「お姉ちゃん!!」
楽屋へ戻る途中、どこからか声が聞こえたかと思うと、前から勢いよく腰に抱きつかれた。明るい金色の髪に碧の瞳、大きなリボンがチャームポイントの女の子が私の腰に手を回し、満面の笑顔を向けた。
「良かった!もう会えないかと思ってた!!」
腰に回す手にぎゅっと力が込められ、離すものかと更に強く抱きついてくる。突然の事に訳が分からず目を白黒させていたら、ずっと前の方から声がした。
「ほらほらリンちゃん。お姉ちゃんびっくりして声も出せないじゃない」
、緑がかった髪をツインテールにしている女の子が諌めるように、でも嬉しくて仕方ないという表情を浮かべてくすくすと可愛らしく笑いながらやってきた。
突然抱きつかれた事で私の頭はフリーズ寸前だったけれど、彼女の姿を見て一気に覚醒していくのが分かった。
彼女は……初音ミクさん!今やアイドル界のトップに立つ彼女。駆け出しアイドルの私には高嶺の花と言っていい程の憧れの人物。
そして今私に抱きついているのは、……え?鏡音リンちゃん?!
「…しっかし、メイコ姉がアイドルに転身とはなぁ」
ミクさんの後ろから茶化すように笑うこの子は確か、鏡音レンくん。
うわ、凄い。今日初めてTVに出演するような超新人が、こんな大先輩を一度にお目にかかれるなんて!
よく分からない状況だけど、これは素直に嬉しい状況なので一人舞い上がってしまいそうになる。
でもさっきからこの三人は私の事を「お姉ちゃん」と呼ぶ。お姉ちゃん、と言われても一人っ子の私にはピンとこない話。
リンちゃんレンくんの姉なら分からない事もないんだけど、ミクさんとは同じ年だしお姉さんって事はない、よね。
そもそもこの三人は私の大先輩。姉弟なんておこがましい。今こうやって話をしている事だって大それた事だと思うもの。
「…あの、どなたかとお間違えでは?」
訳が分からず思わず尋ねた。
一瞬三人の会話はピタリと止み、すぐに明るい声で笑い出す。
「え、何?新しい冗談??」
「めーこ姉、それ笑えないよー」
冗談、と言われても本当に覚えがないわけで、もしかしてドッキリ企画かと思ってしまう。じゃあここは乗っておくべき?
自問自答しながらもう一度だけ、と言う。
「あの…本当に?私、あなた達にお会いするのは今日が初めてで…」
そこまで言うと、さっきまでの明るい笑い声が今度こそピタリと止んだ。
―――もしかしてとても失礼な事を言った?やっぱり企画だった?空気読めてないだけ?!
「………本当、に?」
「は……はい…」
少し間を置いてミクさんがようやく口にした一言に、私は消え入りそうな声で答える。
ミクさんの口調は真剣そのもので、何だか罪悪感に苛まれたからだ。
「お三方にお会いしたのは初めてで…あ!テレビではよく拝見して…」
ミクさんの顔がだんだん蒼褪めていくのが分かる。でも知らないのに知っているなど、軽々しく答えられるようなものじゃないというのも感じていた。
「ね…私たちのこと、忘れた、の?」
リンちゃんが覗き込むように尋ねてくる。
忘れた、と言われても私は知らない。
…知らないのは、忘れたから?
返答に困っていると、リンちゃんは私の腰からするりと腕を解いて少しずつ後退りする。
「私たちのこと、忘れたんだ…っ!」
そう言ったかと思うと、リンちゃんは大粒の涙を零しながら大声で泣き始めた。
えぇ?!ど、どうしよう!!
「ひど…っ、……ひどぃ…よ…ぉ…っ!」
「あの、な…泣かないで?ね?」
私はどうすればいいのか分からずおろおろするばかりで、リンちゃんは一向に泣き止みそうにない。
その内、何事だと少しずつ人が集まりだして来たものだから余計に焦る。それを察知してか、ミクさんはレンくんに目を配せた。
「…レン君、ひとまずリンちゃん連れて行こう」
「わかった」
レンくんは一つ返事で返し、泣き叫ぶリンちゃんを宥めながらミクさんと一緒に来た道を戻っていく。
二人が時々こちらをみる視線にも気付かず私はただただ呆然としていた。
―――どうしよう、私、泣かせてしまった。
その事実に酷く狼狽し、抜け殻のように楽屋に戻った。
だからそこに居る人影にも全く気付きもしなかった。
「…コ……メイコ」
優しく響く、心地よい声が耳に入った。
そこでようやく私以外にこの楽屋に人が居る事に気付く。
「蒼白な顔で楽屋へ入ってきたと思ったら、どうしようばっかり呟いて俺に気付きもしない…俺以外だったら危ないよ?」
困ったように、でも仕方ないなという顔で彼は立っていた。全体的に青で統一された印象を持つ、青い髪と瞳の青年。
初めて聞く声なのに体全体に染み渡るような安堵感を与えてくれる。
…誰?
分からないけれど、何故か落ち着く声に思わず吐露する。
「わた…わた、し…リンちゃんを、泣かせて……そんなつもりは、全然、なくて…」
大先輩であり、年下の女の子を泣かすなんて最低だ。
私、リンちゃんを傷つけた。
理由なんてわからない…けど。
「めーちゃんは昔っから不器用だよね」
「…笑わないで」
真剣に話をしているのに彼はにこにこしながら話を聞くから調子が狂う。
でも……昔、からって?
この人も同じ事…
「あ、の、…私、あなたに会うのは初めてで…」
彼が伸ばして触れそうだった手は、ビクッと頭の上で一瞬で動きを止めた。
「…めーちゃん?意地悪で言ってる?」
少しきょとんとした顔。
……この顔は知っている。さっきの三人の表情。
私は答えるべきか否か、少し迷う。言ってしまえばさっきの二の舞だ。
それよりも本能でわかる。これ以上は言ってはダメだって。もっと最悪な事態になり兼ねないって。
「……メイコ?」
…ダメ、止まらない。
名前を呼ばれて箍が外れた。
「私、全然知らないのにお姉ちゃんとか言われても困るんです!私、あなたたちの知ってるメイコさんじゃないっ!!」
そこでハッと我に返り、慌てて口を塞ぐがもう遅い。目の前の青年の顔は蒼白で、表情が消えた。
「……それ、リンたちに言ったのか?」
さっきまでの温厚な声とは違い、抑圧のない言葉。
ごくり、と喉をならすがカラカラで声が出ない。だけどそれは違う、と必至に首だけを振る。
カン、カン、カン、とさっきから自分の内で警鐘がなる。
あぁ、もう遅い。箍は自分で外してしまったのだから。
「勝手に居なくなって!みんなの事も……俺の事も忘れた?!冗談じゃない!」
「…っ!」
両手首を片手で押さえ込まれ、ドンと壁に押し付けられる。
彼の表情は先ほどの温厚さを取り戻しつつあるはずなのに、その奥に潜む凶悪な感情に私は身を竦め、声も出せずにいた。
「忘れたなら…思い出させてあげる」
そう言って、噛み付くようなキスをされた。
さっき会ったばかりで少し言葉を交わしただけの青年にこんな風にされる覚えはなく、頭が真っ白になった。
抵抗しようにも両手は固定され、壁に重心を預けて足を股下に入れられ体を固定さた状態では動くこともままならない。結局されるがままになってしまう。
「ん…んん…っ!」
息が続かずなったところでようやく唇が離され、少し解放される。
身を竦めて動けずにいたこともあって、息の吸い方を忘れたかのように喉を震わせながら、空気を取り入れる為に大きく息を吸った。
同時に襲い掛かる恐怖。このままでは女として身を汚される事を既知として本能が告げる。
「わた、し、違う!あなたのこと、知…」
「外見は前と少し違ってしまったけど…俺はメイコを間違えない」
否定の言葉を遮るように、強く確かな口調で耳元の傍で囁かれる。それから私の首筋から耳朶までぬるぬると舌を這わせた。
「ひゃ…っ!」
「ほら、めーちゃんは昔からココが弱かった」
ゾワリと背中に冷たいものが走ったのとは対象に、私の口から発せられた信じられない程の甘い声に愕然し、その言葉で一瞬にして顔に熱が集まるのを感じた。
初めての事で、しかも今日会ったばかりの青年に襲われ、あんな声を出してしまった自分が恥ずかしい。
それを見透かしたかのように、彼は底の見えない暗い瞳でにやりと口元を歪める。
「俺はメイコの感じるところ、ちゃんと知ってるんだよ」
彼は私の両腕を封じた反対側の手を、服の上からまさぐるように這わせ、胸までくるとその先端を捻る様に摘み上げる。
「…っ!」
「ほら、ココも」
くすくすと楽しそうに笑い、次々と私を翻弄していく。
私はと言えば触れられるところ全てに反応してしまい、睨み付ける事もできやしない。
段々体が熱くなってくると自分で立っていられない位に膝ががくがくし、情けなくて涙が出てきた。
「……ね、思い出さない?」
「わた、…知ら、な、ひ」
ぼろぼろと溢れる涙を拭うことも出来ず、呂律の回らない返事を返す。
彼は舌打ちをしそうな程に顔を歪め、無言で動きを再開させる。服の上が次は素肌、そしてスカートの下へと手が伸びる。
「ぁ、やめ…っ!」
抗議の声を上げるも聞き入れて貰える筈もなく、誰にも触れられた事のない場所へいとも容易に進入される。
指が動かされるたびに、ぐちゅ、ぐちゅ、と卑猥な音が聞こえて恥ずかしさは最高潮だ。
もう立っていられるだけの力なんか残ってなくて、…床に膝をついてしまえればどんなに楽か。私はついに膝を折った。
だけど彼はそれを許さないというように、股下に挟み込んだ足で支える。
「まだ、全然足りないんだよ」
その足を少し動かされ、擦れるだけでも感じてしまう位までになっていた。
露になった上半身にねっとりと舌を這わせ続け、私の足は開かれ彼のモノを押し込まれる。
「…っ、いた………やっ!」
何が起こったのか分からない位の激痛が走り、思わず悲鳴を上げる。
一瞬、彼の動きが止まったけれども容赦なく突き上げてきた。
「や……っは、あっ…あっ」
初めてなんて痛いものばかりだと思っていたのに、一度奥まで突かれて動かれるとすんなりと快感に変わる。
急くように激しく突かれ、連続的な動きに合わせたリズムで喘ぐような声しか出せない。
そんな自分が嫌になる。だけど抵抗する力も残さない私はもう、されるがままだった。
「あっ…あっ…あっ…」
「……ぇ…」
それまではやけに生々しい音と、自分の口から嬌声とも言える恥ずかしい音。この二つの音以外聞こえなかったのに、ほんの僅かな音が耳に入る。
とても小さくて聞き取れないような音。幻聴かと思い、こんな時なのに聴覚だけを研ぎ澄ませる。
小さけれどそれは、彼にとってとても大きな言葉だった。
「…ねぇ…前みたいに、カイトって、呼んでよ…っ」
縋るような声で、祈るように何度も呟く声。自分のモノとは違う水滴が肩にかかり、思わず彼を見る。
いつの間にか彼は先程の余裕をなくし、抑え込んでいた感情はボロボロと剥がれ落とされ、まるで頼りない子供のように思えた。
そして私の中から”メイコ”であるというカケラを必死に探し出そうとしている様にもみえた。
…私は違う。違うのよ。
だからそんな悲痛な顔で私を見ないで。
繋ぎ止める糸もなく、そこで意識は途切れた。
意識を戻して最初に聞いた言葉は彼の謝罪。
「………ごめん」
そうやって謝る彼は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
襲った側が泣きそう、だなんてとても可笑しな話だけど。
本来は私が泣き喚くべきなのに。この変態とでも罵れば良かったのに。
とても酷いことをされたのだから、それくらいの権利は当然のはず。
…だけど彼は優しかったのだ。
行為自体は一方的で、乱暴に私を犯していった。それなのに、
手が、
声が、
瞳が、
…本当はとても優しかった。
気が付けば私は泣いていた。
目の前の、見知らぬ青年に犯されたからじゃない。
私が否定した”メイコ”になりえない事に泣いた。
私が”メイコ”なら、きっとこんな思いをしなかった。
ミクさんやリンちゃんにレンくん、この青年にだって悲痛な思いをさせる事もなかった。
だって私は知らない。
あの手も、声も、瞳も、懐かしいような胸を締め付けられるような思いも。
全てデジャヴのようなもの。でも、私なのかもしれない。
こんなにも”メイコ”を想う人たちを忘れてしまったのは私なのかもしれない。
だけど私の中にいるかもしれない”メイコ”を知らない。
シラナイ。シラナイ。ワカラナイ。
だから私は泣いて謝ることしか出来なかった。
「…ごめ……なさ…っ…」
あなた達を忘れて、
思い出す事が出来なくて、
ごめんなさい。