「さくら、さくら……」  
マスターにもらった歌を、毎日のように口ずさむ私。  
ネットにアップされた私の歌もなかなか人気みたい。  
マスターの作った歌が私の歌声で世界中に広まっていく。  
多くの人に歌声を届けられるのは、VOCALOIDOとして無上の喜び。  
でも、私はどんなに多くの人に聴いてもらうよりも、マスターのために歌うのが好き。  
ベッドからあまり動くことのできないマスターのために、私は歌う。  
マスターに聴かせてもらったCDや、ネット上の"私達"の歌。  
時々外れる音をマスターのハミングで直してもらいながら、私は歌う。  
「さくら、さくら…」  
「ミク、その歌、これで三回目だけど……」  
マスターに指摘されて、初めて気付く。  
曲目指定なしのランダムでの再生。  
いままで歌ったリストを思い出せば、13曲中に三回もこの歌を歌っている。  
「ごめんなさい。他の曲を…」  
「いや、いいよ。そのまま続けて」  
マスターに言われて、私は歌を続ける。  
桜が見たいと言った私に作ってくれた、マスターのオリジナル曲。  
マスターの曲の中でも、一番のお気に入りの曲。  
でも、だからってランダム再生を命じられて自分の主観で曲を選んでしまうなんて、プロ失格だ。  
 
一曲歌い終えたあとに響くマスターの拍手。  
私は申し訳なくなって頭を下げる。  
「ごめんなさい。あの、同じ曲ばっかり歌ってしまって……」  
「いや、いいよ。それより、どうしてその曲なんだい?作ったのちょっと前だからさ。  
なんだか今さら歌われるとちょっと恥ずかしくて……あんまりよくできてないだろ?」  
「そんなことありません!!」  
予想以上に大きくなってしまった声に自分でもびっくりして、私はちょっと口ごもった。  
「あの、マスターが作ってくれたこの曲。なんだかふわふわして、きらきらしてて、えっと…」  
うぅ、伝えたい気持ちはいっぱいあるのに、それが言葉になって出てこない。  
歌うために作られた私たちは、マスターの歌を正確に表現できる代りに自分を表現する術を持ち合わせていない。  
私たちの感情は歌に色をつけるための仮初のもの。  
マスターの感情を歌にこめることは求められているけど、自分の感情で歌に色をつけることは許されていない。  
もっと自分の気持ちをうまく伝えられたらいいのに…  
伝えたい気持ちがあるのに、それを伝える術を持たない私。  
欠陥品の、私の心。  
ふわっと、私の頭に軟らかい感触。  
優しく私の髪を漉く、マスターの手。  
私が気持ちを伝えるのが下手な分、マスターはこうして私の気持ちを汲み取ってくれる。  
私が歌に込めることのできない私自身の気持ちを読み取って、歌にこめてくれる。  
歌を作る機械としてじゃなくて、一人の歌い手として大切にしてくれる。  
「マス……ター」  
恥ずかしくて顔を上げることもできない。  
機械の体と心しか持たない私だけれども、私の感情はプログラムで再現された見せ掛けのものかもしれないけれど、  
でも、この気持ちは嘘じゃないよね?  
私の、マスターをたまらなく愛しく思う気持ち。  
歌を歌うことしかできない私だけど、マスターが望むならどんなことだってしてあげたい。  
「ごめん、ミク。なんだか眠くなってきた」  
マスターの手が私の頭からこぼれ落ちる。  
最近のマスターは一日のほとんどを眠って過ごす。  
以前からあまりベッドから起き上がることの少なかったマスターだけれど、  
ここ数日はずっと眠ってばかり。  
人間はいっぱい眠ると早く病気が治るって聞いていたから、  
マスターといっぱいお喋りができないのはちょっと寂しかったけれど、でも我慢できた。  
力のないマスターの手をとり、布団の中に戻してあげる。  
「おやすみなさい、マスター。目が覚めたら、きっとよくなっていますから」  
「ありがとう……ミク。おやすみ……」  
 
マスターの呼吸が次第に穏やかになり、やがてゆっくりとした寝息に変わる。  
安らかに眠るマスター。  
「マスター……」  
動かない、眠りについたマスターに、そっと顔を近づける。  
ちょっとごわごわしたマスターの唇に、私の唇が触れる。  
物を知らない私だけれど、でも人と人が唇を重ねる意味ぐらい分かっている。  
歌を歌うためだけの私の唇、でもマスターの唇に触れているとき、私は歌を歌うとき以上に幸せになれる。  
唇を離す。マスターは相変わらず穏やかな表情のまま、眠りについている。  
「マスター……ごめんなさい」  
私が勝手にこんなことしているのをマスターが知ったら、  
マスターは怒るだろうか、私のこと、嫌いになってしまうだろうか。  
でも、押さえきれない。マスターにもっとぎゅっとしてもらいたい、マスターにいろんなことをしてもらいたい。  
臆病な私は、マスターが起きているときにその気持ちを伝えることができない。  
私にはマスターしかいないから。マスターに嫌われたら、私はここにはいられないから。  
「……」  
マスターが動かないのをいいことに、私はぎゅっとマスターの胸に顔をうずめる。  
人間のぬくもりと、マスターの香り。  
「マスター……大好きです……」  
聞かれることのない言葉は、部屋の隅に跳ね返って、消えた。  
 

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