  
だからクリスもどうしてこうなったのか、考える余裕が少しだけできた。  
確か、ブランデーをいれたお水を飲んで、それがちょっと強いみたいだった。  
シャーロックと久しぶりに二人きりで話して、舞い上がっていたのかもしれない。  
とにかく、椅子から立ち上がろうとしたらふらついて……そこをシャーロックが支えてくれて。  
でも、どうして今ベッドの上にいるのかしら。  
掴まれた両手が熱い。シャーロックも酔っているみたいだった。  
 
「クリス、俺を信頼している?」  
息がかかりそうなくらい間近にシャーロックの顔がある。黒髪がクリスの前髪に触れる。  
「ええ……」  
「じゃあ、俺はきっと君の信頼を裏切るべきじゃないんだろう。  
今すぐ、君を放して、紳士的に別れるべきなんだろう」  
言葉とは裏腹に、シャーロックは顔を近づけてくる。  
呆然としている間に、唇が重なった。  
「どうしてそんなに無防備なんだ、クリス」  
唇を離して、苦しそうにシャーロックが言う。  
「俺が本当に何を考えているか、分からないとでも?」  
シャーロックは唐突に身体を離した。  
クリスは戸惑って、起き上がった。唇に手を当てて今更ながら赤くなる。  
「帰ってくれないか」  
「シャーロック……」  
「俺たちの間に何かがあったとして、傷つくのは君のほうだ」  
シャーロックは扉まで歩いていって、開け放った。  
「さあ、お帰り、クリス」  
クリスは震える手で髪をなでつけた。ベッドから降りて、シャーロックの傍に歩み寄る。  
「わたしが、それでいいと言ってもですか?」  
「そんなことをいっては駄目だ……」  
シャーロックの瞳が揺れている。ああ、やはりこの人は強いのだけれど、時々、もろい。  
「お願いがあります」  
シャーロックの背中にクリスは腕を回して、抱きしめた。  
「綺麗だと言っていただけませんか? あなたには他に何も望みません…」  
「クリス…!」  
力強く抱きしめられる。少なくとも、今この瞬間だけは、この人はわたしのもの。  
 
クリスのおろした髪が広がる。シャーロックは髪をすくって、口づける。  
「君は綺麗だ。出会った最初からそう思っていた」  
愛撫は手馴れていて、優しい。クリスは息を詰める。  
何でもできる人だから、きっと女性の扱いも上手なのだろう。  
わたしは何もできないで、暖かな手のひらに安心して…どきどきしているだけ。  
煽られて、息があがる。  
「クリス、最初は痛いんだ」  
黙って、頷く。首に手を回して、シャーロックの身体を引き寄せた。  
決して結ばれることなどないと思っていたのに。  
痛みと熱が身体を貫いても、それはずっと心のどこかで望んでいたことだから。  
だから……大丈夫。  
 
シャーロックはクリスの寝顔をみつめながら、長い黒髪を撫でていた。  
神秘的な瞳が閉じたままだと、クリスは歳よりも若く、あどけなく見えた。  
身体全体を満たしているのは満足感だった。  
クリスに惹かれていることを自覚したのが、ずっと昔のように思える。  
俺はクリスを愛している。そして、クリスも俺を愛してくれている……  
誰かにクリスを譲ることなんて、考えられない。  
こうなった以上、俺は「薔薇色」の支援をしよう。  
クリスは最初は嫌がるかもしれないが、無理に働かせたくない。  
ドレスを作り続けるのはいい。だけどクリスはもっと楽に生きるべきだ。  
シャーロックは微笑んだ。幸せだった。  
貴族の令嬢との結婚が頭をかすめたが、無理に追い払う。  
……眠気が襲ってきた。  
 
クリスが目を覚ますと、シャーロックが隣で眠っているのに気づいた。  
記憶がよみがえってきて、クリスは赤くなる。  
わたしは何てことを言ったのかしら。  
それから、少しだけ悲しくなる。  
シャーロックの貴族らしいところがとても好きだった。変わって欲しくない。  
これからシャーロックが歩む道を考えると、今夜のことはきっと過ちなのだろう。  
引きずってはいけない。  
「綺麗だって言っていただけて、とても嬉しかったです」  
そっと寝顔にささやいた。  
でも今はもう少しだけ、このまま一緒に眠ろう。  
クリスはシャーロックに寄り添うと、再び目を閉じた。  
 

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