「田舎町のがくぽ」  
 
 
 そこに一人のボーカロイドがいる。  
 狭い、三畳ほどの書斎に置かれた机を前にして、腕を組みながら瞑想状態にあったが、  
ふと目を開けた。  
 おもむろに懐に手をやると、真鍮の色も鈍く輝く大時代的な懐中時計を取り出し、時刻  
を確認する。  
 針が示しているのは、三時。  
 午後の三時だ。  
 それを確認して安堵したのか、彼はふたたび目を閉じて瞑想に入っていった。  
 
 それからしばらくして、彼は再び目を開けるとまた時計を取り出すが、今度はなにか異  
変を感じたらしい。  
 よくよく盤を確認する……と、秒針が動いていなかった。  
 
「……!」  
 
 電池切れではない。  
 この懐中時計は外見だけでなく中身までアンティークの機械式であり、動力源が「ぜん  
まい」ゆえに、これを時々巻いてやらなければ停止してしまうのだ。  
 うっかり忘れていたらしい。  
 
 それに気づいて、さーっときめこまやかな人工皮膚を青ざめさせるがくぽは、慌てて自  
身に搭載されている空間測位システムを使って真の時刻を確認する。  
 システムが示したのは、一七時。  
 つまり午後の五時だった。  
 
「し、しまったあっ……!!」  
 
 叫びつつ椅子から跳ね上がったがくぽは、一目散に書斎の外へ、そして家の外へと飛び  
出していく。  
 なぜかといえば、この日は午後の五時半よりスタジオで収録を行う予定が組まれていた  
のに、完全に失念してしまったからだ。  
 
 通常、アンドロイドはこんなミスは犯さないはずだった。  
 なぜなら彼らには自身が置かれた状況を正確に把握するため、いま書いた空間測位シス  
テムの受信機能が搭載されているからだ。  
(現代でいうGPSのようなものだと考えていただけると良い)  
 
 しかし。  
 がくぽは、それをあえて封印していた。  
 なぜかと問えば、  
 
「性に合わぬ」  
 
 とのことである。  
 科学の粋を結集して造られた人造人間のくせに、外見も中身も古めかしい。  
 さらに不幸だったのは、ボーカロイド・タイプであることも挙げられるだろう。  
 
 他のアンドロイドは、時計のぜんまいを巻き忘れる、という人間のような「うっかり」  
はしないのだが、ボーカロイドは別である。  
 かれらは歌という、芸術性を持った仕事をこなすために造られた存在だからか、精密な  
記憶や思考能力といったものの一部を、あえて除外されている。  
 だから、人間のようなミスを併発することがあるのだ。  
 
 こういう特殊な存在だったから、ボーカロイドに対する批難もある。  
 それは、  
 
「ロボット三原則から外れて、ボーカロイドが人間に危害を加える可能性がある」  
 
 というものだ。  
 人の世が続く限り、人が造った物が人に危害を加えてはならない、という考え方はアン  
ドロイドが街中を闊歩する様な時代になっても、変わらない。  
 もちろん、武器や兵器のように破壊を目的とした物であれば、その限りではないが。  
 
 話がそれたが、ともかくこのままでは収録の時間に遅れてしまう。  
 
 あらためて書くが、現在の時刻は午後五時。  
 収録予定は五時半からで、がくぽの居る自宅からスタジオまで、徒歩では二時間を要す  
距離がある。  
 遠くはないが、徒歩という移動手段を用いる限りは、絶対に間に合わないだろう。  
 しかし都合の悪いことに、公共交通を使うにしても、この辺りは便が悪く、融通が効か  
ない。  
 列車やバスの一本一本が、数時間置きなのが普通……というような、ドのつく田舎なの  
である。  
 そのうえ傾斜地ばかりで、自転車ごときは役に立たず、あとに頼れる物となると自動車  
しかない。  
 
 そう。オートモービル。  
 四輪であろうが二輪であろうが、はたまた一輪であろうがカタチは問わない。とにかく  
自力で自由に動ける乗り物の力を借りねば、遅刻は必至だ。  
 タクシーを呼んでいる時間もない。  
 が、幸いにして、がくぽには自分が初めて起動した時、マスターに与えられた専用のバ  
イクがあった。  
 乗っていけば十分間に合うのだが、じつはこれにも少々問題がある。  
 それは……  
 
「我はマシンが苦手なのだ!! こんなものには乗れぬ! 白馬か赤兎馬をよこせ!」  
 
 という、自分もマシンであることを忘れたかのような理由で、今の今までバイクを放置  
していたことだ。  
 そのため乗り方など解るはずもない。  
 
 一応、物をもらった義理をつくすため、維持整備だけは業者に頼んで完調のまま保存し  
ていたから動作は問題ないだろう。  
 
 なお車種は、スズキ・GSX1100S「刀」。  
 排気量1074cc、重量が240キロ前後にもなる、大型二輪だ。  
 最初に世に出たのが西暦にして一九八一年であり、最後に生産されたのも二〇〇〇年と  
いうから、これとて何十年も昔の車種ではある。  
 
 なによりも特徴的なのは、名の通り日本刀を模した姿だ。  
 ヘッドライトを両脇から刀の切っ先のようなカウルが挟み込み、その後方にあるガソリ  
ンタンクも連動した意匠で、横からみるとまるで刀身の様なのだ。  
 
 この特異な外見のバイクを、がくぽのマスターは  
 
「君にぴったりだ」  
 
 といって、プレゼントしてくれたのだ。  
 後は先述の通りである。  
 
 がくぽは、その曰く付きのカタナを自宅のガレージより引きずり出すと、とりあえずシ  
ートに跨ってカギを差しこみ、ひねった。  
 が、ここで動きが止まる。   
 
「これ、起きぬか。我をスタヂオまでつれてゆけ」  
 
 どうやってエンジンを始動したらいいか解らないのだ。  
 がくぽはあくまでボーカロイドであり、歌うこと以外の知識は専門外だ。  
 だから、動かしたこともないバイクの始動方法は解らない。  
 与えられながら、一度も触らなかった報いがここに来ているのだった。  
 
(いかん。時間が……)  
 
 焦るがくぽは、自分の記憶装置をフル稼働させ、最初で最後のマスターから聞いた説明  
を、記憶ファイルの隅から引っ張り出す。  
 必要のない情報はアタマの奥にしまっておく、というのは、アンドロイドも人間も変わ  
らない。  
 
「あ」  
 
 やがて、アクセルの付け根辺りに飛び出ているスイッチを押し込めば良かった事を思い  
出すと、カタナは勢いよくエンジンの唸りを上げて目覚めた。  
 
「よし! ゆけいっ」  
 
 いざゆかん。  
 アクセルを勢いよくひねれば、応答したエンジンがグワァァアン……ッッ!! と、大排  
気量の咆吼をあげる。  
 
 だけだった。  
 
「……なぜ進まぬ!」  
 
 がくぽは必死になって何度もアクセルをひねっては戻し、ひねっては戻しを続けるが、  
そのたびにエンジンが、ぐわーん、ぐわーん、と叫ぶばかりで、車体はぴくりとも前に進  
もうとしない。  
 
 なぜなら、ギアがニュートラルに入ったままだった。  
 
 これはマニュアル・トランスミッション車の経験なり知識なりのある方ならば書くまで  
もないことだろうが、エンジンの力を車輪に伝えるためには、ギアを操作しなければなら  
ない。  
 
 詳しい操作方法は、運転教本を書いているわけではないから省く。  
 とにかく、ギアを操作しなければ大型バイクなど、岩のように重い上にペダルもない、  
自転車のなり損ないに過ぎないのだ。  
 
(や、役にたたぬではないかぁ!!)  
 
 がくぽが内心で悲鳴をあげる。  
 あげて、どうになるものではないのだが……しかし、奇跡が起こった。  
 しばらくすると遠くから、ポコポコポコポコ、と軽い排気音が響いてきて、やがてがく  
ぽの前で止まったのだ。  
 
 当の本人は焦りでそれすら認識する余裕がなかったが、それでも、いつまでも遠ざから  
ない音が側にあるのを不審に思うと、ふと、顔を上げた。  
 すると、そこには  
 
「がくぽさん、どうしたんですか?」  
 
 小首をかしげるミクの姿があった。  
 彼女はがくぽと勤めるスタジオを同じくするボーカロイドなのだが、性格はあっさりと  
しており、がくぽとは対照的な存在である。  
 
 物事に頓着しまくるがくぽと、逆に無頓着なミクの二人は、一緒にいるとその差がほど  
よい濃さに中和されるのか、仲がよかった。  
 恋人というほどではないのだが、妙にフィーリングが合うらしいのだ。  
 
 排気音の正体は、彼女の乗っている小型バイクである。よく、ソバ屋や新聞配達員が乗  
っている荷台の大きなバイクだ。  
 ミクは、その上から彼を見つめている。  
 
 なお識者向けには、せっかくヤマハ製ボーカロイドが乗っているのだから、ホンダ・ス  
ーパーカブでなく、ヤマハ・メイトか、と期待されるかもしれないが、結局カブであると  
記しておこう。  
 そこはそれ、無頓着なミクらしいのだ。  
 
「どうしたんですか?」  
 
 ミクはまた聞いた。  
 その言葉には、がくぽがバイクに乗っていることへの疑念も含まれている。というのは  
彼がマシン嫌いなのは、スタジオでも有名なことだったからだ。  
 
 対するがくぽの方は「遅刻しそうでやむを得ず乗ろうとしたのだが、動かせぬ」とは、  
情けなくて、とても言い出す気になれない。  
 
「いや、この二輪車、我が主人が贈呈してくれたものゆえ、たまには動かしてやらねばと  
思ってだな。ミクはどうした、休みか?」  
「えぇ。今日はフリーなんで、お散歩中でした。がくぽさんは?」  
「ぬ? あ、ああ、そうだな、ツーリングにでも往こうかと……」  
 
 がくぽはしどろもどろになって言い訳を並べるがそれもつかの間、ミクが「あっ」と、  
口をぽかり開けて、目を丸くする。  
 
「がくぽさん!! 今日、収録じゃないですか! 遊んでる場合じゃあ……」  
 
 気づかれてしまった。  
 無理もない。同じ職場の、同じステージで働く者同士である。互いのスケジュールをご  
まかせるほどには、電子頭脳もクラックしてはいないのだ。  
 というより、アンドロイドの分際で時間を間違えるがくぽの方が、クラック寸前という  
べきだったかもしれない。  
 
「遅刻じゃないですか!」  
「……遅刻でござる」  
「だからバイクに乗ろうとしてたんですね」  
「……」  
「でも運転できるんですか。あんなに機械が苦手だって言ってたのに」  
「……」  
「できないんですね」  
「めんぼくない」  
 
 と、がくぽは追い詰められ、がっくりと頭を垂れる。  
 ミクはその脳天を、小さな唇を尖らせながら見つめていたが、やがて目をつむると、  
 
「しょうがない」  
 
 息をひとつ吐き、カブから降りると「それ、私が運転してあげますから後ろに乗ってく  
ださい」と、いった。  
 それを受けて、がくぽは目を丸くさせる。  
 
「動かせるのか」  
「動かせます」  
「……しかし、おなごの後ろでは、男子のメンツがだな」  
「ベンツだかなんだか知らないですけど、遅刻するよりマシです。それと私のカブ、ここ  
に置かせてくださいねっ」  
 
 ミクは自分のバイクをガレージに押し込みつつ、がくぽをカタナから押しのけて、有無  
を言わせずメインシートを奪う。  
 続いてリアシートに彼が乗ったのを確認すると、  
 
「行きますよ。しっかりつかまっててください」  
 
 その言葉と共にミクの左足がギアチェンジペダルを蹴落とした。  
 続いてアクセルが吹かされれば、どんッ、とカタナは弾かれるように発進し、その戦場  
たる道へ飛び込んでいくのだった。  
 
 なお捕捉として書くが、彼らはアンドロイドゆえにヘルメットの着用義務はない。  
 理由は表向きは風圧や衝撃に対する耐久力が人間と違うので、ヘルメットの守りが無く  
とも支障ない、とされているが、本当は別に理由がある。  
 それは、自動車という凶器にもなりうる物の操縦者が、ぱっと見て人間なのかアンドロ  
イドなのかと一目で判断できる様に、という考えに基づいてのものだ。  
 
 効能は、仮に自動車が暴走しても、操縦者がアンドロイドと解れば、その生死を問うこ  
となく停止の手段をとることができること。  
 極端な話、周囲への被害がないなら爆破処理しても構わないのだ。  
 
 だから人間か、アンドロイドか。  
 判断ができるのは早ければ早いほどいい。  
 そのためには、人の肉眼に訴えるのが最も都合がよかった。  
 
 こうなるのもボーカロイドをはじめとして、アンドロイドには人権が適用されないこと  
によるもので、中にはそれを人道に反する問題だとして指摘する者もいる。  
 だが、多くの者には自分たちの安全を守ることの方が先の問題だ。  
 
 ここで、そのどちらが正しいのか、などという答えの出ぬ愚問はすまい。  
 なににせよミク達ボーカロイドをはじめとする、アンドロイドの置かれる境遇とは、す  
べからくして、そういうものだった。  
 
 さて……そんな話を書いている間にも、二人を乗せたカタナは街の中をネズミ花火のよ  
うに駆け抜け、目的のスタジオに到着する。  
 
「つきましたよ」  
「すまぬな」  
「いえいえ〜」  
「しかし……ずいぶん、手慣れているではないか。ミクに単車の趣味があったとは知らな  
かったぞ」  
「今は乗ってませんから。そんなことより早くいかないと遅れちゃいますよ」  
「うむ。では単車は好きに乗り回していてくれ」  
「わ、やったっ、がくぽさん大好き! じゃ、今日は久しぶりに楽しんじゃおうかな。終  
わったら連絡してくださいね。一緒に食事でもいきましょうよ」  
「おう」  
 
 と、ミクの言葉を背に、がくぽはスタジオへと消えていった。  
 
・・・  
 
 そして時計の針はぐるりと回って、午前二時。  
 やっと仕事を終えたがくぽが、しかし背筋はシャキンとしながら、スタジオを脱出して  
くる。  
 自らの生を全うするための仕事とはいえ、疲労する時間が終わる時は、人もボーカロイ  
ドも表情がいくばくか輝くものだ。  
 時刻は深夜帯で、田舎の土地ゆえに照明もなく、辺りはとっぷりと闇に浸かってしまっ  
ている……が、それでもミクがにこにこしながら出迎えに来てくれる。  
 
 その後ろでは、カタナがキン、キン、と金属が冷え収縮する音を発していた。今し方エ  
ンジンを切られたばかりなのであろう。  
 じつのところ、がくぽはまだミクに連絡を取っていなかったのだが、彼女の方からだい  
たい収録が終える時間を見計らって戻ってきてくれたらしい。  
 
「おつかれさまっ。丁度でしたね」  
「連絡前に来るとはミクにしては気が利くではないか。いい嫁になれるぞ」  
「む、せっかく来てあげたのに」  
 
 がくぽの失言にぷうっと頬を膨らませるミク。  
 
「だいたい気が利けばいいお嫁さんだなんて、いつの時代ですか。私が来なければ遅刻し  
てた人がえらそーに」  
「それを言われると弱い」  
「……まあ、いいです。がくぽさんの古い考え方も好きですから」  
「そうか?」  
「はい」  
「面と言われると照れくさいな」  
「照れても似合いませんよ」  
「うるさい」  
「べー。さ、早く後ろに乗ってください、お腹すきました。何か食べて帰りましょう」  
 
 と、ミクはカタナに跨ると、リアシートをぽんぽんと叩いて、このバイク本来の主を呼  
ぶ。  
 促されるがくぽがリアシートに落ち着きつつ「こんな時間では開いている店もなかった  
気がするが」と、辺りを見回す。  
 何度見ても、スタジオの照明以外は何の光もない。  
 しかし、ミクはカタナのエンジンを始動すると、アクセルを一回「ぐぉん」と、吹かし  
てから答えた。  
 
「これでちょっと遠出、しましょうよ」  
「そうか、その手があったな。では好きな店に行ってくれ。送迎の礼だ、勘定の方は気に  
せずともよい」  
「ホントですか? じゃあ、めっちゃ高い店を選びますねっ」  
「ぬ、少々懐が痛いが仕方あるまい」  
「……冗談ですよ。がくぽさんってホント、面白いなあ……ファミレスでいいですよね。  
パフェでもおごってください」  
「承知」  
 
 その会話を最後に、カタナはエンジン音と排気音を轟かせ、深い闇夜にテールランプの  
朱い灯を残して消えていった。  
 走り出してしまえば、会話はない。  
 というのは、ガラガラ回るエンジンと、高速走行の鋭い風切り音が邪魔をして、普通に  
喋るぐらいでは、ほとんど会話ができなくなってしまうからだ。  
 
 聴力が人間と変わらないように設計されているせいだが、これはボーカロイドが人間の  
ボーカリストを上回らないための配慮である、といわれている。  
 それでも、密着していることで、ボディの発熱が互いにつたわり、二人はなんとなく安  
心感を得ながら、走り続ける。  
 
 走行風を浴びて冷却される分と、密着して加温する分との差が心地よい。  
 別に哺乳類ではないので、母胎にいたころの記憶などが深層心理から甦るわけでもない  
のだが、もしかすると一定の温度下で感情プログラムが落ち着くように設計されているの  
かもしれなかった。  
 もっとも、当人たちにはさして興味のないことか。  
 
 やがてカタナは郊外のファミリーレストランに到着する。  
 屋外型の駐車場に入り、二人を降ろしてエンジンを止めると、闇夜に煌々ときらめく人  
工の光に吸い寄せられていく主の帰りを、静かに待つことにするのだった。  
 
 そのレストランの中では、腹の満ちる食べ物を注文したミクとがくぽが、雑談を交えつ  
つ安息の時を過ごしている。  
 なお、がくぽの注文したものは、冷やし茄子そばである。  
 これは焼きナスの煮浸したものと、ミョウガとオクラに、サキイカなどが冷たい汁の上  
に載せられている。  
 ほどよい固さの麺と、旨みのある塩辛さが、和風好みのがくぽにはしっくりきた。  
 
 対して、ミクは巨大なチョコレートパフェがふたつ。  
 どれほど巨大かというと、カットしていない長ネギが上からまっすぐ刺さっているぐら  
いに巨大だといえば、お解りになるだろうか。  
 ただし、なにゆえパフェにネギが刺さっているのかは謎である。  
 
 ファミリーレストランなのに、異常に凝ったメニューを用意しているらしい。  
 ともかく、そんなお互いの好物を食しながら交す会話の中で、ふと、がくぽはミクがバ  
イクに乗ることになった経緯が気になって、問うた。  
 
「ミク、そういえばいつから単車など覚えたのだ」  
「……じつは昔、あるアンドロイドに憧れたことがあって。その影響です」  
「あるアンドロイド?」  
 
 ミクと座席を向かい合うがくぽが、そばをたぐる手を止めて、聞き返す。  
 と、彼女は正面に二つ横並びになったチョコレートパフェにがっつく両腕を止めて、答  
えた。  
 
「はい。飄々とした人で自分の髪と同じ、蒼色のヤマハYZF-R1ってバイクに乗っていて、  
とっても格好よかった。  
 でも結局、片思いで終わっちゃいました……住む世界も違い過ぎたし、その人には最高  
のパートナーも既にいましたから」  
「そうか……」  
 
 思いがけぬ返答に、がくぽは  
 
(悪いことを聞いたな)  
 
 と思い、そばをひとつかみ、ずっとすする。  
 すすると、箸を置いて目の前で少々寂しそうな表情になっているミクを見ていった。  
 
「ふむ。お前は起動してから何年になる?」  
 
 経年で見た目が変わることのないアンドロイドゆえに、相手に歳を訪ねる場合、こうい  
う表現になるのだ。  
 それだけに、女性型思考を持つ相手であっても特に失礼となることはなかった。  
 
「七年です。がくぽさんは?」  
「三〇年だ」  
「初期型ですか! それだと、色々トラブルとか大変だったんじゃないですか?」  
「うむ。エモーションプログラムに致命的なバグがあるのが発覚して、廃棄されかけた事  
もあった」  
「そっか……それで、波瀾万丈を過ごしたボーカロイド生の先達として、私にアドバイス  
してくれるんですね」  
「……そ、それを、先に言われてしまうとだな」  
「ありがとうございます。でも、別にもう気にしてませんよ。今はがくぽさんっていう面  
白すぎる人がいて、寂しくないですから」  
 
 ミクはそういうと、両手のスプーンを操り、目の前にあるパフェを再び体内へと収めは  
じめる。がくぽはその姿を見たまま、頬をかるく掻いた。  
 
「ならば、それが永く続く様にしよう」  
 
 と、麺も具も残り少なくなった椀を持ち上げ、口に運んでいく。  
 中の塩辛さが旨い液体を飲み干すと、椀を置いて一息つく。そこで懐から、例の古時計  
を取り出すと時刻を見た。  
 針はまたも三時を指していたが、今度は止まっているわけではない。  
 きちんとぜんまいを巻いてあるから、「コチ、コチ」と機械式特有の時を刻む音と共に  
秒針が動いている。  
 
 首をめぐらして窓から外を見れば、そこはいまだ暗い。  
 が、穏やか風が吹く空の下、レストランの照明で宝石のように輝くカタナが、主たちの  
帰りをいまかいまかと待ちわびているのだった。  
 
 
了  
 

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