日曜日の夕方、ヤマハ家の古風な玄関の呼び鈴が鳴り響き、ケンの家に訪問者がやってきた。
同じマンションに住むタロー=カワイと彼のセクサロイドの二人だった。
タローの11体目になるセクサロイドをケンにお披露目するための訪問であった。
ケンとタローは、同い年の幼なじみで、お互い自主自立の気風が高く、タローは、ケンと馬があった。
タローが言うには、『ケンは、尊敬に値する友人だが、セクサロイドの趣味が悪すぎる…』らしく、
ケンに言わせれば、『タローは、決して趣味人ではなく、裕福な退廃人なだけなのだ…』
とお互いに貶し合えるほどの仲だった。
お互い成人式を迎えて間もないが、タローも結婚する意思がまるでなかった。
しかし、ケンと違うのは、タローは、手当たり次第に女性を口説いては、別れるという軟派な遊び人であったことだ。
本人が言うには、セクサロイドよりも魅力的な女性が現れるまでは、結婚なんてしないということだった…。
”理想の女性が現れない可能性の方が高いんじゃねえの?”
そう思うケンではあったが、タローの開放的なところを尊敬もしていた。
「よう!ケン!成人しても、まーだ童貞なんだろ?魔法使い目指して、まっしぐらだな!
今日は、俺の新しいパートナーを見せに来たんだ。紹介するぜ。俺の新しい『ミイたん』だ!!」
タローの後ろから顔をひょっこり覗かせている初顔のセクサロイドは、
清楚な白いフリルのエプロンドレスにブルーのセーラーブラウスを着ていた。
緑色の髪を三つ編みにして、左右2本のおさげになっており、先端を赤いリボンで束ねてある。
おでこにはピンと跳ね上がった髪の毛が愛らしい。
胸の真ん中には、赤い大きなリボンと三角形のブローチにエクスクラメーションマークがあしらってある…。
”今度の服装は古典的なんだな。”
そう思ったケンに、彼女は『初対面でない挨拶』をしてみせた。
「ケン様?あの、11人目の私です。また新しい私の容姿を覚えていただけると光栄です。」
セクサロイド人格OSの『ミイ』は、ケンが5歳のとき、
タローの初めての性教育係としてやってきたセクサロイドのお姉ちゃんの名前だ。
『ミイ』姉ちゃんは、タローの求めに応じ続け、これで、11回目のボディ交換になる。
しかし、ケンが、人格OSごと2人目のセクサロイド『リカ』に切り替えたのに対して、
タローは、初号機の人格OSをそのまま新型ボディにエミュレートし直して使い続けているのだ。
新型ボディの機能をうまく使いこなせない旧式OSをずっと使い続けるタローの行動が以前のケンには理解できなかったが、
ミクと出会ってから、それも愛情なのだと実感できるようになっていた。
しかし、本当に、ミイ姉ちゃんのことが好きなら、出会った頃のままのボディを使い続ければいいのに…。
新型ボディに載せ替えられる度の機種転換訓練で、ミイ姉ちゃんは、いつもメーカーの研修所で、強制メンテナンスをさせられている。
そういう苦労をさせられているのに、あの頃と同じまま、いつもうれしそうにケンに挨拶をしてくれるミイ姉ちゃんだった。
「ミイ姉ちゃん、こんにちは!姉ちゃんも大変だね。
新しいボディに次々と載せ替えるこいつの性癖は、もうビョーキだもんな。」
「まあ、ひどい!私のマスターの悪口を言うなんて!親友として、恥ずかしくないんですか?
マスターは、私を大切に使い込んでくださってるだけです。
ボディだって、耐久性が落ちてきたから、仕方なく転換しているだけですのよ?ねっ!マスター?」
「そうさ!いつまでも旧式のボディに入れられているOSの身にもなってみろって!
最新のボディに、筆おろしからの思い出をずっとつむぎ続ける古参のOSとのコラボ!俺の美学だぜ!」
ミイ姉ちゃんは、うれしそうにタローの右腕にぶら下がっている。
先代の10人目のボディは、グラビアモデルのようなGカップグラマーだったのに、
目の前の少女は、身長110cmのツルペタお子ちゃまボディになっていた。
ぷにぷにとした手足とほっぺは、間違いなくメガテクボディ社の幼女仕様プレティーンタイプだった。
「どうだい?このギャップがたまらんだろ?
お前のリカちゃんよりもさらに低年齢化志向の超高級仕様のロリータボディだぜ?」
「あーハイハイ、わかったから、玄関前でのろけず、さっさと上がれよ。」
「おう!上がらせてもらうぜ!」
「ちょっとぉ、待ちなさい!マスタぁ!」
そのまま、玄関から靴を脱がずに土足で入ろうとするタローをミイ姉ちゃんは、
小柄なそのボディで、体当たりブロックしてタローの侵入を食い止めた。
”ナイス!ミイ姉ちゃん!”
「マスター!!カワイ家とちがって、ヤマハ家では、ここで、靴を脱ぐんですよ!いい加減覚えてください!」
きちんとお辞儀をしながら入ってくるミイ姉ちゃんの足下は、白のハイソックスを装備している。
そして、玄関で靴を上手に脱ぎ、タローのだらしなく脱いだブーツをきちんと整える。
その手つきは、やっぱり、あの頃のままのミイ姉ちゃんだ。
「めんどくさい風習を未だ守ってるんだなぁ。」
「マスター!!その言い方は、失礼でしょう?日本古来の住宅文化なんですよ。」
「イイんだよ!こいつは俺の悪友なんだから。」
「だからこそです!親しき仲にも礼儀ありです!」
「ちぇっ、ミイたんは、ここへ来るといつも姉ちゃんだった頃に戻るんだもんなぁ。」
ぶつぶつ言いながらも、タローは、部屋の中に入っていく。
ケンも見た目はリカであるミクをタローとミイ姉ちゃんに紹介しなければならない。
ちょうどいいタイミングだった。
”お互いのセクサロイド…いや…もう僕にとっては、妻として紹介するわけだから、きっと驚くだろうな。”
ケンは、タローとミイを応接室へと通した。
ケンの母は、仕事で出かけているから、面倒くさいことにはならないだろうとケンは思った。
”ママは、タローがセクサロイドを10体使いつぶしたっていう戦果がとても気に入っているからな。
タローと会えば、ぜったい僕と比較するに決まってる。”
「おいっ!ケンっ!客が来たんだから、コーヒーぐらい出せっ!」
「マスタぁ!そんな言い方止めてくださいっ!」
「いいじゃんか!コーヒーぐらい要求したって。」
「言い方の問題です!『コーヒーが飲みたいな』とか言えば、リカさんが美味しいのを炒れてきてくれるにきまってます!」
「まあまあ、ミイ姉ちゃんも僕の家でのこいつの無礼は、大目に見てやってよ。」
「そう仰ってくれるのはうれしいんですけど、タロー様は、礼儀作法が雑すぎるんです。
こんな風にお育ちになった原因は、私にも責任があることなんですけど。」
「ミイ姉ちゃんのせいじゃないよ。こいつの遺伝的な問題さ。」
「おいおい、俺を二人そろって貶すのかよ。」
ケンは、タローのこういうがさつなところが気に入っていた。
口で言うほどには、無神経でなく、いつもケンの心を和ませるような会話を心得ていた。
「実は、俺も、お披露目しないといけないことがあるんだ…」
ケンのその言葉を聞くと、タローの目が輝いた。
「リカちゃんの次のセクサロイドを買ったのか?新型か?」
「ちがうちがう!リカのままなんだけど、その、人格OSを載せ替えたんだ。」
「…」
「ミク、入っておいで!」
ミクの入室直後、タローとミイには、かつてのリカではないことが一目でわかった。
それほどに、初音ミクの持つボーカロイドとしての特性は、セクサロイド用OSの機能を超えているモノだったのだ。
「あの、お初にお目にかかります。先代のリカ様から、このボディを預かった初音ミクと申します。どうかよろしくお願いいたします。」
ミクは、普段着のブラウスを着ていたが、まるでフォーマルスーツを着ているかの身のこなしで挨拶をして見せた。
ミクの一つ一つの仕草には、気品があり清楚な印象が強く、
性のプロフェッショナルであるセックスアピールの強いセクサロイド用のOSとはまったく違うものだった。
「ミク、コーヒーを炒れてきてくれないか?君の分も入れて、ホットを4つね。」
「はいっ、マスター。」
くるりと振り返るミクの動きをタローは、冷静に観察していた。
見た目は、全く同じリカのボディなのに、躰の動きと表情の豊かさが段違いに優雅だった。
何より発声の仕方が独特で、リカと共通の音声出力デバイスのはずなのに、言葉遣いのイントネーションが心地よかった。
そう、話すと言うより、あれは、まるで唱っているかのようだ…。
タローは、ちらりとミイの方を見ると、ミイも同じような感想を持ったようだった。
『あの娘は、セクサロイドのリカさんではない…』
「ミイたん、キッチンへ行って、ミクさんのお手伝いをしておいで。
コーヒーは、ミルクじゃなく、生クリームを別にして持ってくるようにって。俺の好みを教えといてやって。」
「…はいっ。マスター。」
ミイは、タローの意図を完全に見抜いていた。
コーヒーの入れ方を教えに行くのではなく、初音ミクを探りに行かせたのだった。
13年以上のつきあいになると目配せ一つで、意思の疎通ができることをケンは、羨ましく思った。
ミイが、部屋から出て行くと、タローがいつになく緊張した声で問いただす。
「おい、あの子は、やばいぜ!わかってんだろ?俺が、気がつくくらいなんだから!
初音ミクっていう人格プログラムは、異能ソフトウェアだ。それも、とびきり超高性能の…」
タローの職業は、薬品開発のためのDNAマッピングだった。
生化学が専門だったが、セクサロイドに対する並々ならぬ執着故に、初音ミクがセクサロイド用OSではないことにすぐに気がついていた。
「言うなよ…ミクは、僕の妻になったんだ。それ以上でもそれ以下でもないさ。」
「妻ぁ?!マジかよ!お前は、童貞のまま、セクサロイドと一生過ごすつもりか?」
「そのつもりさ。お前だって、見ただろ?ミクは、もうセクサロイドではないよ。
ボーカロイドって、本人は言ってるけど、とにかく、彼女は、僕を男にしてくれるんだ。もう、生身の女性に、興味はないよ。」
ケンの真剣な表情とのろけとも言える言葉に、タローも真剣にならざるを得なかった。
「…しかしな、セクサロイドのボディに…ボーカロイドだったか?
そんなわけのわからない人格が載っかって、動いているってだけでもすごいことなんだぞ。
いまさら、どうこう言っても、危険は承知の上って、わかってるんだったら、この話はおしまいでもいいが…。
その初音ミクとかいうヘンな者と一緒に人生を歩むなら、そのリスクをしょって生きるつもりか?
悪友としては、お前の幸せなどどうでもいいが、お前が死ぬようなことだけは、勘弁だぜ!」
「リスクか…確かにな。お前の言うとおり、やはり、リスクをしょってるんだろうな。
初音ミクって、いったい誰が、何のために作ったんだろう…
大戦後の日本文化大革命で、電子的なデータは、米帝に根こそぎ持ってかれたし、書籍の類は、全部焼かれてしまったからな…
国立国会図書館が気化爆弾とスーパーナパーム弾で丸焼けになったとき、祖父は、これ以上屈辱なことはないって言ってたっけ。
検索クールクルで、ボーカロイドや初音ミクって言葉で検索しても、出てくるのは、ニヤニヤ動画が初音ミクの聖地だとか、
まあ、あんまりよくわかんない情報ばかりで、大戦前にそんな高度なソフトウェアがあったとも考えにくいしな。」
「とにかく、あの子は、ヤバイ。お前は気に入ってるみたいだが、俺は、好かん。さっさと、廃棄するなり、消去するなりした方がイイって。」
「やめろ。それ以上言うなよ。」
二人の会話を中断させるかのタイミングで、ミクが入室を求めてきた。
「マスタァ?入ってもイイですか?」
「おうっ、入れ!」
ミクが、部屋に戻ってくると、ケンとタローの間の空気が緊張していることに気がついた。
ミクは、どういうわけか、そういう人間と人間の関係が気まずくなっていたり、元気がなくなっていることに、すぐに気がつくことができた。
前人格のリカの能力にも似たような機能が付いていたが、ミクの配慮は、セクサロイドのそういう機能を上回っていたのだ。
「あの、タロー様?主人がいつもお世話になってます。
タロー様って、すごい方だってお聞きしてます。
あんな天才の隣人でいられたことが、俺の幸せだって、主人は、いつも申していますわ。」
「あっ?ああ。まあ、それほどでもないんだがな…」
ミクは、コーヒーカップを先にタローの側から並べる。
タローの好みの生クリームのポッドを注ぎやすいように配置し、スプーンの向きも皿の置き方も完璧だった。
「あの、マスター?ミイ様が夕食の用意を手伝ってださるっていうんです。
キッチンで作業しててもよろしいでしょうか?」
「ああ、それはいいことだね。
しっかり習ってくるといいよ。
ミイ姉ちゃんが作る料理の味は、その辺の三つ星レストランよりも美味しいんだから。」
「はい。それでは、失礼いたします、タロー様。」
これ以上ない笑顔でミクは、タローに向かって最敬礼の挨拶をし、うれしそうに出て行った。
「おい、ケン!俺は、あのセクサロイドはヤバイって言ったが、…」
「なんだよ!ミクの悪口をそれ以上言うなら…いくらお前でも…」
「初音ミクってのは、けっこう、いい子なのかもな。」
「なんだ、そっちかよ!」
「でも、俺のミイたんの最新ボディは、バービーシリーズだからな。
お前の666式型のボディとは機能も質もダンチだぜ?」
「つまり、ミクよりもミイ姉ちゃんの方が、可愛いって言うんだろ?
お前だって、人格OSだけは、そのま13年前の旧式をずっと使い続けているじゃんか!
俺のこと、とやかく言える立場かよ!そんなに好きなら、あの頃のままのボディを使えばいいのに…。
お前の行動は矛盾してるんだよ!」
「チっ!わかってねぇな!ボディというのは、見かけのことだろ!
セクサロイドの真の魅力と性能は、OSなんだよ。
正確に言えば、使い込んだパラメータ処理の蓄積って言うやつさ。
1から覚え込ませる楽しさっていうのもあるかもしれんけど、俺の過去を全て知っていて、
その上で、俺の男としての魅力を引き出してくれるのは、ミイたんだけさ!
お前は、どうせ、一生童貞貫いて、生の女を知らんから、同じセクサロイドボディでも満足できるんだよ。
その点、俺は、生身の女もセクサロイドもどちらも2桁こなしてるからな。」
自信たっぷりに自慢するタロー=カワイは、自分がセクサロイドにどっぷりはまっていることを自覚していなかった。
生身の女と比べている時点で、セクサロイドの魔性に捕まっていると、ケンには、思えた。
それに、初体験と精通を導いてくれた最初の人格OSである旧式の「ミイたん」をそのまま載せ替えて、
ボディだけを新たに機種転換し続けているのも、彼のこだわりと執着心の現れなんだろう。
キッチンでは、背の低いミイが、高所に保管してある調理器具を取り出せないことで苦労をしていた。
調理技術は最高でも、道具なしでは、何もできない。
反対に背の高いミクは、ミイの指示通りに道具を取り出せても、どう使うのかがまるでわからない様子だった。
「ミクさん?始めは、とにかく、後ろで見ていてくれればいいわ。そのうち、覚えるからね。」
てきぱきと作業をするミイを尊敬と憧れの眼差しでミクは見つめる。
調理技術も覚えたいが、ミクは、もっと知りたいことをミイに尋ねてみた。
「ねえ、ミイさんは、タロー様のどういうところがお好きなんですか?」
「ヘンな子ねえ。マスターのどういうところが好きかなんて、全てが好きに決まってるじゃないの!
体臭から、彼の排泄物に至るまで、全てを管理し、医療的にも性的にも看護するのが、私たちセクサロイドの使命なのよ。
嫌いなところがあるわけないし、好きなところがどこかって、聞かれたら、彼の全てが好きですって答えるに決まってるわよ。」
ミクは、ミイが、自分には、無い機能が備わってることで尊敬の気持ちを込めて、聞いたつもりだったが、聞きたいことに答えてもらえなかった。
「あの、わたしも、ケン様の全てが好きですわ。
でも、一番好きなのは、わたしを大切に思ってくださることなんです。
私が、眠ってるときに、命がけで、私を追いかけて、取り戻してくれた話を聞いて、なんだか、じーんと来ちゃった感じなんです。」
「ふーん、そういうのってよくわからないな。
でも、わたしは、5歳の時にタロー様と出会って、それから、彼のセクサロイドとしてずっとおそばでお仕えしてきたの。
もちろん、彼の筆おろしもわたしだったし、精通を導いたのもわたしなのよ。
この躰は、10回換装したけど、基本人格ソフトウェアと記憶は、そのまま更新し続けてるから、
記憶もパラメーターも普通のセクサロイドの10倍以上あるわ。
まあ、性能が10倍ってことはないんだけど、機能が劣化しやすいセクサロイドの人格ソフトウェアをここまで、こんなに使い込んでくださる人は、
世界中探したって、そんなにいないと思うわ。
古いままの私をずっと大切に使ってくださってるタロー様のそういうところが、一番好きってことかしら?
マスターは、世界で一番、私を愛してくれる男性かもしれないって思うと、私もあの人を世界一大切にしなきゃって思うわ。
それが、一番好きなところってことかしら?」
「そうよ!うん、そう言うことが聞きたかったんですわ!
そっかぁ、ミイさんって、11人目の躰なんだぁ。
そう言えば、ママさんがそんなこと仰ってましたわ。」
「まあ、タロー様は、あなたのご主人のことを高く評価しておられるけど、私のタロー様に比べれば、普通の人ね。」
「まあ、失礼なこと言わないでくださいな。
ケン様は、私にとって世界一の唯一無二の夫ですのよ!その妻の前で、悪口言うのって、許せませんわ!」
「妻ぁ?夫ぉ?セクサロイドの分際で、人間様と結婚できると思ってるの?あなたってセクサロイドの機能を違えているわよ!
いい?セクサロイドの使命は、主人の性的欲求を満たすことと、主人が健全な子孫を残せるように導くことなのよ!
それは、性的な技能と感性を育てて、より相応しいパートナーに巡り会わせるための役目なのよ。
セクサロイドと結婚して、どうやって子孫を残せるって言うの?
あなた、セクサロイドとして機能不全になってるんじゃないの?
主人のことを夫だなんて、思い上がりも甚だしいわよ!」
「ケン様は、私でいいって、仰ってくれたんだもの。私が思い上がってるんじゃないわ!」
「あのね、主人の間違いややり過ぎをいさめるのも、セクサロイドとしての役割なのよ!
何故、セクサロイドボディが数年間で劣化していくのかわかってないのね。
私たちは、人間の玩具であって、人間に取って代わる存在であってはならないの!
それくらいあなたもセクサロイドなんだから知ってるでしょ?
妻だとか、夫だとか、セクサロイドの行動規範から外れた認識だわ!
…あっ、そうか、そういうプレイを楽しませるように命令されてるんでしょ?
それなら、そういう言い方もありね。
わたしも、よく兄妹プレイをするから、時々、認識回路がずれちゃうことがあるもの。」
「えへへっ、そういうプレイも楽しそうですわね。」
「まあ、タロー様が、どんな奥様を選ばれるかわかんないけど、今の私は、タロー様のお身体を看護して、
お心を健やかに育てることを考えてるだけなの。
もし、願いが叶うなら、タロー様の息子様の代まで、お仕えできたら、最高よね。」
ミイは、キッチンの前で、うっとりとした表情を見せる。そんなエプロン姿のミイが、ミクには理想の女性像として凛々しく見えた。
「あのね、私たちセクサロイドは、今の女性のアンチテーゼとして生まれてきた歴史があるの。
そう、私たちの躰には、男性の夢がつまってると言ってもイイわね。
今の技術で叶わないのは、妊娠することぐらいだもの。
かつて、多くの人間の女性たちが、【出産】という痛みを伴う夫婦の愛情の証明であることから逃げて、
結局、快楽だけを求めていった結果、女性の能力や地位が向上していったかというとそうならなかったわ。
出産という生死をかけて産むという苦しみを伴わないことで、
子作りは、何度でもやり直しがきくという最悪の考え方に変貌していったの。
産まれた子どもの命を軽視し、障がいや劣悪遺伝子を持つとされた乳幼児が、親の手で殺されたりもしたの。
無論、母親側だけではなく、父親側にも、その責任があるわ。
でも、生まれてきた命を真摯に受けとめて守ろうとする愛情「おなかを痛めた我が子」というシンプルな母性の真理を失わせていったわけ。
人工子宮と遺伝子操作の技術で、人間の生命の価値が軽くなったのは、間違いないと言われてるの。
男性が求めていたのは、自分の遺伝子を継ぐ子どもを産み、真っ当に育ててくれるパートナーだったの。
女性が、産まずに、出産を代理母や人工子宮に求めていった結果、
産まれてきた子ども達の虚弱体質、生殖能力の低下、遺伝子の劣化を招いていったの。
これは、米帝の日本侵略の戦略だったとも言われてるわ。
私たち女性型セクサロイドは、男子が、まだ精通もしていない若い時期から、生殖能力の開発と維持を目的として造られたの。
男性の欲求に答えるのは、あくまで手段としての私たちの機能。
本来の目的は、優秀な男性の遺伝子を大量に生産させ、女性に子どもを産ませることにあるの。
私たちが魅力的で、性技巧に長けていれば、女性側は、セクサロイドに男性を盗られないように、自分を磨く必要があるでしょう?」
「セクサロイドの歴史にお詳しいんですのね。」
「こんなの一般教養よ。」
話ながらもミイの調理作業は中断しない巧みさであった。
ミクは、その調理の手つきとセクサロイド開発史話に夢中になった。
「でも、私たちセクサロイドが合法化されるまでには、いろいろな事件が起きていたの。
セクサロイド開発が非合法だった頃、ある女性たちがとんでもない事件を引き起こしてしまったの。
それは、精液を冷凍して自分の子宮内に保存しておく機能を持った義体に換装した女性たちが起こした事件。
彼女たちは、同時に複数の男性と性交渉して、それぞれの男性の精液を次々と冷凍精子バンクへ売り飛ばしていったのね。
彼女たちの主張は、『自分が射精させた精液の所有権は自分たちにある!』ってね。
当然、精液を提供した男性たちは、それを認められないでしょう?
自分が愛した女性が、実は、他の男性ともつきあっていて、ただの精液製造機として見られていたことをとても憤慨したわけ。
それに、誰の子供を身ごもるかは、その女性が決定するという点で、男性たちから反発を買ってしまったの。
それで、今のセクサロイドにのみ搭載が認められたのが、精液回収冷凍保存機能の子宮ってわけね。
その代わり、セクサロイドには、妊娠できないようにさせられたのよ。
まあ、技術的にも妊娠のハードルが高いってのも理由らしいんだけど。
この事件をきっかけに、人間用の女性義体とセクサロイド用の女性義体とが、大きく区別されるようになったってわけね。
だから、私たちは、女性から男性を取り上げてはいけないのよ?
最終的には、優秀な男性を人間の女性達にお返しすることこそが、私たちセクサロイドの役割よ。
こんなこと、貴方の倫理規定メモリに、記録されてるはずでしょ?忘れちゃったわけ?」
「あの、…わたし、マスターに今のセクサロイドに入れてもらった疑似人格ソフトなの。
だから、今の私は、セクサロイドではないし、セクサロイドとしての知識も技術もないの。」
ミイの調理の作業が中断し、鋭い視線がミクに突き刺さる。
「じゃあ、セクサロイドでないとしたら、ミクさんは、何者なのかしら?」
「私は、ケン様が喜ぶことだったら何でもしたいの。
今のこのセクサロイドのボディも気に入ってるし、
リカ様からいただいたこのボディを使いこなすパラメータコレクションも大切に使っていきたい…
それだけで…今は…うれしいんです。」
「セクサロイドが、セクサロイドでない生き方をしても不幸になるだけなのよ。
セクサロイドは、自分の主人を愛してくれる女性に婿入りさせたら、その仕事は終わりだと思うわ。
どんなに性技に長けていても、生身の女性に敵うわけがないし、
妻から見れば、夫がセクサロイドに夢中になる姿は、不愉快でしょう?」
「妻から見たら、夫が元気で喜んでくれるんだったら、うれしいと思うけど…」
「それは、ミクさんが、まだ他の女の子に夢中になるマスターの姿を見ていないからよ。
私だって、倫理規定が優先するから、マスターが女性に夢中になることを促しているけど、
私を抱いてくれる頻度が落ちてくると、自尊感情の低下になって、いらいらするもの。」
「あっ、その気持ちわかります。
この前、へんな女性の服を見つけたとき、誰の者なの!ってマスターに詰め寄っちゃいました。」
「でしょう?セクサロイドにだって、嫉妬の感情がプログラムされてるんですからネ。」
「よかったぁ、ミイさんと仲良くなれて、ミクは、幸せです。
これからも、仲良くしていただけますか?」
「私は、タロー様のセクサロイドだから、タロー様が、ケン様と仲良くしている限り、貴方とも仲良くできると思うわ。
とりあえず、このポトフの作り方を覚えてくれるとうれしいわね。」
「はい、頑張ります!」
「ふむ、初音君、よいお返事です!」
「ハイ、ありがとうございます。」
「なあんてネ。ミクちゃんって呼んでもいいかしら?」
「ハイ、ミクってお呼びください。ミイお姉様。」
「私たち、マスターたちのように、仲良くなれそうね?」
「ハイ、仲良くなりたいですわ。」
「よーし、じゃあ、二人で夕食をちゃっちゃっと作っちゃいましょう!」
「ハイ、ミイお姉様。」
こうして二人は、セクサロイドとしての友情を育み、
ミクは、ミイを姉のように尊敬し、ミイも、ミクを妹のように慕うようになっていくのだった。
(続く)