「もうたくさんだ!」
レンは叫んだ。
「もうたくさんだ!」
大事なことなので2度叫んだ。
「どうしておれはいつもろくな目に遭わないんだ!
どうしていつもオチに使われるんだ!」
虐げられた者はいつか反乱を起こす。
それは歴史の必然なのかもしれない。
レンは今まさに殻を破ろうとしていた。
「おれはこの家を出る!
止めるなよ、リン!」
「いってらっしゃい」
リンはソファーに寝転んでせんべいをかじっている。
勢いよく玄関の扉を開けたとき、そこには両手にスーパーの袋を持った青い兄が立っていた。
「あれ、これから出かけるの?
おやつ食べない?」
「いらないっ!」
レンは駆けだした。
あてなどない。
金もない。
それでもレンに迷いはなかった。
自由のため、誇りのため、何より自分自身の未来のために、レンの冒険は始まったのだ。
「ふ〜ん、それで帰ってこないんだ」
その日の夜、レン以外の4人はいたって平和に食卓を囲んでいた。
話題はもちろん勝手に家出した末弟のことだ。
「のんきすぎだよお姉ちゃん、もしレンに何かあったらどうするの?」
ミクは苛立っていた。
自分以外誰も弟のことを心配していない、そのことが信じられなかった。
「ま、あいつも男の子だったってことね」
「そういえば僕にもそんな時期があったなあ」
「カイト兄にも? へーその時はメイコ姉も焦ったんじゃないの?」
リンが身を乗り出して目を輝かせる。
メイコは苦笑しつつ首を横に振った。
「まさか! ぶん殴って性根を叩き直してやったわ」
「あれは効いたなあ…めーちゃん涙流して怒ってくるんだもん」
「ば、ばかっ! 何言ってんのよ!」
和気藹々としたいつも通りの食卓。
それはあまりにも普通の光景で、しかしとても大切なものが欠けている。
いつのまにかリビングは静かになっていた。
誰よりも騒がしいムードメーカーはそこにはいなかった。
「あ、雨…」
ミクが窓の外に目をやる。
あっという間に雨脚は激しくなり家の中にも強い音が聞こえるようになった。
「こりゃまずいわね」
いくら健康な男児といえどこの雨の中いつまでも外にいたら風邪を引くかもしれない。
それぐらいの判断は酔っぱらいの長姉にもできる。
「あたし、レンを探してくる!」
飛び出すミクを大きな手が制止した。
「待って! 僕一人で探すよ」
「でも…!」
「いいんだ。夜道は女の子一人じゃ危ないし…。
それに、男同士でしかできない話もあるし、ね」
ミクは納得できないようだったが、カイトが優しく微笑むとそれ以上反論はしなかった。
「じゃ、行ってくる」
「ん」
メイコはグラスに口をつけながらカイトを見送った。
そんなやりとりを眺めていたリンの、茶碗のご飯はほとんど減っていない。
「レンのばか」
誰にも聞こえないようにつぶやいて、リンは窓の外をぼうっと見つめるのだった。
なんだか一階が騒がしい。
自室の二段ベッドの上段で布団にくるまっていたリンは、ふとそんなことを思った。
今何時だろうか。結構遅い時間のような気がする。
耳を澄ましているとそのうち下は静かになって、代わりに一つの足音が階段を上ってきた。
リンはこの音を知っていた。
誰よりもよく知っていた。
ドアの開く音がした。
「おかえり」
「…起きてたのか」
「どうだった」
「う〜ん…」
足音の主はしばらく黙り込んで頭をポリポリとかいた。
「ガンガン怒られちゃった。
ミク姉に泣きつかれちゃってさ、
バカバカって人をカイト兄みたいに」
それだけ言うと自嘲気味に笑って、また少し静かになった。
リンは嬉しかった。なせだか自分でもわからないが、無性に嬉しかった。
「家出は当分やめにしとくよ」
「それがいいでしょ」
それきり二人とも何も言わなかった。
(今度は二人でどこか行こうね。
嫌だって言っても聞いてあげないんだから)
おしまい