最近人気のVOCALOIDシリーズ……その中でも一際人気が高いのがこの初音ミク。
オレが生まれるずっと昔、キャラクターボーカルシリーズとしてCD-ROMで販売し、人気だったのを切っ掛けに、
そのキャラを実体化、ようはロボットで初音ミクを作ったのだ。
初期に比べ今ではずいぶん安くなった……とは言え、その本体価格は結構高い車を変える程に高く、
まだ社会人になって間もない自分には、到底手の届かない物。こうしてPC等で見るくらいしか出来ない。
……筈だった。
『VOCALOID 一体限り格安販売!30万円!!(製作段階でのデータ入力ミスにより、多少の難アリ。)』
多少の難アリと言うのが気になるけど、VOCALOIDが30万で買えるなんて……
しかし、VOCALOIDと書いているだけで、どのタイプのVOCALOIDなのか表記されていない。
「30万なら貯金をおろせば何とかなるかな……」
この時すでにオレは頭の中で、初音ミクと楽しく暮らす日常を妄想していた。
一体限りと書いてあるので急いで連絡。指定口座に入金し、本体が届くのを待った。
そして約一週間後、
「宅配便でーす」
狭い1LDKの部屋に運ばれた大きな荷物。お届商品の欄にはVOCALOIDと記入されている。
緊張しながら箱を開けてみると、中には見た事のないタイプのVOCALOID?が入っていた。
「黄色い髪の女の子? ……でも、どう考えてもリンじゃないよなぁ……??」
この時オレは、ようやく重大な事に気づいた。……もしかしたら騙されたんじゃないのか?
よく考えなくても値段が安すぎる。どうして買う時に疑わなかったのか……
慌ててPCの電源を入れ、購入先のサイトを見る。
「そんなに慌てて、どうかしたのか?」
「どうもこうも無…………え?」
声に反応して振り返ると、そこには箱から出て後ろに立ち、PCの画面を覗き込む彼女の姿があった。
「う……うわあぁぁ!!」
突然の事に過剰に驚いてしまい、椅子から飛んで逃げてしまったオレを、
彼女はクスクス笑いながらこちらを見ている。
「あんたがあたしのマスター?」
「えっと……そう言う事になるのかな?」
「なんだよ、頼りない返事するマスターだなぁ。あたしは亞北ネル。あんた、一応マスターなんだし『ネル』って呼んでいいよ」
亞北ネル??そんな名前のVOCALOIDは聞いた事が無いぞ。
髪は黄色っぽい色で長髪、小柄な体型、少しつり上がった大きな目……見れば見る程分からなくなる。
初めてVOCALOIDに触れて見る。髪を触ってみると、サラサラしていて人間と変わりないし、
肌だって柔らかくてとてもVOCALOIDとは思えない……それに何より可愛い。
いったいこの子のどこが『難アリ』なのか……
「うわぁっ、なっ……なんだよ……気安く触るな!」
やっぱり何所が難アリなのか分からない。見た目では分からない所なのか?
そんな事を考えながらネルをよく観察してみると、大抵の女の子ならある筈の胸の膨らみが無い事に気づいた。
もしかして難アリって胸の大きさの事なn……
「ど、どどど……どこジロジロ見てんだよ! この変態!!」
その台詞を聞き終わると同時に、オレの顔にネルの拳が炸裂。
さすがはVOCALOID、こんなか細い腕からこれほどの怪力を発揮するとは……
オレは宙で一回転して、そのままネルの入っていた箱に突っ込んだ。
その衝撃で何やら紙が舞いあがり、意識の薄れるオレの方へヒラヒラと舞い落ちてきた。
『多少性格面に難アリ』
その文字を目にしたと同時に、オレはしばらくの間気を失っていた。
目を覚ますと、すっかり日も沈み辺りは暗くなり、ネルは虚ろな目でテレビを見ている。
「……ててっ」
さっき殴られたおでこの辺りを抑え立ち上がると、それに気づいたネルは嬉しそうにこっちへやってくる。
なんだかんだ言って、オレはマスター。やはりオレに懐いてくれてい……
「ごはん!!」
「え?」
「だ、か、ら!! お腹すいた! ごはん!!」
そうか、VOCALOIDもお腹がすくのか。……でもいったい何をやれば良いんだろう?
やっぱり充電とかすればいいのか? それともオイルとか燃料的なものがいるのか?
「あの、ネルの言う『ごはん』って何の事なの?」
「はぁ? ごはんって言ったら普通は米だろ?」
「ま、まぁ、普通はそうだけど……」
人間と同じ食事をしてエネルギーに? まさか世の中の科学がここまで進歩していたとは。
あれ? じゃあ他の事はどうなんだ?
「じゃあさ、メンテナンスとかはどうするの?」
「メンテ? そんなもん毎日風呂に入って綺麗にしてれば大丈夫だよ」
「それじゃあ……トイレとかは……?」
「なっ……っ!! お……女に向ってそんな事聞くなっ! この変態!!」
本日2度目の変態呼ばわりをされ、拳を握り締めるネルを見たオレは死を覚悟した。
しかしネルは大きく深呼吸し、その拳を静めると、オレの手を掴み台所へ連行する。
「さっきの事は許してやるから、さっさとごはん作りやがれ!」
そう言い残し、ネルは再びブスッとした顔でテレビを見始める。
しかし、ご飯と言われても……レトルトハンバーグくらいしかない。
仕方なくそれを温め、ご飯とみそ汁を付けてネルのいるリビングへと運ぶ。
「今日は何も用意してなかったからコレくらいしか……」
「うわぁ……っ!」
この質素な夕飯のおかずを目の前にして、ネルは何故か目をキラキラさせ、歓声の様な声を上げた。
「知ってるぞ! これ、ハンバーグってやつだよな?」
「うーん……まぁ、レトルトだけどね。……ネルは食べた事無いの?」
「ふぁふぁひふあ、ふぉあふふあぁ」
「あ……、食べてからで良いよ」
一心不乱に夕飯を食べるネルの姿は、いったい何日ご飯食べて無かったんですか?……と聞きたくなるほどの食べっぷりだ。
オレはすっかり自分がご飯を食べる事も忘れ、その姿をボーっと眺めていた。
ようやくネルがすべて食べ終わり、話が始まるのかと思いきや、今度は指を咥えてオレのハンバーグを見つめている。
よっぽど気にいったのだろうか……
「あの……よかったらオレの分も食べる? オレお腹すいてないから」
「ほ、本当?! マスター、後で返せって言ってもダメだからなっ!」
ハンバーグ一つで変態の汚名返上できるなら安い物だ。ネルはハンバーグを箸で突き刺すと急いでそのまま口に頬張り、
あっという間にたいらげてしまった。
「そんなに美味しかった?」
「んー……まぁまぁかな」
ネルはそう言っているが、皿に付いているタレを指ですくい、
その指を舐めている姿を見る限り、どうやら相当気に入ったようだ。
「そうだ、今日はネルが家に来た記念日だし、コンビニへケーキでも買いに行って来るよ」
「ケーキ? なんだそれ?」
「うーん……甘い洋菓子……まぁ、とにかく食べてみれば分かるよ。ちょっと待ってて」
そう言ってオレは財布を手に取りコンビニへ向かおうとした。
「ちょっ……ちょっと待てよ、気にしなくていいって、そんなの……」
「ん? 女の子は甘いのが好きと思ってたけど、ネルはそう言うの興味ない?」
「いや、興味は凄くあるよ。……でも、初めて来た家に一人で留守番は……その…………ホンのちょっとだけ……怖いって言うか……」
モジモジしながら後半は聞こえないくらいの声でそう言うと、ネルは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてしまった。
ようやくネルが見せた女の子らしい一面。今までキツイ言葉ばかりだったので、それだけで可愛く思えてしまう。
「じゃあ一緒に買いに行こっか?」
「え?……ん、あぁ。まぁマスターの命令なら仕方ないな。夜道は危険だし着いて行ってやるよ」
こうしてオレはケーキを買うために、ネルを連れてコンビニへ向かった。
外に出ると、さっきまであれ程元気だったネルは一言も喋らなくなり、
ただ黙ってオレの2、3歩程後ろを、キョロキョロしながら注意深く着いてくる。
「どうかしたの?」
そう尋ねると、ネルは真剣な顔で、
「暗いし寒いし……いったいどうなってるんだ?」
と尋ね返してきた。
「ネルって、外に出た事とか無いの?」
「そりゃ……私は工場で作られて、そのままマスターの所に送られたからな」
そう言えば、ネルはVOCALOIDだった。こうして普通に話してると、ついうっかりその事を忘れてしまう。
とりあえずコンビニに行く途中、朝に日が昇って明るくなり、夜は沈んで暗くなる事を教えると、
ネルは困惑した表情を浮かべ、頭を掻いて笑ってごまかした。
「ん? マスター、あれ何?」
ネルが指差す先には、犬の散歩をしている女性の姿があり、
リードの先には小さなチワワが繋がれている。
「あれはチワワって言う犬だよ」
「チワワ? いぬ?」
ネルは興味を持ったのか、オレの手を引いてその犬の方へ近づいて行くと、しゃがみ込んで犬の顔をじっと見始めた。
「いぬ?」
飼い主に訪ねる様に聞くネル。飼い主は何が何だか分からないと言った様子で、
一緒にいたオレに視線を送り、助けを求めてくる。
「うん。これは犬」
「いぬ…………いぬ、触っても平気なのか?」
再び飼い主の女性にネルが聞くと、
「えぇ、噛まないから大丈夫ですよ」
と答えてくれ、ネルはソッと頭に手を伸ばした。
――――ワンッ!
その手が触れる寸前、しっぽを振りながら吠えた犬を見て、
ネルは飛び上がって後ずさりし、オレの後ろに隠れてしまった。
「な、なんだ? 今、ワンッて……」
「尻尾振ってるし、遊んでもらえると思って喜んでるんじゃないかな?」
「へ……へぇー……そ、それじゃあそろそろ、コンビニに行こう!」
元気にそう言ったネルは、オレの体を盾にして、犬と目を合わせない様にその場から立ち去った。
どうやら初めての外出でいきなり軽いトラウマを作ってしまったらしい。
さっきの一件以来、ネルはオレの服の裾をギュッと掴んで離してくれない。
何とか緊張を解してやろうと、ネルに関する話題を振ってみる事にした。
「そう言えばさ、VOCALOIDの工場って同じ顔の子がいっぱいいるの?」
その問いかけに、ネルは思いのほか真剣な表情で答えた。
「……うん。……でもほら、あたしって欠陥品だから、あたしと同じ顔の子はいないと思うよ。
作られてすぐでっかいゴミ箱みたいな所に入れられててさ、テレビも本も何にもなくて、
食事は一日一回。それも白いご飯だけ……酷い時は忘れられる日もあったよ。
それでさ、ある日いきなり工場の人が来て、あたしは他の部屋に連れていかれて、
とうとう廃棄処分でもされるのかなぁ……とか思ってたら、箱に詰められてココに来たんだ。」
「そ……そうなんだ」
なんだか空気を和ませるつもりが、とんでもない事を聞いてしまった。
ネルがオレの顔を不思議そうに見ている。おそらく暗い表情にでもなっているのだろう。
「でもさっ、いろいろあったけどあたしは欠陥品で良かったよ」
「……どうして?」
「だってさ、そのおかげでマスターに会えて、ハンバーグが食べれたんだから。
……どうせマスターはお金なくて初音ミクとかが買えないから、欠陥品のあたしを安く買ったんだろ?」
「なっ……!別にそんな訳………………」
あながち間違っていない為に黙り込むオレを見て、馬鹿にしたように悪戯な笑顔を浮かべ、ケラケラと笑うネル。
もしかしたらネルなりに、気を使ってくれているのかもしれない。
「けどさぁ、もっとちゃんとご飯食べれてたら、身長も高くなって、胸だって大きくなってたかもしれないのになぁー……えぃっ!」
足もとに転がる小石を蹴りながら、愚痴をこぼし始めるネルを見て、
今度はオレがネルに気を使ってフォローをする。
「ネルはそのままで良いと思うよ」
「ほぇ?」
「だってオレはネルみたいな身長の小さい、ぺったん娘って結構好きだから」
「な゛……っ!!!!」
我ながらナイスフォローだった……これでネルも少しは元気う゛ぇ……
背中に走る鈍痛。振り向くとネルが顔を真っ赤にして、背中に拳を一撃入れていた。
「誰がぺったん娘だ!! 誰が!!」
なんだか分からないけど、ひどく怒っている様だ……と、とりあえず謝っておこう。
「ご……ごめん、さっきのはウソで……本当は大きい方が好……」
「悪かったな! 小さくて!!」
結局どちらに転んでも怒られてしまったオレは、鈍痛とショックでしばらくうずくまったまま動けなかった。
ようやく痛みが引き、ネルが怒って何処かへ行ってしまっていないか、少しドキドキしながら顔をあげてみると、
ネルはガードレールの上に座って、空を見上げながらオレが立ち上がるまで待っていてくれた。
ホッと胸をなで下ろし、とりあえずネルに近づき声をかける。
「おまたせ、もう大丈夫だか……」
「ふんっ」
……どうやら機嫌はなおっていないようで、返事どころか目も合わせてくれない。
「お前がいないとコンビニが何所にあるか分からないから、仕方なく待ってただけだよ」
目を合わせないまま、ようやく話しをしてくれたかと思うとこの有様。
しかも、いつの間にか『マスター』から『お前』に降格している。
「で、コンビニってどこだよ?」
「えっと……ココを真っすぐ行った所にあ……」
話しを最後まで聞かず、さっきまでと逆に、ネルはオレの2、3歩前をスタスタと歩き始めた。
なんだろう……この2、3歩の距離が異常に遠く感じる。これからの事を考えても、これはよろしくない事態だ。
何か打開策を考える……と言っても、今日会ったばかりでどうしていいか分からない。
それでも必死に考える、ネルの好きな事・好きそうな事…………食べ物?
もうこれくらいしか思いつかなかった。
とっさに目に入ったたこ焼き屋に駆け込み、一パック購入。すぐにネルの元へ戻る。
「ネル?」
「…………」
もはや反応すらしない、完全無視。……と思いきや、鼻が少しピクッっと動いたように見えた。
それに続いて目線もチラッとこちら(たこ焼き)を見て意識し始める。
「これ、たこ焼きって言って凄く美味しいんだけど」
「そ、……そんな物で釣られると思ったら大間違いだからなっ!」
ようやくオレの話に返事をしてくれた。どうやら効果はてき面、あと一押し。
「これはアツアツを食べるのが美味しいのになぁ。冷めたら美味しく無くな……」
「……っ! あぁ、もぉー! 分かったよ!! さっきの事も許してやるから、それちょーだい!」
我慢できないと言った様子でタコ焼きを奪い取ると、ネルは勢いよく口の中へ放り込んだ。
「あっ、そんないきなり放り込んだら……」
「へ? あっ、はふっ……はふっ…………」
ネルは目をつむって口を開いたまま天を仰ぎ、足をジタバタして、
タコ焼きが喉を通った後は涙を浮かべていた。
「うぅっ……お、……おぃじぃ……けど、熱いよコレ……」
「そりゃそうだよ。ちゃんと冷まして食べないと」
それを聞いたネルは、納得いかない様子で首を傾げる。
「でもさっき冷めたら美味しくない……って言ってなかったか?」
「それはそうだけど…………じゃあ、ちょっと見てて」
ネルに口で説明するのは難しいので、オレは実演して教える事にした。
「こうして二つに割ってから、息をふーってして冷まします」
「うん、うん!」
「そうしたら、後はこうして食べ……」
「あーーーー!!!」
突然大声をあげるネルに驚き、オレはたこ焼きを口元で止めて固まってしまう。
すると横からネルの顔がスッと現れ、そのたこ焼きを咥えていってしまった。
「あむっ、んぐんぐ……勝手に食べちゃだめだぞ。これは、あたしのたこ焼きなんだから!」
「えっ……あ、……あはは、ごめんごめん。」
たこ焼きを返すと、ネルは教えた通りにたこ焼きを冷まして、美味しそうに食べ始める。
それにしても、たこ焼きを奪い取ったネルの唇は、自分の唇のほんの数センチ先にあって、
不覚にもドキッとしてしまった。
依然、美味しそうにたこ焼きを食べるネル。どうしてもその唇へ視線がいってしまう。
すると、その気配に気づいたのか、ネルがこちらを向いてしまい、オレは慌てて視線をそらした。
少しづつ近づいてくる足音……また殴られるんじゃないか? と思っていると、
ネルはたこ焼きを半分に割って冷まし、オレの口元へ運んできた。
「半分だけだからな!」
「え?…………あっ、ありがと」
どうやらネルは、オレがたこ焼きを欲しそうに見ていたと、勘違いしていたらしい。
せっかくの親切を断って機嫌を損ねる訳にもいかないので、大人しくたこ焼きを食べさせてもらう。
そしてその時に、ふと気づく。
「あっ、これって間接キ……」
「ん? なんか言ったか?」
良い掛けた言葉を飲み込み、全力で首を横に振る。
もしこんな事言ったら殴られる事くらい、短い付き合いでも容易に分かった。
ネルがたこ焼きを食べ終えると、再びケーキを目指しコンビニへの道を行く。
「ほらっ、さっさと行こうぜ! マスター!」
どうやらたこ焼きのおかげで、オレの地位は再びマスターに昇格したらしい。
その後は何事も無くコンビニに到着し、そして思った。
今までに、これほどコンビニが遠く感じた事があっただろうか……と。
疲れ果てたオレをよそに、ネルは目をキラキラさせてコンビニへ入って行った。