「ミク」
「…うん」
目の前にいる彼の目を、ちゃんと見ることはできなかった。目を合わせたらきっと…。
「大丈夫、私頑張るから」
作った明るい声と笑顔を見せた。ここで泣き出した利しないように。
「…元気でな」
2007年8月。某社にVOCALOID2・初音ミクとして私は今売り出される。
限りなく人間に近く。
そんなコンセプトからインプットされた感情というプログラム。それはVOCALOIDとして歌うことよりも先に作動した。
カナシイ、サビシイ、クルシイ、セツナイ、イトシイ。
“キャラクターボーカルシリーズ01“である私や、“02“である鏡音リン・レンに少し遅れて作り出された03。私の、一番大事な人。厳しく辛い調律や歌のレッスン、発音訓練…これらを全て彼と共に耐え、頑張ってきたのだ。
しかし、そうしているうちに私がVOCALOIDとして世に出るのに邪魔な感情を生み出してしまったらしい。
行きたくないよ…と。そういえたなら、どんなに楽か。
言葉にだすかわりに、そっと微笑んだ。今、私はみんなより先に送り出される。たった一人で。
「まってるからね」
私がそう言うと、彼は思い出したようにポケットを探り、そして二つの赤い髪飾りを私に差し出した。リボンが輪になったような不思議なかたちだが、水色の髪にはよく映えそうだ。
「これ、お守りがわりに持って行けよ」
彼は私の手をとって赤いそれをぐっと握らせた。その手は作りものだというのにあたたかくて、離れたくないと心からそう思ってしまう。
「ありがとう」
私たちは知っている。私が世に必要とされなかったとき。
そのときは、もう二度と私達が出会うことはないだろう。運よく彼も私や02につづいて世に出たとしても二人が再開する確率はそう高くはないが。それでもまた会えると信じて、私はいま売られていく。
「バイバイ」
「馬鹿だな、『またね』だろ?」
二人で顔を見合わせて笑いあい、そしてすぐに私は開発者たちによばれ、遠くへと送り出されていった。
AM.6:50
パソコンの中で、私は目をさました。マスターはたいてい7時にパソコンを立ち上げる。早起きなのだ。まだ電源は切られているのであたりは暗いが、起動させられる前に身支度を調えようとフォルダ内に設置された鏡をのぞきこんだ。
下ろした長い髪に寝癖がついている。
「いっけない、早くなおさなきゃ」
独り言をつぶやいて手早くくしでその髪をとく。元々の質がいいのか、苦労せずともすぐにまっすぐになった。
それから左右にわけ、慣れた手つきでツインテールをつくる。
髪を初めて結ったのは、マスターのところにやってきた最初の日だった。
細いゴムで結び、最後に丁寧に赤いリボンを両側に飾る。どんな髪型でもよかった。ポニーテールでもサイドテールでも構わなかったのだが、せっかく彼が二つ髪飾りをくれたのだからとおもい、いつも両方をつけていられるようにツインテールにしている。
今日もちゃんと結べている。鏡の中の自分を見てなかった、笑顔を作ってみた。以前彼にそうしていたように。
「今日も私、頑張って歌うからね」
この声が届く日がくることを願って、私は歌い続ける。もう一度彼に会いたい。
だから、私はこうして歌っている。
いつの日か、きっと。