「ただいま」  
バタンと閉じられる玄関のドアの音を聞いてメイコは視線をリビングの方へやっ  
た。  
メイコの立つキッチンからは少し見えにくい位置にある玄関とリビングを結ぶド  
アから疲れた顔をした青年が現れる。いや、もう青年と呼ぶ時期はとうに過ぎた  
気もする。けれども、いくら疲れてやつれた顔をしていても、瞳の輝きは若々し  
かった。  
彼女の、恋人であり、きっと人生のパートナーになるのであろうその彼はコート  
を脱ぐとハンガーにも掛けずにバサリと投げ捨てて自身をソファに沈めた。チラ  
リと掛け時計の方に視線をやる。と、すぐ下に昔見慣れた白いコートと青いマフ  
ラーがキチンと掛っていた。今すぐにでも出掛けられますよ、とばかりに皺一つ  
無い眩しい位のコートは今はただただ憎らしいだけである。  
 
「疲れてる、みたいじゃない」  
「まあね」  
労う様に微笑みかける彼女に笑って答えようとしたが、いけない。自分の中のモ  
ヤモヤとした何に向けたらいいのか分からない苛立ちがつい口調をぶっきらぼう  
にさせる。  
気が強いようでいて彼女はとても神経が脆いのだ。  
慌てて彼女の方に振り返ると、彼女は何も気にしていないように夕飯の支度を淡  
々と進めているだけだった。  
不意に立ち上がると居場所を無くした自身の新しい居場所を探すためにふらふら  
と足がキッチンの方へ自然と向かっていく。  
はた、と気付いた時にはすでにカイトの腕の中にすっぽりと小さなメイコの身体  
が収まっていた。  
 
「なに?今日は随分とあまえんぼさんねえ」  
ケラケラと心底おかしそうにメイコは笑う。その様子に「本当に無意識だったん  
だ」とは言えずに、ただ苦笑だけが漏れる。知らなかった。まさかここまで本能  
的に彼女を欲していただなんて。  
 
苦し紛れに右手を彼女の胸元までもっていく。ほんの少しだけ形のいい眉が歪ん  
だのを見る。  
「お夕飯出来ないわよ?」  
「いい、よ」  
「あんたの好きなオムライスなのに?」  
「う……けど、今はメイコの方がいい」  
 
たださまよっていた右手は段々と本気を出してエプロンとニットの間をまさぐっ  
ていく。メイコは迷いつつもコンロの火を消した。一気に炒めないと美味しくな  
くなっちゃうのに。結局、こんな風になって流されなかったことはないのだ。今  
回だって例外ではないだろう。  
 
エプロンを脱がさずにニットだけを捲りあげて直に触られる。そこから入り込む  
ヒヤリとした外気がメイコの身体をビクリと震わせる。冷たいシンクに置いてい  
るはずの手が熱い。少しごつごつした指が頂きを捏ねると腰が揺れた。  
「ね、当たって、る」  
「当ててんの」  
腰の辺りに感じる固い熱が背中を駆け上って全身を蒸気させた。回りきらなかっ  
た熱が湿った唇から溜め息となって吐き出される。  
「ねえ、寝室、いこ」  
じゃなければせめてソファ。このまま後ろから、なんて嫌だ。  
けれどもその要求は言い切る前にカイトの唇で塞がれる。紡がれなかった言葉が  
舌で掻き回されて唾液となって飲み下される。溢れだしたものが顎を伝ってフロ  
ーリングにポタリと小さな水溜まりを作った。  
 
彼は焦っている。何にかは聞いても喋ってはくれないだろう。  
……おおよそ、新しく仲間入りするボーカロイドの事だろう。実際に見たことは  
ないが風の噂で聞いた。二十歳でピンクの長髪、巨乳。随分とお色気的にも頑張  
ってくれたものだ。  
けれど、自分達には関係はない。  
 
メイコとカイトは歌を知らなかった。  
 
初音ミクがある動画サイトをきっかけに爆発的な人気が出たと知ると彼女らは暫  
く袖を通していなかった赤いセパレートと白のコートをハンガーから外して身に  
付けた。そして、じっと正座をして待っていた。  
予想通りメイコとカイトは歌った。  
そう、『他所の』メイコとカイトが楽しそうに歌っていた。  
 
二人は仕方無しに再び衣装をハンガーに掛ける。カイトは知識だけはあるので音  
楽関係のアシスタントを、メイコは家事全般と週三日の花屋のアルバイトを。  
歌えないボーカロイドは楽しげに歌うボーカロイドを目の当たりにして行き場の  
無い焦りと苛立ちを愛しい女性にぶつける。  
覚悟はしていたことだ、とメイコは目を瞑った。  
 
「ひ、あ、あっ……!」  
カイト自身がメイコの中にズンズンと入っていく。こうなってしまえばお互い考  
えることは一つしかないのだ。早く、キモチヨクなりたい。それだけ。  
「メイコ、メイコ、メイコ……ッ」  
ただただ腰を突き上げながら最愛の女性の名を呼ぶ、それだけで十分だった。  
(俺は……歌えてる)  
真っ白になっていく世界の中でカイトはただぼんやりとそんなことを考えたのだ  
った。  
 
 
 

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