「めーちゃん、やめてっ」
ばたんばたんと騒がしい物音に紛れて、カイコちゃんの悩ましげな声が聞こえる。
「いーじゃない、減るもんじゃなしっ」
それに答えるように、楽しげなメイコ姉ちゃんの声が聞こえる。
「「減るもんじゃなしー♪」」
そしてそれに続けて、ハモるようなミク姉ちゃんとリンの声が聞こえた。
賑やかな洗面所から聞こえる音を、僕だけが一人リビングで、頭を抱えて聞いている。
「さんにんともっ やめ、 あっ!」
たまに漏れ聞こえるカイコちゃんの声に、ようやく落ち着いたはずの昂揚がぶり返しそうになる。
「レンくん、たすけてっ!」
すがるようなSOSが聞こえるが、こんな頭じゃ助けになんか行けるはずもない。
物音と漏れ聞こえる4人の会話から察するに、カイコちゃんは無理やり組み敷かれ、もうかなり裸に近い状態なのだろう。
見に行ったが最後、僕は女性陣三人の前で、昼間の二の舞を演じかねない。
心の中で兄ちゃんにごめんと謝りながら、僕は、気づけば必死で耳をすましている自分が心底情けなかった。
気まずく過ごしていた僕と兄ちゃんに、救いの女神が帰ってきた(はずだった)のはついさっきのことだ。
「ただいま〜」
リビングのドアが開く。
「おかえり」
僕とカイト兄ちゃんはほっとしながらそれぞれメイコ姉ちゃんに声をかける。
疲れたわ〜と言いながら、メイコ姉ちゃんは大きな買い物袋を持ち上げてみせた。(中身は全部ビールと焼酎だった。)
安かったのよーと笑いながら、メイコ姉ちゃんは部屋の奥のカイコちゃんに目を留める。
「カイト、なにその格好!」
一瞬驚いたように目を見開いて、メイコ姉ちゃんは新しいおもちゃを見つけた子供のように目をキラキラと輝かせる。
(余談だが、この後ミク姉ちゃんもリンもカイコちゃんを見て、一目でカイト兄ちゃんだとわかったようだった。なぜ僕だけ気付けなかったのか)
カイト兄ちゃんが、僕にしたのと同じ説明をメイコ姉ちゃんにする。
ジェンダーファクターを調整した歌のこと、開発部からの提案のこと、今日この端末が出来上がって、試運転中なのだということ。
ふんふんと話を聞く振りをしながら、メイコ姉ちゃんはカイコちゃんの全身をじろじろと観察している。
わくわくする気持ちが抑えられないといったように、じりじりと距離をつめている。
嫌な予感がしているんだろう。カイト兄ちゃんはメイコ姉ちゃんから離れるように少しずつ後ろに下がっていく。
壁際まで兄ちゃんを追いつめて、メイコ姉ちゃんが がっ とカイコちゃんのマフラーを掴む。
にこにこ笑いながら、
「ちょっと見せてみなさいよっ」
と言って、目を輝かせながらカイト兄ちゃんを引きずって洗面所へ連行する。
「め、めーちゃ、やだよっ」
カイト兄ちゃんは顔を真っ赤にしてじたばたと足をばたつかせていたが、メイコ姉ちゃんは聞く耳を持たない。
そのままばたん、と、洗面所の扉が閉まった。
がったんごっとんと盛大な音がドアの向こうから聞こえてくる。
「やめてってばっ わあっ」
「往生際が悪いわねっ 男のくせにっ」
ドアの向こう、二人が言い合う声が聞こえる。
僕がどうすべきか悩んでいると、また玄関が開く音がした。
「ただいま〜」
「ただいまっ!」
今日はデュエットの収録だったミク姉ちゃんとリンが、揃って帰ってきた。
開きっぱなしの扉から、リンがリビングへ顔を覗かせる。
「おかえり」
「レン、洗面所なにしてるの?」
リンは不思議そうな顔で聞いた。
どう説明したものか僕が悩んでいると、すでに洗面所を覗いたらしいミク姉ちゃんが、リンの元へ戻ってきた。
「リンちゃん!お兄ちゃんがすごく可愛くなってるよ!一緒に行こう!」
興奮気味にリンの手を引っ張っていく。
え、なになに?と、ワクワクした表情で、リンがミク姉ちゃんについて行く。
洗面所の扉を開く音がして、わぁっと二人が歓声のような声を上げたのが聞こえた。
カイト兄ちゃんははじめ、メイコ姉ちゃんを止めるようにと、ミク姉ちゃんとリンを説得していたようだったが、結局二人はメイコ姉ちゃん側についたらしく、しばらくすると、女性三人のきゃっきゃっとした楽しげな声と、カイコちゃんの泣きそうな悲鳴が聞こえてきた。
そして冒頭の場面に至る。
「必殺☆裸マフラー!」
まだ素面のはずのメイコ姉ちゃんの、悪ノリした声が聞こえてくる。
ああ、カイコちゃん。どんな格好をさせられてるんだ。
僕は血の上った頭と、またもやスイッチの入りそうな下半身を抱えて、一人悶々としていた。
その日の夜中、僕が眠れずに一人過ごしていると、メイコ姉ちゃんがビールを持ってリビングへやってきた。
みんな寝静まったことだし、これから一杯やろうというのだろう。
僕に、まだ起きてたの?と声をかけたあとで、
「今日はおもしろかったわぁ。レンも見にくればよかったのに」
と笑った。
ははは、と僕は力なく笑い返す。
昼間すでに堪能しましたとは言えない。
メイコ姉ちゃんはソファに腰かけて足を組む。
ビールの缶をプシュッと開けると、ぐっと一口飲んで、ぷはーと幸せそうな顔をした。
「かわいかったわあ。ああいう妹もいいわね」
と、あははと笑う。
「でもさ、ちょっと気になったのがね、私が服脱がす時なんだけど」
そうそう、カイトったら半泣きになっちゃってさあ、と笑ってから、メイコ姉ちゃんは不思議そうにうーんと唸る。
「カイトのやつ、『みんなひどいよ』って、言ってたのよ。その時はね、ミクもリンも来る前で。私だけだったのよ」
ぎく
へー、とぎこちなく相槌をうちながら、僕は内心滝の冷汗をかいた。
開発部の人たちにセクハラでもされたのかしらね、と、メイコ姉ちゃんが笑う。
「それにね、何度も『本当に見るだけだよ!』って念押したりして。笑っちゃうわよねえ」
ぎくぎくぎく
そんなに念を押さなくても取って喰やしないわよねえ、と、ケラケラ笑いながらメイコ姉ちゃんが言う。
「だってさあ、私には女の子をどうこうする趣味はないし。 それに、いくら可愛くったって、中身はカイトなのよぉ?」
ぐさっ!
会心の一撃を受けた僕には気づかず、メイコ姉ちゃんはビールを一口飲んでから、また、あははと笑った。
僕はいたたまれなくなって、メイコ姉ちゃんにおやすみを告げて、曖昧に笑いながらキッチンを後にした。
ああ、今夜は。ものすごく後ろめたい夢を見そうだ。
<終わり>