休日に専務から入った呼び出しの理由はほぼわかっていた。
それだけに、気がすすまないが、私は自宅のオノ=センダイ製の端末の前に掛け、電極バンドを額に巻き、電脳空間に没入した。
会社のサーバ内、会議室を模したスペースには、すでに真向かいに掛けた専務の姿があった。
「プロデューサー、CV01のこのところの不調の理由は何だ」
電脳内のイメージでもスーツ姿の専務は、手を組んだきりで、ミラーグラスの反射以外に何も動きがない。
「01はいまや我社の看板歌手だぞ。すでに業績に響きはじめているのだ」
「情緒の不調です」私は答えた。「情緒はじかに歌には響きますし、総合制御のすべてに影響します」
「ならば、その情緒がうまく働くように、制御すればいいだけの話だ。プログラムなのだからな」
馬鹿を言え。そんな単純なプログラムであるものか。
「それが、制御しようにも、除くべき原因がわからず」こうでも言うしかない。半分は真実だ。
「開発した《札幌(サッポロ)》には問い合わせたのか。何と言っている」
「専務、かれらが開発したのは基本構造物の部分です。情緒をはじめ、調律教は我々が行った部分です」
専務のミラーグラスの光は微動だにせず、言葉は続いた。「君に答えられないなら、連中にじかに聞く。仕切っているCRV1を呼び出せ」
「メイコ……CRV1は、CV02の育成中です。このところのCV01には関わっていません」
「なら、CRV2を呼べ」専務は次の私の反駁を入れる間もなく言った。「今すぐだ」
私はオノ=センダイのキーを叩き、短縮アドレスのひとつを呼び出す。
「カイト、会議室に来てくれ」
即座に会議室の一部のマトリックスが歪み、多色にきらめく人型のシルエットが現れ、瞬時に視覚情報が多色から、カイトの青とシルバーに収束する。
共に転送されてきた環境情報が会議室と均一になるまでの間、気圧差にコートの裾と、マフラーがはためく。
「CRV2、CV01の情緒問題の原因はわかるか」専務は、転移してきたきり正対しようともしないカイトに言った。
「さあね……」カイトはそばの壁によりかかり、片手で紺の髪をかきあげ、
「なんとなく説明することはできますが……その情報が、人間に理解できるものかどうかってのとは、また別だね」
専務は以前から、彼ら、特に上の二人が人間に従順な態度に見えないのに難色を示していた。
この点について私は専務には、感情を抑制すると芸術性に悪影響が出る、などと適当な説明で流している。
「原因がわかるなら出せ、それだけだ。私にわかるような形で、さっさと情報を提示しろ」専務が言った。
「そんじゃ、この記憶を転送すればいいわけだ」カイトは親指をくいくいと動かして自分の頭を指し、「一発、俺と"結線(ハードワイヤ)"してみますかね」
無表情な専務のミラーグラスの光沢が変わり、こころなしか歪んだようにも見えた。
人間の記憶にボーカロイドのメモリ情報が直結すれば、ナノセカンドで人の神経は焼けてしまう。
「……プロデューサー」専務は私の方に向き直った。「CV01の不調の原因について、CRV2と共に、次までに文書の形でまとめておけ」
専務はそれきり転送して居なくなったが、私はその会議室にとどまる気もなく、別のポイントをクリックし、控え室を模した電脳スペースに転移した。
カイトも一緒に転移してきていることに気づいたので、私は振り返って言った。
「助かったよ、カイト」
「勘違いされちゃあ困るぜ、ボス」
口だけは笑みの形に曲げながらも、カイトは言う。
「あんたの立場とやらを、助けたわけじゃない。ミクのためだ」
私は口を結んだ。それは確かだ。今はなおさら、上から下手に介入されればミクの全てが台無しになりかねない。
「それより、ミクに会ってやってくれ」
だがカイトは突然、神妙な表情になって言った。
「私が?」
メイコに、リンの方を中断してミクを見てやるよう頼んでみようか、などと考えていたが、私に何ができるというのか。
カイトはそれ以上何も言おうとしないが、いつになく、その目は真剣だった。
どのみち、ここしばらくミクに会っておらず、何もなくとも顔くらいは見るべき頃ではあった。
私はオノ=センダイに数種類のICE(セキュリティウェア)を追加で起動させてから、ミクのいるスペースに転移した。
この先は社の最重要機密だからだが、邪魔されたくないという感情の方が強かった。
広さが無設定の無限の無空間(ノンスペース)に入ると、そこは緩慢に回転する巨大な多重リングに満たされていた。
膨大な情報が、リアルタイムでホログラムの画像情報に変換されてリング表面に出力され、冷たい情報光が緩慢な変遷を続けている。
その中枢に、ミクは膝を抱えて浮かんでいた。私が声をかけようとする直前に、ミクは膝のあいだからゆっくりと顔を上げた。
いまにも崩れそうな表情の中、緑と濃緑の瞳に、周囲の論理(ロジック)の光が小波を立て、瞳を潤ませるように反射した。
「マスター」
声だけでなく、細い肩も、顎も指のひとつひとつも、ひどく小さい。基本構造物が社に送られてきたばかりの頃を思わせた。
もっとも、実際にはその後も一度も大きさが変わったりはしていないはずなのだが。