朝からカイトお兄ちゃんの様子が変だった。
顔がやたらと赤く、息が荒い。話しかけても上の空。何より、何故かメイコお姉ちゃんの事を必要以上にちらちら見ていた。その目付きがなんて言うか…やけに嫌らしかった気がする。
もしかしたら何かのウイルスにやられて調子がおかしくなっているのかもと思い、朝食が終わった後私はマスターさんの部屋に駆け込んだ。
「マスターさん!」
「あれ、ミクどうしたの?」
マスターさんはパソコンのワードを開いていた。何でもレポートの期限が近いらしい。
「カイトお兄ちゃんが変だからワクチン下さい!」
「随分直球な表現だね…」
どんな感じ?と聞かれたので症状を詳しく話す。するとマスターさんは何か閃いたみたいだった。
「なるほどね、確かにカイトもお年頃っちゃあお年頃だからね…うーん、放置してみたいけど後が怖いかな…」
「?何の話ですか?」
「いや、こっちの話。ま、とりあえず急いだ方がいいか。確か近所の薬局に置いてあったな…」
そう言うとマスターさんは立上がり、コートを羽織り始めた。そして私にもコートとマフラーを差し出して来て、こう言った。
「ミク、ワクチン貰いに行くよ。一緒においで」
ボーカロイドには風邪などの病気の他にもネットからのウイルス感染がある、とマスターが話してくれたのは私が初めてウイルス感染した時の事。
あの日の事を思い出すのは恥ずかしい。マスターには本当に迷惑をかけてしまったし。でもマスターの優しさを改めて知ったのも同時なのだから、何とも言えない。
私はあの日から時折思う。
ああ、なんで私は――
と、そこで私はスリープモードが解除された。スリープモードの最中にはたまに過去のメモリーがフラッシュバックされる。マスター曰く、それは『夢』と言うらしいけど。
「あ、メイコ姉さん起きた?」
カイトの声が聞こえる。そうだ、朝食の後カイトにマスターから新デュエット曲を貰ったから練習しよう、なんて言われたからカイトの部屋に行ったんだ。
ただしそれは練習するためではなく、カイトの調子が悪そうだったからさっさと休めと言うために……あれ、それでどうして私はスリープモードになったのかしら。
「カイト私なん…!?」
カイトに聞きながら身を起こそうとする…そこで私は自分の身体の異変に気付いた。両手首が縛られ、ベットに繋がれている。足首も同様。
異変に気付くと同時に思い出す。一度だけ合わせようよと言うカイトの返事を渋々承諾し、譜面取って来るから待っててと言われ出された茶を啜り…今に到っている。
こいつ睡眠薬か何か入れたなと唖然としている私を見て、カイトは微笑んでいる。ただ、顔は朝から変わらず火照り眼はうつろになっていて…私は何故か背筋がゾッとした。
「良かった、やっと目が覚めた…もうちょっと起きるのが遅かったら、僕我慢出来なかったよ」
でも寝てる間にヤっちゃったら、流石に後味悪いしね…とか呟きながらカイトが私の上に乗り掛かって来る。ベットがギシッと軋み、その音で唖然としていた私はふと我に帰った。ちょっ…、これはもしかしなくてもヤバくない!?
「カイト!?これは何の冗談よ!」
私は叫ぶように言った。私たちの部屋は歌を思う存分練習出来るようにと防音になっている。勿論ドアには鍵が掛かっているだろう。だからこの声は外には聞こえない。それでも私は叫ばずにはいられなかった。
「冗談じゃないよ」
叫び声同然な私に対してカイトの声は冷静だった。でも、その声はほんの少しだけ焦っている気がする。
「朝から身体中が熱いんだ…誰でも良い、身体が身体を求めてる」
「…!」
耳元で囁かれ、私の身体がギクリとなる。本能的な理由と、もう一つ…その台詞の意味に対して。
「カイト、あんたまさか…っ」
「ご主人は人間でご主人だし、ミクは守備範囲外だし、リンとレンは出かけているし…そうすると姉さんしかいないだろ?今すぐできる相手なんてさ」
「だからさ…姉さんを、頂戴」
「カイ…んっ!」
言うよりも早く、カイトが私の唇を塞ぐ。カイトの舌が無理矢理口の中に入って来て、私の舌が絡め取られる。
抵抗しようにも下手に動いても意味がない。私は目を瞑りカイトのされるがままになっていた。時折なるクチュ…という水音が、やけに部屋に響く。ああ、耳を塞ぎたい。
「…、はっ…」
お互いに息が足りなくなり唇を放す。唾液の糸が引いて、切れた。「姉さんの唇…柔らかいね」
「…うるさい」
私は答えた。顔が真っ赤になっているのは多分気のせいじゃない。
「胸はどれ位柔らかいのかな?」
カイトが服の下から私の胸に触れる。
「あ、…っ」
反抗したくても手足が縛られているので何も出来ない。睨み付ける事が唯一の反抗だった。
左手は私の身体を抱き、右手は私の胸を揉む。そんな状態でも反抗しようとする私が面白いのかカイトはクスッと笑い、
鍵を開ける音がして、
「」
カイトが何かを言おうとして、
そしてドアが勢い良く開いた。
「カイトお兄ちゃん!頭の調子は、どう、で…」
入って来たのはミクだった。私たちの姿を見て、最後まで台詞が終わる前に固まってしまった。
カイトも同じだった。鍵が掛かっているからと完全に油断していたのか、開いたドアとミクを見ながら呆然としている。ちなみに私は固まっている、と言うより元々動けない。
この部屋がフリーズしてからどれ位経ったか、その沈黙を破ったのはミクだった。
「お兄ちゃんが、お姉ちゃん、に…」
ミクは耳まで真っ赤になっている。天然なこの子でも、どうやらこの状況が何を指すのかは分かってくれたらしい。
「お…お兄ちゃんのバカ!変態!!き、き、近親何とかですぅっ!」
ミクは叫びながらダッシュで逃げて行った。目は涙まで浮かんでいた。なんか凄い罪悪感…私は全く悪くないのに。てか、何故にミクが相鍵持ってるのよ?
「あれミクどうしたの…って、うほっ凄いとこ見られたねお二方」
ミクが出て行ってから数秒した後、マスターが部屋を覗いて来た。手には注射器を持っている。
「ご、ご主人…どうしてミクが相鍵を…?」マスターの手にある物体に気付いていないカイトの声はうわずっている。
「ほら、ミクがカイトが心配だから先に様子を見に行くって言うから持ってた相鍵渡してあげたんだよ」
でもこんな風になってるとは思わなかったよと神妙な声で喋るマスターはとてもいい笑顔をしている。マスター…あなた分かってミクに相鍵渡したでしょ?
「い、嫌だなあ、マスター、相鍵持ってるならそうと教えてくれれば良かったのに?!」
マスターがこの家の相鍵を持っている事すら知らなかったカイトの声は、本来出る声より1オクターブ程上がっていた。目は完全に泳いでいる。…このままウイルスが勝手に消えてくれないかしら、いや、それはないか。
「本当はずっと教えるつもりはなかったんだけどねぇ、まあ、非常事態だし」
さて、と私たちボーカロイドの主は言った。
「カイト…『動くな』よ?」
ビクッとカイトの動作が止まる。マスターの命令に私たちは逆らえない様にプログラムされているからだ。…でもマスターは殆ど命令なんてしないけど。
マスターはカイトの動作が止まっている間に部屋に入り、先に私の手足を解放してくれて……カイトにワクチンが入っている注射器を突き刺したのだった。
***
僕の目が覚めたのはベットの上だった。
「あ、起きたね」と穏やかなご主人の声が聞こえた。振り向くとご主人が僕のパソコンをいじくっている。
「さっきまでの事、覚えてる?」
ご主人の言葉に一瞬思案し――そして全て思い出した。僕は姉さんを……
「〜〜っ!!!」
僕は声にならない叫び声を上げ、つい布団の中に潜り込んだ。穴があったら入りたいとは、まさにこの事だ。
「あ、ミクについてなら安心してね?カイトはネットウイルスに感染してたってちゃんと説明しておいたから」
ご主人の声が布団越しに聞こえる。ネットウイルス…と僕が呟くと、ご主人はそうだよ、と返して来た。
「カイトが感染した奴はボーカロイド限定に設定されていたウイルスでね、最近流行っている奴だったんだ。ごめん、先に教えておけば良かったね」
でも言い辛くてね…と苦笑するご主人。
「なんて言うウイルス?」
と僕が聞くと、ご主人は教えてくれた。
「一定のサイトをクリックすると発生するウイルスでね…本当は即効性で、感染している状態でそのサイトを見ていると、ついそのサイトの有料な部分も見たくなっちゃうんだって」
そこまで聞いて、僕は昨晩見ていたサイトを思い出す。…マズい。
「でも、ウチのボーカロイドには多少免疫があるみたいでね、即効には聞かなかったんだ。だから有料は見なくてすんだ。
でも残念なことにウイルスには感染しててね、発症し始めたのが約6時間後…」
「もう良いです…」
僕が呻くと、ご主人はそう?と言って言葉を紡ぐのを止めた。
つまりはこう言う事。
僕が見ていたのは18禁サイト。
感染したのは平たく言えば一種の媚薬。
夜の時点ではウイルスの効果はなく何事もなかったけど、朝になったら効果てきめん。エロい事をせずにはいられなかった訳だ。
「ま、メイコに対してはなんとか未遂で終わったしね。それにメイコにも前科があるから、カイトをそこまで責めないでしょ」
そう軽く言ってのけたご主人の言葉が引っ掛かった。…メイコにも、前科?
「ご主人っ…」
ご主人に解い正そうと急いで布団から這い出た。
しかしそこにはご主人はすでにいなく、パソコンのワードが開いていて、画面には【ワクチン代として、レポートよろしく☆】と打たれていた。ちなみに机の上にはご主人のレポート内容が記された紙の束。ご主人、これを自分一人でやれと…?
そういえば、ふと姉さんの寝言を思い出す。『なんで私は、人間じゃないんだろう』とか『人間だったらマスターに…』とか何とか。…まさか姉さん、ご主人の事…。
「ただいまー!」
いきなり玄関辺りからの声に我に帰る。どうやらリンとレンが帰って来たらしい。
僕は頭を振って、今考えていた事を頭の隅に追いやる。バカバカしい、大体ご主人は女性だ。
僕は椅子を引きだし机の前に座る。
リンとレンが帰って来たのなら、夕飯もそろそろだろう。夕飯になる前にレポートの内容位読んでおこうかな。