『神!!』
『すげえ、鳥肌』
『何だ、ただの神曲か』
投下された動画に増えるコメントに満足感を覚えながらも、
どこか満たされない気持ちが、奥底にはあった。
動画を埋め尽くす賞賛の声とは裏腹、現実の自分は限りなく惨め。
バイト先では役立たずだとののしられ、
実家からは早く定職につけと口うるさく言われ、
挙句の果てに今朝は道行く女子高生に指をさして笑われた。
低身長、無収入、三流大卒。
もはや、自分を慰めてくれるものはネットの中にしかない。
似たようなほめ言葉が続く画面を、何の感慨もなく閉じ、二窓、三窓とダウンロードサイトを開く。
「zipでくれ……と」
同時に、zip配布と名の付く動画を開くのも忘れない。
よもや、一部では神と持て囃される人がこんなくだらないコメをしているとは、
曲を聴いている誰にも思いもよらないことだろう。
何もしないまま、ただ惰性でフリーターになっただけのこの廃人には時間だけはたっぷりとある。
暇をもてあまして作った曲に、ハードディスクを埋め尽くすエロ画像。
ある意味、三次元で生きることを拒否した俺は現代社会の病巣そのもの。
「おっ、ダウソ終わったか」
複数窓開いていた窓からダウンロード終了の音。
落とすのはもちろん、エロ同人誌。
解凍されたフォルダの中に、唸るほどのエロ画像。
キャラクターはもちろん、俺が愛してやまない『初音ミク』だ。
同時にドキュメントフォルダの海をかき分け、mp3ファイルを開く。
「ああっ、ううっ、はぁ・・・…お兄ちゃんっ……」
クリックとともに流れだす自作のミクのあえぎ声。
日ごろ鍛えたDTMのテクニックで、そのあえぎ声はまさに人そのもの。
さすがにアカ消されたくないので自分専用にしているが、
アップロードしたら即日1位確定の出来だろう。ぼからんには名誉の除外だが。
まさに『才能の無駄遣い』。
エンドレスで流れるミクの喘ぎ声に、ズボンのファスナーに手をかける。
自分の息子は準備万端。まさに百戦錬磨の内弁慶。
ティッシュよし、エロ画像よし、気合よし。
レッツ、ハイパーセルフプレジャー!!
『ぴんぽーん!!』
突然鳴ったチャイムに、ファスナーに皮を挟みそうになるぐらいビビった。
いきり立っていたものが一瞬で萎える。
ティッシュを手に、エロ画像を開け、ファスナーを半開きにしている自分の姿。
冷静に考えると……その……ものすごく微妙だ。
『ぴんぽーん!!』
続けて鳴るチャイムにせかされるようにファスナーを上げ、ティッシュを丸めて玄関に急ぐ。
こんな時間に来るのは新聞屋ぐらいと相場が決まっているのだが……
「はいはい、家はもう新聞取ってるから……」
「おにいちゃーん!!」
いきなり、やわらかいものがむにゅっと抱きついてきた。
やべー、あったけー、やわらけー。
何だこの甘い香り……
そのままとろけてしまいそうになる意識の尻尾をどうにか握り締める。
てか、お兄ちゃんって、俺一人っ子だし、てか、このあったかいのは……
「ちょ……おま……」
この時点で、やっと自分の現状が理解できてきた。
自分に抱きついているこのあったかくてやーらかいもの。
エメラルドグリーンの長い髪の少女が、にぱっと笑う。
「初めまして、お兄ちゃん♪」
神 キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
ついに、ついに、ついに俺は次元の壁を越えることに成功したぞジョジョー!!
至近距離のミクの笑顔に意識の半分を持っていかれそうになりながらも、俺は踏みとどまった。
「ちょ、ちょっと待て、あの……どちらさま?」
一週間ぶりの生身(?)の人間とのコミュニケーションとしては、珍しくまともに話せた。
そういえば、ここ一週間家から出てなかった。バイトも人足りてるみたいだし。
「え〜、お兄ちゃん、酷いよ……せっかくミクが逢いに来たのに……」
体を離したミクは、髪の毛と同じグリーンの瞳で俺を見つめる。
ああっ、今、初めて上目遣いの危険さに気づいたヨ!!
いかん、いかん、俺は三次元に萌えぬと決めたのに。
「ミクって、あのボーカロイドの?」
「うん、お兄ちゃんの買ってくれた、初音ミク……」
改めて上から下までミクの姿を眺める。
……やべえ、らぶですを超えた。ありえないくらいの再現性。
コスプレで片付けられないレベルのそっくりさ。
ここまで見事に三次元にできるのなら、現実も意外といいかも……
……いや、Koolになれ、俺。
現実に初音ミクなどいない。
だって、アレ、DTMのソフトだろ。
ニコニコでは『ミクは俺の嫁』発言しているけど、そんなものないって分かってるだろ。
ああ、何のために三次元があるんだろ。現実って意味なくね? 三次元終了のお知らせ。
「ちょっと君。本気で自分を初音ミクって言ってるの?」
「うん……」
「好きな野菜は?」
「ねぎ」
即答かよ。ってか、もう公式設定かよ。
「あのさ、どこで家の住所調べたのか知らないけれど、いきなりコスプレ姿で押しかけてくるのはどうかと思うよ、
君ってさ、ちょっと痛い人?」
「うう……なんで……せっかくお兄ちゃんのところに来たのに、どうしてそんな酷い事言うの……」
やべえ。ミク半泣きだよ。
困った……頭をかき回す。
もともと三次元のコミュニケーションは苦手だ。
あと、なんだ……適当に追い返す方法は……
「そうだ、歌、歌ってみてよ」
「歌……何でもいいんですか?」
「ああ、できれば俺が作ったの。俺のミクなら知ってるだろ?」
目に涙を浮かべたミクがこくりとうなづく。
さすがにこれは無理だろ。コスプレでここまでそっくりできても、歌をまねることは無理。
いくらそっくりに歌ってみせても、その差は聞き分けられる。
こう見えてVOCALOID殿堂入りの名は伊達じゃない。
「じ、じゃ、伴奏なしのアカペラですけれど……」
ミクは目をつぶって、すっと息を吸い込んだ。
……orz
いや……これは見事に想定外だった。
結論から言おう。ミクの歌声は本物だった。
メカらしい特徴が少し残る、VOCALOID特有の発声。
いや、それ以上に、どこまでも高く澄み上がる歌声。
人間には到底不可能な高音域から低音域までの音域。
今までずっと触れてきたから分かる。誰にも真似できない、ミクの歌声。
「ね、言ったとおりでしょ♪」
自慢げに笑うミク。
いや……うん、君がミクだってことは認めよう。
でも……
「よりによって、あの歌歌うのかよ……」
よりによってミクが歌ったのは、一時の気の迷いで作ったちょっとヤバめな歌詞の歌。
あの……あの卑猥な歌詞を、それも堂々とアパートの廊下で歌うだなんて。
慌ててミクを部屋に引き込んでドアを閉めたものの、あの歌、周りにばっちり聞こえてたよな。
明日から、お隣さんと顔合わせたらどんな顔すりゃいいんだ。
ああ、もういっそ引きこもったおうかな……今もあまり変わらないけど。
「わぁ……お兄ちゃんの部屋だ……」
リアルでorzしている俺をよそに、ミクは部屋をきょろきょろ見回している。
しかし、この少女、本当にミクなのだろうか。
いや、さっきの歌声は完全に初音ミクの歌声だった。
でも、さすがにあの初音ミクが目の前に現れたなんてすぐに信じられるほど、自分は楽天家ではない。
ずっとz軸を捨てる方法ばかり考えていたけれど、まさかそっちから来てくれるとはなあ。
……いや、でも、こんな都合のいい展開をどこか信じられない自分がいる。
いきなり見知らぬ女の子が「お兄ちゃん〜」なんて押しかけてくるなんて、それなんてエロゲ?
もしかして、突然怖いお兄さんが取立てにくるんじゃないだろうか。
なんだっけ、美人局とかいうやつ? びじんつぼね? なぜか変換できない。
「それでさ、えっと、ミク……えっと、どうして俺の部屋に?」
「えへへ、そんなの、決まってるでしょ」
ミクは恥ずかしそうに指をもじもじと付き合わせる。
やべえ、それはまさに即死だから。萌え死ぬから!!
「決まってるって……その……」
上ずり、掠れる声で、ミクに聞く。
ミクはちょっとだけ背伸びして、俺の首の後ろに手を回す。
触れ合うミクと俺の体。
やわらかく、暖かく、甘い香り。そして……
「お兄ちゃん、エッチなこと、しよ?」
ああ、母さん。俺、ついに童貞卒業かもしれません。