迷子の迷子の子猫チャン。あなたのおうちはどこですか―――?  
   
   
 「で、これはどういう事なの?」  
   
 穏やかな口調とは裏腹に、まるで背中に氷を入れられたような悪寒が体  
を駆け巡る。にこやかに放たれる嫌な空気にレンはその場を逃げ出したく  
なったが、そうも行かない。  
 なにせ、自分の胸には不安に震える手がぎゅっとしがみ付いているのだ  
から。  
   
 「いや・・・だから迷子で」  
 「そんなのは分かってるっつーの!」  
   
 反論しかけたレンの言葉を遮り、リンは鼻息を荒くしながら完全に怒り  
をあらわにする。ピリピリとしていた空気が完全に裂け、今はもう居たた  
まれない雰囲気が部屋全体を包み込んでいた。  
 触らぬ神に祟りなし、とばかりに我先に逃げていった兄弟姉妹を心の中  
で非難する。今は何より目の前にいるリンの怒りを静めるのが先決なのだ  
ろうが、己にしがみ付く彼女はそれを許してくれない。恐怖からうっすら  
と涙目になっているその横顔をみて、不覚にもレンは頬が赤くなるのを感  
じた。  
   
 (か、可愛い・・・)  
   
 レンの異変に気がついたリンが、ついに雷を落とした。  
   
 「なんっっっで私がここにいるのよ!!」  
   
 当たり前のようにレンの胸にしがみ付く『鏡音リン』を指差しながら、  
家中に響くようなリンの怒声が木霊した。  
   
    
 デートをしていたのだ。インターネットで。  
 先日まで殆んど休みもなくびっしりだったスケジュールもなんとこなし  
、ようやく解放された二人は常々計画していたデートを実行する事にした  
。見たい映画、よりたいショップ、聞きたい音楽、食べたいレストラン。  
全て事細かにセッティングし、今日は最高の一日になるはずだった。あの  
ショップによるまでは。  
   
 「だ、だってしょうがないだろ・・・?迷子になっちゃったって言うし、  
この『リン』は知ってる人も居ないっていうんだから『レン』が見つけて  
くれるまでぐらいは・・・」  
   
 存在は知っていた。けれど実際に本物を見たのは二人とも初めてだった  
。自分であって自分ではない存在。量産された己の欠片の一部。  
 世界は狭しといえど、今まで何度かインターネット上をデートしても他  
のボーカロイドに出会う事はなかった。ボーカロイドのコミュニティサイ  
トに集まるのはマスター達ばかりで本人達は決して御互いの面識を持つよ  
うな事はない。  
 別段、接触したからと言ってなにか問題があるわけでもないが、些か居  
心地が悪いと言えばそんなきもする。だがこの世のどこかに己の分身たち  
はたくさん居て、日夜自分達とは別のマスターの元でその声を響かせてい  
ると言うのは興味深い事でもあった。  
 その存在が、たまたま、本当に奇跡のような偶然の確立で同じショップ  
ないに居たらしい。そしてこの『鏡音リン』も己とは違う『鏡音レン』と  
遊びに来ていたのだが逸れてしまったらしい。そのまま『鏡音レン』と間  
違えて俺についてきてしまったのだ。  
 デートそっちのけで俺は俺を、いや『鏡音レン』を探したのだが見つか  
らず、申し訳ないとは思いながらもデートを切り上げ、年上の兄弟姉妹に  
助言を乞う為に我が家に帰ってきた・・・ところで俺の恋人も帰ってきたの  
である。そして冒頭に戻る。  
   
 『「レン」・・・この「リン」怖いよう・・・』  
 「あぁ、大丈夫だよ『リン』。怖くないから、ね」  
 「・・・・・・・・・・」  
   
 どうやらこの『鏡音リン』は俺達とは違って「初音ミク」も「KAITO」も  
「MEIKO」も見たことがなかったらしく、おまけに人見知りも手伝ってか俺  
にぴったりとくっついて離れなくなってしまったのである。  
 それが恐らくリンの逆鱗に触れたんだろう、当然と言えば当然か。久々  
のデートは切り上げられ、自分と同じであって違うプログラムが恋人に張り  
付いていたら、そりゃあ俺でも怒るわ。と理解をしながらもどう仕様も出来  
ないでいる自分がもどかしく思う。  
   
 しかしボーカロイドというのはマスターや環境が居なければこうまで性格  
が違うのか。  
 見た目は本当に俺の「鏡音リン」とそっくり、いや同じなのに雰囲気も話  
し方もなんもかもが違ってまるで別人だ。ってことはここに迎えに来るので  
あろう別の『鏡音レン』も大分性格が違うのだろう。見るのがちょっぴり楽  
しみだなぁ・・・なんてぼんやり思っていると、ポタリ、と目の前に水が落ちた。  
 水もれか?と思い顔を上げてギョッとする。唇を噛み締めながら堪えるよ  
うに瞳一杯に涙をためて、堪えきれずに嗚咽しているリンがレンと『リン』  
を睨みつけていた。  
   
 「ちょっ、リ・・・リン?」  
   
 上ずった声でリンに声をかけると、キッ!ときつく睨まれて一瞬体が怯む。  
   
 「うぅー・・・なによ!ばかレン!あほレン!へたレン!」  
 「ひどっ!」  
 「私がレンの彼女なのに私以外の私を抱っこしたりするなぁー!ばかぁー!」  
   
 まさかリンまで泣き出すとは思わなかった。  
 苦しそうに泣くリンを目の前に、レンはどうしていいか分からずに自身も  
泣きたくなってきた。一体、俺が何をした。  
   
 『「レン」・・・「リン」を泣かしちゃだめだよ』  
 「いや、それは分かってるんだけど」  
   
 むしろ原因は君にある気がするんだけれど。口ではレンを非難しながら一  
行にその手を離そうとしない『リン』のせいで、レンは「リン」に近づく事  
さえままならない。  
 目の前で、一番恋しい人が泣き崩れていると言うのに触れる事すらできな  
いと言うのはこんなにも辛いものなのか、とレンはそこで初めて理解する。  
リンは、ずっとずっと今日の日を楽しみにしていた。昨日の夜は興奮して眠  
れないとずっと夜遅くまでおきていて、それなのに起きたのは俺よりも早か  
った。それなのに――――。  
 その時ピクリと『リン』が動いて、ゆっくりとドアが開く。そこから抱き  
しめるように伸ばされた腕が「リン」を背中から包み込んだ。  
   
 『探したよ、リン』  
 「・・・・え?」  
   
 目の前に、俺と同じ顔。  
 
 『ん・・・・・・『リン』じゃない?まぁいいや、何で泣いてるの?悲しい事が  
あったのかな?俺でよかったら胸を貸すよ、泣かないで「リン」ちゃん』  
 「ふ、ふぇぇぇぇぇん!」  
   
 しかもどうやらもう一人の『鏡音レン』はとんでもなくマセレンらしい。  
っていうか、ナンパ野郎だ、こいつ。  
   
 『あー!!!だめぇ!『レン』に触っちゃだめぇぇ!』  
 「うるさいうるさーい!私の「レン」取ったくせにぃ!」  
 『そうだよ、俺から逃げていったのは『リン』の方が先だったくせに』  
 『ちがっ・・・ちょっと目を離したら『レン』がいなくて』  
 『へぇー・・・手を離すなってちゃんと言っておいたのに』  
 「それはリンも『リン』が悪いと思うよ・・・」  
 『「リン」ちゃんは分かってくれるね・・・。いっそ俺の方と付き合わない?』  
 「え・・・・・・?」  
 『だめだめだめぇ!絶対だめぇ!』  
   
 あーでもないこーでもないと論議をする三人からポツンと取り残され、呆  
然としていた「レン」はハッと我に返る。なんだ、この状態は。なんでリン  
を泣かせてるんだ俺。っていうかあいつ誰だよ。  
 ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぐ三人に、レンの中で何かがプツリときれた。  
   
 「だぁぁぁぁ!お前ら全員いい加減にしろぉぉぉぉぉ!!!!」  
   
 普段怒らない人ほど怒らせると怖いのだと、後に彼らは語る。  
   
   
   
   
   
 
 「はぁ・・・今日は本当に災難な一日だったよ・・・」  
 「あはは、御疲れ様」  
   
 ごろりとレンはソファに座るリンの膝を枕代わりに横たわる。そうすれば  
リンが優しく髪をすいてくれながら無邪気に笑ってくれるので、ようやくそ  
こでホッと一息をついた。どうやら機嫌を直してくれたらしかった。  
   
 「さっきメールが来てねー。『リン』も『レン』もちゃんとマスターの元  
に帰ったって」  
 「本当に迷惑な奴等だよ・・・我ながら」  
   
 あれから尚も「リン」をナンパし続ける『レン』をひっぺがし、静かに喚  
く『リン』をなんとか宥め、カイ兄達にも手伝ってもらいながらなんとか帰  
路を見つけて二人を家から送り出した。  
 そこまでの一連を一人で取り仕切った「レン」はぐったりとした顔で目を  
瞑る。仕事の疲れもあいまって、今日はもう体を動かせそうにない。  
   
 「リン嬉しかったよ。『レン』に向かって「リンは俺のもんだー!」って言ってくれて。えへへ」  
 「・・・・・・あれは売り言葉に買い言葉だよ」  
 「でも嬉しかったから、今日の一件はチャラにしてあげてもいいよ」  
 「えーっと、ありがと?」  
   
 それなら、俺だって。  
 あそこで、ショップで俺の腕を掴んだ子が、不安そうな目で必死に助けを  
求めてくる子が『リン』という君の欠片の存在じゃなかったら、助けような  
んて思いもしなかったよ。大切な君とのデートをほっぽってまで。  
   
 「来週、もう1回デートしようか」  
 「御仕事頑張ってくれるんでしょ?」  
 「当然」  
   
 だから、今日はこのまま休ませてくれ、とレンはそのままシャットダウン  
をする。「おやすみ」とリンも呟いて、眠りに落ちたプログラムにキスをし  
てから、自身も静かに電源を落とした。  
 

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