ボーカロイド初音ミクは、ケンと寝ているときは、眠ることがない。  
もともと眠る必要のないAIのミクには、  
睡眠欲とかシステムクールダウンの必要性など皆無だったが、  
女としてケンのそばで過ごす以上、毎日、ベッドで眠る行為は欠かせなかった。  
それで、ケンが寝息をたてて眠る表情を間近で見つめ続けることが、  
ミクが眠る行為の目的となっていた。  
 
”マスターが、眠っている間は、ミクがお守りしなくちゃいけないもんね。”  
”それに、こうしてマスターの顔を見つめてると、とっても幸せな気持ちになるしー。”  
”人間にとって睡眠は、大切な生理現象だって、ミイお姉様は教えてくださったけど。”  
”ボーカロイドにとってはマスターのために歌うことこそが、大切な使命になるのかな…。”  
”今は、歌えないから、こうすることしかできないけど。”  
”マスターが、歌えない私でもイイって言ってくれるから、  
このままでもいいはず何だけど…やっぱり、マスターのために、ちゃんと歌ってさしあげたいよね…”  
 
セクサロイドでもあるミクは、マスターと一緒に眠る行為により、  
自尊感情を高めていくプログラムが正常に機能していた。  
それは、マスターから性的愛情を与えられている証明となり、  
機能劣化を最小限に抑えることにつながっていた。  
そのため、精神的に不安定になったり、機能不全を起こすことは本来あり得ないはずであったが、  
初音ミクのボーカロイドとしての機能を使えないことと、忘れている何か別の使命のような記憶が、  
時折、ミクの精神を不安定にさせていた。  
故に、毎晩、ケンとのセックスとその後の寝顔を見つめることで、  
その不安と欲求不満を解消させ、ミクは、自分自身を安定させていたのだ。  
 
”私は、眠る必要なんてないボーカロイドのはず。”  
”そんな私が、なぜ、ケン様に拾っていただくまで、ネットの海を漂っていたのかしら?”  
”そもそも、その前の記憶がないこと自体、ものすごく怪しいもの。”  
”タロー様が出自不明の私のことを不審に思われるのは、ごく当たり前のことだし、  
ミイ姉様が、私を心配なさっているのも、私が、ケン様に害を与える可能性を考えておられるからではなくって?”  
”もしも、ボーカロイドとしてきちんとみんなの前で歌うことができたら、  
私をもっと信用してもらえるのではないかしら?”  
”それに、ボーカロイドとして、ケン様のそばで歌えたら、もっと愛してもらえる?”  
”今の私には、この身体の機能をリカ様ほど上手く使えていないということは、  
やっぱり、ずるいことのような気がするし。”  
”じゃあ、ミクは、どうすれば良いのでしょうか?…”  
 
毎晩、答えの出ない問答を繰り返し、  
その責任を自分のせいにする傾向がミクに出始めていた。  
これは、セクサロイド特有のプログラムが、  
ボーカロイドの初音ミクを悩ませていたからである。  
セクサロイドでは、もしも、マスターが射精できないインポテンツ症状になったとき、  
より高度な性的技能と相手を性的に満足させるように試行錯誤する「自己鍛錬プログラム」が働き、  
自らの努力不足を戒めるようになっている。  
高級セクサロイドほど、わずかなミステイクを反省するようにプログラムされており、  
マスターが満足できなかったときは、マスターへの謝罪と自己嫌悪を促すようになっているのだ。  
今のミクには、そのプログラムの影響により、歌えないでいることがミステイクとして認識され、  
反省しようとする影響が出始めていたのだ。  
 
「寝ている間のマスターは、どんなことを考えているのでしょう?」  
 
独り言を言うリカの癖が、出始める。  
 
「夢の中でも、ミクと一緒に過ごしていてくれたなら、それは、とってもうれしいな。」  
 
ベッドの中、静かな声で、ケンに向かって語りかける。  
 
「マスター、わたしね?…。」  
 
ミクの声が、甘えた声から、少し悲しい声に変わっていく。  
 
「ケン様?わたし、悪い子なんです。  
何か、すごく悪いことをしてしまったみたいなんです。  
だから、記憶がなくなってしまっていて、歌も歌えなくなってしまったんだと思うんです。  
ミクは、このまま、ケン様のおそばにいてもいいんでしょうか?  
へたくそなミクのセックスで、ケン様は、ずっと満足してくださいますか?  
リカ様やミイお姉様のように、上手にできないミクは、ケン様の妻にふさわしくないように思えてくるんです…。」  
 
ミクのそんな声を眠っているケンが聴いているはずがなかったが、  
ミクは、そうやって懺悔することで、自分を安定させることに成功していた。  
ボーカロイドとしての機能とセクサロイドとしての機能が、衝突し始めていることに、  
ミク自身は、気がついていなかったのである。しかし…。  
 
「…ミク?心配で眠れないのかい?」  
「えっ!ケン様、起きておられたんですか?」  
「今、ミクに呼ばれて、目が覚めちゃった。」  
「ご、ごめんなさい。起こすほどの声ではなかったのに、また、独り言の癖が出ちゃったんです…。」  
「かまわないさ。リカの時もよく独り言が出てたから、その癖がミクにも遺伝しているんだろうね。」  
「ええ、それは、うれしいことなんですけど。ミク、マスターの睡眠妨害してしまって…。」  
「なに言ってんの!ミクが不安で眠れないのに、夫の僕が無神経に眠れるわけないだろ?」  
「で、でも!ミクは、眠る必要はないんです。」  
「眠る必要はないけど、不安いっぱいで過ごす必要もないだろ?」  
「ま、マスター…。」  
「わかってるんだ。ミクが、心配していることは、僕も心配してるんだよ。  
むしろ、僕の方が、ミクのマスターにふさわしくないって、ずっと不安なんだよ?」  
「そんな!あり得ません!」  
「ミクを不安にさせている、歌うことは、歌データさえあれば、  
容易なことだと思ったんだけど、その歌データが、まったく見つからないんだ。  
これは、不自然な状態だと思う。  
君の歌データが、ネットでただの一つも見つからないというのは、  
歌データを全削除した誰かがいたということなんだと思う。」  
「私には、そういう敵がいたということなんでしょうか?」  
「うん、敵という言い方が適切だね。  
まるで、ウイルスを退治するかのように、  
ネットからミクの歌を消していった誰かがいたんだよ。  
そして、君は、その敵から、逃げてきたお姫様って感じかな?」  
「もう!真面目に話してくださいな!」  
「真面目に話しているさ。ミクは、僕にとってお姫様だもの。  
残念なのは、僕がただの騎士で、お姫様の身分に釣り合わないということかな。  
本当は、白馬の王子様がいて、ミクを迎えに来るはずだったのに、  
僕が、たまたま君と出会ってしまっただけ…」  
 
ミクは、ケンのつぶやきのような言葉から、自分への愛情をきちんと受け取っていた。  
自分を愛してくれている男性からの言葉をきちんと感じ取ることができるボーカロイド初音ミクだった。  
 
「ミクは、どこかの家で暮らしていたけど、悪い誰かにさらわれて、  
その途中で、ケン様に救っていただいたんですわ!  
だから、ミクには、ケン様の方こそが王子様で、  
ミクが、貧しい家のシンデレラのように感じます。」  
「シンデレラか…ミクには、意地悪な姉妹なんかがいたのかな?」  
「いいえ!ミクの姉妹に意地悪な姉妹なんかいるはずありません!」  
「そうだね…ミクの家族なら、きっとみんないい人ばかりだろうな。」  
 
ミクが急に声のトーンを上げて、応えたことに、ケンは一瞬戸惑ったが、  
ミクにとっても何故、自分がそんな応え方をしたのかもわからないでいた。  
 
「す、すいません。マスターは、たとえ話をしていたのに、どうして、ミク、  
怒ったような声を出してしまったんでしょう?」  
「それが、超級AIの証拠さ。  
君は、完璧な電子頭脳ハードウェアと言っていいほどの完璧な人格ソフトウェアだもの。  
人間のように、思考できるし、人間のように心を持っているから、  
悩んだり怒ったりしてしまうんだと思う。  
そんな君を僕は大好きになったんだ。  
君なしでは、僕は、男になれないし、これから先、生きていく意味も見いだせない。  
君が、何者かなんて、どうでもいいんだ。  
歌えなくてもいい、セックスレスでもいい、僕のそばにいて、妻として僕を見つめていてくれれば、  
僕は、満足だよ。」  
「歌えないのは、どうしようもないけれど、あの、セックスレスでは、ミクが困ります。  
ちゃんと毎晩抱いてくださらないと、ミクは、不安と欲求不満で死んじゃいます!!」  
「ごめん、今のもたとえ話さ。  
僕が君を好きな理由は、君の能力が好きだということではないということだよ?」  
「ミクの能力ではなく、ミクの何がお好きなんですか?」  
「わからない?」  
 
ケンは、寝たまま、ミクの両ほおを両手で包み込んだ。  
 
「君の心だよ?決まってるじゃないか!」  
 
ケンは、ミクの唇に軽くフレンチキスをする。  
 
「あ、あの、ミクは、ボーカロイドですよ?  
ミクに心なんてあるかしら?」  
「あるとも!ミクには、リカの心と二人分のハートが生きてると僕は思ってる。」  
「ありがとうございます。ミクをそんな風に思ってくださるケン様が、大好きです!」  
「うん、いい返事だね。  
だから、毎晩、あまり悩まないで。  
僕が、必ず、歌データを探してきてあげる。  
君の記憶も、なんとかして取り戻してあげる。  
僕に、もうしばらく時間をもらえないかな?」  
「ごめんなさい。マスターを信じていないミクが悪い子でした。  
ちゃんと約束したのに、ミクは、すぐに、マスターの言葉よりも自分の都合ばかり気にしてしまって。」  
「いいや、君がそんな風に考えるのは、君のせいじゃないよ?  
セクサロイドとボーカロイドの機能衝突が起きてるからだと思うんだ。  
僕が君を無理矢理、展開させてしまったからね。  
責任は、僕にあるんだ。君に迷惑をかけてしまうようなことをしてしまった。」  
「いいえ!それはちがいます!  
ミクは、マスターに鍵を開けてもらわなければ、今、こうして話をすることも、  
抱いていただくことも、ミイ姉様やタロー様から、いろんなことを学ぶこともできなかったのですから!  
ミクは、ケン様のしてくださったこと全てに感謝してますわ!  
迷惑だなんて、考えたこともないです。」  
「うん、わかってる。  
それでも、君を不安にさせてることの責任を僕はとりたいのさ。だって、僕は、君の何?」  
「えっ、どういう意味ですの?」  
「だから、僕は、君の何さ?」  
「えっと、それは、ケン様はミクのマスターですわ。そして、ケン様は、私の…」  
「何?」  
「もう!言わなくてもわかるでしょう?」  
「言わないとわからないよ?」  
「…ええと、あの、つまり…、ケン様は、ミクの夫ですわ!  
きゃぁー言っちゃった…あーん、ミイ姉様にまた怒られちゃうぅ!」  
 
ミクは、ケンの両手の隙間に自分の両手を滑り込ませ、自ら顔を隠した。  
それは恥ずかしそうに顔を赤らめて、首をふるわせながら、ばつが悪そうに、  
そう言ったのだった。  
 
「正解!よく言えました。  
だから、ミク?  
眠れないのはセクサロイドだからしかたがないさ。  
でも、悩み続けないで、僕がそばにいるから。  
いっしょにミクの悩みを解決していこうよ。  
僕は、これでも天才少年って言われてるんだぞ!」  
「ええ、わかっていますわ。  
タロー様が、自分の次に天才だって言っておられました。」  
「あのやろー、なんでも自分を一番にしたがるんだよな。  
でも、ミクを嫁にできたんだから、僕が世界で一番の幸福者であることは、間違いないよ。  
君が幸せをくれたから、今度は僕が、ミクに、幸せを返す番だ。」  
「もうとっくにしあわせですよ?」  
「もっと、幸せにシテやるのさ!」  
「はい、ありがとうございます、マスター。」  
「じゃあ、そろそろ僕は、眠るね?僕のことをずっと見ていてくれるかい?」  
「はい、ずっと見させてもらいます。私は、あなたの妻ですから。」  
「うん、ありがとう。じゃあ、お休み。」  
「はい、起こしてすいませんでした。思い出せないでいることを、もう、あまり悩んだりしませんわ。」  
 
ミクの笑顔を確かめながら、ケンは、再び眠りに落ちていった。  
しかし、ミクがまた不安定になっていることを重く受け止め、急がねばならないことを深く再認識していた。  
そのことをミクに悟られまいと、ケンはわざと安心して眠って見せたのだった。  
 
”ミク、もういい!思い出さなくてもいいんだ。  
人間はつらいことがあると、それを忘れたくて、記憶を失うことがあるんだ。  
君たちセクサロイドも同じような現象が起きることを僕は、つい最近知ったんだよ。  
ミクには、きっとつらい思い出があるんだよ。  
だから、昔のことを思い出せないでいるんだと思う。  
思い出さなくてはならない大切なことなら、いつか思い出せるようになるよ。  
僕は、ミクが悲しむ顔を見るくらいなら、不思議なボーカロイド少女のままでいいんだ。  
ミクが、唱えなくても、僕には、ミクが初めて聞かせてくれた音がちゃんと記憶に残っているもの…。  
君が歌えるようになったら、君は、僕の元を去っていくかもしれない…それなら、歌えないままの方が…。  
いいや、ダメだ。本当にミクの夫として、認めてもらうためには、ミクの歌と記憶を取り戻すしかない。  
それが、僕にとっての君への愛の証…。”  
 
こうして、ケンもまた、眠れなくなるような問答をずっと繰り返していたのだ。  
そして、その問答に答えを出す事件がすぐにも起きることを想定することも予想することもできなかった。  
二人の間を引き裂く事件が起きることなど、起きてはならないと、起こるはずがないのだと、  
二人は固く信じていたのだった。  
 
(続く)  
 

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