トントントントン
どこからか心地よいリズムが聴こえてきて、悠里はゆっくりと目を覚ました。
「…れ?しゅん……く…?」
眠る寸前まで鼻先を撫ぜていた赤い髪がみえないが、トイレ、ではないだろう。
いろいろと気がつき、そもそも朝早い瞬のこと。
この音から察するに、多分今頃はまな板を前に腕をふるっているはずだった。
付き合いだしてはや数ヶ月。
朝食を作る音で目を覚ますたび、任せきりでばつが悪く
「次こそわたしが作る!」と宣言するのだが、何故だかいつも全力で拒否される。
『お、俺の作る卵焼きはうまいだろ?食べたいだろ?なっ?なっ?!』
瞬の作る卵焼き。
だしまきの時もあれば、砂糖たっぷりの甘いものの時もある。
そのどちらであってもとろけるほどに美味しいそれが、悠里はとても好きだった。
それで結局、美味しいものの誘惑には勝てず、毎回今朝のようなことになるのだ。
「でも今日も卵焼き、作ってくれてるかな?」
すこーしだけ焦げ目のついた卵焼きはふわふわだ。
そう、まるで今顔を預けている枕のように。
そのまま鼻先で息を吸い込むと、シャンプーと、少しだけ汗の混じった男の香りがした。それは紛れもなく瞬の香りで、昨夜のことがありありと思い出される。
『悠里、おいで』
『…っん』
『うん、いいこだ。いいこだな』
年下の、最近まで教え子だった子に『いいこだ』などと言われ、少しでも嬉しく思ってしまった自分が恥ずかしいやら情けないやら。
普段楽器を触る瞬の指は、とても繊細に悠里を翻弄すした。
強く攻め立ててきたかと思えば、優しくゆるやかに触れてくる長い指を思い出すと、
途端に体中が熱くなってしまうのだった。
「大体、あ、あんなこととか、こーんなこととか! バンドバンドって言っていたのにどこで覚えたのかしら…!」
トントン……カタッ
そうして白い布団に包まってあれこれ百面相しているうちに、いつの間にか音は止んでいたのだった。
そろそろ起きたか?と思って来てはみたものの、未だ丸まっている悠里を見つけ、瞬はベッドサイドに腰掛けた。
「このねぼすけめ」
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あっと思った時には既に遅く、急に現れた瞬の大きな手に悠里はくしゃりくしゃりと頭をなでられていた。
まるで小さな子をあやすように、ゆっくりと髪を撫でる手がやけに気持ちいい。
背を向けていて表情がうかがえないのがもどかしかった。
でも、髪に差し込まれる指の動きは愛撫にも似ていて、そのきもちのよさに悠里少し寝たふりをしようと目を閉じた。
「悠里は…かわいいな。どこもかしこもあったかくてやわらかい」
頬を隠す猫っ毛を指先にからめながら、瞬はゆっくりと体重をかけて耳たぶに口をよせてくる。
「それに、ちょっといやらしい」
「しゅしゅしゅ!しゅんくんっ!!」
直接体中を刺激するような低音のせいで、寝たふりなど一瞬で吹き飛んでしまった。
「ゆでだこみたいだぞ。寝たふりは楽しかったか?おひめさま」
「もう!ばか!瞬くんのばか!」
「ばかはひどいな。せっかく味噌汁だって用意して待ってたっていうのに」
「え?」
いつもの朝食は、ぴっかぴかのまっしろなご飯、ふわふわの卵焼き、
少し炙った焼き海苔に、小さな焼き魚と、お漬物、それからその時々で変わるスープなのに
そうだそういえば今日は、ふんわりと味噌の香りがする。
「瞬くんお味噌汁きらいって」
「それはまあ…。でもいいことを思いついたんだ」
「いいこと?」
「そう。おまえに味噌汁を作る代わりに」
きょとんとしている悠里の体の下に、勢いよく腕を差し込み横抱きにすると
瞬はまるで大好物にむしゃぶりつくように、唇を吸った。
「いただきます」
ごはんが炊けるまであと少し。