森の風が、さわやかに、そして、静かにケンの肩を駆け抜けていく。  
やさしいリカの声が、『自分を責めないで…』と語りかけてきたように感じた。  
 
”もう取り返しがつかないこと…だからといって、そのままにしておいていいわけがない。  
動けるはずのないセクサロイドが、主人の死後も尚、主人への愛を貫いて動き続け、主人を弔っているというのに!  
人間でなければ恋愛対象じゃないと、こだわっていたお前のしてきたことは何だ?ただの虐待じゃないか!  
お前は、人間のくせに、道具だと蔑んでいたセクサロイドに負けているぞ!  
しっかりしろ!ケン!お前に今、できることはなんだ!?”  
 
答えは、もう決まっていた。もともと、そうするしかないことを薄々、感じていた。  
だから、余計に腹立たしく、ミクに八つ当たりしていたのだ。  
そして、人間の女性に対して、恋愛感情を持てなかった自分を異常だと思いたくなかった。  
でも、人間は、自分が愛する者と一緒に生きればいい。  
そんな単純な答えをどうして今の今まで、素直に出せなかったのか…ケンは、自責の念で、つぶされそうだった。  
もう取り返しがつかないなら、せめて、リカが身をもって教えてくれたことを無駄にしないよう、ミクに自分の罪を詫びるしかなかった。  
 
”ミクに聞いてもらおう。ミクに謝罪して、ミクの中にいるかもしれないリカに謝るんだ。  
そして、もしも、許してもらえるなら、ミクに結婚を申し込もう。  
リカにやさしくしてやれなかった償いとして…いや、ミクのあの歌声を聴きたいから、ミクのそばにずっといたいから、  
僕の過ちを許して欲しいと、そう伝えよう。  
今は、ボーカロイドのミクだから、そんなこと言っても、理解できずに、返答に困るだろうか。  
人間が、セクサロイドに結婚を申し込むなんて…リカだったら、何て言うかな…  
『私は、セクサロイドなので、御主人様の結婚相手として不適格です…どうか、性欲処理の道具としていつまでもお使いください…  
御主人様には、わたしなんかよりも人間の女性が似合います。』ぐらいは言いそうかな。”  
 
ケンは、父の墓石に、もう一度合掌を見舞うと、すぐに山の中腹から麓へ向かって勢いよく走り出した。  
次発のリニアチューブで帰れば、ミクが目覚める前に帰宅できるぎりぎりの時刻だった。早く麓のステーションへ戻ろう。走れば間に合う!  
『カツッ、カツッ、カツッ、カツッ、カツッ』と、ケンのフォーマルブーツの堅い靴底と石畳がぶつかる音が、静かな森にこだまする。  
ケンは、石の階段も数段跳ばしながら、数百段を一気に駆け降りていった。  
 
途中の僧坊から、住職が、顔だけをひょいと出し、ケンに再び声をかけてきた。  
 
「えらく急いでおられるようじゃが、今晩、泊まっていかれてはいかがかな?  
たいした食事はだせませぬが、ここの夜は静かで、朝の空気は最高に美味い。  
ぐっすり眠れることだけは、保証いたしますぞ?」  
 
ケンは立ち止まり、はぁはぁと、息を切らせながら、答えた。  
 
「…タイムリーな、お見送りをいただき、ありがとうございます!  
でも、せっかくのご好意ですが、すぐに帰宅せねばならなくなりました。  
住職のおかげで、悩んでいた答えが見いだせそうなんです!  
今度来るときは、伴侶を連れてきます。では、失礼します!」  
 
失礼な挨拶だったかもしれないと思ったが、それにしても、忙しいはずの住職が、  
まるでずっと自分を見張っていたかのような出迎えと見送りに来られたのが不思議だった。  
監視カメラで見られていた感じはなかったし…いくら僕がVIPの息子であるにしても…。  
 
そんなことを考えて走っていると、ケンは、階段を駆け下りていく足音が、さっきのリズムと違っていることに気がついた。  
早くミクに会いに帰ろうと急いでいた自分の足音…住職と再び出会って考えている自分の足音…ずいぶん感じが違うものだ。  
 
”あっ!そうか!!”  
 
最後の石畳を駆けながら、ケンは、自分の足音のリズムが、自分の心模様を表していることに気がついた。  
そう、人の足音というのは、その人の心の様子を表す。  
義体化している人も、していない人も…皆、歩くと音を出す…その音には、その人の心模様が表れている。  
…悩みながら、ここへ来たときの自分は、ミクへの愛を疑っていた。きっと、元気のない足音を響かせていたことだろう。  
でも、今は違う!力強く、ミクへの愛を語るために帰ろうとしている自分がいる!  
もしかして、住職は、それをずっと聴いていた?ケンは、歩みを止めて振り返ると、去りゆくケンを見守る住職のやさしい眼差しがあった。  
 
「ずっと、僕の足音を聞かれていたからですね?」  
 
そう叫ぶケンに住職は笑顔で手を振った。そして、手をまっすぐに前に差し出し、  
 
”前へ進みなさい!”  
 
そう言ってるかのような仕草をケンに見せた。  
 
「はいっ!」  
 
大きく力強い声で、ケンは応えた。もう、迷わない。ミクを僕の大切なパートーナーとしよう。  
嫌われてたっていい、罪を許してくれなかったとしても、僕にはそうするしかないのだから。  
でも、もしも、自分が犯した過ちをミクが許してくれたなら、ミクをずっと大切にしていくことを誓おう。  
今度は、僕が、犠牲となることを躊躇わないことをミクに約束するんだ。そうしたら、きっと、リカも…  
 
リニアチューブの窓から見える日本海へ沈む夕日は、この上なく美しく思えた。  
ケンは、それを見つめがら、家に戻ったら何と言おうか、その後に誓わねばならない、  
ミクに告げねばならない大切な言葉を考え続けていた。  
 
”こんな風景に似合う歌もあるんだろうな”  
 
リニアチューブは、地上と接触する部分がなく、ほとんど音を立てないで空中浮揚走行する。  
それでも、鋼鉄の車体が時速500km/hで走行する風切り音が、かすかに室内に響いてくる。  
…森の囁き…石畳を歩く参拝者の足音…列車の走行音…呼吸と心臓の音…  
ケンは、今まで、気にもとめなかったいろいろな音を感じ始めていた。  
ミクが、教えてくれたこと、住職が気がつかせてくれたこと、それをミクに話そう。  
 
 
ドンピシャのタイミングで、ミクが目覚める時間に、ケンは、自宅玄関へたどり着いた。  
母の仕事用のハイヒールが脱いであったので、いつもよりも早く帰宅していることがわかった。  
 
”俺が、成人式で、うまくできたことを確かめたかったんだろうな…”  
 
ケンは、母が苦手だ。  
嫌いなのでななく、ただ苦手なのだ。  
あの父を愛していたのに、何故か、電脳化にも義体化にも積極的だったし、  
父の死後、ケンにセクサロイドを強く進めてきたのも、母だった。  
息子の自分を愛していることは、わかる。けれども、なんというか、母は、欲望にとても素直(ストレート)なのだ。  
どうして、父がこの母を選んだのか…よくわからない。  
ケンは、母を好きだったが、父のように尊敬するという感じではなく、苦手だったのだ。  
 
「ケンちゃん、おかえりぃ!どうだった?うまくできた?いい人見つかった?何回射精できた?いつから、子ども作る?  
初体験は、気持ちよかった?義体化していないことで、いじめられたりしなかった?…」  
 
案の定、ケンが言いづらいことをズケズケと聞いてくる。  
 
「た、ただいま。ママ。まあまあだったよ。それよりも、ミ、いやリカは、もう目覚めてる?」  
 
ケンは、成人式の不始末をうまくごまかした。  
詳しいことを言えば、きりがない。母は、セックスについては、とてもうるさい教育ママだからだ。  
 
「ケンちゃん、リカちゃんの冷凍精子のタンクがそろそろ交換時期になっていたから、  
眠ったまま、リカちゃんをメンテナンス工場に出しておいたわよ。  
今日は、外でいっぱい射精してきたから、今晩ぐらい、リカちゃんがいなくても大丈夫でしょう?  
何だったら、これを機会に、セクサロイドの新製品でも買ったらどう?  
せっかくの成人式の日なんだから、ママ、奮発しちゃうわよ!  
リカちゃんと違うタイプなんかどうかしら?  
ほらっ、新製品のセクサロイドバービーシリーズでは、お口への射精も冷凍精子タンクに保存が可能なんですってよ。  
技術の進歩ってすごいわねえ。  
ケンちゃんったら、口内射精ばっかりするもんだから、せっかくの精子が、いつもタンパク質として栄養化処理されて、もったいなかったでしょう?  
ケンちゃんみたいに病気にかかったことがない健康優良成年の精子って、化粧品や栄養剤の原料として、とっても高く売れるのよ。  
将来、ケンちゃんが、えらくなって、DNAにプレミアムが付いたら、精子バンクへ登録して、1cc1000万円も夢じゃないんだから!  
息子の精子にDNAプレミアムが付くなんて、親にとって最高の幸せよ!  
パパは、早死にしちゃったけど、ケンちゃんは、長生きしてくれるわよね?  
だから、ママもケンちゃんに、最高の男性用お道具を買ってあげたいの!  
ねえ、どう?バービーシリーズ、欲しくない?」  
 
まくし立てる母の声に、ケンは、驚愕した!  
 
「な、何で勝手なことするんだよ!僕は、ミ…リカが最高にいいんだよ。すぐに、メンテナンスをやめさせないとダメだ!」  
 
ケンは、急いで電脳回線から、セクサロイドメンテナンス工場のコンシューマー回線へつないで、  
ミクのボディナンバーとメンテ記録から、作業中止依頼の手続きを行った。  
 
「どうして、メンテナンスを止めさせる必要があるの?いつもの定期検診だけよ。  
そうそう、さっきの話の続きなんだけど、ケンちゃん、昨夜は、リカちゃんを抱いてあげなかったでしょう?  
毎日抱くことに飽きちゃったセクサロイドをそばに置いておくのは、ダメよ。セクサロイドだって女なのよ、不憫だと思わないの?。  
セクサロイドだからこそ、愛する人に抱いてもらえないのって、とってもつらいものなの。  
ママだって、パパが亡くなってからセクサロイドを3体も買い換えてるんだから、遠慮しないでいいのよ。  
お金だって、ママのお給料で十分払える額だし…。」  
 
母には、リカへのメンテナンスよりも、新製品への買い換えの方が重要な話題だった。  
 
「ちがうよ!僕にはリカが必要なんだ。メンテナンス工場へ行ったら、僕の大切なデータが消えてしまうよ!」  
「あら?そんなはずないわよ。  
工場では、記憶やパラメータのデータ書き換えは、ユーザーからの依頼がない限り、絶対に消したりしないはずよ。  
冷凍精子のタンクを交換することと基本人格ソフトのバージョンアップをするだけよ。去年も同じことしたでしょう?」  
「その、バージョンアップが問題なんだよっ!」  
 
ケンは、急いで、電脳回線から、運送会社の経路を検索し、ミクのボディの居所をつきとめた。  
ミクは、メガテクボディ社関東支社の子会社ラボに到着済みだった。  
ミクのメンテナンス予定の作業工程を止めるように、窓口に呼びかけたが、応答がない!  
通常、ラボ入りのセクサロイドは、それほど時間をかけずにメンテが終了する。  
それは、ラボに入ったら即メンテナンス作業が始まることを意味していた。  
 
「やばいよ!このままじゃ、ミクが、ミクが、消えちゃうよ。僕の結婚相手がいなくなっちゃうよ。  
もしも、ミクがリカのバージョンで上書きされてしまったら、今度こそ、僕は謝ることができなくなってしまう!」  
 
しばらくして、電脳端末に返信が入ってきた。  
 
『はい、こちらセクサロイドメンテナンス窓口です。ご用件をどうぞ。』  
「今日、搬入されたセクサロイドのメンテナンスの中止をお願いします。」  
『まだ、クリーニングを済ませただけで、冷凍精子のタンク交換とアップデート作業が終わっていませんが…』  
「即時作業中止して、ボディ返却を依頼します。」  
『作業中止依頼は、直接面談交渉でなければ、受け付けられない決まりです。』  
「とにかく、すぐに作業の中止をしてください。  
公正取引ユーザー保護法のセクサロイドの個人データ保護に関する優先事項の第3項の権利を主張します!」  
『それにつきましては、製造物責任法のセクサロイドの安全管理に関する優先事項の第5項の義務を主張させていただきます。  
どうか、メンテナンス終了までお待ちいただきたいと思います。明日の朝、6時には、お届けできます。』  
「それじゃあ、ダメなんだ!すぐに作業中止をしてください。この電脳回線で、ユーザー認証はできているんでしょう?」  
『規定により、お預かりしたセクサロイドをメンテナンス終了前に返却することはできません。』  
「じゃあ、作業の一時停止を要求します。  
公正取引クレーム処理法の電脳回線からの依頼に関する記録の保持の権利を主張します!  
これを無視することはできないはずです!」  
『…確認いたしました。それでは、作業の一時中止の件を承りました。  
わたくし、メンテナンス窓口のサトウが受理しました。  
本日19:00まで作業を一時停止しますが、それまでに、こちらへお越しください。  
お越しいただけない場合は、作業を再開し、メンテナンスを完了した後、ご自宅へ配送させていただくことになります。…』  
 
”工場まで、1時間で行けるのか?”  
 
ケンは、母との会話を無視して、車両倉庫へ向かった。  
旧陸上自衛隊発注のハイブリッドオフローダーセローFWD。  
ガソリンタンクにYAMAHAの三連音叉のロゴマークが光る。親父の形見の一つだった。  
電脳化と義体化を嫌った父の関心は、アナログ的な工業生産品に並々ならぬ執着があったようで、  
古典的だが、現在でも使用できるアイテムを倉庫に多数保管してあったのだ。  
この二輪バイクもその一つだった。  
二酸化炭素を排出するガソリン内燃機関エンジンは、環境保護法で制限され、電気式モーター以外は公道では乗れなくなっていた。  
大戦前に開発されたこの陸上兵器は、ハイブリッドガソリンエンジンを積んでおり、  
インホイール型超伝導モーターを内蔵した前後輪駆動で、60PSを絞り出せた。  
ケンは、小学生の頃に、富士山演習場のオフローダーコースで夢中になって遊んだことがあったが、  
その頃から、父親の病気が悪化し、バイク遊びからも遠のいていた。  
ここから、工場まで、リニアチューブで行くと79分…ダメだ、間に合わない…  
こいつで走れば…電脳で現在の地上交通状況を確認…最短時間で走れるコースを探査…このバイクで道交法無視して走れば59分…たったの1分勝負!…やるか!  
車庫のシャッターを上げ、そのまま閉めずに、ケンは飛び出した。  
電脳回線で、母が、『どこへ行くの?』とけたたましくノックしてきたが、無視した。  
この時代の車両には、タイヤが着いていないエアカーがほとんどなので、路面が平坦でμ値が極端に低い。  
ケンのオフローダーのタイヤではグリップがどうしても甘くなる。  
だから、アーバンコート舗装されている歩道にバイクを乗り上げて、ケンは、そこを突っ切った。  
 
すぐさま、電脳回線に道交法無視の警報が鳴り響いてくる。  
 
『今、走行している場所は、歩道です、すぐに車道に戻ってください。  
60秒以内に戻らない場合は、法的執行措置を執ります…10・9・8・7・…』  
 
カウントが、0になる直前に、道路に戻り、そして、また歩道へ戻る。  
これを50回繰り返すと、無人ヘリコプターによる違反者の追跡が始まる。  
それまでに、工場へたどり着ければ、罰金刑だけで済むはずだ。  
ケンは、既に暗くなって歩行者が少ない歩道を時速100km/h以上で走り続けた。  
夜間に、道交法無視で走るリスクは覚悟の上だ。  
交通事故を起こすことよりも、テロ防止法や環境保護法違反で、交通機動警察や治安維持警察から狙撃されることもありうる。  
それでも、ミクを守る為なら、やらなくてはならなかった。  
これで、間に合わなければ、俺は、最低の男として一生を送らねばならないという危機感がケンにはあった。  
 
途中で事故を起こすこともなく、工場まであと20分、タイムリミットまであと25分と順調だったのに、  
ケンは、もっとも恐れていた交通機動隊の銀バイとすれ違った。  
 
”やばい!!。これって、絶対、挑発行為としてとられるよ。  
まして、向こうもタイヤ付き3輪超高速エアバイクだから、追いかけてこないはずがない…”  
 
案の定、すぐさま後方に銀バイが紅い回転灯とサイレンを鳴らして迫ってきた。  
 
「前方を走るガソリンエンジンの二輪車ドライバーに告ぐ!直ちに停車して左に寄せなさい!停車しなさい!ウウウウウウウウウウウウウウウウゥーーーーー」  
 
”ばかやろ!ここで停車なんかできるもんか!あと5分しかないんだぞ。”  
 
次にくるのは、電脳回線を通しての行政警告。  
 
『エリアJS-N38E165を走行中のケン=ヤマハ氏に警告。  
すぐに運転中のガソリンエンジン付きバイクの走行を止めなさい。  
あなたは、道路交通法違反、環境保護法違反、夜間騒音防止条例違反の疑いがあります。  
直ちに停止すれば、ステージ1で、貴方の権利は、保証されています。  
ステージ2に移行すれば、貴方の生命の保証ができません…」  
 
ここで、ステージ2へ移行すれば、狙撃や衝突などの実力行使による停止行動に移るんだよな…  
バイクは、壊されてもいいけど、死ぬことも…でも、今は、無視するしかない…  
 
『…車両停止警告を無視したため、公務執行妨害と見なし、ステージ2への取り締まりを実行します。  
貴方のモーターサイクル機関部に狙撃及び衝突による停止行動を試みます。  
その際、人体への誤射や横転などに伴う事故で、死亡する場合があります。今すぐ停車するよう再警告します。繰り返します。…』  
 
コンピュータ射撃管制ソフトによる狙撃の命中率は、95%以上で、ケンが、回避行動を取らなければ、ほぼ、エンジン部分に命中し、停車させられるだろう。  
しかし、今は、時間との勝負だった。  
ミクが、消えて無くなってしまうことの恐怖と自分の犯した過ちを詫びねばならないことへの責任感が、ケンを奮い立たせていた。  
 
旧日本軍陸上自衛隊仕様のオフローダーであることから、一応の防弾性能も施されていることをケンは知っていた。  
自分の身体に、弾が命中しない限り、しばらくは、走り続けられるはずだった。  
ステージ3へ移行すれば、直接運転者の人体を狙うこともできる。  
そのときは…義体化していない生身の身体の僕は、死ぬのかな…。  
 
そう考えていると、銀バイからの初弾が、ケンのバイクの後輪アルミホイールに当たった。  
『キィーン』  
金属をひっかくような音が聞こえた。  
おそらく、ベルギー製のファイブセブン5.7mm特殊高速弾だ。  
硬い物への貫通能力が高く、柔らかい人体へのストッピングパワーが凄まじい。  
当たれば、生身の人間なら、即、激痛で失神すること間違い無しの政府関係者御用達の凶悪銃弾だ。  
『ガスッ!』  
続けて、後部エキゾーストパイプにもめり込む音が聞こえる。  
『ボフッ、ボフッ』  
後ろのタイヤにも、当たったようだ。バーストしないのは、さすが、戦闘車両仕様!しかし、もう数発当たれば、走行不能になるだろう。  
ケンは、流れ弾で死亡することもあり得る状況になっていた。  
口の中に、アドレナリンの味が広がる。  
自然と、右手のスロットルが全開となり、ヤマハガソリン機関部の回転数が17000rpmを超えて、呻りを上げる。  
『いい音だ!』まるで、狼が吠えるかのような叫びだ。  
その音は、ケンの心の音でもあった。  
ジェネレーターで変換された高電圧が超伝導モータへ供給され、時速150km/hを超えて、走り続ける。  
この速度では、大きく曲がることはできない。  
ケンは、歩道からジャンプさせ、さらに、道路脇の植え込みを乗り越えて、工場まで続くなだらかな敷地の芝生を走行させた。  
おそらく、オンロードタイプの銀バイは、安全策を採って迂回して追跡してくるだろう。そうすれば、しばらく発砲もできなくなる。  
 
工場の壁に沿って、ケンは、走り続けた。  
予想通り、銀バイは、迂回して追ってこない。  
残り後5分!  
目的地のメンテナンス工場のゲート門が見える。  
電脳からメンテナンス中止手続きを試みるが、直接交渉以外は、『受付不可』とでやがった!  
『それなら、こうするまで!』  
ケンは、バイクごと工場のゲート門を突き破って、そのままコンシューマー専用の窓口まで、歩行者専用通路をバイクで突っ切った。  
タイムリミットまで、後、3分!間に合うのか!ガラスの自動扉もそのままぶちこわして、窓口でバイクをドリフトさせて止めた。  
 
受付嬢の義体娘が目を丸くして、僕を見る。そんなの関係ねえ!  
 
「電脳回線で予約していた、ケン=ヤマハです。  
セクサロイドのメンテナンス中止の件で来ました。すぐにメンテナンスを中止して、ボディの返却をしてください!」  
 
「お客様、困ります。ここへは、歩いて入ってきてください!」  
「はやく!時間がないんです!メンテナンス中止には、直接ここへ来いと言ったのは、そちらでしょう!?早く中止の手続きを!」  
「お待ちください…セクサロイドユーザーの確認をします。  
本日メンテ予定のナンバーlo666-rika16FFですね。中止、確認しました。ボディの返却は、お持ち帰りですか?それとも配送しますか?」  
「…配送でお願いします。…」  
 
そこでケンの集中力がぷっつりととぎれた…。  
 
廊下ロビーに崩れるように横たわると、すぐに、後ろから、銀バイの義体警察官が2人、走ってきて、ケンに電磁手錠をはめた…  
瞬間、高電圧ショックで全身がしびれた。  
 
「道交法違反、公務執行妨害、環境保護法違反、住居不法侵入、器物損壊、深夜騒音防止条例違反、その他もろもろで現行犯逮捕する…」  
 
警察官の声もよく聞き取れなかった。  
 
「…どうも、お手数をおかけしました…」  
 
そう答えるのが精一杯だった。  
ケンは、気絶し、そのまま留置場へ引っ張られ、目が覚めた後、簡易即決裁判を受け入れたので、1週間の実刑禁固刑と罰金刑となった。  
成人した日であったので、執行猶予は付かなかった…でも、それで済んだのだから良かった…  
だって、ミクに謝ることができる…リカに赦しを請うことができる…ここを出たら…なんて言おう?…  
ケンは、孤独な留置場で、なんだか修行中のような感じで、あの、主人を失ったセクサロイド=メイ…たぶん、「命」という意味なんだろうな…  
のことを思い出しながら、自分の過ちを悔いていた。  
もちろん、法律を破って命がけでバイクを走らせたことには、何の反省もしていなかった。  
間に合って良かった…両腕に電気ショックのやけどの痕がひりひりしているが、その痛みにさえも心地よく満足していた。  
 
1週間後、留置場から出るその日、ママが、身元引き受けに来てくれた。  
 
「ケンちゃん!!あなたって、なんてことしたの!  
危ないじゃない!  
義体化もしていないあなたが、撃たれたかと思うと、ママがどんなに心配したかわかってる?」  
 
義体化していれば、オートバイの横転事故ぐらいで死ぬことはない。  
この時代の交通事故死亡者数は、日本エリアだけで、数百人だけで、死亡者のほとんどが義体化していない老人だった。  
しかし、テロリストや騒乱罪で狙撃されて、死亡する者は、義体化している者を含めて、毎年2万人を超えていた。  
ケンもその内の一人になっていたかもしれなかったのだ。  
 
「ママ、ごめんなさい。  
でも、リカをメンテナンスさせるわけにはいかない事情があったんだ。」  
「リカちゃん、じゃないでしょう?  
ミクちゃんと言いなさいっ!  
女の子の名前を間違えるなんて失礼よ!」  
「えっ!ママ、ミクのこと知ってるの?  
あっそうか、配送されたミクを再起動したんだね?」  
「ママが、勝手にリカちゃんだと思いこんで、眠っているミクちゃんをメンテナンスに出したのは、ママも悪かったわ…  
日頃のリカちゃんへのあなたを見てたから、そんなにミクちゃんを大切にしていたなんて、ママには、わからなかったの。  
命がけで、セクサロイドミクちゃんを追いかけるなんて、あなたも、立派な男になったわね。  
ちょっぴり、妬けちゃうけど、ママ、うれしいわ。」  
「ママは、僕がセクサロイドに夢中になっていても、変に思わないの?」  
「自分の息子を変に思う方が変よ!  
それに、禁欲的なパパのことを思えば、貴方の方よりも、パパの方がずっと変かしら!  
ママは、そんなパパと結婚したんだから、ママが、一番変なのかもよ!」  
 
住職のように、ママには、義体化技術への偏見がない。  
僕が悩んでいたことに、ママが気がつかないはずだ。  
ママには、義体化とか生身とかの違いではなく、何が一番の幸せかが、わかってるんだ。  
 
「さあ、はやく、1週間分の溜めたモノを出してらっしゃいな!  
つらかったでしょう?  
ママは、仕事へ出かけてくるから、ミクちゃんとたっぷりイチャイチャしてなさい!  
男なんだから、出し惜しみしちゃダメよ!」  
「ママったら、…」  
 
ケンも、母を見習って欲望にもっと素直になろうと思った。  
相変わらず、苦手なママだけど、このことで、前よりも尊敬できそうになっていた。  
 
(続く)  
 

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