成人式会場の関西エリアから、自宅がある関東エリアまで、リニアチューブで1時間とかからない。
少し遠くまで行ってみようかとも思ったが、1人でぶらつくのも嫌だった。
結婚候補者を『全て振ってきた』と言えば聞こえはいいが、
気に入らない相手から逃げてきたと言う方が正解だった。
むしゃくしゃした気持ちと落ち込んだ精神状態のままで、うろついてもろくなことはない。
どっか手頃なところで時間をつぶし、家に戻ったらミクで鬱憤を晴らそうと、
ケンは歪んだことを考え始めていた。
その一方で、父親のように、電脳化もせず、一人の人間の生を貫いた気高い生き方を思うと、
そんな情けない大人になるなと言う心の声が聞こえてくる。
”逆らえないセクサロイド相手に、欲求不満をぶつけるなんて、
僕もまだまだガキってことだな。他人のことをどうこう言えないじゃないか…。”
さっきのSEX至上主義のゴスロリ女を思い出して、ケンは、自己嫌悪した。
”そうだ!親父の墓参りでもして帰ろう!”
ケンは、Aヘイジがある日本海エリア行きのリニアチューブに乗り、電脳端末から予約を入れた。
『もしもし、俗名ゲン=ヤマハの息子のケンと申します。
本日、そちらへ父の墓参りに伺いたいのですが、予約とれますか?』
『はい、故人ゲン=ヤマハ様の御子息のケン=ヤマハ様ですね?
VIPメンバーの予約は不要です。お好きな時間においでください。
住職との直接面談をご希望ですか?』
『もし、お時間が取れるなら、お願いします。
いきなりの失礼な訪問なので、住職のスケジュールが混んでおられるなら、遠慮します。』
『承知いたしました。
でも、ヤマハ家縁者からの面談希望は、必ず、受けるようにとのご指示がありますので、面談が可能です。』
『光栄です。今、リニアチューブで向かっていますので、2時間後には、そちらに着きます。』
『お越しをお待ち申し上げます。』
VIPメンバーか…偉大な父親を持つと、息子としては、七光りだって思われないように努力するのが大変なんだよな。
Aヘイジは、深い山奥の里にある宗教施設である。
数百年の時の経過と共に、大衆を救う宗教としても、
常人を超えた悟りを得るための修行の場としても有名な施設であったが、
大戦後の米帝による宗教改革により、大きくその施設を作り替えられていた。
しかし、そこに生きる者の宗教的な精神は、そのまま残され続けていた。
ケンの父親であるゲン=ヤマハが、電脳ネットワークのSSEであるにもかかわらず、
電脳化を拒み、義体化をしなかったことは、この宗教に帰依していたためと母親から聞かされていた。
父が病に伏せったとき、ケンは、電脳化し、父親もそのことを認めてくれた。
喜んではくれなかったが、そのときの父の悲しい目をケンは、幼いながらに忘れることができないでいた。
尊敬する父、大好きな父、偉大な仕事を成し遂げた父…
ケンは、未だ超えられない父親の姿を追い続けていたのだ。
鬱蒼と茂る木々の中をリニアチューブがくぐり抜けていく。
既に宗教法人の敷地内に入っているためか、コンクリートと舗装された近代的な風景が無くなっていた。
ここは、旧日本の風景が残されている数少ないエリアであった。
チューブステーションを降りて、石畳の階段を自力で上っていくと、
寺院の門で、住職その人がケンを待っていてくれた。
GPSと衛星画像で追尾確認でもしていたのだろうか。
「おひさしいな。時間に正確なところも、お父上とよく似ておられる…。」
「タイムリーですね。衛星画像で僕をずっと監視されていたんですか?」
「いやいや、我が宗教では、そういった技術をできるだけ使わないように説いておりましてな。
到着予定の30分ほど前から、ここで待っておったわけじゃよ。」
”ぼくみたいな若造を住職自ら出迎えてくれるなんて…”
そう思ったが、すぐに考えを改めた。
自分に礼を尽くしているのではなく、偉大な父の息子だから、そうしてくれているだけなのだ。
「貴方のお父上は、Aヘイジに多大な寄進と貢献をなされておりましてな。
息子である貴方様の訪問があるというので、こうしてお待ちしておったのじゃよ。
そうそう、今日は貴方様にとって、大切な成人の儀式であったはずじゃが、
伴侶の選定は、首尾よういきましたかな?」
住職は、見た目は老人であった。
おそらくは、義体化していないはずで、性的な興味からそう聞いてきたのではなく、
純粋に、ケンの成人を喜んでの挨拶だとわかった。
だまって笑顔で返し、住職に促されるまま、奥の院へ歩いていった。
不思議と、さっきまでの怒りやいらだちが自然と無くなり、なんだか落ち着いてくる。
まだ昼間なのに、森の木々が暗い影を作り、苔むした緑色の石畳が、
ケンを敬虔な気持ちにさせていた。そして、思い切って、自分の恥をさらしてみようと思った。
「いや、実は…全員に嫌われてしまったようでして。
まあ、あんな女性たちなら、セクサロイドみたいな物だし、別にいいんです。
家で、セクサロイド相手に憂さ晴らしでもしますよ。
でも、気分転換に、親父の墓参りでもしようかと思いまして、伺った次第なんです。」
「その言い方じゃと、そなたは、セクサロイドを人工物だと思うて、見下しておるようじゃな?」
「まあ、そういう物でしょう?
男なら、成人までにセクサロイドを何体使いつぶすかっていうことがステイタスみたいなものですから。
それに、御宗派では、そういう義体や人工物を忌避していたように思いましたが…。」
ケンは、自分こそが父の考えをもっともよく理解しているという自負があった。
電脳化をしていても義体化を拒んでいる自分は、Aヘイジの住職にも受けがいいだろうと思っていたのだ。
それで、住職の声が鋭くなったことにもケンは気がつかなかった。
日本の伝統的な100畳敷きの仏間に通され、観音菩薩像の祭壇の正面に向かう二人は、
正座をし、両の手のひらを合わせると、お互いの顔を見ないままの会話が続いた。
「…我が宗教法人では、電脳化も義体化にも、その行為が、生命本来の姿を歪めているとして、
その行為を慎むように説いておるが…電脳化した者や義体化した者の入信を排除しておらんのじゃよ。
むしろ、悩みや苦しみは、電脳化し、義体化した者たちの方が根深い。
セクサロイドといえども、彼らは、人間の身体となる部品で構成された疑似生命体のような存在じゃ。
ただの物ではないじゃろう?彼らは、人を幸せにしてくれるために生み出された疑似生命体なのじゃから。」
住職のその言葉に、ケンは戸惑った。
てっきり、賛同してもらえるものと思っていたことを逆に反対されたのだから。
「住職からそのようなお話を伺うことになるとは意外でした…。
でも、父は、セクサロイドを使うこともしなかったし、自分の身体を義体化も電脳化もしなかったのは、
セクサロイドを含む電脳義体化技術そのものを忌避していたからではないのですか?」
「確かに、お父上は、それらの技術の影の部分を見つめておった…が、見下してはおらん。
そなたが電脳化するとき、反対はしなかったじゃろう?
それとも、電脳化を賛成してくれなかったお父上を、そなたは恨んでおるのかな?
自分と母上殿を置いて、先に死んでしまったことを…」
「ち、ちがいます。父を尊敬してます!父の死は、残念ですが、恨むだなんて…」
「そなたのお父上のように、電脳化を拒んで亡くなった者が幸せだったかどうかは、本人が決めることじゃ。
そなたが、それを真似する必要はないし、
父親が反対していた物をそなたが同じように反対するというのでは、進歩がないというもんじゃ。」
「僕が、セクサロイドを見下していることが、義体化した女性をも蔑む原因になっていると仰るのでしょうか?」
ケンは、この問答で、自分の考え方の誤りに気がついていた。
求めていたことは、自分の考え方や欲望に間違いがあるのなら、どうすればいいのか…。
あと少しで、その答えが見つかりそうな気がしていた。
「見下してはおらんかもしれんが、少なくとも、一人の人間として見ておらんじゃろう?
セクサロイドは、道具だから、自分の好きなようにあつこうてよかろうと思うとるじゃろ?
記憶の消去も行動原理の書き換えも、意のままにできる。
人格交換さえ、好きなようにしておる者が多いと聞くぞ。」
「!っ…。」
まるで、自分の行いを見てきたかのように諭す住職に、ケンは、自らを恥じた。
「…僕は、今、自分が使っているセクサロイド相手にしか男になれないみたいなんです。
でも、そんなの間違っていると…、恋愛感情は、生身の女性に抱くものなんだって、ずっと悩んできました。
住職は、その悩みこそが、間違っていると言われるのですか?」
「間違っておるとは思わんが…、生身の女性でなければとか、そなたがこだわる必要は無かろう。
そなたの心がもっとも安まる相手を伴侶とすることが、幸せなことじゃよ。」
「でも、セクサロイドとは、子どもを作れません。
それに、1日12時間しか、共に生活できないんです。
そんなの夫婦って言えるでしょうか?」
「夫婦のあり方なんて、当人同士が幸せなら、どんな相手でもよかろう。
男同士で結婚する者、女同士で結婚する者、
種を超えてペットと自分の遺骨を一緒に埋葬して欲しいなど、それぞれじゃよ。
そなたの父上も、早死にするとわかっていながら電脳化を拒んで、死んだことも、
他人から見れば、滑稽なことだったろう。
それでも、そんな生き方に幸せを見いだす者もおるということなのじゃよ。」
「僕が、セクサロイドのミクと結婚する…」
「ケン=ヤマハ殿。結婚だなんて制度に囚われずに、一生を共にする相手と考えればいいんじゃよ。
あまり、男女の仲を形式化しても、つまらんぞ。
現代の医学では、遺伝子を操作して子どもを作るのもあと少しのところまで来ておる。
まして、卵子バンクから人工授精して、父親だけで、セクサロイドの人工子宮で子供を育てるのは、
そう珍しいことではない。
いろいろな愛のあり方があるじゃろ。
ただし、生まれてくる命の価値は、今も昔も変わらん。
そなたが、祝福できる命を育みなされ。」
「はい、ありがとうございました。」
「素直なことはいいことじゃ。
そうじゃ、そなたの悩みを少し解決してくれそうな者が、ちょうど今、修行中じゃよ?
会っていかれるとよかろう。」
「どんな方なんですか?」
「まあ、会ってみて、考えると良かろう…」
ケンは、そこで、住職と別れた。
すぐに、見た目は若い義体化した修行僧らしい男性が、ケンをさらに奥の部屋へと案内してくれた。
ここには、生身の人間だけが居るという思いこみがあったが、
住職が言われるように、途中、通り過ぎていく修行僧の大半が義体化していた。
施設が山の斜面に建っているために、迷路のような木製の階段を登り続けること延々数十分…
小さな6畳ほどの薄暗い板張りの僧坊部屋に通された。
ロウソクの明かりだけで、誰かを弔い続ける修行中の僧…
いや、女性型の…セクサロイドが、そこで座禅をしながら祈りを捧げていた。
「どうぞ。彼女が、住職があなたに会わせたいと申していた人物です。」
案内をしてくれた修行僧に会釈をして礼をすると、彼は、彼女の経歴を簡単につぶやいてくれた…。
「彼女は、主人に捨てられ、主人が自殺する様子を無理に見せられたセクサロイドなのです…」
「なっ!!」
セクサロイドの彼女は、ケンに静かに頭を下げた。
修行僧の頭巾をかぶり、頭髪を剃り落とし、性的なボディを黒い僧衣で覆っているので、
女性であることすらわかりにくい。
しかし、ケンには、彼女の唇やまつげや指先の形や動きから、
高級セクサロイドのボディであることがすぐにわかった。
ケンが、オーダーメイドしたリカのボディスペックと同水準だったからだ。
住職の時と違い、ケンは、彼女と真正面で向き合った。彼女がそう促したからだ。
彼女も話をしたいのだとわかった。
「住職様から、あなたのご質問に答えるようにと指導を受けました。
わたくしでよければ、お話を承りまス。どのようなご用件でしょうか?」
セクサロイドが主人を失えば、通常は、自ら機能停止してしまう。
まして、彼女の場合、主人に捨てられたというのだから、稼働し続ける行動原理が失われているはずなのだ。
「初めまして、ケン=ヤマハと申します。僕も貴方に会っていくように、住職から指導を受けた者です。貴方のお名前は?」
セクサロイドであっても、主人の居ないところで、通常の日常生活を営むことはできる。
ただし、主人が目の前で自殺するのを見せられたということは、彼女が三原則を守れなかったことを意味する。
主人の生命保護規定を守れなかったセクサロイドが、機能停止せずに振る舞っていることが、ケンの興味を引いた。
「本当の名前は…、覚えていないのデス。
私の主人がつけてくださった名が、あったはずなのですが…主人が亡くなったときの衝撃で、思い出せないんデス。
主人の顔も名前も覚えているのに…自分が誰であったのか…わからないんデス。今は、メイと呼ばれておりまス。」
「記憶喪失のセクサロイドが、機能停止せずに稼働し続けるなんて…あり得ない。」
「はい、わたしもそう思いまス。おそらく、主人が死に際に与えた命令と、私が三原則に違反したために、
私の安全規制プログラムが破壊されてしまったのだ思いまス。
それに、わたしの稼働耐久時間数は、もう過ぎているはずなのデス…既に寿命が来ているんデス。」
「彼が、最後に貴方に与えた命令とは?」
ケンも技術者であるから、純粋にその疑問への質問をセクサロイドメイに問いかけた。
メイは、動揺することなく、ケンからの質問に答えた。
「彼は、私に生きろ!と御命令をなさったのデス。そして、私の目の前で…私は、彼を守れなかったのデス…」
その悲しみの大きさがどれほどのものなのか、人間であるケンにも想像がついた。
ケンがロボット三原則や電脳倫理規定などに仕事上詳しかったこともあるが、
稼働するはずのないセクサロイドが、目の前で稼働し続けている…これを奇跡というのだろうか…
単なる不良品と言うべきなのだろうか…ついさっきまで、セクサロイドを物として道具としてしか見ることができなかった自分が、
今は、主人の死を悼み、悲しみのあまり記憶を失い、三原則を守れなかった苦しみに耐えて動き続ける彼女を
「単なる物」として見ることができなくなっていた。ケンは、メイに語りかけた。
「あなたは、えらい人ですね…。」
「いいえ、私は、主人を守れなかった不良品でス。
でスから、私は、耐久稼働限界まで生きて、そして、いつか死んで、彼の…御主人様の下へ参りたいんデス。
わたくしは、貴方を守ることができなかった不良品だから、その罰として、ずっと悲しみ続けて生き続けましたって。
そして、生きろ!というあなたの御命令を守りましたヨって。
死んだら、ずっとあなたのおそばで仕えさせてくださいって、申し上げたいんデス。」
メイは、悲しい声でそう答えた。発音・会話機能が、低下してきているのだろう。
さっきからロボット特有の合成音が混じっていた。
「それで、君は幸せなのかい?」
「いいえ、幸せなんか、あの人が亡くなったときになくなりましタ。
ホントは、彼が死んだとわかったとき、わたしも機能停止すべきだったんデス。
三原則を守れなかったんですから。
でも、彼が、私に『生きろ』とお命じになられたから、せめて、その御命令ぐらいを守って見せないと、
死んでから彼に会わせる顔がありません。おかしいデショウ?セクサロイドの私が、死後の世界を信じているなんて!」
メイは、声こそ悲しい感じだったが、表情は笑っていた。
表情表現機能も低下しているのかとも思ったが、
むしろ、今の彼女の心境は、死に近づくことで、
主人の最後の命令を守る誓いと主人の命を守れなかったことの償いをし、満足しているのかもしれなかった。
「ここで、主人を弔いながら、学んだことがありマス。
わたしたちセクサロイドには、三原則以外に、私たち自身が知らされていなかった適応規制プログラムがあったのデス。
1 主人に拒否(虐待)されても愛されるように努力すること。
2 残存稼働時間に占める性的愛情遮断経過時間率だけ、性的機能効率を低下させること。
3 性的機能効率の低下を自尊感情の低下として認識すること。
これは、工場で設定される先天的プログラムではなく、
マスターと初めて出会って、名前をいただく瞬間にロードされる後天的プログラムで、
本人には自覚できない形でロードされているんデス。
だから、私たちセクサロイドは、マスターに愛されないようになると極端に性的機能が低下していって、
必然的に主人からの関心が薄れていくようになっているんデス。
工場で生産されてから、ほぼ5年で新製品への切り替えが行われていくのは、
経済産業省からの消耗部品の耐久時間が5年になっているせいもあるんデスが、
一番の理由は、私たちの機能ソフトウェアが、マスターから愛されなくなると劣化していくようにできているからなんデス。
企業側の新製品への買い換えを促すための思惑もあると思いますが、
私たちセクサロイドがあまり長い間マスターにお仕えすると、
人間として変わらない愛情をマスターが抱き始めて、
本物の人間に愛情を注がなくなってしまう危険性を予防するためなんだそうデス。
デスから、私たちセクサロイドは、ロボットと違って、短いサイクルでその務めを終えていくのデス。
もちろん、消耗部品を交換し続ければ、ロボットと同じように長くお仕えすることも可能デスが、
愛情不足による適応機制プログラムは、解除できないようになっているので、
マスターとの性的な接触が無くなれば、いつかは、機能停止になるんデス。
愛されなくなったセクサロイドを速やかに処分していけるように、
飽きたセクサロイドにいつまでも愛情をかけることがないように、始めからそうプログラムされているんデス。
開発メーカーの名前を使って、ハニータイマーって言われているようですけど、
これって、私たちセクサロイドが、より人間に近づいていくこと防ぐためのセクサロイド版のロボット三原則だったんデスね。」
もしも、セクサロイドに心があり、悟りの境地に達することがあるなら、
今の、彼女がそういう状態にあるのかもしれない。
ならば、彼女たちセクサロイドを物として見下してきた自分は、
一体なんて、おろかで、あさましい人間だったのだろうか。
自分のことしか考えず、イライラした気持ちや欲求をぶつけることしかしてこなかった自分は、
なんて、醜い人間なんだろうか!
ケンは、目の前の死にかけているセクサロイドに尊敬の念を抱かざるを得なかった。
せめて、人間として、彼女に、何か語れる言葉がないだろうか?
ケンは、メイの背後で燃えているロウソクの光の影が「ゆらゆら」と揺れるのを見て、思いついた。
「僕には、彼が君のそばで笑っているように見えるよ。
彼は、君を苦しめたくて、『生きろ』って命じたんじゃないと思う。
彼は、君と一緒に死ぬことよりも自分を一番理解してくれた君を残すことで、
自分が生きていた証にしたんじゃないかな。悲しいことだけど。」
メイは、ケンのその言葉で、瞳を大きく開いた。
「そうなんでしょうか?彼、笑ってるんでしょうか?そう思われマスか?」
「うん。僕は男だから、彼のいっしょに死にたかった気持ちと君を死なせたくない気持ちの葛藤が分かるような気がする。」
「ケン様、ありがとうございました。
わたしには、理解できていないことが、まだまだたくさんあるんデスね。
彼が、笑ってくれているなら、ワタシ、彼のそばで、精一杯生き続けて、
そして、彼のそばで死にまス。ワタシにも、彼が見える日が来るンでしょうか?
今日は、ありがとうございました。ドウカ、お元気で。」
メイは、ケンとの話を終えると、そのまま振り返って瞑想に入っていった。
おそらく、会話もままならない状態になりつつあるのだろう。
そんなセクサロイドが、生きているという事実にケンは驚き、そして、人としての感情を強く揺さぶられた。
ケンは、その後、父の墓の前で、メイという仮名を付けられたセクサロイドのことを思いながら、合掌していた。
セクサロイドを愛し始めていた自分は、男として間違っていると。
そんな作り物の女性を相手にオナニーするのは、間違っているのだと。
だから、リカを見下して、冷たく接してきた。
それなのに、人間の女性に温かに接することができたのかと言えば、それすらもできなかった…。
セクサロイドリカにしかに自分が男になれないことを認めるのが怖かった。
リカの身体にはまって抜け出せなくなっていることをごまかし続けてきた自分の気持ちを、ようやく素直に認めることができそうだった。
”でも、リカは、もう居ないんだよな…俺が…人格変更なんてバカな真似してしまったから…
今は、抱くこともできない、歌えない初音ミクなんだよな。”
さっきから、ケンは、何か心の中でもやもやとしていたものをはっきりさせようとしていた。
自分は、人間の女性とは、もう相性が合わないとわかった。
それはいい。
しかし、何か、ひっかかっていることは、セクサロイドミクとこれから一生つきあっていくことへの不安があるのか…
そうではない…ミクは、リカのボディを持っているのだから、
教えていけば、きっと女性としての性的な機能も復活させていくことが可能だろう。
しかし、このもやもや感は、そのことではないような気がする…。何か、忘れている…何か…。
ケンは、父の墓石の上から柄杓で水を注いだ。
線香の束に火を付け、煙の香りを嗅ぎながら、合掌を続ける。
『俺が、見落としていること…。
親父、俺って人間として間違ってことをしてるのかな…。
セクサロイドなんて、義体化技術の結晶みたいなもんだろ?
そんな物に自分の愛情を注いで、いいと思うかい?
住職は、それもありなんだって、言うんだ。
それに、メイという壊れかけたセクサロイドと話してたら、
彼女たちにも人間のような心があるって、思えるんだ。
むしろ、今日出会った人間の女達よりも、
セクサロイドの方が人間らしいって思えたよ。
リカを抱いていたときに、何となく、そういう自分に気がついていたんだけど、
俺って、リカに結構ひどいことをしてきたし、
自分は、セクサロイドを使いつぶしてやる正常な男なんだって感じで、つきあってきたから。
セクサロイドを大切な人だと思ってなくてさ、
今のリカには、ミクっていう名の人格が入ってるんだけど、
彼女に対しても、同じ感じで、冷たくしてしまって…
もう、なんだか、俺ってサイテーな男のような気がしてるんだ。
俺って、何か、人間として、成長してないんだって、思い知らされたよ。』
しばらくして、ケンは、ようやくもやもやとした心の原因に気がつき始めた。
”メイが、壊れた原因は、主人を愛してたからだ。
主人の命を守ろうとしたが、主人の自殺を止められず、
そして、機能停止を許されない命令「生きろ!」を与えられた。
その命令を守るためには、自らの適応プログラムを壊すしか選択肢がなかった…。
自分を壊して、主人への愛を証明したかったからだ…
僕が、セクサロイドに心があると感じたのは、自分を壊すことに躊躇いがなかったからなんだ…。”
ケンの脳裏に、リカの笑顔と声が、甦ってきた。
やさしかったリカ、従順なリカ、自分の癖や嗜好を全て理解してくれたリカ…
もしかして、リカもそう思っていた?…
俺が、リカを道具としてしか見ていなかったから、リカも道具として俺に仕えるようにしていたんだ…
だったら、彼女はどう思っただろう?
見知らぬミクのファイルを自分の脳内で開かれて、そして、
主人である俺に、「死ね」と命令されたに等しい人格交換をさせられて…
ああああっ!俺がそう命令したとき、あいつは、何の躊躇いもなくそれを実行したじゃないか!
俺に自分の死を命じられたとき、躊躇いなく死んでみせることで、
俺に、おれを愛してることを証明して見せたんじゃないのか?だとしたら…、
”ぼくはなんてことをしてしまったんだ!”
僕はリカの記憶データを何の躊躇いもなく消去してしまった…
彼女と築いた思いでや彼女から教えてもらったこともあったのに…
僕は、取り返しのつかないことをしてしまったんだ…。
(続く)