拙者、神威がくぽと申すものでござる。
歌と剣の道を極めるべくこの世に生み出されて幾星霜、天はまだまだ遠かれど、
この日は町を歩き久方ぶりの休養を楽しんでいた。
穏やかな気候と住み慣れた町並みに心を癒していたそんな折にそれは起こった。
突如後方で轟音が鳴り響き黒煙が立ち上ったのだ。
人々が悲鳴を上げ我先にと逃げ惑うその中に、
よくよく見れば見知った男がいるではないか。
「カイト殿! これは一体どういうことでござるか!?」
その青い男は我が友人にして歌道の先輩格、人呼んでバカイト。
「おおっがくぽ! ラッキーちょうどいいところに来た!」
「ちょうどいい……?」
眉間にしわを寄せた拙者を意に介さず、カイトは轟音の鳴った場所を指さす。
煙の中に人影のようなものが見え、やがてはっきりとその姿が露わになった。
紅い服。紅い眼光。紅い髪。吐く息までもが紅かった。
それは炎のように紅い女だった。
「メイコ殿!!?」
否。
拙者のよく知る歌姫ではない。
邪悪にして強大なる闘気、そして骨の髄にまで伝わる憤怒の情。
あえて例えるならば−−鬼。
これが恐怖というものか。
生まれて初めて頭がではなく肉体が恐怖した。
「かぁ〜〜〜いぃ〜〜〜とぉ〜〜〜」
鬼がうめいた。
何らかの物体を持った右腕がゆっくりと掲げられる。
それは大型単車であった。
数百sはあろうかという鉄の塊を、傘のように軽々と持ち上げているのだ。
刹那、鉄塊が宙を舞った。こちらに向けて、恐るべき速度で。
「憤ッ!」
一瞬の判断にて左方に飛び退けかろうじてそれを躱す。
単車は地面に叩きつけられ爆音とともに四散した。
あと半秒遅ければ拙者もああなっていただろう。
「おっかね〜」
カイトもまた拙者と同じ方向に逃げ延びていた。
弱いくせに逃げるのは得意な男だ……。
「説明してもらおうか、カイト殿」
「走りながらなっ!」
言うが早いかバカイトは青い首巻きをはためかせ後方に駆ける。
拙者はすぐにそれを追い、カイトの汚い尻に向けて怒鳴りつけた。
「早く話せいッ!」
「いや〜それがさ〜」
青い屑は最近の若者を象徴するような軽薄な顔で鼻の下の尻の穴から臭い音を出す。
「めーちゃんの着替え姿、こっそり隠し撮りしたのを
ニコ動に流してたのがバレちゃってさ。
いやーあんなに怒るとは思わなかったね」
「き、貴様うつけか! 天下一の大馬鹿者かッッ!!?」
「そんなに褒めるなって」
「褒めとらんわ!!!」
前方の痴れ者、後方の鬼神。
状況は最悪でござる。
「でもがくぽがいて助かったぜ。
おめーの剣術ならめーちゃんを峰打ちで気絶させることだってできるだろ?」
「拙者に責務を押しつけるつもりか!?」
青畜生は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「でないとおめーがめーちゃんのおっぱいハァハァって書き込んでたのバラすぜ?」
「知っていたのかぁッッッ!!!」
やはりこの男の家の無線LANを勝手に借用したのは失策であった。
通信費用を渋るべきではなかった……!
「貴様地獄に堕ちるぞ……」
「作られた命がか?」
自嘲気味に笑う青い悪魔。
そう、確かに我らは機械人形。所詮は人間達の玩具に過ぎぬ。
なれど。
「拙者は武士。武士には武士の誇りがある!」
こんな好機は二度とない、そう思った。
駆け足を止め、振り返る。
半身になって腰を落とし刀の柄に手を添える−−居合の構え。
紅い鬼神は拙者を一瞥するや突進を止めた。
「がくぽ……あなたに用はないの。そこをどいて」
「どかぬ」
「さっさとどきなさい!」
「退くわけにはいかぬ!!」
互いの闘気がぶつかり合い、しのぎ合う。
足下の小石が震えるのを感じる。
それだけではない、この対峙に空間そのものが蠢いているのだ。
拙者は今までにない高揚感を感じていた。
拙者の知る限り現世で最も強い同胞メイコ。
今初めてそのメイコと本気で向き合っている−−至福。
「貴殿とはいつか相見えたいと思っていたでござる。
それが今になっただけのこと」
「本気……なのね……」
鬼が構えた。
「我が剣に斬れぬ物無し」
腰をさらに落とし精神を一点に集約する。
しくじれば、死。
「 」
声なき声とともに踏み込む。
音の壁を越えた交錯。
楽刀・美振が唸りを上げ、美獣が咆吼した。
意識がなかったのはほんの一瞬であろう。
だが拙者は地を舐め、メイコは立っていた。
完全なる敗北だった。
「無念……」
もはや体は言うことを聞かなかった。
おそらく機体損耗率は50%を超えている。
「がく……ぽ」
ぎしぎしと歪な音を鳴らしこちらを向く紅い美女。
戦乙女もまた無傷ではなかった。
どうやら我が剣術もまるで通じなかったわけではないらしい。
……僥倖だ。
「貴殿の勝ちでござる」
生涯初の完敗は不思議と心地良かった。
あの永遠にも似た一瞬。あの喜びがあるからこそ剣術は滅びないのかもしれない。
拙者がそんな感慨に浸っていたその時だ。
青い人影が突如現れ拙者を飛び越えたかと思うと瞬く間にメイコに迫った。
損傷で上手く動けぬメイコの紅い唇をそやつは堂々と奪った!
「めーちゃん大丈夫?」
ぬけぬけと囁く青い糞。
恥知らずにも傷ついた美女の髪を撫で腰に手を回すと、
どういうわけかメイコの顔はみるみる朱に染まっていくではないか。
「バカ……」
「ごめんね、めーちゃんがあんまり綺麗だから、
世の中の人たちに見せたくなっちゃったんだ。
でもやっぱり間違っていたよ。
めーちゃんの美しさを知っていいのは僕だけなんだから」
「もうっ! あなたが私のこと裏切ったのかと思っちゃったじゃない!」
「そんなわけないよ。僕は絶対にめーちゃんを裏切ったりしない。
だってめーちゃんは僕の大事な恋人なんだから。
……好きだよ、めーちゃん」
「あたしもよ、カイト……」
「さあ、帰ろう」
「カイト? ふふっ、今日は一晩中頑張ってくれないと許してあげないんだから」
「わかった。今夜は寝かせないよ」
二人は肩を寄せ合い仲睦まじくその場を去っていった。
残されたのは地を這う拙者と、傍らで空しく横たわる愛刀のみ。
「あの阿呆共、いつか殺す……」
拙者は武士。武士には武士の誇りがある……。
完