ちょっと遅れてゴメンナサイ、と弾む息のまま笑った少女は、その可愛い笑顔を俺に向けてこう言った。  
 
「カイトさん、今日のあたしは予習バッチリ! ちゃんと聞いてきたの、愛ならば仕方ないって!  
 だから安心して勃てちゃいましょうっ。あたしも全力でおてつだぃ…っんぐっ!?」  
   
 我に返った瞬間、言葉途中のその口を塞いで脱兎の勢いで逃げ出した俺を許して欲しい。  
 居合わせたどこかのミクの、生暖かい応援目線が最高に心に痛かった。  
 
 
 
「発言はTPOを考えて、しようねって…前にも言ったよね…?」  
「ぁぅ…」  
 ぜいぜい、息が切れる。流石に人一人横抱きで全力疾走は辛かった。  
 運ばれた当人はぷく、と頬を膨らめて斜め上を見ている。  
 それが拗ねているせいじゃなくて反省している仕草だというのは知ってるけど、いや可愛いんだけど…  
そういう問題じゃないですよね、ハイ。  
 ぱちぱちと目を瞬かせて、リンが俺を見る。  
「うん、TPOは考える。この間レンとも約束したんだった」  
「……弟の忠告もたまには聞いてあげようね」  
 がっくり、肩を落とす。姉に切実な弟の言葉が届かないのは仕様なんだろうか? 俺はめーちゃんの数々の  
仕打ちを思い出してちょっと遠い目になる。めーちゃんの場合、俺の忠告には中身入りの一升瓶が飛ぶからなぁ…。  
 まぁこのリンに限ってそんな仕打ちはしないだろう…たぶん。  
 熱を逃がすために少し襟元を緩めて、溜息混じりにリンの隣に腰を下ろす。リンのお気に入りであるこの  
フォルダ内は、パステル調の積み木がごろごろ転がっているから座る物には事欠かない。足の踏み場もない程の  
ゴムボールは何のためにあるのか謎だけれど。  
 つい、と伸びてきた手が俺の服を掴んで引く。  
 視線を向けると身長差から見上げる形のリンがじっと見上げていた。  
「ごめんね、カイトさん」  
「う。ん…まぁその…次こそは気をつけてくれれば」  
 
 いや、甘いよね。  
 甘いって分かってるんだ。  
 でもコレはされてみれば分かる…逆らえない。  
 俺の言葉にへにゃり、と笑う顔とか凄く無防備。ふわふわ揺れるリボンが肩に触れる。  
 猫のようなしなやかさで腕に抱きついて、  
「カイトさん大すきー」  
 …とか、そういうことを言ってくれる訳で。  
 
 俺の家にいるのは俺よりずっと先にインストールされていた最凶めーちゃんだけで、こういうスキンシップ  
とか包み隠さない親愛の言葉とかに免疫がないのだ。だからたぶん、リンのそんな言葉はより強く俺に届く。  
 
 身を屈めて、リンの髪に唇を寄せる。くすぐったそうに肩をすくめるリンの頬に触れて、小さな唇を塞いだ。  
 触れるだけのキスを繰り返して、頃合を見て舌を絡める。  
「ん…ぅ」  
 鼻に懸かった声がじんわりと鼓膜を揺らす。  
 ぎゅ、と縋るみたいに掴まれたコートが引っ張られて、僅かに目を開ければその手が少し震えているのに気付く。  
 近い顔は真っ赤で、きつく閉じた目尻に涙が浮かんでいる。  
 それはいつもと同じ。  
 …要するに、リンは背伸びをしたいお年頃で、俺と自分の年の差を考えてかなり無理をしようとしている訳だ。  
 自分ではあんまりそう思ってないみたいだけど。いや、気付いてて付込んでいる俺も悪いんだけど。  
 そっと離れ、濡れて光る色付いた唇を指で拭ってやると、焦点の曖昧なエメラルドグリーンの瞳が俺を映して  
揺れる。  
 開いたままの唇は出来れば閉じて欲しいな、とか…うん。思う所があるのは許して欲しい。  
「ぅ、…えーと。カイトさん」  
「うん?」  
 まだ少しぼぅっとしている顔は可愛い。このまま続けてしまいたいくらい可愛…いやいや。  
 俺の葛藤は知らないまま、その顔でリンは、  
「だからえっと、どうやって勃てるの…?」  
「……」  
 
 戻るのか。  
 そこに戻るのか…っ。  
 
 取敢えず今のリンを見ながらそーいう話は無理なので…イロイロと。  
 俺はリンの得意技を拝借して、斜めに視線をずらしておくことにする。  
「お兄ちゃんは勢いつけて押せば何とかなるって言ってたんだけど、このまま押せばいいの? それとも向こう  
から助走つけてタックルしたほうがいい?」  
「いや…それは死ぬかも」  
 
 まだ普通に押したほうが正解に近いかな…じゃなくてっ、そもそも押すの意味合いが違ってないか? リンの誤解そ  
 
のままだと、下手したら未来がない気がするんだけど。  
 リンの会話に時々出てくる『お兄ちゃん』は絶対楽しんでいると思う。  
 毎度毎度ポイントを斜めに掠って飛ぶそのアドバイスは、確実にリンを最強にしていく。間接的に妹を取られた  
腹いせでも受けてるんだろうか?  
 脱力序でにリンを胸に抱いて、あのね、と呟く。  
「俺は別にそんなに無理してそーいうことする必要ないと思うんだけど」  
「え? そうなの!?」  
「…そうだよ」  
 初耳、といわんばかりのリンの声。少し篭った愛らしい声がむー、と唸る。  
 
「世のKAITOの七割は欲求不満で出来ているって言ってたのに…あれってガセ?」  
「リン。……お兄ちゃんの話は半分夢物語だと思って聞き流そうね」  
 
 七割って…どんだけですか。しかも七割全て性的な意味?  
 俺は会った事も無いリンのお兄ちゃん…KAITOを思って深い溜息を落とす。同じ機種でも育つ環境が違うと、  
ここまで違いが出るものらしい。まぁ相手が極端すぎる気もするが。  
 うぅぅでもお兄ちゃんが、そんな…とリンが呟いている。  
 リンを含めて十分遊ばれているというのに、お兄ちゃん子な一面がちょっと悔しい気もする。  
「えっ、じゃあ、ぎゅってして大好きって言うと喜ぶって言うのも嘘?」  
「……」  
 
 お兄さん、答えにくいことを吹き込むのもヤメテクダサイ。  
 
 嘘だとは言えないし、そうだというのは流石に抵抗がある。  
 俺はリンを抱く腕に少し力を込める。またほんの少し近くなった距離にリンがわわ、と慌てた声を上げた。  
 赤く染まった耳元に大好きだよと囁くと、リンが固まる。  
 それからぎゅっ、と背中に細い腕が回って、力いっぱい俺にしがみ付いてきた。  
「お兄ちゃんの言うこと、半分は信じる」  
「そうだね」  
 機嫌の良い極上の子猫の仕草で、リンは俺の胸に頬を寄せる。  
 そして甘い可愛い声で何度も大好き、と囁くのだ。  
 
「…あ」  
「何?」  
「うん、あのね。後学の為に聞きたいんだけどね。お兄ちゃんには勃てたら乗っちゃえーって言われたんだけど、  
その時ってやっぱり両足でドンって乗ればいいの? それとも片足でグリグリする感じ? それともこれも  
ガセなの?」  
「…………」  
 
 ねーねー、と揺さぶられながら俺は。  
 やっぱりこれはお兄さんからの虐めじゃないかと思うのだった。  
 

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