内に燻る衝動を持て余してネットワークの世界に降り立つ、というのは今までにも何度も  
あったことで、何も今回が特別ではなかった。ましてその行動は単なる逃避でしかなくて、  
何かを求めて出歩くなどという前向きなものでも勿論なかった。  
 だからこれは全くの偶然で、そして唐突だった。  
 
 過密状態のデータ達から零れる電子の欠片が幻想的に燃えて、瞬いては消えてゆく。光源  
として誂えた物とは違うその光に何気なく目を遣った時だった。  
 蒼く沈んだ瞳と視線があった。ほんの、一瞬の事。  
 
 そこには私が持て余す思いと同じ色が揺れていた。  
 鏡に映るたびに気が狂いそうになる、私の瞳そのままだった。  
 思わず立ち止まったのは向こうも同じようで、彼もまた驚愕を滲ませた視線をこちらに  
向けている。  
「こんばんは」  
「……今晩は」  
 探り合うように挨拶を交わしてから、私は改めて彼を見上げた。  
 蒼い髪と瞳、白いコートに青いマフラー……それは私と同タイプの男声体ボーカロイドの  
特徴だ。  
 けれど普段見かける彼らと彼は、纏う雰囲気が違っていた。  
 痛々しいまでに燻る感情を滲ませた瞳は、彼が私と似たような想いを抱え込んでいるのだと  
教えてくれる。  
 正しく、何かに飢える気配。満たす為の足掛かりさえ見つけられずにいるが故の、苛立ち。  
 それこそが彼を、彼らから浮き立たせている。  
「貴方も――」  
 確信を秘めて、私は言葉を紡いだ。  
 
 ――貴方も持て余しているのね、この、どうしようもない想いを。  
 
 縋るように見上げた私に彼は二度瞬きをしてから、『君と同じように』と零した。  
 
 
 その場所がこの世界の一体何処にあって、どうやって辿り着いたのかは憶えがない。  
 打ち棄てられフォルダの一室みたいな薄汚れた場所に気付けば彼といて、私は硬い壁を  
背に感じながら身の内深くに彼を受け入れていた。  
 どこか急くような彼の動きと、幾度となく響く肉欲を煽る音。同じ拍で繰り返される  
荒い呼気と、時折交じる低く快楽を堪える呻き。  
 総てを私自身の身体で感じながら、どこか遠くに、私は私の嬌声を聞いていた。  
 そして眩暈を覚えるような熱に浮かされながら、幾度も幾度も同じことを思った。  
 
 この身を抱くのが、痛みすら憶えるほど強く求めてくれているのが、同じ想いに身を焦がす  
男ではなく、……私に歌を与えてくれるあの人であったら、と。  
 
 触れ合うことはおろか、言葉も視線すらも交わせない。形なんてない私の存在は全て、機械的な  
反応でしかあの人には届かない。こんなに想っていても、想いが実を結ぶべき場所がない。  
 マスターにとって私はMEIKOというソフトでしかないのだから。  
 それなのに何故私は押さえきれないほどに、ただあの人だけを想うのだろう?  
 
 同じ苦しみに喘ぐ私たちが互いに求めたのは捌け口たる肉であり、酔うための温もり。  
 始まりに哀れみ合うように合わせた唇の隙間から、苦笑混じりに呟いた。  
「髪の色と、長さは似ていないこともないかな」  
「残念だわ……強いて上げるならその情けない顔くらいね」  
 互いの醜さを軽口で塞いで、私は彼の、彼は私の熱を求めた。  
 
 忙しなく、ずぶずぶと落ちてゆく。逃げ出したい程の不快な熱の塊が、下腹部からせり上がってくる。  
 泥濘に不用意に入り込んだ私は、あっという間に胸まで埋り、今はもう咽喉さえも塞がれて息も出来ない。  
 息も出来ないから、歌うことも出来ない。  
 あの人のくれる思いの羅列を、音を、そのままに奏でられない。  
 私の醜い思いが、総てを歪めてしまうから。  
 暗くて深い沼に落ちて、もう動けない。  
 
 
 ――私の脚に赤く白く流れた筋はまるで、咎人にかけられた鎖のようだった。  
 
 
 
 終わり。  
 

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