綺麗ごとをこれでもかと並べ立てた聖書を静かに閉じる。それから胸の
前で十字を切り、アーメンと唱えればまるで己を敬い、恐れおののく様に
下々の者どもは口々にアーメンと唱えだす。
一連の儀式が終われば、次は聖歌だ。純潔を頑なに守る黒いシスターの
衣服を着こなしたリンが、美しいソプラノの声で神に恋い焦がれる歌を歌
う。俺は賛美歌に合わせて、口パクだけをする。これも仕事の一つだと割
り切らねばならないことは重々承知していたが、声を出して歌うなど、そ
んな気には到底なれなかった。
美しい教会。光を照らすステンドグラス。懺悔をさせる十字架。人々を
魅了してやまない聖なる居場所。
その聖気にあてられて、肌がぴりぴりと焼けるような、ひそかな痛みに
気がつかないふりをする。それから握りつぶすぐらい力を入れて、胸元に
ぶら下がったクロスを握った。
「神父様、ありがとうございました」
「これも神から与えられた私の使命ですから。帰り道にはお気をつけて」
「はい、神父様も・・・神のご加護がありますように」
「ありがとうござます・・・」
名残惜しそうに教会を去っていく本日最後の信者を見送り、広い教会に
残されたレンはふうっと、溜息を吐く。見目がいいようにと固められた髪
の毛を乱暴にぐしゃぐしゃと指でほぐす。それから堅苦しい上着をバサリ
と脱ぎ捨てた。聖書の持ちすぎで左肩がこっている。右手を当てて軽く首
を曲げる、ぽきっと音がする。仕事のしすぎだと思った。
「明日でこのお仕事も最後だね。なんか、そう思うと悲しいなぁ。この
服ともお別れかー」
そう言ってひらひらと踊るバレリーナのようにスカートを翻すリンを、
あきれた目でレンは見つめた。
約一ヵ月に近いお仕事の内容は「市内某所の教会で、聖歌隊のメンバー
を一ヵ月代理すること」だった。もともと歌唱力に定評のあったメンバー
が急病を患ったことで、その代理を引き受けたわけなのだが代理はひとり
で十分、ということだった。むしろ二人もいらないとはっきり断られた。
そのためどちらかが別の役をやらなければならなくなったのである。
なにせ鏡音リンとレンは二人で一人。どちらかが欠けると、その美声は
影をひそめてしまうということで有名なのだから。
そしてジャンケンに負けたレンがはじき出される形で急遽神父役をやら
されることになったのである。歌を歌うために来たはずの教会で懺悔に耳
を傾け、救いの言葉を口にするのはどうにも荷が重い。
「明日・・・あぁ、結婚式の仕事だっけ」
よりにもよって、そんな面倒くさい事を。
「そうだよ。ねぇレン花嫁さんみたー?すっごく綺麗だったんだよー」
純白のドレスにね、ひらひらしたフリルがいっぱいついててね、それで
ね、それでね。と語りだすリンをじっと見つめた。
あのドレスのような煌びやかな飾りも、フリルも全く付いていない質素
な黒いドレスを身につけた、永遠に純潔を守る存在。漆黒の花嫁衣装を身
に纏った、神の妻。愛しい神に仕えるために、その身を捧げた犠牲者。
「リンも花嫁だよ」
「へ?」
後ろからそっと、羽のように軽い体を抱き上げて、硬い木の椅子に横た
える。ぱちくりと瞬く目は、なにもしらない乙女なのだとレンに訴える。
その無垢な瞳に問いかける質問は、ひどく残酷だ。
「ねえ、リン、神様は好き?」
さらりとなでる金髪が指をすり抜けていく。短めの髪の毛に精一杯唇を
近付けて、忠誠を誓う騎士のように静かなキスをする。その愛らしく、可
憐な唇が紡ぐ答えを知っていて問いかけるのは、まさしく罪だ。それは自
分たちがこの世に生まれたことよりも、もっと深く、おぞましい。
「うん、大好きだよ。だってレンと引き合わせてくれたもの」
世界は矛盾だらけだ。アダムとイヴが知恵の実を食べたことから俺たち
の消せない罪は始まっているのだけれど・・・罪深い存在でありながら、
神は未だにボクたちに“生きる”ことを許しているのに、償う機会などこ
れっぽちも与えてくれないくせに。
何かの本で読んだ。仮に神様が存在するとして対になるはずの悪魔がい
るとしても、それはきっと同じものなのだと。表と裏があるコインのよう
に、俺たち人間は「神」と「悪魔」という言葉を、都合のいいように使い
分けているだけなのだと。
神への捧物は悪魔への貢物。俺は神の代弁者。リンは花嫁。純潔を、只
ひとりに捧げる。
「俺も、大好きだよ」
偽りの神父は偽りの言葉を紡いで、偽りだらけの唇で真実を込めたキスを。
罪を背負いし神様よ。花嫁を奪ったって構わないだろう?だって俺は神
の代弁者を語る悪魔だ。悪魔は、結局のところ神に他ならないのだろうから。
両頬を挟み込み、全体重を下にいるリンにかける。そうすれば逃げられ
ないリンは自然と息が苦しくなり、唇をあけるしかなくなる。赤くぷっく
りと膨らんだそこに舌を差し込んで、絡みつかせるように追い回す。
息苦しくなったリンが数回胸を叩いてくるが、それすら無視してぐっと
押し込む。ほら歌手の肺活量って馬鹿にならないから。なんて言い訳をし
ながら、甘い言葉ばかりを信者に紡ぐ唇を味わう。熱くて、舌が焼けただ
れるかと思った。
「あ、レンだめぇっ、明日結婚式が、あ!」
意外と脱がせやすいんだなー、修道服ってなんて考えながら手をしのば
せる。リンの抗議なんかに耳をかすつもりはなかった。銀色のクロスが
ちゃりちゃりと揺れる胸元に赤い舌を這わせる。ぺちゃり、とクロスをか
じると罪の味がした気がした。
「うっわ、下着も黒って・・・リン入れ込んでるねー」
「だ、だって。やぁっ、レンっ!」
「ま、色っぽくて俺は好きだけど」
啄むように胸元にキスをする。前ホックをはずして、もうよく知り尽く
しているリンが一番好きな場所を緩く突っつくと、ぴくりと細い肩が揺れ
た。相変わらず乳首弱いんだな、なんて俺しか知らないリンの反応を見て
悦に浸る。罪を償わせる教会で、新たな罪を作り出す。なんて美しい行為
なのだろうか。
「だ・・・め、レンっ、ここ、きょうか・・・あっあ!」
可憐なシスターがあげる抗議を唇でふさいで、レンは執拗に指で乳首を
こねくり回す。野花を摘み取るようにつまめば、花嫁は舞台の上で一層激
しく踊りだした。
「大丈夫大丈夫、誰も来ないから」
「そういう、ことじゃなくって、だめ、だって」
「リン、ちょっとだけ黙ろっか」
焦らすように唇の端でスカートをつかみ、ゆっくりとめくり上げる。下
のほうも黒なのかなーなんて思ったら案の定そうで、それをリンに告げる
と羞恥の色が頬にさっと色づいた。
太ももあたりから指をつっーっと滑らす。じわじわと一点に快楽が集中
する感じ、嫌いじゃないだろう?なんて耳元でつぶやく。俺の腕をぎゅっ
とつかむリンが自分の中でなんとか快楽を押し殺そうとするのがわかって、
どうしようもなく笑いたくなった。
そんなこと、無理だってわかってるだろうに。
人差し指でやわらかい部分を押す。薄く湿っているそこをひと際ぐっと
強く押すと、切なげな吐息をリンがもらす。ショーツの上から爪を立てて、
膨らんだそこをひっかく様に強くこする。いやいやと首を振るリンの目じ
りから涙があふれた。その煌びやかな涙さえも飲み干したくて唇を近付ける。
リンの手がなお強く俺の腕を握りしめてくる。バレリーナが舞台の真中
で踊るように、淫らな腰を俺に押し付けて、もっと、と強くねだる。けれ
ども俺は悪魔なので、リンの耳を甘噛みしちゃったりなんかしながら気が
つかないふりをする。
「レン、おねがっ、意地悪しないでぇ、やぁ」
「口にしてくれないと、わからないから、リン」
耳元でふっと吐かれる息が体の芯にある炎をゆらゆら揺らす。もっと燃
え上ってしまう。意地悪な相方と、胸で揺れるクロスを交互に見つめる。
すごく、すごく自分は今罪深いことをしていると自覚しているはずなのに、
なぜか体はいつも以上にレンが欲しいと悲鳴に近い叫び声をあげている。
意地悪、馬鹿、レンのスケベ。恨み事を重ねてもそこには全然気持なん
かこもってなくて、見透かしているようにレンは「うん、おれ馬鹿だから
わからない」なんていけしゃあしゃあと笑ってる。
伸びていく炎が肺を通って器官を通って、もう喉まで焦がしていた。私
はただポロポロと涙を流しながら、偽物の神父様にすがるしかないのだ。
「ちゃ、んと、さわってぇ」
「よく言えました」
いい子にはちゃんとご褒美あげるから、と喋らすレンの中に潜む悪魔の
舌が、ざらりと太ももをなめる。逃げ出したくなったけど足腰には全然力
が入らなくて、暴れれば椅子から落ちそうになる。べったりと自分のそこ
に張り付いていたものがはがされて、足の隙間からショーツ取り上げるレ
ンの指が見えた。それと同時に、体の中に生物が入り込むような感覚。
舐められてるんだ、と自覚したら、焦がれた喉から乾いた喘ぎ声が漏れていた。
「やっ!はぁんっあっあっレン、レン!」
ピチャリ、と流れ出す液体をなめだす音が聞こえる。耳が侵されている。
広い教会の中で厭らしい、自分が出しているとは思えない音と声が反響し
て浸食しようとしてくる。頭をふってもまったく振り切れなくて、狂いだ
してしまいそうだった。
「だめ、レン!あ、あ、あぁ!」
「・・・いっちゃった?リン」
何たる失態だろう。
股の間から顔を出したレンが、口元から垂れる液体をなめとって、笑う。
私はひと際大きな波が沸き立った快感を鎮めようと懸命に息を整えるのだ
けれども、ひくひくとまだ物足りないとばかりに貪欲にレンを求める体が
震えていた。
ステンドグラスが淡い夕日の光をさらに儚げに変換して教会に降り注が
せる。金色の十字架に磔にされた神様は、虚ろ気な表情でずっとこっちを
見てる。咎めるように、ずっと。レンがゆっくりと先端を私のそこにあて
がってからは、尚一層きつく。
「ねえ、リン。どうしてセックスをすると快感を覚えるんだと思う?」
「そんなの知るわけな、やっ、だめ!あぁ!あああ!」
「んっ、きっつ。・・・っ多分、世間道徳的に“悪”だとされているこ
とをすると、っドキドキする、だろう?そういう時っ、人は知らずにっ、
興奮しているんだって。っく、はぁ・・・それと同じ、原理なんだろ、ねぇ」
―――ね、ドキドキするでしょう?なんて、呟かないでほしい。
ぐっと押し入られる気配。それからすぐに動き出したからグジュグジュ
と入口付近にたまっている水が滴り落ちて行っている。代わりに浮き出た
汗が空中を舞った。罪を嘆くなき声は掠れてつぶれ、歓喜を告げる喘ぎ声
が口から漏れ出る。
「やぁ、レンだ、めぇ!はげしっあっあぁ」
「罪を犯すんだもん、これぐらいっやんなく・・っちゃ」
ぬるぬると引き抜かれたレンが勢いよく押し込められる。なんて激しい
洗礼。目の前がチカチカする。まぶし過ぎて何も見えない。レン以外、な
にも。
「うぁっあ・・・あぁぁ!あっんん」
首筋に歯を立てられて、背筋がぞくぞくする。反射的に腹部に力を込め
ると、レンが少しつらそうに顔をゆがめた。その顔が、苦悶を表す表情が
とても似ていた。罪を背負い、その体を十字架に張り付けた、イエス・キリストに。
「あっ、レン、レン」
「リン、いこっ・・か?」
甘く耳元でささやかれて、リンは全身がふるえるのを感じた。切なさで
体がきゅっと縮こまる。涙でぼやけた視界の先に、ぼんやりとレンが映る。
レン自身が体内でびくびくと精を放つのを感じながら、リンはゆっくりと
レンのかさついた唇に口づけた。
それは、まるで花嫁が婚姻時に神の前で誓うキスのように。
償うことのできない罪に、懺悔を。
―――そんな叫び声が、何処からか聞こえた気がした。
「汝、悩めるときも健やかなる時もこの者を妻とし、愛することを誓いますか?」
「誓います」
「よろしい。汝、悩めるときも・・・」
穏やかな昼下がり。やわらかい太陽が降り注ぐ教会のなかで、新郎新婦
二人っきりの静かな誓いの儀式が行われていた。参列者は誰もいない。駆
け落ちの、忍んだ恋なのだと聞いている。
教会の中には、幸せそうにほほ笑む二人の夫婦と、神父役を淡々とこな
すレン、助手としてそばに仕えるリンがいるだけだ。
「それでは、神の前で誓いの口付を」
新たな一歩を踏み出す二人がたたずむすぐ後ろは、昨日の夕方偽りの神
父とシスターが交わった椅子がある。情事が終わった後丹念に清掃はした
が、それでもなにか残り香がないものか、ばれやしないかと冷や冷やする。
そのことを考えると、淫らな想像が頭をよぎってリンは下腹部が自然と熱
くなるのを感じ、こらえるように胸元のクロスを握った。
ふと視線を感じて顔をあげる。幸せいっぱいに口づけを交わす夫婦の前
で、レンは視線だけをリンによこしながら、にやりと笑う。
「 」
その唇がゆっくりと紡ぐ言葉を悟って、リンはとっさに視線をそらした。
一方、誓いの儀式も終わった夫婦とレンは、神に祈りを捧げる。それにな
らって、あわててリンも目をつぶり、信じてもいない神に、祈りをささげ
るふりをした。
祝福を告げる教会の鐘が鳴る。罪深い音を耳にしながら、あぁこれで最
後なのだとリンは罪で汚れた手に力を込めた。
(次は俺とリンだよ)
広い青空の下で、教会の、鐘が鳴る。