「マスタぁああぁあっ!!」  
「ぐぉっ!!?」  
 
 ぼふっ!と大きな音を立て、就寝中のマスターの上に、文字通りミクが飛び乗ってきた。  
今の一撃で起床したマスターが目を白黒させると、カーテン越しの月明かりの中、ミクの微笑が見える。  
どうした?と聞くと同時にミクの頭を撫でようとして、ぎし、と軋んだ音と同時に、手足が自由にならないのを知る。  
 
「み、ミク…?」  
 
 疑問と言うには少々おっかなびっくりのような声で、マスターは恐る恐る声を出した。  
何かしただろうか?ミクにはカイトとメイコとリンとレンと同じような扱いをしている筈だ。  
…いや、厳密に言えば夏より前、マスターはミクに恋愛感情を告白された。  
俺も嬉しいよ、という正直な言葉と共に、それ以前と変わらない良い関係を築いていた筈だ、と。  
自分にやましいところが無かったか逡巡するマスターに、ミクが顔を近づけて、笑って言った。  
 
「マスター!ミクとにゃんにゃんしましょう♪」  
 
 
   【初音ミクの暴挙】  
 
 
 時は冒頭より数日前にさかのぼる。  
 
「テトさぁあんっ!!」  
 
 この音を聞くのももう何度目だろうか、テトは溜息をつきながらそう思う。  
木目の廊下を足音を響かせて走ってくるミクの声に、DVDを止めて立ち上がる。  
 
「何度言ったか解らないけどあえて言おう、ここの廊下はもっと静かに…」  
「テトさんテトさん、教えてくださいっ!テトさんはさんじゅういっさいだからいっぱい色んなこと知ってるって…!」  
 
 ごすっ。  
ミクの言葉を遮って、テトは持っていたフランスパンを力の限り振りかざしたのであった。  
「て」の終わりの「e」の発音がぶれて、頭を揺らした後、ミクはばたりと倒れた。  
こめかみに青筋を立てたままのテトは、それでも優しくミクを部屋へと連れ込んだのであった。  
 これが、今回の事の始まりだった。  
 
 テトさんはさんじゅういっさ(ry から五分後、ミクはテトの部屋でバツが悪そうに縮こまってた。  
コタツ布団が片付けられたテーブルで頬杖をつき、血のような紅色と言われるテトの瞳が、ミクをにらむ。  
 
「…で、ミクはマスターに思いを伝えた、これは過去形でいいな?」  
「はい…」  
「それでもはぐらかされてしまったから、”にゃんにゃん”でどうにかしたい…と?」  
「はいっ!!」  
 
 しょぼんと落ち込んでいたミクの瞳が、きらきらと光って力強く頷いた。  
以前、ルカが家に来ると聞いたときとは違う感情の落ち込みが、ミクに感じられた。  
すればいいじゃないか、と言いかけたテトの言葉を遮ったミクの一言に、テトは思わず固まった。  
 
「でも、にゃんにゃん…って何なんですか?」  
「…オイちょっと待て、意味知らないのに何で知ってるんだ!」  
「他のマスターの所の”わたし”が歌ってました!にゃんにゃんしよ♪って!」  
 
 言い放ったミクに、テトはがっくりと頭を落とした。  
DL形態を取るテトたちUTAUと、CD−Rになってマスターの元に行くミク達は、  
各個の性格の差の出やすさに明らかな違いがあった。  
UTAUが一定箇所からDLされる為、ある程度最初から設定や性格が同一なのに比べ、  
ミク達…VOCALOIDは、箱から出たその時は『はじめまして』の真っ白な状態なのだ。  
よって、目の前のようなピュアピュアミクと同時に、他のマスターのところでは、  
にゃんにゃんやアレな歌を歌うミクが存在する、という訳だ…と、テトは誰にとも無く頭の中で説明した。  
 
「…えっと、ミク、ボクには無理だぞ」  
「!?どうしてですか?だってテトさんはさんじゅういっs」  
「キメラだからボクの年齢は15.5歳なんだ!」  
 
 言葉を遮って胸を張るテトに、ミクが目をぱちくりとさせた。  
設定年齢31歳、だけどキメラだから15.5歳。これはテトとしては通説である。  
さんじゅういっs も勿論公式設定であるが、これ以上連呼すると言った方の命が危うくなるので止めておこう。  
 
「だから、そういう”大人の情事”は解らないな、教えられないんだ!」  
「そうですか…それじゃあしょうがないですよねぇ…」  
 
 肩を落とすミクに、それもしょうがないと思いながらテトは頷いた。  
 
「テトさんに聞けば、大人のことが解るかと思ったんですが…あ!」  
「ん?どうした?」  
「あの、前にテトさんと一緒にPVを撮った皆さん…モモさんとかマコさんとかはどうでしょう?!」  
 
 これですんなり帰ってくれるかと思ったミクの意外な言葉に、今度はテトが目をぱちくりさせる。  
一緒にPV、と言われて、今までミクと撮ったPVのどれかを、テトは頭の中で探し出す。  
(モモと…マコと……?……あぁ、ルナやユフも居たあれか)  
 つい先日殿堂入りを果たしたPV曲を思い出し、テトは一人頷いた。  
だが、次に出てきた言葉は、ミクの期待にひとつも添えないものだった。  
 
「あの時のメンバーなら殆どが18歳以下、ついでにそうじゃないヤツにも聞けないぞ。  
 …男にそういうことを聞くわけにもいかんだろうし、ウチの女性陣はほとんど未成年だからな…」  
「え…あぅ、そ、そうなんですか……ど、どうしよう……」  
 
 18歳以下には大人の情事は聞けないだろう、と言外に含めたテトの言葉に、ミクの肩が落ちる。  
あまりにもしょぼくれたその姿に、テトの胸がきゅうと痛む。  
幾ら己が嘘から生まれた存在と言えども、この純粋なミクの前では  
今さっき言ったばかりの15.5歳を覆すのも気が引ける。  
 このまま返すのは忍びない、だがどうするか…そう考えていたテトの耳に、足音が聞こえてきた。  
規則正しく、かといって静か過ぎない足音がテトの部屋の前で止まり、扉をこんこん、とノックした。  
 
「テトさん、今宜しいですか?あの、この間の資料が…」  
「見つけたぞ成年女性ぃいい!!」  
 
 内側から勢いよく開いた扉に、ノックした女性が勢いよく部屋に飛び込むように引きずり込まれた。  
きゃあぁっ!と悲鳴を上げて部屋に倒れ込んできた女性は、ミクの髪と同じくらい鮮やかなオレンジの髪をしていた。  
 
「に、にゃんにゃんの内容、ですか…?」  
「そうだ!知らないとは言わせないぞ25歳!」  
 
 すりむいたらしい鼻の先をちょいと触りながら、オレンジの髪の女性音源は不安そうに聞いた。  
テトの年齢込みの言葉に「禁句:年齢」と設定付けられている彼女はうぐ、と一瞬呻いたが、  
大先輩であるテトの言うことに逆らうことは出来ないのか、大人しく座ったままである。  
ぴったりした茶色のスーツに、黒いストッキングの足で正座した彼女の足は、艶かしくつやめいた。  
 
「25歳?!ルカちゃんより大人なんですね!」  
「…恐れ入ります、CV01初音ミクさん…」  
「ミク、コイツは駒音クウと言って25歳のオペレーターだ!だから色々知っているぞ!」  
「いえ、私は働く方面のオペレーターで、そういうオペレーションは…」  
「知識は持ってるだろ?ならオペレートすることは可能だな?」  
 
 テトに言葉でねじ伏せられ、オレンジの髪の彼女―クウは、観念したのか大人しく座り直した。  
一見ショートカットにも見えるが、イヤリングのように左右で大きく束ねられたドーナツ・ヘアが、僅かに揺れる。  
改めてミクに一礼すると、礼を返すミクを見てから、クウは喋りだした。  
 
「改めて…初めまして、CV01初音ミクさん。私はオペレーターの駒音(こまね)クウと申します」  
「あ、初音ミクです、あの、宜しくお願いします!」  
「存じておりますよ、ミクさんはとても有名ですから…えっと、それで…何を、知りたいのでしょうか?」  
「はいっクウさん、ミクは”にゃんにゃん”することはどういうことかを知りたいです!」  
 
 直球ストレートド真ん中に聞かれ、クウは一瞬フリーズして、瞬時に顔を真っ赤に染めた。  
助けを求めるようにテトの方を見遣ったが、テトは明後日を向いたまま何もしてくれそうにない。  
聞いてくるミクは純粋そのものに知りたくて、獲物を捕らえた猫のようにうずうずとして言葉を待っていた。  
 
 
========  
 
 
「…で、クウさんから聞いてきたんです!にゃんにゃんするってことがどういうことか!」  
 
 帰りにクウさんが真っ赤な顔してましたけど、と頭にはてなマークを浮かべて言うミクに、  
暫く外出禁止にするべきだろうか、いやそれよりその彼女にとっては羞恥プレイだったに違いない、と  
知らない相手のことを少し気の毒に思いながら、マスターははっと気付く。  
 
「……おーい、ミク?」  
「はい、何でしょうマスター!」  
「つまり今から…何をする気かな?どうして俺は縛られてるのかな?」  
「にゃんにゃんです!あ、縛ってるのはテトさんのアイディアです、抵抗するのはよくないって!」  
 
 やっぱり暫く外出禁止か、と思いながら何とか足掻こうとするマスターの目の前に、  
ミクの顔ごと蒼碧の瞳が近いてきて、吐息が触れ合うほどの距離になった。  
グロスを薄く塗っているのだろうか、蜂蜜のように艶やかな唇に、マスターの喉が軽く鳴る。  
 
「マスター…わたし、マスターのこと、だいすきです……だから、マスターに、わたしの全部…あげます」  
 
 言葉の最後からスラートで繋げるかのように、ミクの唇がマスターのそれに触れる。  
腕を回し、愛しそうにマスターの頭を抱きかかえて、ミクは瞳を閉じてキスに酔いしれていた。  
最初は唇同士の触れる四分音符分の長さのキス、次は深めの二分音符分の長さのキス。  
うっとりとした瞳を開いて、唇で”え”の形を描き、キスと同時に舌で唇を舐める。  
最初こそ怒ろうとでも思っていたが、あまりの愛撫の深さに、マスターはミクのなすがままになっていた。  
 
 マスターが抵抗しないのをいいことに、ミクのキスは絶え間なく降り注いでいた。  
”唇同士なら八分から四分の音符の間、舌を使うならより長く優しく滑らかに”  
教わったキスの作法をそのままに、唇に触れるマスターの温もりに恍惚の表情を浮かべる。  
時折口の端や頬にキスを落とすその度に、ミクは頬を紅潮させ、はぁ、という深い吐息をした。  
 やがて互いの唇が潤い、重ねる度にちゅ、ちゅっと水音が上がってきた。  
水音の発生と同時に唇をすぼめ、微かに吸い上げるようにすると音量が上がり、ミクの背が震える。  
舌でマスターの唇をこじ開けるようにすると、僅かな抵抗はあったものの、マスターは開いてくれた。  
直に触れ合えるようになった舌と舌を絡めてみると、唇よりも熱と濡れを帯びたその感触に、びくんと快楽が駆け続けていた。  
 
(これが、大人の…ぁ、あたまどうにか、なっちゃいそうですよぉ…)  
 
 初めて知る快楽で震えっぱなしの神経を抑えようとするが、身体はミクの意思に反せず熱を帯びる。  
苦しさからではない荒い吐息と、浮かぶ涙。頬の熱い火照りに、ミクは色々な意味で暴走寸前だった。  
もっと、知りたい。もっと、重なりたい。でも、これ以上どうにかなったら…壊れるのかもしれない?  
 
(でも、マスターに壊してもらえるなら、わたし、わたし…!)  
 
 全音符を何小節も重ねたような深いキスで唇を大きく塞ぎ、ミクはぎゅっと目を閉じた。  
絡み合う舌の水音が、口の中から響く。身体の内側に響く音という不思議な感覚に、ミクは震えていた。  
その時、唇と同じように艶やかなミクの髪に、マスターの手が重ねられた。  
 
「ん…っは……ミク、今日はここまで、な?」  
 
 ぽふ、といつもの感触で頭を撫でられ、ぼーっとしたままのミクが少し顔を離した。  
快楽という初めての刺激に回路を駆け巡られ、少し焦点の定まらないミクがかくりと首を傾げる。  
 
「はぃ…??あれ、ますた、て……」  
「うーん、意外と楽だった。というかトイレットペーパーを束で使ってこういうのはどうかなー…」  
 
 縛っていたはずの手で撫でられ、ミクが疑問を投げると、マスターは苦笑いを返した。  
両足と片手までは、USBケーブルのような硬質なもので縛られていたので、抜けることは難しかったし、  
何で縛られているか解らない以上、下手にちぎるのもまずいと判断したマスターは抵抗をやめていた。  
 だが、残る片手だけが感触が違った。肌に張り付くような軟質の、それでいて日常的な…。  
キスの合間にちらっと見てみたそれは、恐らく縛るものが無くなって最終手段として  
急いだミクが持ち出してきたのだろう…トイレットペーパーの束であった。  
一体何個使ったんだろうか、ベッドの下を見るのが怖い。そう思いながら破き千切ったのであった。  
 マスターは怒る口調でもなく、いつもより優しく声をかけながら、ミクの頭を撫でる。  
 
「…そっか、ミク、俺とこうしたかったんだな…ごめんな、気付いてやれなくて」  
「ま、すた…?」  
「ミク……俺もミクが大好きだよ、”にゃんにゃん”したいくらいにな…でも、出来れば俺からも愛したい」  
「…マスター、ほんとですか?」  
 
 快楽に潤んでいたミクの瞳はいつもの純粋な輝きを取り戻し、嬉しそうに笑みを浮かべる。  
いつも通りのミクの笑みに、マスターも笑みで返し、頭をぽふぽふと撫で続けていた。  
 
「だから、こういう…縛ったりするのはナシでな。それに、この先は今日はダメだ」  
「この先…?」  
「そうだ、ミクだって色々準備しただろ?俺も準備したいし、心の準備もしたい」  
 
 ミクが『大好き』と云う柔らかな笑顔でそう言ったマスターは、次の瞬間固まった。  
 
 
「この先って何ですか?これが”にゃんにゃん”じゃないんですか?」  
 
 
 まさか、いや、でも、ましてや、しかし――幾つの逆接詞がマスターの頭に浮かんだだろうか。  
だが、その全てを打ち壊して、ミクの純粋な瞳は己を見つめて問いを続けた。  
 
 
「いーっぱい、いっぱいの大人のキス…これだけが”にゃんにゃん”じゃないんですか?!」  
「いや、それは正しいというか、えっと…」  
「つまり、次のにゃんにゃんがあるんですね、じゃあ私もっと覚えます!」  
「待ってミク、覚えるってどこでどうやってだ!?」  
「え?テトさんのところに行ってクウさんに教えてもらいます!オペレーターさんですから!」  
「いや、そういう問題じゃないんだけどな、えーと何て言えばいいのかなぁ…」  
 
 まさか自分が教える、と言う訳にもいかず、マスターはとりあえず自由な腕で  
ミクを抱き寄せ、自分に押し付けるように抱きしめた。  
これ以上何か言う前の唇を塞いで、とりあえずミクが教えてもらったという  
”にゃんにゃん”を続けて、言葉を封じてしまおうと…。  
 
 
 後日、教えられなかった照れ屋のマスターは全ての教科書代わりにUTAU荘への行き来を認め、  
ミクに新たな”先生”のようなオペレーターの存在が出来たとか、それはまた別の話である。  
 
【END】  
 

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