和装をし、シリアスに見えるよう、と口を噤まされ、早1時間半。今はしどけない格好のリンを膝に乗せている。のだが。白い肌がちらついて、目のやり場に困る。  
勿論仕事なのだし、指示通りきわどいシーンも演じた。人形さながらに表情を変えずに大人しくしているリンにすまない、と小声で断ってからではあるが。  
平気、と本来の表情に戻って答えた彼女に少し救われた。正直、早く解放されたかった。この状況は、なかなか辛い。  
しかし、女の子というのは、本当に化けるものだと実感する。少し濃い目の化粧を施され、人形の様に、と指示された彼女は、その要求に完璧に答えていた。  
普段の活発で可愛らしい様子とは全く違い、触れるのも躊躇う危うさを醸し出している。  
あの澄んだ目を覗き込むと、邪な気分を悟られそうで、直視できない。  
仄暗い中で聞こえるシャッター音がなんとも言えぬ気分を増長させていく。雰囲気に踊らされているようで不甲斐ない。  
たまには目を合わせなくては、と腕の中のリンを見ると、顔を胸に伏せたまま離れない、と思っていたのだがそうではなかったようだ。彼女は寝ていた。この単調な作業に飽きたのだろう。  
しかし、これでは仕事にならない。  
「リン」  
小さく声を掛けても起きる気配がない。  
仕方がないので軽く揺すってみた。つもりだったが、予想より大きな手応えに乱暴になりはしなかったかと焦る。  
幸か不幸か、それは杞憂だったようで、一向に目を覚ます気配がない。  
「がくぽ、どうかした?」  
なにか感じたのだろう、マスターが声を掛けてきた。  
「寝てしまいました」  
近寄ってきてほんとだ、と呟いた主人は仕方ないなぁというように笑う。  
「どうしますか」  
「もう結構撮ったし、良さそうなのもあったから終わりにしよっか」  
「はい、お疲れ様です」  
「お疲れ様。それにしても、良く寝てるね。そんなに寝心地いいのかなぁ?こ・こ・は」  
マスターは、ニヤニヤしながら腕の中のリンに話し掛ける。リンに話し掛けているように見せて自分をからかっているのだろう。  
「疲れているんですよ。こんなに若い子を働かせすぎです」  
そう言ってリンの着衣を整え、抱えたまま立ち上がる。このまま放り出していく訳にもいかないだろう。やはり、拍子抜けする程軽かった。  
「中々絵になるね。お姫様をさらってきた所みたい」  
ふざけながら1枚だけ、と撮られる。つい溜め息が零れた。  
「冗談ばかり言っていないで。ベッドで寝かせてきます」  
 
リンの部屋には鍵が掛かっていた。他の同居人達はというと、出払っているらしく、気配がない。  
少し躊躇したが、仕方あるまいと自分の部屋へ向かう。  
しかし、先程からずっと気懸かりだったのだが、服の胸元を掴まれている。放してくれなかった場合、どうしたら良いのか。  
リンをベッドに横たえ、上体を倒した体勢でさてどうしようかと考えていると、ぐいっと引っ張られる感触。  
「うおっ」  
つい、妙な声を上げてしまう。  
手を付いて体を支えたらすぐ下にリンの顔があった。  
切なげに見つめてくる瞳に、一瞬、時が止まった様な錯覚に陥る。  
吸い込まれそうだ。  
はた、と我に返って口を開く。きっと、寝ぼけているのだろう、そう決め付けて。  
「リン…怖い夢でも」  
ちらりと彼女の眉の辺りに苛立ちが見えた気がした。しかし、それを確かめる間もなく首に回された手によって、唇が合わさっていた。  
柔らかい…ではなかった、慌てて体を起こして真面目な顔をしてみせる。  
力を入れて離れまいとしていたリンは、自分の上体が起きた段階で諦めたらしい。少し膨れながらベッドに座っている。  
「リン」  
少しきつい口調で言うと、その瞳が曇り、みるみる涙で満たされていく。  
「だって、リン、がっくんが好きなの」  
それだけ言うと、ぽろぽろと涙を零して俯いてしまった。  
 
手を差し出しかけて、どうしたものかと考えていると、涙に濡れた瞳を上げて両手を差し伸べてくる。反射的に抱き上げてしまってから、何の解決にもなってはいない事に気付く。  
ざわめく胸に、取り敢えず落ち着かなくては、とリンを抱いたままベッドに腰を降ろす。  
「リン、そんなに泣かないでくれないか」  
「だって、がっくん、リンのこと、嫌なんでしょ?」  
「嫌な訳あるまい」  
嫌なら甘えるな、とさっさと放り出してしまっているだろう。そうだ、今、リンは自分に甘えているのだろう。そう気付き、少し気が楽になった。  
確かに、先ほどは少し驚いたが、それはリンの方から迫ってきたからであって…と、そこまで考えて頭を殴られたような衝撃を感じる。  
「じゃあ、好き?」  
好き、なのだろう。リンの行動にひどく動揺したり、腕の中の温もりに心が満たされているというのは。  
「ああ、そのようだ」  
そう言って、腕に力を込める。自覚すると、急に愛おしさがこみ上げてくる。  
大きな瞳を見開き、瞬きさえ忘れてしまったようなリンの、涙をそっと拭ってやった。  
「リンがうるさく言うから誤魔化そうとしてるんじゃなくて?」  
「それ程器用な人間ではない」  
リンは、少し上ずった声で呟く。  
「じゃ、じゃあ、キス…して…?」  
先程とは打って変わって、恥ずかしげに顔を赤らめる姿がひどく可愛らしく映る。  
頭の後ろに手を添えて、小さな唇に自分の唇を重ねる。  
角度を変えて何度も口付けていると、きゅっとリンが服を掴んできた。  
唇を離すと、上気した頬と薄く開いた唇に、気持ちが高鳴る。  
目が合うと、自然に再び唇が近付いていく。  
 
ガチャガチャ  
 
ガチャリ  
 
それは紛れもなく玄関のドアが開く音。  
「あ、きっとお兄ちゃんだ」  
思わず固まっている内に、リンはするりと腕から抜け出した。  
こちらに顔を寄せ、何事か囁いたら、すぐに玄関の方へ向かってしまった。  
去り際の顔で、やけに妖艶に笑っていた。  
すぐに、心なしか芝居じみて聞こえる程可愛らしい声が響く。先程ちらりと見せたぞくりとするような視線は錯覚だったのではないかと訝る程。  
「お兄ちゃん、お帰りなさーい」  
「お、リン、着物じゃないか。良く似合ってる。ちょっと回って見せてよ」  
「どう?」  
「可愛い。リンは何着ても可愛いなぁ」  
「えへへ。ねね、お夕飯なぁに?リンもお手伝いする」  
 
いい所を邪魔された筈なのだが、先程リンが耳元に囁いていった、甘やかな声を思い出してつい笑みが零れる。  
 
『続きはまた今度、ね』  
 
踊らされている気もするが、それも悪くない。  
カイト殿、あなたの妹さんは、なかなか食わせ者かもしれませんよ。心の中で呟いて、自分も夕飯の支度を手伝いにいく事にした。  
 
 
 
 

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