「……んー! やっぱり仕事の後の一杯って最高よね」  
「うむ、同感だ。……それにしても。以前より話に聞いてはいたが、  
メイコ殿は中々イケるクチのようだの。惚れ惚れするような呑みっぷり。見事じゃ」  
「あんたもね。カイトとはこういう呑み方しないから嬉しいわ」  
 
ぐい飲みに三分の一程残っていたお酒を一気に呷ると、  
がくぽがとっくりを手にしたので、迷わず空になったぐい呑みを突き出した。  
そろそろ何杯目だったか判らなくなって来たけど、まだ大丈夫。ノープロブレム。  
彼は柔らかい笑みを浮かべながら、そのまま黙ってお酒を注いでくれる。  
檜で出来たぐい呑みは、お酒を注ぐと樹の香りと混じり合って香りが引き立つし、  
心なしか口当たりもまろやかだ。  
普段はカップ酒や缶ビールをそのまま呑んじゃうんだけど、  
偶にはこういうのも悪くない。  
小鉢に入った塩をあてに、ついついお酒が進んでしまう。  
呑んでいる場所も、古い日本家屋の造りになっているがくぽの家でというのが新鮮。  
日中には何度か訪れた事もあるけど、  
こんな風に深夜に差し掛かるような時間帯に来るのは初めてだった。  
窓から差し込む月明かりと部屋の隅に置かれた行灯だけが頼りの薄暗い室内は、  
そこはかとなく雅やかな雰囲気があり、まったりとお酒を楽しむのにぴったりだ。  
 
――我を使役し始めて一ヶ月の祝いにと、主様が良い酒と塩を  
贈ってくれたのだが、せっかくなので共に呑まぬか?  
――主様の気持ちは嬉しいのだが、どうにも一人暮らしだと持て余してしまう量でな。  
メイコ殿が付き合うてくれれば助かるのだが。  
 
そんな誘いがあったのは今日の仕事が終わった後。  
今回の曲はメインボーカルが彼で、ミクと私がコーラスという構成になっていた。  
カイトは私達とは入れ違いで別の曲を今頃歌っているはず。  
まだ、未成年のミクには流石に呑ませられなかったので、  
二、三時間呑んだら帰るからと彼女を先に家に帰し、今に至る。  
 
「カイト殿とはさしで呑んだりせぬのか? 下戸とは聞いておらぬが」  
「ううん、呑むことは呑むし、あいつも酒に弱いってこともないんだけど……。  
あのアイスバカ、お酒のあてにもアイスを選択するんだもの。  
飲み会のシメのデザートとしてならともかく、初っ端からアイスよ!?  
っていうか、アイスだけを延々とあてに呑んでるとこしか見たことないわ。  
お子様のおやつタイムじゃあるまいし! 有り得ないわよ!!」  
「それは……確かに余り聞かぬ呑み方だのぅ」  
「でしょう!? なーんか、こう呑むぞーっ!て感じにならなくてさ。  
他の弟妹は年齢的に勿論アウトだし。  
だから、がくぽとこうやって呑めるのは結構嬉しかったりするのよねー」  
「ふふ……我もメイコ殿とこうして呑める事、ほんに嬉しく思うぞ」  
 
先程とは逆に、今度はがくぽのぐい呑みが空いたので、こちらから酌をする。  
がくぽもかなりの量を呑んでいるはずだけど、顔には出ていない。  
部屋が薄暗いせいで判らないだけかも知れないけど。  
元々、艶があるというか、妙な色気がある人だが、  
仄かな灯りの中だと、それが倍増されるように思う。  
藤色の長い睫が落とす影は瞬きの都度に微かに揺れ、  
お酒で濡れて光る唇と相俟って、より艶かしく映る。  
……綺麗だなぁ、この人。  
っていうか、何でこんなにお酒を呑む図が様になるのよ、この男は。  
 
――めーちゃーん。めーちゃんもアイス食べようよー。  
これなんて、にごり酒使ったアイスなんだよ。  
柔らかくてふわふわしてるし、勿論甘くて美味しいよー。  
これで温かくて弾力があれば、まるでめーちゃんのおっぱ……  
ごめん、叩かないで、ほんの冗談です。すみません、おふざけが過ぎました。  
 
そんな風にのほほんとした会話をしながら呑み合う、  
いつもの相手との差を思うと何だか笑えてしまう。  
まあ、カイトと呑むのもそれなりに楽しくはあるんだけど。  
 
「…………? 我の顔に何かついているか?」  
 
不審そうながくぽの声にはっと我に返る。うわ、うっかり凝視してたかも。  
 
「え、あ、ごめんごめん。つい綺麗で見惚れちゃった」  
「我にか?」  
「うん」  
「それは……男としてはどう反応してよいか、少々困る言葉だな。  
いや、含みのある言葉では無いのであろうが」  
 
苦笑いを零したがくぽは、本当に困惑しているみたいだった。  
手にしていたぐい呑みを置いて、何やら考え込んでしまっている様子に  
綺麗っていうのは拙かったかなと焦ってしまう。  
カッコいいって言った方が良かっただろうか。  
 
「ホントごめん。褒め言葉のつもりだったんだけど。気に障ったなら、聞き流して」  
「気に障った、ということでは無い。ただ……腑に落ちぬだけだ」  
「え? 何が?」  
「我にしてみたら、メイコ殿の方が余程美しいと思う故、  
そのメイコ殿本人に綺麗だと言われようとは思わなかった」  
「……はい?」  
 
しばし、思考停止。  
今、何て言ったっけ、この人。  
えーと、美しい? 私の方が?? 目の前でお色気オーラ迸りまくりのこの人より???  
酔いが回ってるようには見えないんだけど、  
もしかして、そうは見えないだけで実は結構酔ってる……のかしら。  
約一名、身内の欲目でさらっと「めーちゃんは世界一の美人だよ!」とか、  
素面で真昼間からぬかすようなのはいるけれど、  
がくぽはあまりお世辞や冗談を言うタイプにも思えないし、  
かと言って、本気で今の言葉はもっと有り得ないような気がする。  
 
「え、えーと……ごめん、その……酔ってる?」  
「いや、まだ然程酔うてはおらぬが……何故そのような事を?」  
「だって、あんたの方がよっぽど綺麗じゃない。そこら辺の女の子より。  
身体の線細いし、動作は何か一々優雅だし、  
唇、何も塗らなくても綺麗なピンクしてるし、  
髪だってこんなに長いのに凄く艶々してるしさー」  
 
ぐいっと、がくぽの髪を一房掴んで軽く引っ張る。  
うわ、何これ。柔らかくて触り心地まで極上じゃない。  
痛んでいる感じも全然ないし、どんな手入れしてるのかしら。  
 
「…………絡み酒とは知らなんだ。酔っているのはメイコ殿ではないか?」  
「いやいや、私だってまだ素面だってば。  
女装でもしたら、こっちよりよっぽど女らしくなりそうなあんたに  
綺麗だって言われても、違和感ありすぎって言いたいだけ」  
「待たれよ。……綺麗だの、優雅だの、果ては女装だのと。  
メイコ殿は我を何だと思うておる?」  
「はぁ? えーと……がくぽはがくぽでしょ?」  
「そうではない。言いたいのは一人の男としては見ておらぬのかという事だ」  
「え、あ、はい?」  
 
何故か苛立った様な声の意図が掴めない。この人は何を言いたいんだろう。  
返答出来ずにいると、それを相手はどう受け取ったのか、溜息を一つ零した。  
 
「男として見られてないという話であれば、心外だな。  
我とて、腑抜けではないつもりだぞ?」  
「え、ちょ、あの……っ!? …………ん……!」  
 
いきなり肩を抱かれたかと思うと、すぐに唇が重ねられた。  
咄嗟に引き剥がそうとしたけど、予想外に力が込められてて動けない。  
まずい、と思っていたら唇を割って舌が入ってきた。  
舌を押し出そうと抵抗を試みるも、逆に絡め取られて、強く吸われ、  
ぐらりと頭の芯が揺れた。……え、何、これ。何が起きてるのよ、ちょっと。   
同じお酒の匂いを纏った吐息を交わし、唾液を交わし――  
いつの間にか閉じてしまっていた目を再び開けると、  
見えたのは天井と、私を見下ろしているがくぽ。  
身体の所々に彼の長い髪の一部が触れている。  
がくぽが常に身につけている香の甘い匂いを、いつも以上に強く感じた。  
この体勢は――――幾らなんでもまずい。まずすぎる。  
しゃれで済む範疇を超えている。  
ここに来て、ようやく先程の相手の意図を理解した。  
ほろ酔い気分も醒めそうな勢いで、再び近づいてきた顔を押し退ける。  
 
「だっ、ダメよっ! こんなのっ」  
「…………カイト殿の事が気にかかるか?」  
 
ぎくりと身体が硬直するのが判った。  
その隙に押し退けた手を取られて、指先に唇が触れる。  
 
「何なら比べてみても構わぬぞ? カイト殿と我と。  
これでも、少々色事には自信がある故、悪い思いはさせぬ」  
「がく……」  
 
低く掠れた声が哂う。鋭い眼光を放つ目が怖い。  
 
「そう怯える事もあるまい。未通女ではないのだろう?  
それとも――カイト殿以外と情を交わした経験がないとか?」  
「…………どうだって、いいでしょ。そんなの。あんたには関係ないわ」  
 
内心、冷や汗を掻きながらも精一杯の意地で相手を睨み付ける。  
だけど、悔しくも効果はなさそうに思えた。  
 
「それはそれは……なればこそ、偶にはありだと思うがの。  
不貞を働く事に抵抗があるのなら、一夜限りの夢と思うてもよい。  
案ずるな、我の口からカイト殿に何か言おうとも思わぬ故」  
「ちょっ……」  
 
両手ごと床に押さえつけられて、碌に身動きが取れなくなる。  
華奢そうに見えたのに、片腕で押さえつけられるなんて。  
正直、この男の力を見縊っていた。  
――そう。『一人の男』だという事実を――。  
 
「嫌っ、お願い、離して!」  
「ふふ、嫌よ嫌よも好きのうち、とはよく言ったものよ」  
「本当に嫌なんだってば!! やだ、そんなところ触らないでったら!」  
 
太股を這い回る手には嫌悪感しか感じない。  
ああ、もう誰よ、私の衣装をミニスカートに設定した奴は!  
あっさり触られる上に、下手に動くと見えそうで動けないじゃない!!  
こんな時ばかりは製作者を心底呪いたい。いや、もう呪う。  
どうしよう。どうしたらいいのよ……!  
庭で鹿おどしが鳴る音が、妙に甲高く響くのを聞きながら途方に暮れた。  
 

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