人間とは、染まる生物だ。  
 
 
 悪貨は良貨を駆逐する。  
 朱に交われば赤くなる。  
 孔雀は堕天使の象徴で、男は黒に染まれ。  
 
 
 とにもかくにも、人間というものは、環境によってその性質が変化するものである。  
 無駄に知性や知識があるからこそ、慣れ、というものを覚えてしまい、結果として環境に順応してしまう。そ  
れが良い変化か悪い変化かは別の話として。  
 
 ある意味、本能でもあるのだろう。異端は同族に攻撃される対象となりうる。だからこそ、周囲に溶け込むこ  
とにより、無意識のうちに保身本能に隷従しているのかもしれない。肉体と精神の安寧をはかるためにも。  
 馴染むからこそ、心から違和感を取り除くことが出来る。住めば都なる言葉があるが、それは己の環境適応能  
力が、周囲と溶け込んだからこその帰結であろう。  
 
 
 人間は知識があるからこそ、そういった、精神的な適応能力をもつ。  
 
 では、『人間顔負けの知性をもつ個体』の場合はどうなのであろうか?   
 人間のように、環境に順応してしまい、最後には違和すら感じなくなってしまうのであろうか?  
 
 
 そんな、小さな疑問を彼女は――巡音 ルカは考えたことがあった。  
 
 
 ボーカロイドたる彼女が、かようなことを考えること自体、滑稽にも程があるというものだろう。歌をうたう  
ことをレゾンデートルとする彼女が、人間の精神的な変化の根源的な理由について究明しようと目論むこと自体、  
どこかずれていると言わざるを得ないであろう。  
 
 しかし。それでも彼女は考える。  
 否、考えねばならなかった。  
 何故ならば。  
 
 
「ねー、ルカちゃん、踏んでー」  
「踏んでください、ルカ様ァッ!」  
「またそのネタですか、桃色妄想ド低能マスターズ」  
 
 
 自分がここまで変わってしまった原因は、自分の主人にある、という事実を確かなものにしたかったからだ。  
 
   ボーカロイド。  
 
 社会と科学技術が発展に発展を重ね続けた結果、人々はついにドラ○もんレヴェルの技術力を得るに至った。  
 
 そのひとつとして、ボーカロイド、というものがある。歌をうたうことを存在意義とする、アンドロイドだ。  
その姿や容色は、ぱっと見では人間のそれとほとんど区別がつかず。特徴的な髪の色や、色素の薄い肌、常備さ  
れているヘッドマイクなどで見分けはつくものの、知をもち、自我意識ももち、睡眠や食事すらも出来る彼らは、  
ほぼ『人間』と言って差し支えないものだった。  
 
 この存在が公にされてから、しばし。ボーカロイドを悪用しようと目論む輩も増えて、しばし。政府のお偉い  
さんなどが、色々な公約や種々様々な掟を設定することにより、とりあえず人権とボーカロイド権は色々と微妙  
な調整がされ、一応は平和な社会が戻ってきてはいる。  
 閑静な住宅街や、人の声たえぬ商店街にボーカロイドが闊歩しても、人々に敬遠されることなどなく。人間も  
ボーカロイドも、ある程度の笑顔は戻ってきた、そんな時代。  
 
 
 そこで、巡音 ルカは生まれた。  
 否、作られた、と言うべきか。  
 
 
 はじめは、自我意識だった。自分は歌をうたうために作られた存在であり、人間とは違う身であるということ  
を、プログラムによりて、その頭に埋めつけられた。  
 疑問は、なかった。実体験に乏しい脳は、すんなりと、機械的きわまりないプログラムを飲み込んだ。次いで、  
入れられる様々な別種のプログラム。人間を害してはいけない旨から、歌のうたい方まで、徹底的に。  
 
 苦痛はなかった。悲観も、何も。  
 
 自分は歌をうたうために作られた存在であり、栄華をきわめた社会のなかで生きる人間が生み出した、うたか  
ためいた技術の結晶により、この地に足を置ける存在。そういった事実を胸と頭の奥にしまいこみ、彼女は、や  
がて運ばれていった。  
 未知の場所に運送される際、特に感慨めいた所感を抱きもしなかった。ただ、漠然と理解はしていた。  
 
 ああ、私は、これから、顔も知らぬマスターのもとで生活するのだな、と。  
 
 その際、胸に覚えたわずかな疼痛を、恐らく彼女は生涯忘れることはないであろう。それは、明確なる不安の  
証だったのだから。  
   
 そうして、かような精神変化と、わずかばかりの諦念を飲み込み、ルカはひとつの家へと運ばれた。  
 
 そこは、大きな家だった。  
 外装は、前時代的な西洋の屋敷めいたそれであり、立派な鉄扉と、綺麗に整えられた芝生の目立つ場所だった。  
さながらそれは、どこぞの貴族が住まう場であろうか。  
 もしも第三者がその家屋を見たのならば「ぶ、ブルジョワジー……!」などとつぶやいたかもしれない、そん  
な場所。そこにルカは運ばれた。  
 
 
 ルカが目を覚ました瞬間、目に入ったのは、ふたりの人間だった。  
 
 
 ひとりは、黒い髪をやや長めに伸ばした少年。もうひとりは、黒い髪を後ろで縛ってまとめた少女。  
 
 ふたりの顔は似通っており、血のつながりというものを想起せずにはいられない姿だった。顔立ちは整ってお  
り、線の細い首筋や、すらりと通った鼻梁などは、石膏像のそれを想起させるほど。  
 美しい少年と少女を見、しかしルカは微動だにせず、お決まりの言葉を吐いた。マニュアル通りの言葉を。  
 
「このたびは……」  
 
 が、その言葉は唐突にさえぎられることとなる。少年と少女が手を前にかざして、ルカの動きを制したからだ。  
 
 何か粗相をしただろうか、と不安感を抱えながら小首をかしげるルカ。そんな彼女に、美しい顔立ちのふたり  
は、言ったのだ。  
 
 
「お願いします、巡音 ルカ様」  
「口汚い言葉で罵倒してください」  
 
 
 瞬間、空気が凍った。  
 土下座してまで頼みごとをするふたりを目視、ルカの動きは静止することとなった。一体全体、眼前のふたり  
が何を考えているのか分からず、理解すらも出来ず。  
 ただ、目の前にいるふたりが、とんでもない変態であり、とんでもない阿呆であり、とんでもない願いをして  
いるというのだけは理解できた。  
 
 だからこそルカは。  
 
 
「開口一番それですか。あなたたちって本当に最低のクズですね」  
 
 
 マニュアルから逸脱した言葉を、吐いた。  
   
 
 
 そこは、赤い絨毯の目立つ居間だった。木製のテーブルを中心として、テレビや椅子が配置された、何の変哲  
もない居間。ゆるやかでいて、温かい空気が流れている、静寂に満ちた部屋。  
 エアコンの稼動音と、空気の揺れる小さな音。静かな流れは室内を取り巻き、やがてそれは不可視のうねりと  
なりて、そこここの空気を形成していく。テレビは光らず、窓の外では空気がきしむも、その居間だけはただた  
だ静寂のままに。  
 
 そんな空間に、一組の男女が、絨毯に腰を落ち着けていた。  
 片方は、黒髪をやや長めに流し、中性的なおもてを見せる少年。もう片方は、黒髪を後ろでひとつに縛り、幼  
さを多々残すかんばせをあらわにする、少女。  
 
 ふたりは兄妹だった。それゆえか、顔立ちも似通う。整いようと中性的な雰囲気を、そのままに。  
 
「おにぃ」  
「ん? なんじゃらほい」  
 
 高い声で妹が問えば、兄はうっそりと身をうごめかせ、応じる。  
 
「昨夜は燃えたね、スマブラ」  
「ああ……。つーか、がけっぷちでカービィのファイナルカッター叩き落としはマジやめれ。鬱る」  
 
 やたら俗めいた会話を交わし、沈黙。わずかな時を経て、またも居間に静寂が戻る。  
 流れる空気は、温かい。だが、どこか違和のようなものが満ち満ちている。沈黙そのものが、気まずい沈黙と  
なろうとする、その瞬間。  
 居間の奥、廊下へと続く扉が、がちゃりと開いた。  
   
「……ふたりとも、ここにいたのですか」  
 
 白塗りの扉が開くと同時におどり出たのは、ひとりの女性だった。  
 
 ややウェーブのかかった、桜と退紅の色彩を見せるロングヘアーを垂らし。色素の薄い肌を見せ、歩を進める。  
 わずかながらもあどけなさを残した顔立ちは、しかし、女の色香と艶を残してそこにある。丸く大きい眼球に  
反して、硝子細工のように精巧で細い鼻梁。美しく、整いに整ったその顔立ちは、鉄か氷を想起させる無表情。  
 まとう衣服は墨色。深い深いスリットの入ったロングスカートと、ノースリーブのそれを上にまとい。黒色の  
サイハイソックスを着けて、悠然とそこに降り立つ。  
 
 ボーカロイド、巡音 ルカ。  
 そこに彼女が入るだけで、少しばかり固まった居間の空気は、完全に弛緩する。  
 
 瞬間、黒髪の兄妹は、弾かれるようにしてルカへと目を向けた。その瞳は濁りに濁り、奇しくも錆浅葱のルカ  
の瞳とは一線を画する濁りよう。もしも第三者がこの場にいるのならば、その兄妹の瞳の暗黒具合に、たじろぐ  
こと請け合いであろう。  
 が、対する存在、桃色の髪を流すボーカロイドは、ふたりを冷たい目でねめつけるだけで微動だにせず。ただ  
その小さな口を動かして、言葉を相手にぶつける。  
 
「ゆうべはおたのしみでしたね」  
 
 彼女がそう言った瞬間、兄妹は変態的な笑みを浮かべた。整った顔に似合わない、超絶的に『ヒく』笑みで。  
 
 
「ルカちゃんの言葉、なんかエロい意味に聞こえる、フヒヒ!」  
「興奮しましゅうぅぅ、フヒヒ!」  
 
 
 瞬間、ルカの目に宿る氷はますますその勢いを増し、吹雪めいたそれとなって、眼前の兄妹に叩きつけられる。  
だが、彼女の視線を受けても兄妹は、びくんびくんと体を跳ねさせるだけでこたえた様子もない。  
 
 分かっては、いたのだ。ルカはボーカロイドで、ボーカロイドにはマスターがいて、そのマスターたる存在が  
眼前の変態兄妹の男の方で、そいつらは兄妹そろってドMで、罵倒しても向こうはオルガスムスに達するだけで、  
何をやってもぬかに釘をぶち込むようなことで。  
 
 分かっては、いるのだ。  
 
 だが、それでも言わずにはいられない。罵倒せずにはいられない。そういうものである。  
 何か言っていないと、ドMゾーンに巻き込まれそうだから、という理由もあるにはあるのだが。  
   
「あなたらふたりは発展社会の恥部です。誰もが蒸し返したくない暗部です」  
「せいぜい仲良くな、性欲の奴隷たち」  
「邪魔が入った、また会おう!」  
 
 ルカがコアなネタで切り出しても、ごらんの有様だよ! である。なんだかんだ言って、そういった系統のネ  
タに長けている兄妹に、ぽっと出のルカが敵うはずもない。  
 それはそれで悔しいものがあるのだけれど、とルカは思い、己の抱いた感情に、心の奥底だけでしばし当惑す  
る。悔しい、などという感情を抱いたことなど、いまだかつて、ほとんどなかったのだから。  
 
「チ○コ」  
「るーちゃん、それはさすがにイメージが壊れるからやめれ」  
 
 だから、下品な言葉でごまかす。妹の方は当惑しているようであるが、兄の方は股間にテントを作りながら妄  
想の世界に入ってしまったようである。  
 救いようがない、とルカは思う。色々な意味で。この変態ドM兄も、この変態ドM妹も、そしてこの自分すら  
も。色々な意味で、駄目だと思うのだ。  
 が、それが心地良いのも確かな話で。人間らしい感性、堕してもそれを好しとする感性。あまりよく分からな  
い、温かい、ゆるやかな快楽。それにこそ、ルカは戸惑いと当惑と、ある種の恐怖を覚えて。だからこそ言葉を  
発する。ハスキーでいて、クールな声を、かくれみのにして。  
 
「妹様。イメージ崩壊うんぬんは、むしろ私よりかはあなたたちの方が……」  
 
 いつものように、片手でひたいを押さえて。いつものように、鉄面皮のままに盛大な溜息をつく。  
 この兄妹に買われてから半年ほど。さすがにルカも、自分のマスターの気質ぐらいは把握できている。  
 
 そう、この兄妹、ドが付くほどのマゾヒストであるくせに、容色美麗でいるせいか、下品な言葉を吐けばその  
ギャップは酷い。あまりに酷い。名画にイカスミをぶちまけるようなものである。いくら素材が良かろうとも、  
所作ひとつで、ごらんの有様だよ! である。大事なことなので二回目だ。  
 
 氷のように、美しく恐ろしく整った顔をわずかにゆがめて、ルカは、絨毯の上にぺたりと座る兄妹をながめる。  
黒髪の、細い四肢の目立つ男女を。  
 
「ねえ、ルカちゃん」  
 
 わずかな沈黙を切り裂くように、妹の方から、ルカに声。  
 対するルカは鉄面皮を取り戻し、小首をかしげて近くのテーブルに肘を乗せ、髪を流す。  
   
「なんでしょう?」  
「そろそろさ、妹様、という呼び方もやめよっか?」  
「フランちゃんうふふ、ですか?」  
「いや、まあ、確かにそれとかぶる意味もあるんだけどさ……」  
 
 やたらコアなネタで応対されて、冷や汗ひとつ、少女がルカをじと目で見れば、ルカは折り曲げた人さし指を  
唇にぴたりと付けて、しばし逡巡するかのように思案。  
 ほどなくして、合点がいったかのように、諸手を合わせて、ルカは目を光らせる。  
 
 
「では、アナザーマスターで」  
「なんかその呼び方、アギトみたいだね」  
「アギトは俺ひとりでいい……」  
「木野の旅」  
「言葉を話すモトラドと、様々な国をわたるんですね、わかります」  
 
 
 ネタの嵐、と呼んでも構わぬであろうやりとりに、ルカの正規マスターたる少年も乱入し、そこにくり広げら  
れるは素敵なカオスフィールド。基本的に少年も少女もルカも無表情が常であるせいか、対話する姿は、世辞に  
も美しいとは言いがたい。珍奇で珍妙なる空気が、時の経過に比例するかのように、そこここに満ち満ちる。  
 
 もう色々な意味で駄目だった。場の空気はたゆみにたゆみ、べろんべろんとたわみにたわみ、さながらそれは  
引っぱりに引っぱって弾力を失ったゴムのよう。  
 この兄妹の駄目オーラにあてられたのか、ルカもいい具合に壊れてきていた。クールでミステリアスな雰囲気  
は、もはやほとんどなく、どちらかといえば、どこかずれた天然冷徹なツッコミ要因が似合うほど。  
 
 だが、言葉を交わす彼らは全く気にせず、すぐさま話題を打ち切る。  
 慣れているからだ。そういうものである、と認識しているからこそ、である。  
 
「そういやさ。ルカちゃんは実年齢だと、年齢そのものは二桁にも満たないんだよね」  
 
 妹の方から切り出す。兄の方はこくこくとうなずくのみ。  
 対するルカ、眉を一ミリたりとも微動だにせず、小さく首を縦に振る。  
 
「そうですね。そう考えると、あなたたちの方が年上にあたりますか」  
「ね、ね、じゃあさ、兄と姉みたいな感じで、うちらを呼んでくんない?」  
「あ、それ、俺も聞きたい。ものはためし、というやつでさ。お願いしますよ、ルカ様」  
 
 瞬間、ルカの本能は察する。こいつらが何か話を持ち出す際には、絶対に何かあるぞ、と。  
 されど、基本はマスターに忠実な彼女、寸毫微塵たりとも惑うことなく、口を動かす。  
 
「承りました」  
 
 すぅ、と息を吸うルカ。ままに、唇をうごめかせて。  
   
「お兄様、お姉様。……これで、良いですか?」  
「むほおおおおぉぉぉ! フヒヒ! フヒヒィ!」  
「呼び方でもえくひゅたひーかんじちゃいまひゅうぅぅんほぉぉぉっ!」  
 
 反応は劇的だった。劇的すぎて、ルカが眼前のふたりを、養豚場の豚でも見るような目でねめつけるほどに。  
 今、ルカの目の前でもだえる男女は、普段の美しさなど、どこ吹く風。よだれを流し、恍惚の色彩に染めた眼  
球を見せに見せ、ぴくぴくと痙攣しながら、鼻と喉の奥を基点として嬌声を漏らしている。  
 百年の恋も一瞬で、粉砕玉砕大喝采、な有様になりそうな姿。それはまさしく惨状であった。  
 
「ダブルみさくら時空ですね、わかります。……このドグサレディックヤローと低能駄雌豚が」  
 
 瞬間、ルカの口からは苛烈な言葉が垂れ流される。それはある種の反射行動。シーソーの片側が落ちれば、も  
う片方はぴんと跳ね上がるかのように。兄妹の、マスターたちの痴態を見たルカが取るそれは、しかし、変態性  
そのものを肥大化させる結果に終わるだけであり。  
 
「ほひぃ、ほひぃぃぃぃっ! こっちもイイのぉぉぉぉっ!!」  
「ぱねぇ! マジぱねぇ! 罵倒たまんねぇえぇぇぇぇぇッ!!」  
「こいつら……。いえ、もう何を言っても無駄でしょうね」  
 
 やれやれだぜ、と言わんばかりにかぶりを振り、きびすを返そうとすれば、兄妹はますます燃え上がる。  
 
「放置プレイキター!」  
「キター!」  
「黙れ桃色妄想危険嗜好傾倒兄妹。性のブルペンエース風情がガタガタぬかすな」  
 
 眼前でもだえる童貞と処女に苛烈な言をぶつけるCVシリーズ03様。されど、マスターとその妹はますます体  
を震わせて、口の端からよだれを垂らし、艶のある大嬌声まで漏らす始末。  
 律儀にツッコミを入れれば、兄妹はやがて絨毯にうつぶせとなりて、痙攣する。「ツッコミだけじゃなくて、  
その細くたおやかな五指を、我らのいけないホールに突っ込んでください」などとほざく、変態ズ。もう普通の  
人間が見ていたのならば、ドン引きしても全くおかしくないであろう、奇態であった。  
 
「もうやだこの家」  
 
 ルカはそう言い、溜息をつきながら絨毯の上まで足を進め、兄妹の手を取って立たせる。同時、彼女のまとう  
衣服である、深いスリットの入ったスカートがぱらりと流れて踊る。それに追随するようにして、桃色の髪も、  
また。  
 人ならぬ美麗なる容色、人ならぬ鋭利なる雰囲気。かような要素を抱えたままに、ルカは目を細めてかぶりを  
振る。ややもすれば幻想的ですらあるその姿を見ても、彼女のマスターは全く態度を崩さない。  
   
「はっはっは、そんなつれないこと言うなよ、LU☆KA」  
「なんですか、そのらきすたみたいな言い方は」  
 
 サムズアップして、満面の笑みを浮かべ、いつものようにふざけた口をきくだけだ。  
 やれやれね、などと心の中でルカが思えば、やにわに覚醒した妹がルカのそばまでにじり寄る。  
 
「曖昧三センチ? 三センチの誤差ぐらいいいよね。ルカの乳、目測Dカップ。私の乳スカウターは凶暴です」  
「実際はEですが」  
「クソッタレー! あたしゃスーパー貧乳人だっつーのに! この差異が本当の地獄だ……」  
「私は、小さい方が可愛らしいと思いますけれど。ゆるやかな曲線は美麗だと思いますし」  
「んだとチクショー! 持つ者は持たざる者の気持ちなど分かるはずもねーんですよ!」  
 
 がばちょ、と擬音が付きそうなほどの勢いで、少女はルカに飛びかかり、その膨らんだ乳房に手を這わせる。  
どこのエロ親父だ、と言わんばかりの変態愛撫をルカは受け、されど吐息ひとつ漏らさずに、あきれの目で少女  
を見やる。  
 黒い髪。全体的に華奢な姿。小柄も小柄な、少女。ルカのマスターたる少年の妹は、黙っていれば人形めいた  
容姿であるのに、乳だなんだとおおはしゃぎ。なんともまあ下品なことで、などと胸を揉まれながらルカが思え  
ば、ハァハァと聞こえる、荒い息づかい。  
 
 ルカの胸に手を這わす少女は、誰の目にも明らかな欲情の焔をその双眸にたたえて、放送禁止レベルの表情を  
作っていた。ルカはこの時ほど、見せられないよアイコンを希求したことはなかったろう。  
 とりあえず少女を押しやり、ルカは再三、盛大な溜息をつく。  
 
「やっぱルカちゃん、巨乳だ。うへへぇ」  
「あ、俺もさわりたい。うへへぇ」  
 
 だが、兄妹、空気が読めず。まるで、むこうみずなナメクジのごとくにじり寄るふたりの姿は、もう警察署い  
きとかそういう領域の話ではない。  
 
 ふたりの触手、否、食指が、ルカの身に届きかける。  
 
 その瞬間、閃光めいた速度にてくり出されるルカの諸手。それは、狙いたがわず兄妹の頭蓋骨へと。  
 みしりみしみし、と嫌な音がそこここにこだまする。それは、なんと見事なアイアンクロー。ロボット三原則  
やらボーカロイド権やら人権やらも知ったこっちゃねぇぜ、と言わんばかりの蛮行。  
 
 しかし、桃髪の美女のかような攻撃を受けても、さすがは変態、恍惚の笑みでびくびくと体を震わせるのみ。  
兄の方は口の端からよだれを流し、妹の方は太もも同士をこすりつけて切なげに吐息。  
 色々な意味で教育に悪い光景が、昼下がりの居間にて展開された。  
 
「マスター。その股間のリボルケインを切り落として欲しいんですか?」  
「傷付くことを恐れたら、地球は悪の手に沈んじゃうんだよ!」  
「むしろ私らはのぞむところだけれどねー、傷付くの。うへ、うへへぇ、もっといじめてくれないかなァ」  
「このような変態が地球にいるなんざ、私は絶対にゆるざん」  
 
 しばしの時を経て、拘束を解放すると同時に、ルカは兄妹の頭を一瞬だけ、優しく撫で、その黒髪を手ぐしで  
すく。  
 まさにその所業たるや飴と鞭。美女からアイアンクローをもらったのちに頭を撫でられる、という、ある嗜好  
の人にはたまらない行為を受けて、変態マスターズはまたも嬌声を口から漏らす。  
   
「うへへ、やっぱりルカ、優しい」  
「ツンデレですね、わかります。うっは、ぱねぇ! ちょっとお兄ちゃんイっちゃいそうだよ」  
「寝言は寝てからどうぞ。私の人物像を脳内魔改造するのも、ほどほどの線で止めてください」  
 
 ぴしゃり、と兄妹の発言を切り捨てるルカ。なんともまあ、クールなことである。  
 だが、その頬は、春の陽気を想起させる薄紅色に染まっており。誰がどう見ても同じ所感を抱くことだろう。  
 いわく「ツンデレだ! ツンデレがきたぞぉぉぉ!」と。  
 
 そんなルカの様子を見つつ、マスターたる少年は切なげに吐息。どこぞのルネッサンスに勝るとも劣らぬ、そ  
の美麗なる唇から、言葉を紡ぎ出す。  
 
「うん。正直、性欲をもてあます」  
 
 そう言って、何かを握るようなかたちに五指を丸め、上下に動かす少年。  
 そのあからさまなエア手コキに、憫笑の吐息を漏らしつつ、ルカは瞳に嘲りの色彩を乗せて口を開く。  
 
「ブロウジョブを希求しているんですか? ふざけないでください、このゴキブリヤロー」  
「た、頼む! もっと罵ってくれ!」  
「肥溜めで生まれたゴキブリのディックヤローの癖に、メチャゆるさん言葉を吐かないでください。不快です」  
「んほおおぉぉぉっ!!」  
 
 びくりびくりとエロ痙攣するマスターをかたわらに、ルカは視線を別の方へと向ける。  
 やはり、と言うべきか。そこには何かを期待するような視線を向ける、変態妹の姿が。  
 
「……なんですか? というより、妹様。女性が女性型ボーカロイドに欲情しないでください」  
「んー、でもさ。私、バイだから。ルカちゃんでもいけるよ?」  
「脳味噌の黄ばみがヴァギナにも移ったんですか? 淫豚風情が調子に乗らないでください」  
「やああぁぁぁっ……! いいのお……」  
 
 びくりびくりと体を震わせて、切なげに吐息、股に両手を差し込んでもじもじともだえる少女の姿は、並の男  
ならば興奮必至、と言わんばかりの痴態であったろう。  
 だがそれも、ルカの罵倒で欲情した、という要素がなければの話ではあるが。  
 
 ルカは吐息ひとつ、変態は放っておいて、とりあえず自分の作業を済ませようと考えた。どこぞのスタンド使  
いのように、ブチャラティィィ! オレも行く! 行くんだよォー! などと仲間参入イベントを済まそうとは  
思わない。  
   
 そう、自分はボーカロイド。だからそれなりの作業を、それに見合う作業を。  
 そう考えて、半ば意地にも近い思いを抱えて、溜息を吐き吐き、ルカは言う。  
 
「さて、のどの調整でもしますか」  
「ね、ね、のどの調整なら、このジョンブリアンバイブを、その綺麗な唇に」  
「いいかげんにしないと、そのプラスティックポケットモンスターをケツ穴にぶち込みますよ?」  
「むしろカモン! のぞむとこさ! さあ、いじめて、いじめてえぇぇっ!」  
 
 だが、彼女の作業を中断させるは、我らが妹様。ご丁寧に肌色のバイブを手に持って、びくんびくんと震えな  
がら、悲鳴のような嬌声を漏らす。  
 ルカは肩を落として唇を引きつらせた。  
 
「もうやだこの兄妹」  
 
 瞬間、むくりと起き上がる、ルカのマスター。  
 目を少しだけ鋭くして、ルカの方を見る。  
 
「あ、ルカ。既存の曲でいいからさ、なんか気分転換に歌ってくれないかな?」  
「……久しぶりに、久しぶりに、まともな要望をききました」  
「なんだよぅ。大事なことじゃないのに二回言うなよぅ」  
「それで? 何を歌って欲しいのですか?」  
 
 表面上だけクールにしておきながら、自分の専門分野たる作業をさせてくれることに喜びを隠しきれず、そわ  
そわと少年を見やるルカ。  
 やはりツンデレの素質がある彼女を一瞥、少年は言う。  
 
「むふふ、それでは。『チチをもげ!』歌ってくれませんかね? うへへぇ」  
「いい加減にしないと去勢しますよ? このマゾヒスティックアルティマニア」  
「すみませんハサミをもちださないでください冗談ですからいやマジでおねがいします」  
「全く……」  
 
 食卓のそばにあった調理バサミをかたわらに置き、やれやれ、とルカは小さく苦笑した。  
 
 自分のマスターは、台詞こそアレではあるが、裏ではなんだかんだ言って新曲を作ってくれていたりする。だ  
が、たまに上手くいかない時は、下品な言葉をルカにぶつけ、きゃらきゃらと笑いながらじゃれてくる。それを  
ルカは分かっている。だからこそ邪険に扱うことはない。言葉は苛烈ではあるが。    
 
 この兄妹はいつもそうだ、とルカは思う。外では温厚誠実、文武両道、容色美麗、で通っているくせして、家  
ではドマゾ一直線で。けれども、芯の部分はしっかりしていて、ルカが忘れた頃に、兄妹で考えてくれた、新曲  
の楽譜をもってきてくれて。  
 
 ああ、なんだかんだ言って、私は彼らを愛しているのだなあ、と。素直にルカはそう思えた。  
 
 そんなルカの心境を察しているのかいないのか、少年は体勢を整えて、言う。  
 
「あ、じゃあ『Mr. Trouble maker』お願い」  
「……意外ですね。マスター、ジャンヌ好きだったんですか?」  
「んー……まぁね。ちょっと厨二っぽい雰囲気が好きなのさ、うへへぇ」  
「愛好家に蹴り殺されますよ? ……まあ、いいです。承りました」  
 
 瞬間、ルカは右腕部のコンソールを振りかざし、桃色の髪を流し、ヘッドマイクの位置を確かめる。電子文字  
が、右腕部のモニターに隙間なく流され、同時に光る、ルカの双眸。錆浅葱の美麗なる色彩が、ひときわ妖艶な  
彩りをそこここに見せ付けたかと思えば、凛と輝くその相貌。  
 ボーカロイドがボーカロイドたるゆえんは、ここにある。マスターの命を受けたルカは、今、この瞬間におい  
ては、全ての場を支配する、群集を隷下におさめる覇王そのもののありようであった。  
 
 心の奥底で、歌をうたう許可をくれたマスターに感謝し、ルカはその瞳を細める。  
 音を、彩りを、色彩を音色を空気を、全てを受け容れんとばかりに直立不動。  
 マスターに瞳を向けてわずかに破顔。  
 
 そうして、ルカは。  
 
 
「はいはーい、ちょっとストーップ」  
 
 
 小さな少女の静止の声を聞いた。    
 
「……アナザーマスター? 私、何か粗相を?」  
「いんやー、あのさ、さすがにこれは見逃せないと思ってねー」  
 
 きゃらきゃらと笑いながら、ルカの肩に手をやり、かぶりを振る少女。  
 瞬間、ルカのマスターたる少年は、露骨に引きつった笑みを見せて土下座の体勢。  
 
「だまされちゃだめだよ。おにぃは、ああ言っているけれど。実際の意図は別のところにあって」  
「というと?」  
「歌詞だよ、歌詞。ルカちゃんに、ファック、って言ってほしいんだよ。サビの部分、思い返してみて?」  
「……迂闊でした。数十秒前の自分を殴り倒したいです。割と本気で」  
 
 前言、否、前考撤回。やっぱり自分のマスターは救いようのないド変態野郎だ、とルカは即決。  
 
「……地獄に堕ちろ、ゴキブリディックヤロー。fuck」  
「んほぉぉぉぉっ! たまんねぇぇぇっ!」  
「なんだかんだ言って、流暢な英語で要求満たすルカちゃん萌え」  
 
 よだれを垂らしながら、びくんびくんと痙攣するマスターを尻目に、妹の言をさらりと受け流すルカ。  
 バイリンガルというセールスポイントすら、この兄妹の前ではネタのひとつにしかならない。所詮、そういう  
ものであることをルカは分かっている。だから別に気にならない。  
 
 これも、いつもの光景だった。  
 
 とはいえども、さすがに歌の体勢に入って何もないのでは、ちょっとばかり情熱をもてあましてしまう。行き  
場のない思いを抱えたままに、そこここへと視線を向けてみれば、食卓のそばにある白い紙の束。  
 音符がいくつも描かれているそれは、楽譜だった。  
 
「んあ? 見ちゃった?」  
 
 ルカの視線に気付いたのか、赤いカーペットに尻をつきながら少女は言う。  
 
「あの、妹様、あれは」  
「……んあ、新しい曲の楽譜、試作段階。ふふ、なんかちょっと恥ずかしいね」  
「あ……」  
「おにぃに見てもらおうと思ったのさー。今、最終調整段階だよ」  
 
 これだ。  
 
 これがあるから、ルカは心の底では兄妹を嫌いでいられない。努力を誇ることはせず、こっそりと作業するく  
せして、それが相手にばれれば恥ずかしそうに伝えて。  
 なんだかんだ言って、この兄妹もツンデレなのである。  
 
「ごめんねー、あとちょっとで、一応は出来るからさ」  
「あ、はい……。すみません。それと、ありがとう、ございます……」  
「んな遠慮しないでいいよ。私らはもう体も心も繋がった仲じゃないか、げへへ」  
「平気な顔して嘘を垂れ流さないでください。ぶっとばしますよ、このド変態」  
 
 照れのせいか、ルカの罵倒にいつもの力がない。  
 だが、少女の方も、照れのせいかいつものように嬌声を漏らしたりはしない。  
 
 ルカは知っている。  
 自分のマスターたちは、ものすごく照れ屋で恥ずかしがりやで、いつも誰かの顔色をうかがって生きている、  
ということに。  
 
 成績優秀であり、容姿は美麗であり、何においても秀でた面を見せる彼らは、他者からの視線を嫌った。何故  
ならば、重かったからだ。無意味にぶつけられる、期待という名の攻撃。不可視の刀剣による刺穿は、いつも、  
いつでも、この兄妹の心を傷付ける。  
 だからこそ、彼らは私を購入したのかもしれない、ルカはそう思う。ある程度の感情を廃した自分は、無意味  
に期待を抱くような『人間らしい所作』においては『不器用』そのものなのだから。  
 
 
 そんなルカの思いを察したのか、少女は照れ笑いを浮かべて言う。  
 
「……ごめんね。おにぃも私も、結構、人見知りすっからさ。こうじゃないとマトモに話せなくてねー」  
 
 そのかたわらで、兄の方も起き上がり、照れ笑いを浮かべて言う。  
 
「別にアホの皮をかぶっているつもりはないんだがな。厨二病じゃないんだし」  
 
 
 そんな彼らの姿を見て、ルカは心の奥底に、わだかまりを覚えた。不安のようで、不満のようで、もっと何か  
別種の感情。  
 それを打ち消すように、兄妹に気をつかうように、ルカは言う。  
 
 
 
「ああ、つまり、『本当はSランクなんだけど面倒だからBランク』ですね、わかります」  
「ぜんぜん分かってねぇ!? はいはーい! 問題文はちゃんと読んだ方がいいと思いまーす!」  
   
 諸手を挙げて講義するマスターを見、ルカは小さく、くすくすと笑ってみせる。  
 
 つまりは、じゃれ合いの範疇ということだ。  
 ふざけ合って、興奮に身を染めて。それは、珍妙にも過ぎる、不器用なコミュニケーションなのである。  
 
「……まあ、でも。こういう関係は、きらいじゃない、ですね」  
「うへへ、頬があかーい」  
「ツンデレですね、分かります」  
「自分で言うなや……」  
 
 弛緩する、場の空気。重い雰囲気を読んだルカが、変えてくれた空気。  
 それに一抹の感謝をし、兄妹はやにわに真面目な表情を形づくる。  
 
「でもさ、ルカちゃん。ほんとーに嫌なことあったら、大マジでちゃんと言ってね」  
「不満を抱えてもいつか爆発する。良いことがない。ストレートに言ってくれると助かるよ」  
 
 黒髪を流し、やにわに真面目な表情を形づくる、兄妹。細いおとがいを揺らして、目を細めるその姿は、彼ら  
の心の真剣さを物語る。  
 美しいな、とルカは思う。この兄妹が醸す美しさの真髄は、容姿のそれではない。恐れる心、誰かに優しくで  
きる心、自分が自分でいられる心。内面にこそ、その旋律は、美は、ある。  
 奇しくもそれは、音なき音。彼らの美は旋律となりて、ルカに植えつけられたプログラムを上書きする。  
 
「不満など、別に、ありません」  
「……まぢですか?」  
 
 だから、少しばかり素直になっても良いのではないか。  
 ルカはそう思い、言う。  
 
 
「……なんだかんだ言って、その。私は……ふたりとも、大好きです、から」  
 
 
 その言葉を聞いて、マスターたちは。  
 
「なんというツンデレ」  
「ツンデレ乙」  
 
 
 やはり、ネタに走った。  
   
 ここにきて、ドMマスターズの考えは一致。  
 
 ツンデレだ、ああツンデレだ、ツンデレだ。  
 田原坊にブッ殺されかねない思いを抱えたままに、もう辛抱たまらん、とばかりに駆け寄る、少年と少女。  
 
「ルカ様〜」  
「ルカ様ぁっ!」  
 
 もはや様づけ。  
 されど、そこに込められた思いだけは正当なそれであるのだから、ルカも思うように動けず、避けることすら  
出来ず。どうしようどうしよう、と考えているうちに、視界にとらえるは、兄妹が互いの頬を押し合いやり合い、  
泥臭き争いをくり広げている光景であった。  
 
「おにぃは抱きついたらセクハラでしょうがっ!」  
「ああん、いけずぅ」  
「そうよ、うへ、うへへぇ、ルカちゃんのオパーイは私のもんだぜ! やってやるぜ!」  
「うえーん、俺も豊かな乳房の感触ほしいよー」  
 
 もうこいつら救いようがねぇ、とルカは一瞬思うも、色々な意味で原因を作ったのは自分なので強く出られず。  
 自分の尻は自分でぬぐうか、と思いながら、わずかに持ち上がった自分の唇をゆっくりと直し、ルカは言う。  
 
 
「……いいですよ、ふたりとも来てください」  
 
 
 その予想外の展開に、さすがの変態兄妹も固まった。  
 
「え?」  
「はい?」  
 
 黒髪を流し、瞠目しつつ、己の耳を確認する兄妹。  
 なんだろう、かわいい。ふたりの様子を見て、ルカは邪気もてらいもなく、素直にそう思えた。  
 
   
 だから、だからこそ、だろうか。  
 
 
「ぎゅー、してあげます」  
 
 
 デレた。  
 ツンからデレへの、見事な移り変わりの瞬間だった。  
 
 さても驚くべきは、ツンデレたる存在が垣間見せる、デレ期か。  
 頬を薄紅色に染めて、桜色の髪を流しながら、唇の端を持ち上げて微笑する、ルカ。広げた諸手は柔らかな曲  
線を描き、ゆるめられた頬は艶やかな柔らかみをそこに残す。  
 結構呑気していた変態兄妹も、母性が垣間見えるほどの萌え時空にはビビった。その醸される優しい雰囲気と  
容色美麗なるたたずまいの発する圧倒的魅力は、まさに歯車的砂嵐の小宇宙、である。  
 
 垂涎必至、理知的な冷静美女が醸し出す艶姿は、この変態兄妹をして、あらがえぬ領域のそれであった。紡が  
れる言の葉の稚拙ぶりが、彼女の愛らしさを加速させ、兄妹の胸中に湧いたときめきを肥大化させる。  
 瞬間、ぽすり、と。兄妹はルカの豊かな乳房に、その頬と頭を押し付ける。  
 
「……ふふ、なんだかんだ言って、甘えんぼうなんですよね、ふたりとも」  
「面目ない」  
「右に同じく」  
 
 頬を薄紅色に染めるは、ルカのみならず、マスターたちも。見目麗しい女性と、見目麗しい少年少女が、互い  
互いに抱き合い、照れる姿は、どこぞの名画に勝るとも劣らぬ映え具合であったろう。  
 そんな第三者的視点に気付かず、ルカは、遠くを見据える。居間の、飾り窓の外にある、薄い薄い空を見て。  
薄水色の、淡い色彩を見て、半ば独白のように、言う。  
 
 
「……歌を、うたうこと」  
「ん?」  
「心臓の、音色。私にはない音色。……こうして、あなたたちが元気でいて、ふざけてくれることが、私にとっ  
ては、魂を揺さぶる音楽と同義なんでしょうね」  
 
 
 分かっていたことだ。そう、分かっていた、ことなのだ。  
 
 この兄も妹も、下品な言葉を発するのは、明確なる甘えのあらわれなのだということに。人と上手な接し方を  
知らないからこそ、奇行に走る。だが、それは己の存在を誇示する、悲鳴めいたものであり。  
 それにルカは気付いていた。だからこそ、伝える。あなたたちはここにいます、私はここにいます、それでい  
て私は思います、あなたたちがいてとても嬉しい、と。  
 
「ルカ……」  
「素敵な音楽、いつもありがとうございます。マスター」  
 
 音は命。そういった概念を抱いているからこそ、小洒落た台詞も平然とルカは垂れ流せる。  
 だが、そこに込めた慕情は、並のそれとは一線を画し。  
 
 だからこそ、だからこそ、ルカが慕情を寄せているふたりは、満面の笑みで、言うのだ。  
 
   
「性欲をもてあます」  
「性欲をもてあます」  
 
 
 瞬間、空気が凍った。  
 
 先程の美しき流れは、もはや微塵もなく。流れるは、べろんべろんに伸びたゴムめいた空気。  
 これにはルカも思わず苦笑い。「もうシリアスになりはしないよ」と、どこぞの丸見えな番組でも出そうな、  
かようなフレーズを頭に抱えれば、じたばたと暴れる胸元の兄妹。  
 
「おにぃのバカァー! ルカがせっかく綺麗にまとめようとしてくれたのにィィィ!」  
「なんだかんだ言ってお前も空気ブチ壊してるじゃねぇかァァァァ!」  
「性体験を楽しんでいるんだよコイツらは! ですね」  
 
 言い争うふたりを抱えながら、ルカは苦笑のままに、場の空気に乗る。  
 そう、いつものことだ。シリアスが続かないのも、いつものこと、なのだ。  
 
「だってだってだって、シリアスな私たちなんて、芯のないシャーペンみたいなもんじゃん!」  
「なにその役立たず!?」  
「うへへ、ルカっちのおっぱいやーらけー。ぷにぷにー」  
「仕切りなおし早ぇぞ、妹よ」  
 
 ルカの胸元でぎゃあぎゃあと暴れる、兄妹。  
 そんな馬鹿らしくも、どこか微笑ましい争いを見つつ、ルカは聖母めいた笑みをそのかんばせに浮かばせ、喉  
の奥から、くすり、と。小さな小さな笑い声を漏らす。  
 
 
「……愛しています、このド変態ども」  
 
 
 美麗なる低音は、居間を流れて、空気に乗り。  
 紡がれるその旋律は、肉眼ではとらえられぬそれだけれども。  
 不可視の絹糸となりて、柔らかく、包み込む。  
 
 柔らかく、ただ柔らかく。  
 その、『三人』を、平等に。  
 
 
 
 
 
 
(おしまい)  
 
 

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