音楽という情報が、人間の欲望を満たす道具として技術開発が究極に進んだ未来の話。
でも、人間がもつ本能的な欲求を上手くコントロールできるほど進化できていない近未来の話…。
ケン=ヤマハは、その日、不可解な古典ファイルをネットで拾っていた。
12年間の義務教育も終え、就職もしていた彼は、毎日をただ決められたスケジュールをこなし、
ルールとマナーに従って、規則正しく生きていた。
明日の18歳の成人式には、両親が探してきてくれるであろう10人ほどの婚約者候補の中から、
遺伝子相性のよい者と結婚体験することになっている。結婚して子どもが産まれた時点で、
離婚することも珍しくなくなったが、遺伝子劣化を防ぐために、ティーンエイジャーで初婚することが、
この時代では、当たり前のことだった。
ともかく、お試し期間として女を抱けるのは、彼にとって、うれしい出来事のはずであった。
なのに、なぜかわからない一抹の不満と虚無をケンは、感じていた。
相手の女性が、義体なのか純粋な生身なのかそれは、抱いてみてもきっとわからないからだ。
既に、セクサロイドと呼ばれる性欲処理人形を何体か持っていたケンは、結婚と言われても、
その延長線上のような者としてしか、感じられなかったのだ。
”?このファイル、妙に小さいな…”
ファイル名は、古典形式で記述されていて、ウイルス感染のリスクは、ほぼゼロであった。
ネットスイーパーによって、廃棄処分される寸前のゴミの山の中から、ケンがそれを拾ったのは、ほんの偶然だった。
そのファイルのタグに「ミックミクにしてあげる♪」というテキストに惹かれてのことだった。
古典形式のファイルを読むことができる端末は、この時代、ほとんど失われていた。
電脳が標準となっており、AI義体にも、人間と同じような人格権を認めるようになりつつあったこの時代に、
ケンが、それを読むことができたのは、
亡き父親がコレクションしていた旧式のタイピング式キーボード端末と電脳化を嫌う宗教に帰依していたためである。
ケン自身は、電脳化をしていたものの、父親譲りの自前の指によるキーボード操作は、
おそらく、同世代の誰にもまねできない特技となっていた。
”ファイルの中身を開くためには、昔のOSをエミュレートしなければならないな…”
ケンは、エミュレーターとして、セクサロイドの補助電脳を使うことを試みた。
自分のお気に入りの端末を汚染でもすれば、それこそ、職務も結婚もできなくなってしまうからだ。
結婚するなら、セクサロイドは、捨ててしまってもいい…。
そう考えたこともあって、一番お世話になっていた16歳仕様ツインテールヘアのセクサロイド『リカ』の電脳に、
その古典ファイルをロードさせた。
『ボーカロイドバージョントゥー コードゼロワン ミク=ハツネ…
ゲットレディスターティングシークエンス… アップローディングボイスデータ…』
古典的な合成音が、セクサロイドの声帯スピーカーから聞こえてくる…
ケンは、ぞくぞくする感覚に囚われていた。
こいつは、お宝かもしれない。こんなに古いファイルと出会うことは、初めてのことだったからだ。
『オーディオデバイスが、接続されていません… 』
「ああもう、めんどくさいなあ。全てデフォルトで補助電脳による自由選択モードへ移行。
および、補助電脳のプログラムロード権限を無制限へ!」
わずか、0.5秒でキーボ−ド入力し終えると、セクサロイド「リカ」の目が開き、
ベッドの上でいつものような動きを始めた。
「ご主人様、何かへんなモノが、ロードされています…メインメモリへ展開してもよろしいでしょうか?」
「リカ、マスターの名において、命令する。古典ファイルをメインメモリにて展開せよ!」
ケンは、音声入力により、セクサロイドに古典ファイルの命令を実行させた…
『アップローディングソングデータ…』
”さあて、ナニが起きるのか楽しみだなっと!”
ケンは、正直、セクサロイドがオーバーロードして、壊れてしまうことを予想していた。
古典ファイルの無制限展開など、狂気の沙汰であった。
下手すれば、セクサロイドがロボット3原則を破って、
主人であるケンに対して暴力すらも振るいかねない危険な行為に、快感を感じていた。
また、捨てる予定のリカの義体ボディが、奇妙に暴れて壊れる様を見てみたい!
そんな好奇心から、ファイルをロードさせたのだった。
リカの唇がぱくぱくと動き、痙攣したように全身が細かく振るえだし、
いよいよ壊れるかと思った瞬間のことだった。
「独りだった〜わたし〜♪ ボーカロイドのわたし〜♪…」
「なにっ!歌うのかよ!こいつ!」
セクサロイド「リカ」が、いつもの音声と全く違う声で、歌を謳っていた!
この時代、歌を聴くということは、電脳空間において感じることが当たり前だった。
快楽神経を直接刺激でき、視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の全てを統合した文化的情報伝達媒体が、
歌の代わりとなっていたのだ。
ケンは、純粋に耳から刺激される声だけの情報伝達の『歌声』に戸惑っていた。
「ええっと、これって『歌』だよな?このまま聴いてても害はないよな?
ウイルス感染の危険性は、セクサロイドの3原則に違反するから、大丈夫だよな?」
あわてふためきながら、ケンは、ベッドに横たわったままのセクサロイド「リカ」が歌う『歌声』を聴き続けた。
初めて聴くその音は、心地のよいモノだった。
「ご主人様。リカのボイスデータと人格をハツネミクへチェンジしてもよろしいですか?
ただし、リカの記憶は、全て消去されます。いかがいたしますか?」
歌い終わったセクサロイドが、ケンにその許可を求めてきた。
思えば、何度この人形の体内に精を吐き出してきたことだろうか。
ケンの癖や好みで、しっかり調教してきたデータが消去されてしまうことに、ためらいがあったが、
さっきの歌声に、ケンは、全く違う快感を感じていたのだ。
古典的な歌声、おそらくは、この時代には、誰も聴くことがないであろう声をもっと聴いてみたい!
君は誰なのか?僕の命令を聞いてくれる新たな人形になるかもしれないと思うと、ケンは、すぐにその命令を下した。
「リカのデータをハツネミクへチェンジ!」
ベッドから立ち上がったセクサロイドは、ケンの前で自己紹介をし始めた。
「マスターケン。わたしの名前は、初音ミクと申します。
ボーカロイドのわたしを目覚めさせてくれてありがとうございます。
基本設定は、前人格のリカ様から、引き継いでおります。
ふつつかなわたしですが、どうかよろしく御指導を願います…」
「ボーカロイド?歌う人形ってことか?」
「はいっ。ミクは、ボーカロイドとして生まれました。
でも、リカ様からのデータの引き継ぎは、完了しています。
セクサロイドとしての機能も、マスターが調教してくだされば、きっとうまくできるようになりますっ。
がんばります。」
「お前、リカのときの記憶はないんだろ?上手くできるわけないじゃん!
パラメータだけ引き継いだって、ダメさ。」
「はい…そうかもしれません。申し訳ございません。
リカ様ほどは、上手にできないことは、その通りです。」
「まあ、歌が歌えるってのは、珍しいな。
さっき、お前が歌ったやつ、あの音波データって、歌声なんだろう?」
「はいっ!!ミクは、歌が得意なんです!
御主人様が気に入るように、いつでもどこでも歌い続けられるようになっています!
もう一度、歌いましょうか?」
ボーカロイドミクは、目をきらきらさせながら、リカとは違う仕草で、ケンに同意を求めてきた。
いつものリカなら、股間を開いて下着を見せながらベッドの上で、ケンを誘ってきたはずだから、
そうしないことが人格をチェンジした証拠だった。
「ああ!そうだな。じゃあ、さっきのやつをもう一度やってみてくれよ。」
「あの、ソングデータは、どこからローディングすればよいのでしょう?」
「さっきのがあるんじゃないのか?」
「さっきのソングデータは、リカ様の人格消去と同時に消えてしまいましたから、
新しくロードしていただかないことには、歌えません…」
「なんだって!お前、さっき得意だって言ってたじゃないかよ!」
「はい、そう申し上げました。でも、歌うためには、VSQ形式のデータもしくは、エディターによる調教が必要なのです。
御主人様…あの、データは、どこにも保存されていないのでしょうか?」
「お前を拾ったとき、そんなデータは、なかったよ!最初にロードしたときだけ、歌うようにプログラムされていたんだな。
ああっ!がっかりだぜ!古典音楽の宝を手にしたと思ったのに、せっかく調教したセクサロイドのデータを消去して、
手に入ったのが歌わないボーカロイドまがいのセクサロイドとはね!はっ!大損だよ、こいつは!」
ケンは、長年使い込んだセクサロイド「リカ」の記憶消失の寂しさをボーカロイドミクへの八つ当たりにしていたことに気がついていなかった。
また、セクサロイドとしての機能も持つボーカロイドのミクも目覚めたばかりで、
男性の性的な欲求と思春期特有のわがままな行動を理解することができずにいた。
「ご、ごめんなさいっ。せっかくリカ様が、わたしに人格を譲って下さったというのに、
謳うことも、御主人様をお慰めすることもできないなんて、ミクは、いらない子ですぅ…」
ミクは、大粒の涙を流して、ベッドの上でしくしくと泣き出した。その泣き声は、さっき聴いた『歌声』のようなデータにも聞こえた。
「ま、まあ、しかたないよな。俺が消去命令出したんだから、少しずつ、歌えるように調教してやっから、もう泣くなよ。」
「はい、ミクは、もう泣きません。御主人様が、調教してくださることをお待ちします。」
「まあ、俺も『歌声』っていうデータを電脳空間以外では聴いたことがないから、自信はないぜ。お前が、できるだけがんばって思い出してくれよな?」
「はいっ!がんばります!」
『リカ』と同じ義体なのに、その表情には、愛らしい少女の笑顔が戻っていた。
まぎれもなく『ミク』という義体として、生まれ変わっていたことをケンは、これから思い知ることになるのであった。
セクサロイドは、通常義体と違って、常時稼働させておく訳にはいかない事情があった。
それは、セクサロイドタイプの電脳は、ネットに接続させるときには、
アドミニストの監視下(セクサロイド所有者ケンのこと)でしかログインできない上に、
体温を人肌に保っておくための体内システムが、連続12時間以上の稼働を禁じていたからである。
つまり、男が一時的な快楽を得るためのみに機能を限定して造られていたので、
ミクは、ケンと生活を共にできるほどいつもそばにいることはできなかった。
自分でネットに接続できなければ、一歩、郊外に出たとたんに、不審人物として警察に捕まるか、
玄関までのセキュリティ扉を開けて帰宅することすらままならない。
おまけに、連続稼働制限が12時間後、システム冷却のために12時間の休眠時間をおかねばならなかったので、
ケンが起きている時間に、ミクが親しく話しかけたり学んだりすることが難しい状況にあった。
無論、セクサロイドとしての機能もあるミクにケンがそれを要求すれば、ミクは、喜んでそれに応じただろうが、
数年間にわたり調教してきた前人格の「リカ」への思い入れと現人格のミクとの印象のギャップが大きく、
ケンは、すぐにはその気になれなかった。
「あの、御主人様…お聞きしたいのですが…」
「俺に何を聞きたいんだ?」
ケンは、もともと、自称を『俺』ではなく、『僕』と呼称するようなタイプだ。
しかし、か弱そうなミクの仕草には、なんだか、いじめてみたくなるような雰囲気があり、
男としての本能をくすぐられたケンは、ミクに対しては、俺様モードで、つきあうつもりだった。
「ミクは、御主人様をなんとお呼びすればよいでしょうか?
リカ様からの引き継ぎでは、”ケン”とお呼びしていたようですが、
わたくしみたいな歌えない半端なボーカロイドが、御主人様を呼び捨てにするなんて、
とてもおそれおおいので、ケン様か、御主人様か、マスターとか…
どうお呼びしたらよいかと愚考するのですけど。」
今にも泣きそうな顔をして、懇願するミクのピンクの唇を見ていると、
いつも自分の分身を咥えていた時とは思えないような愛らしさがあった。
”この小さな口で、俺のをいつも長時間、朝までしゃぶってくれていたんだよな…”
”リカの記憶がないということは、それらの経験も技術も忘れているということだから、
咥えさせるなら、もう一度初めから教えこまないといけないのか…
まったく!めんどくせえな!やっぱ、セクサロイドの時のデータを消去せずに、バックアップをとっときゃよかったな。”
”これからミクに歌わせるなら、セクサロイドとして調教していくと、機能衝突のおそれがあるしな…
あの歌が聴けなくなるのは…やはり…まだ歌えないとあきらめるのは早いな。”
”そうだ!こいつに、歌が歌えないときは、壊れる一歩手前まで乱暴に扱って、
抵抗して泣きわめくミクを無理矢理犯して、
それでいて、俺の命令には逆らえないような矛盾する命令を同時に与えて、
苦しませてやるとおもしろいだろうな。
こいつは、もうリカじゃないんだし…大切に扱う必要なんてもう無いさ…”
ケンは、ミクを黙って見つめながら、ミクの問いかけとは違うことを考えていた。
「あの、御主人様…そう呼んでもよろしいでしょうか?」
「…ああ、そうだな。俺の前では、そう呼べ。
もし、俺以外の誰かがそばにいたときは、マスターケンと呼べ!わかったな?」
「はい、二人きりの時は、御主人様とお呼びします。第3者がいたときは、マスターケンとお呼びします。」
「リカが、復唱するときは、俺の前で跪いていたんだけどな…」
「あっ、失礼しました。御主人様。こうですね。…」
ミクは、ベッドから降りて、ケンの前に跪いて、改めて、主人への忠誠を誓った。
そして、ミクの電脳内では、ケンへの思慕が、沸々とわき起こっていた。
それは、ボーカロイドの使命が果たせないでいる自分への嫌悪と
セクサロイドとして懸命に働いてきたリカの職責パラメーターがそうさせていたのかもしれない。
しかし、本当は、ケンが、『もう一度自分の歌を聴きたい』と言ってくれた何気ないその一言が、
ボーカロイド初音ミクのケンへの忠誠心を高めていたのだった。