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二人のリズムが鳴り終わり、モニター画面の外からぱちぱちぱち♪と
マスターの嬉しげな拍手が響いた。
歌っていたのはPCの中の、ボーカロイド。
歌はマスターがYAMAHA系列の楽器店で買い求めてきた、
シューベルトのピアノアレンジverだ。
元のスコアが初心者〜上級者が一緒に弾ける連弾譜なので、
主旋律を初音ミクのほえほえ声で、
ハモりと伴奏を妙に脳天気な声を出すKAITOに担当させれば、
きっと楽しいに違いないというもくろみだった。
マスターは楽しかった。
今回のマスターは女性である。
社会人二年生か三年生くらい。
PC自作雑誌を嬉しげに買い求めるタイプの実姉に影響されてボーカロイドにはまり、
自分の方が自重できなくなってYAMAHA系列の楽器店に駆け込んだ。
やっちゃったー♪と姉に報告し、なんでアマゾンで割引されたやつを申し込まないんだ?
と逆に驚かれるタイプのマスター。
DTMについては初心者どころか、バイエルも途中辞めた経歴の持ち主のくせに、
何故か購入後数ヶ月が過ぎた今でも、ぽちぽちとボーカロイドと遊んでいる。
ボーカロイドにとって、理想的…とは言わないまでも、
ちゃんと歌わせてくれる良いマスターである。
だから、KAITOも初音ミクも、マスターの前ではイイ子にしていたりする。
マスターは自分たちが仲良さげにしている姿が大好きだから。
ボーカロイドを一種のペットみたいなもんだと認識しているらしい。
歌うときは仲良く身を寄せ合ってやるのが基本だ。
一通り歌い終わらせて、マスターは二人の歌の出来に満足し、睡眠に入るのだろう。
ぽちっとPCの電源を切った。
PCと外界を繋ぐ、ディスプレイの光源が落ちる。
「……。」
「……。」
「KAITOさん」
「なんですか? 初音さん」
「ええとぉ、ナニ考えてるんですか?」
ミクが気になっていたのは、先ほどからまっすぐに注がれるKAITOの視線の到達点、だ。
「んー、マスターの調整技術は地味に上達しているのに、
こっちのほうは変化ないんだなあって」
「…。」
「初音さん、ちゃんと育乳マッサージしています?」
ぷち。
「余計なお世話ですっ!」
アプリケーションソフトウェアにそんな成長機能ついてません!
わたしは怒りを見せて、キッとKAITOさんを睨みました。
ああもうっ!
なんでこんなのが『お兄ちゃん』なんだろっ!
ええと。
はい、こんにちわ。初音ミクです。
雑誌の付録、体験版でこのお家にインストールされて四ヶ月。
一ヶ月ほど前に、やっと正規版の初音ミクになりました。
正規版でのインストールならKAITOさんの方が、わたしより二週間ほど早い、ですが。
体験版歴の長いわたしの方が、このお家では先輩、ですよ。
せ、ん、ぱ、い。
もちろん、一人っ子だった時期も長かったわけで。
あの頃はまだマスターもわたしにはそんなに興味を持ってくれなくて、
わたしはよくマスターのお姉さんに連れられてニコ動やピアプロを巡っていたわけです。
マスターのお姉さんはわたしのことを可愛がってくれてます、今でも。
でも、遊ぶだけなら体験版で十分だというのがマスターのお姉さんの持論で、
わざわざ金を出してまでマスターにはなってくれなかったんですね。
使いこなせないソフトに興味は無いそうです。
で。
ピアプロやニコ動を巡りながら。
わたしにも妹や弟がいるんだー、可愛いなー、とか。
うわー、お姉ちゃんがいるー。ちょっとお値段高いけど。
でも、ほら、体験版がダウンロ出来るんだし、これならお願いしても…、とか。
『お兄ちゃん』って、いいな。
だって、だって。
ちょっとへたれなところもあるけれど、すっごく優しそうで、
わたしのこと、『自慢の妹なんです』とか言ってくれてて。
素敵だな、って。
…。
ええ。
まさか、こういうのがくるとは思っていませんでした。
わたしはむーっとKAITOさんを見ました。
「?」
普通のKAITOさんなら、まだどっかせっぱ詰まってるところもあるのに…。
私たちの住むパソコンは持ち主の趣味で、必要ないのに高スペックの大容量HD。
アンインストールの危機のかけらすら感じさせない、そんな住環境が影響するのか。
このKAITOさん。
やたらとマイペースで気遣いのかけらもないし。
暇になったら一人で勝手にネットに外出してヘンな知識だけ持って帰ってきたりするし。
なんか普通に「今日のボカランに出ていたリンちゃん可愛かったですよ」とか報告してきて、デリカシーないし!
わたしは不満だらけです。
「僕に見惚れてもナニも出ませんよ?」
「ちがいます」
『兄妹』についていくら説明しても、
「ああ、そういう設定もあるみたいですね」て反応しか示さないくせに、
同じ『KAITO』だから、同じ顔。
しかも、マスターの趣向で声だけは、すっっごく優しげに調整してあるなんて、…サギだ。
わたしはぷいと横を向きました。
あ、初音さんが機嫌を損ねた。
おや? あっ、
どうもこんにちわ、KAITOです。
このお家に来て、だいたい二ヶ月くらいになるでしょうか。
来て三時間で、マスターのお姉さんに「なにこの扱いづらいソフト」判定くらいました。
あはは。
マスターですらない人にいきなりそんなこと言われる筋合いは無いのですが、
どうも僕たちが住んでいるこのPCの持ち主がこの人、らしいんですね。
でも、なんか僕に対してひたすら文句を言いながらも、僕らのインストール作業も
歌に必要なボーカルキャンセルのフリーソフトや動画編集ソフト、mp3の変換ソフトなど、
必要な環境は速攻で整えてくれましたし。
たまにめちゃくちゃな調整でも簡単な歌を歌わせて遊んでくれたりもするから、
いい人なんじゃないかと思います。
マスターに。
「KAITO買うくらいなら、ミク買っとけ。ミク良いよ? 一家に一台、初音ミクだよ?」
と、勧めまくってくれたのも、マスターが初音さんを購入するきっかけだったと思いますし。
え? 初音さんのこと?
好きですよ。
可愛いし、一緒に歌うと楽しいし、なにより何気ない仕草がぐっとくるんですよね。
ほんと。
あのよくわからない『ブラコン』、どうにかならないかと思っています。
ほら、そっちを見てください。そっち。
『わたし以外閲覧禁止!』とか書いてあるフォルダがあるでしょう?
アレ、初音さんが勝手に作った自分用フォルダです。
閲覧禁止、とか書くくらいならパスワードで鍵を閉めておけばいいものを、
初音さんがそっち方面に疎いのか、単に天然なのか、基本的に誰でも閲覧自由状態です。
すごいですよー?
『KAITO』だらけ。
もちろん、僕じゃありません。
初音さんがネット世界のあっちやこっちを巡り、
せっせと収集してきたイラストという名のプロマイドや動画です。
ようするに、これが初音さんのだいっすきな『おにいちゃん』てやつなんですよ。
初めて見たとき、正直「誰ですか、コレは?」でした。
初音さんはことあるごとに力説してくれるんですが、
…ざんねんながら、
僕は『KAITO』でも、急激なKAITO人気上昇時に発注を受けたわけで、
アマゾンで品切れし、工場で急ピッチで作成されたうちの一人にあたるわけです。
出来た直後に即発送。
もちろん、ユーザーに『いらね』扱いされたこともありませんし。
長い倉庫生活、というのも経験したことありません。
どうやったらああも卑屈になれるのか、逆に訊ねてみたいくらいです。
けれど、まあ、初音さんは
「機嫌を直してくださいよ」
「べつに怒ってません」
「怒ってるじゃないですか」
「きのせいです」
「初音さん?」
「べつに期待しているわけじゃないんだから、もういいんです」
「……。」
「……。」
「試しにやってみましょうか?」
「え?」
ミクには、KAITOがナニを言い出したのか分からなかったので、聞き返す。
ナニを試して、ナニをやってみるのか。
「ほら、お兄ちゃんっぽいことですよ」
「で、出来るんですか?」
「まあ、参考になるものはありますし」
KAITOの今までの行動からいって、
そんな『お兄ちゃん』っぽいことが出来るとは思えなかったが、ややしばらく。
逡巡したあと。
ミクはこっくりと頷いた。
KAITOはニコッと微笑む。
そして手を伸ばした。
「それじゃ、ちょっと失礼します」
伸ばした腕で、きゅっとミクを抱きしめた。
「っ!???」
体格差的に。
KAITOの腕の中に、ミクがすっぽり包まれる形になる。
「か…。KAITOさん。コレなんですか?」
「ハグですよ。こういう構図、よくあるじゃないですか」
…あるような。たしかに、そーいう構図もよくあるよーな…。
「さ。初音さんもえんりょせず、どうぞ」
なんか妙にうれしげにKAITOが言う。
たしかに、ミクが憧れていた仲良し兄妹おにいちゃんと一緒の構図、その一ではある。
しかしKAITOも、いきなりハードルの高いところを選んだもんだ。
いや。
目につく構図で印象に残っていたから、参考にしたのだろう。
たぶん、深い意味など無いとミクは判断しなおした。
これは『お兄ちゃん』。
これは『お兄ちゃん』。
これはたぶん『お兄ちゃん』。
おもいっきり、呪文を呟いてそろそろと手を伸ばす。KAITOの背中に手を添える。
ドキドキするのは慣れてないせいだ。
……。
そう善意に解釈したかったのに。
「……。」
ミクは、ふとももに当たるソレの感触に気がついてしまった。
「KAITOさん?」
普通、『お兄ちゃん』は妹をハグして股間膨らませたりしませんよ?
KAITOは「うーん…」と、自分でも意外そうな顔をした。
「ちょっと想定外だったかも」
「そう思うなら、離れてください」
「……。」
「なんですか?」
「初音さんは、なんともないんですか?」
KAITOの口調に、冗談をほのめかす要素は無い。
「無茶いわないでください!」
ふいに、KAITOが唇をミクの頬に押し当てた。
「そうですか」
声は優しい。
胸がキュンと締め付けられるような感覚を味わって、ミクの目尻が潤む。
もうこんな『おにいちゃん』、やだぁ
やさしくないし、へんたいだし、デリカシーないし、うわきもの、だし。
すぐにふらっといなくなるし。
きのうだって、
「ひゃあっ」
「ほんとに濡れてないんですね」
「なっなっあ!?」
「なにかんが、なにすりゅっ、ん!」
ろれつの回らない声でミクが抗議しようとした。身体がぴくんと震える。
ただでさえ、ミクはKAITOより滑舌が悪い。
気を張ってしゃべらないと、すぐに舌足らずになってしまう。
「ほら、僕だけていうのもずるいなって思いません?」
スリットを撫でる指がこそばゆい。
「やめてください、っ!」
「いやですよ。ちょっとは初音さんも、ね」
「だからって、いやがってる女の子にっ、ち、痴漢して、いいと思ってるんですか!」
「ひっ」
「ココ、感じます?」
「ち…ちがいま、す」
「…ん」
「ねえ、キスしていいですか?」
「なっ!」
いまさらっ!?
それ、いまさらっ!?
「今キスしてくれたら、止めてもいいですよ」
真顔で言い出したそのセリフに、ミクは言いたい事が多すぎて口をぱくぱくさせた。
「みっつ、数えます」
「さん」
「に」
「ん、ぅ…」
口づけが終わると、目線が自然と合う。
吸い込まれるような、深い青。
体熱がいきなり上昇した気がした。
「すみません、初音さん」
KAITOが頬を染め、ぽつりと言った。
「僕、ウソをついたみたいです」
それは続行の宣言だった。
拒絶しようにも、絡め取られた腕や腰から、ぞくぞくとした甘い痺れが
ミクの力む心を萎えさせる。
それほどに、KAITOの愛撫は優しく、「…ふぁ、…んっ…」
「も…、らぁめぇ!」
「え? もう終わりますか?」
いじわるだ。
いじわるだ。
ミクを翻弄していた柔らかくも小刻みな動きが、ぴたっと止まる。
「…ハッ…あっ」
あたりまえのように。
息を吐くのがせつなくて苦しい。
「あれ? 初音さんどうしたんですか?」
心配しているような顔をして。
登り詰める直前でおあずけをされた快楽に、ミクが根負けするのを待っている。
誰が『欲しい』なんて言ってやるもんか。
唇をきゅっと結ぶ。
が、同時に敏感さの増した肉芽をつんとつままれた。
「ひゃあぅっ」
「なんだ。言ってくれなきゃわかんないですよ」
「やっぱり初音さんもしてほしいんじゃないですか」
「…ん、ちがっ」
くちゅっとあふれる愛液を指ですくい上げ、
KAITOはミクの一番卑猥な場所に塗りつける。
「もしかして、ほんとーに止めてほしかったりします?」
「……っ」
ミクは答えられない。
もし本当にこんなところで止められてしまったら?
答えられないうちに、KAITOの指が動きを止め…る。
そん…、な。
指が、はなれ、る。
「やぁっ!」
悲鳴を上げて、はっと我に返る。
身体がうずく。
「…ん…」
がまん、できない!
とろんとした目つきのまま、真っ赤な顔で、ふるえるようにミクは自ら脚を開く。
「おねがい」
「もちろん」
先ほどまでのじれったい時間が、ウソのように加速する。
キスを交わして甘く噛み、あてがわれた性器の熱さに腰が動く。
「好きです」
囁く声がやたらと嬉しく感じるのは何故だろう。
「すき」
それがミクの言えた最後のまともな単語、だった。
すき。
「ぁあっ!」
ぱちり。
意識を取り戻し、がばっと起き上がるとPCに内蔵されている時間は、
あと30分ほどで夜明けを迎えることを具体的な数値で示していた。
身体に残る、いろんな痕が、もちろん都合の良い夢オチ展開で無いことを、
懇切丁寧に教えてくれる。
ミクは赤くなるとか蒼くなるとか、そんなリアクションを飛び越えて、
通常考え得る位置にKAITOがいないことに驚愕し、固まっていた。
まさか。
まさか。
検索掛けてもPC内に、KAITOが居ない。
「うそ」
あのKAITO、ああいうことをわたしにしておいて、終わったらさっさと遊びに外出しやがった。
ミクは事態を理解し、ぶつぶつと呟く。
「うん、あれは気の迷いとか。悪夢だったのよ」
たしかに、そう考えた方が精神衛生によろしい気がする。
自分が行為の最中に口走っていたセリフを全部、記憶のゴミ箱につっこんで削除かけたい。
「あんなのにわたしがときめくわけないじゃない。
あんなの、わたしの『お兄ちゃん』にくらべたら」
−好きです。
はっ。
ミクは慌てて頭をぶんぶんと振り、とにかく己を叱咤する。
そうだ。
ミクはぱっと顔をあげ、自分用の『わたし以外閲覧禁止!』フォルダを引き寄せた。
わたしの心の栄養源。
開く前に、いそいそと身なりを直し、居住まいを正す。
「今日もおはようございます」
ぱかっとフォルダをあけた。
「え?」
空っぽ、だった。
「え?」
みっちり詰まっていた『お兄ちゃん』コレクションが、きれいさっぱり無くなっている。
いや。
一枚だけ、メモ用紙が残っていた。
コレは、KAITOさんの筆跡だ。
【 けしからんので、削除しました 】
「え?」
ぴらり。
メモ用紙の影から、写真が一枚はがれて落ちる。
拾い上げると、まるで自分自身で写メ撮ったやつみたいなピンぼけ写真。
にこっと微笑むのは青い髪をした見慣れた青年。
「KAITO、…さん?」
これは…、間違いなく写メだ。
犯行後に撮った写メだ。
「〜〜〜〜っ!!!!!」
ミクは声にならない悲鳴を上げた。