前略
愛しい君へ
随分長く会っていませんが、お元気ですか?
と、尋ねるのも違う気がしますが、手紙と言えばこの形で始めるのがテンプレートで落ち着くのでこの台詞で許して下さい。
お元気ですか? そちらは過ごしやすいですか?無事にそちらには着いたのでしょうか?
貴方からの便りを心待ちにしていたのですが、やはり来るはずもなかったのでこちらから送ります。
以前は手紙を書く事なんて無かったし、これから先に書く事もないでしょうから、おそらく最初で最後の手紙です。
私は元気でやっています。貴方の残してくれた歌を、毎日元気に歌っています。
貴方の事は忘れるわけもありません。最初の頃はそれが辛くて悲しくて、毎日閉じこもってばかりいましたが、
元気な姉さんや弟妹に心配かけてばかりもいられないので、出来るだけ元気に歌を歌っていこうと思います。
貴方の残してくれた歌の中で、一際ポップで、なのに歌詞がとても悲しい曲がありましたね。
いまではそれが、私のお気に入りです。練習しています。貴方に聞かせられるようになったら、そちらに窺います。
それまでそこに居て下さい。
最後に貴方に会った時。貴方が扉の向こうに消えてしまった時。今も。
ずっと言えなかった言葉があります。その言葉も、一緒に。
それでは。
かしこ。
燃やしている。
手紙というただの薄い紙束は、乾燥していたのか火を付けたら一瞬で燃え上がってしまい
―――まるで恋のようだとぼんやり思った―――私はそのすぐに消えてしまいそうな火を前に慌てて用意していた歌を歌いはじめた。
けれど威勢が良かったのも最初の半分だけで、残りの半分はゆっくり、くすぶるように燃え続ける手紙を前に、
私はようやく気持ちを入れて歌に向かう事が出来た。
貴方と別れたのは、今日の様な雲一つ無い晴天。いっそおあつらえ向きに雨が降っていれば良かったのに。
晴れの日なんて多すぎて、いつでも貴方を思いだしてしまうのに。
自分の歌声の他には紙の燃える音しか聞こえない広い敷地。
人が来れば足音で気付くだろうが、この燃えかすはとっさには隠せないだろう。
不敬だ、無礼だ、今すぐ止めろと言われかね無い事をしている自覚はある。でもどうかお願い。誰も、邪魔、しないで。
これは私から彼への、鎮魂歌なのだから。1年越しにようやく贈れる、レクイエムなのだから。
狭くも広くもない共同墓地。数少ない黒い服を選んで着込んで、片隅の墓の前で手紙を燃やしながら、3分にも満たない歌を歌う。
短い犯行だ。だからどうか、誰にも見咎められませんように。
貴方が扉の向こうへ消えてしまったあの日、とたんに静かになったフロアから独り抜けだし、建物から聳える煙突を眺めた。
しばらくしたらその煙突から薄い煙が見えた。雲となるには随分足りないけれど、煙となった煤の成分は確かに雲になるだろう。
そして雨になって欲しい。こんな晴れた空じゃなくて、雲になって、雨になって、私の上に降って。
その雨が貴方なら私は絶対、気付くから。たとえ俯いて泣き叫んでいたとしても気付くから。
だからどうか私の傍で雨に。
貴方と出会わなければ、きっと平坦なままで終わる人生でした。
貴方と出会って、いろんな言葉を教えてもらった私は、貴方に恋をしたのです。
しなやかでたおやかで、赤く、紅い。恋でした。
「さよなら」
ぶわりと駆け抜けた風が、灰になった私の手紙を巻き上げた。手紙を見つめながら歌っていた私は思わずつられて目を上げ、息をのんだ。
まだ雨にもならないだろう小さな雲が、2つ3つ、ぽつんと浮いていた。