隣にいる恋人の表情が、何だか曇っている。
恒例となっている“お泊り”だが、今夜は楽しくないのだろうか。
愛し合い、二人で眠ることが、嫌なのだろうか――。がくぽは、
忙しなく思考を廻らせた。
無理強いはしない。したくない。
帰りたい、と言われれば、素直に帰すつもりでいた。
「ミク殿、気分が乗らぬのか?」
遠慮がちに肩を抱き、そっと尋ねてみる。
腕の中の彼女は何も言わず、静かに首を横に振った。
嫌ではない。ならば何故、そんな表情をしているのか。
「……不安なんです」
がくぽの心を読んだかのように、ミクは小さく答えた。
漸くがくぽを見上げた瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
まるで、今にも泣きそうな。
どきりとした。
不安にさせるような行為を、自分はしたのだろうか?
乱暴に扱ったのだろうか?
心当たりがない。
だが、それほど夢中になって、己の欲望のままに彼女を抱いたのだろうか?
「すまぬ、ミク殿。お主が泣くほど不安になるようなことを、我は……」
「え?あ!違っ、違います!がくぽさんじゃなくてっ」
「違うのか?」
「はい」
ちゃんと話、聞いてくれると思ったのに。ミクは不満げに呟いた。
むくれた彼女も可愛らしく、がくぽは抱きしめたい衝動に駆られたが、
怒られそうなのでやめておいた。
代わりに「しかと聞くぞ」と、ミクが続きを話すのを促す。
「こんなこと、うちの皆には言えないから……」
解けた唇が、話の続きを紡ぎはじめる。
元気で明るい彼女が“家族の前では、出来るだけその通りでありたい”と願っていることは、
以前にも聞いていた。
だからがくぽは、しっかりと耳を傾ける。
恋人として、相談役として、理解者として。
「巡音ルカさんの、ことなんですけど」
「ああ」
「何ていうか、どう接したらいいんだろうって。まだ皆、完全には打ち解けてなくって……
年齢もそうだけど、立場とか、扱いが分からなくて」
「ふむ……」
「だけど、私は一応先輩だし。でもルカさんより年下だし。ぎこちないのは嫌だけど、
ルカさんは何も喋ってくれないから、どうしようも」
ミクの声が震えはじめ、遂に涙が零れた。
擦ってはならぬぞ、と指先で優しく拭ってやる。
どうにかしたいけど、どうにも出来ない。でも何とかしなきゃ。
ルカが自分のことをあまり語らないためであろう、年長組でさえ苦戦している状況に、
ミクは妙な責任感を抱いていたらしい。
「ミク殿は、頑張りが過ぎるなあ」
頭を撫でながら、がくぽが溜息交じりに呟く。
その和らいだ響きに、ミクは涙が止まらなくなった。
目の前にある広い胸に顔を埋めて、茄子紺の浴衣を濡らした。
「そういえば、去年の夏。我が生まれ、此処にやって来たときだ。皆が物珍しそうに我を見、
通り過ぎてゆく中で、一人の女子だけが親しげに話し掛けてくれた」
『あ、あのっ、あなた、新しいボーカロイドですよね?えと……神威がくぽさん?』
『ああ、確かに我だが』
『やっぱり!お侍さんって聞いてたから、もしかしたらって。私、初音ミクって言います!
私もボーカロイドなんです!』
「――正直、何だこの女子は、と思った。明るくて、堅苦しい礼儀もなく、
しかも我を迎えに来たのだと申した」
二人の中の記憶は数あるデータから呼び出され、鮮明に甦る。
ミクは、自分達の思い出が例えに出されることが不思議で、首を傾げてみせた。
「要するにだな。何も考えずに、親しげに話してみることが大切だと、我は思うぞ。
あの時のように」
頬の、涙が伝った跡を撫でる。
指先をそのまま唇へと辿らせ、触れた刹那、くちづけた。
「扱いや立場など、そのような物は後から付いてくる。間柄も、幾らだって変わる」
「……そう、ですかね」
「何も、ミク殿は恋仲になることを知っていて、我に話し掛けてくれたのか?違うだろう?」
まるで何かに気付いたかのような表情で、ミクはがくぽを見つめた。
確かに違う。そんな予感すら、全くしなかったのだと。
深く知ってゆくうちに、恋に落ちたのだと。
言葉を交わす代わりに、再びキスを交わした。
「ルカ殿、と申したか。きっと寂しがっておるぞ」
「寂しかったんですか?がくぽさんも」
「それはそうだ。寂しくなければ、こうしてミク殿と一緒におらぬ」
一人は寂しい。
そんなことは分かっていたのに、一人でなくなったが故に忘れてしまっていた。
ルカは、今はまだ一人で、寂しくて、塞ぎ込んでいるのだ。きっと。
親しくなってくれる誰かに、傍にいてほしいのだ。
クールでミステリアスな彼女は、本当は単に、口下手で付き合い下手なだけなのかもしれない。
「やっぱり、がくぽさんがいてくれて、カレシでいてくれて、良かった」
瞳に涙を湛えたまま、ミクは今夜初めての笑顔を見せた。
先程堪えた衝動に再び駆られ、がくぽは強く、ミクを抱きしめる。
そして、どちらからともなく唇を重ね、暫くキスを交わしていた。
二人のために敷かれた布団に身を投げ出すまで、大して時間は掛からなかったが。
「……良いか?」
「はい……」
頬を染める彼女に、煽られる。
何度も愛し合った今でも、初めて過ごした夜のような興奮を覚える。
いつだって、優しくしなくてはならない、と己を制するのに必死だ。
「んっ」
がくぽが覆い被さり、深くくちづける。
濡れた音が漏れ、ミクは体を強張らせた。
「は……がくぽさ、ん」
次は、首筋を這う唇。
手もやんわりと愛撫を始め、ミクの声は甘くなってゆく。
呼ばれた名前に反応したのか、手に少し、力が込められた。
また、ミクは声を上げる。
「あっ……!」
片手で胸を、もう一方の手で秘部を愛撫する。
指の動きが伝わる。溢れてきた蜜を、馴染ませるかのようなそれ。
感覚を追っていると、ぷっくりと膨れてきていたのであろう芽を、優しくではあるが弾かれた。
布団を強く蹴る。
「ミク殿」
低い声で呼ばれ、震えた。
がくぽがミクの感じすぎる体を揶揄うのは、いつものことだ。
いつもより濡れておる、と囁く。
「っ、ふ……ぁっ」
濃紺の浴衣を乱し、身を捩る。
露になった白い太腿を、大きな手が撫でた。
両手が下半身を、唇が胸を愛撫する。
お主は本当に、楽器のようだな――がくぽが笑う。
与えられたものに忠実に、良い音を出してみせる。楽器、それはボーカロイドも例外ではない。
当然のことです、と切れ切れに呟くと、やはり再び笑われた。
「ただの楽器には、こうして愛し合うことなど出来ぬだろう」
ミクの太腿に、硬度を持った熱が触れる。
それが何か分かると、彼女の体もまた、熱を帯びた。
「挿れても、良いな?」
「はい……きて、ください」
ミクが恥ずかしそうに腰を浮かせ、がくぽはその隙間に滑り込む。
尖端を宛がい、蜜を馴染ませる。
そして小さな水音を立てながら、ゆっくりと腰を沈めてゆく。
「っ……」
「あ、っ」
繋がった途端、思わず声を漏らした。
互いの濡れた瞳が、ぶつかる。
「がくぽ……さん……っ」
舌足らずに名前を呼ばれ、がくぽは体温が上昇するのを感じた。
二人の吐息と絡み合う音、布擦れの音。
外が静かな分、やけに響く。
雪でも降っているのだろうか?と、がくぽは快楽に霞む思考で、何気なく考えた。
「あ、あ……っ」
耳に注がれる声で、ふと現実へと返る。
頬だけでなく全身を上気させ、自分の体の下で翻弄されている恋人。
体内で何かが震え、滾るのが分かった。
――後で、一緒に雪見をしよう。
そう考えたことすら、流されてゆく。
「ミク、殿」
「ふぁっ、あっ」
耳朶を甘噛みすると、ミクはびくりと跳ねた。
少し強めに突き上げてやる。
布団の上を彷徨っていた手が、がくぽの背中へと回される。
しがみついて、縋りついて、揺さぶられるミク。
首筋を這っていた唇が、彼女の白い肌に赤い痕を残した。
「あ、う……あ、ぁあっ」
「く……っ」
がくぽに合わせてミクが、ミクに合わせてがくぽが。互いがそれぞれ良いように動き、
やがてシンクロする。
絶頂が近い。
その証拠に、何も考えられなくなっている。
「だめ、がくぽさ、ん、もう」
「ならば、達け……好きなだけ、存分、に」
「やっ……あ、あ!」
がくぽの動きが、一層激しくなる。
ただただ翻弄され、欲望と快楽が導く方へ溺れてゆくのみ。
「あ、――っ……!」
ミクの体が大きく跳ね、震えた。
苦しそうな呼吸を繰り返し、汗ばむ体。
達した後の余韻に、暫く身を投げ出している。
「っ……は、っ」
間もなく、がくぽも達し、果てた。
爆ぜる快感に目を細め、荒い息を吐く。
全てを注ぎ込むと、やはり余韻と気怠さに、ミクの隣へと横たわった。
愛し合った後だからこその、満足感と幸福感。
真っ白な布団の上には、淡い紫の髪と浅葱色の髪が、重なり合って広がっていた。
重い。
体というか、主に腰が、だ。
ミクがどうにかして起き上がると、隣は空っぽで、おまけに自分は脱げたはずの浴衣を着ていた。
「…………」
いつ着たのか、いや、着せてもらったのか。
夜のうちだろうが朝のうちだろうが、冷静になっている相手に裸を見られたことは確実だ。
気まずいなあ、と思っていた、その矢先。
「お早う」
ミクは思わず、びくりとした。
背を向けていた窓辺から、聞き慣れた低い声。
ぎこちない動作で振り返ると、相手もこちらに背を向けていた。
窓の前で胡座を組み、外を眺めながら。
「お、おは、おはようござい、ます」
「不躾だとは思ったが、その、浴衣を着せておいた。女中などおらぬゆえ……
まあ、目は伏せておったが」
「有難うございます……」
やっぱり。ミクは途端に恥ずかしくなった。
穴があったら入りたい、二度寝が出来たらしてみたい。
いつまで経っても、妙なところでウブな二人である。
「と、ところでがくぽさん、そんなところで何を」
「ん?ああ、雪見をだな」
「雪見?」
「昨夜から降っておったようで、少しだが積もっておる。ミク殿もどうだ?」
「見ます!積もってるんですか!?」
雪と聞いて飛んできたミクに、がくぽは笑みを漏らした。
先程の恥じらいは何処へやら、しかし彼女らしい。そう思っていた。
「ミク殿、風邪を引くぞ」
羽織を、そっと肩に掛けてやった。
窓に張り付いていたミクが、少し大人しくなって、頬を染める。
「有難う、ございます」
ミクは遠慮がちに、がくぽの肩に寄り掛かってみた。
それに対して、やはり戸惑いながら抱き寄せてくれる、手。
雪景色の中、庭にある南天の赤い実が目に入った。
雪兎を作ってみせたら、彼女は喜んでくれるだろうか――。
取り敢えず朝食はもう少し後にしよう、と思うがくぽであった。
「ところで。どう致すつもりかな、ルカ殿のことは」
湯気の立つ朝食を前に、がくぽが尋ねた。
ミクが抱え込んでいた不安が、簡単に解消されたわけではないことを、彼も気付いていた。
昨夜ほど、深く悩んではいないようだったが。
「んー……、がくぽさんが言うように、あんまり難しく考えないで、気軽に話し掛けてみようかなって……」
「そうか」
「だめですか?」
「いや、素直で結構だが」
ミクの皿に、がくぽは自分の卵焼きを一切れ、載せてやる。
また子供扱いして、とミクは不満そうに呟きながらも、貰った卵焼きを頬張った。
「まだ小難しく考えているようなら、我も一緒に話し掛けてみようかと思ったのだがな。
どうやら大丈夫そうだ」
「がくぽさんも、一緒に?」
「うむ、挨拶もまだなのでな。似たような境遇の者がおれば、幾分かは気が楽かと」
「…………」
通じ合うものがあれば、打ち解けるのも早いのではないか、と。
……打ち解ける。男女が。
「だめーっ!」
「!?」
「そんな、何かが始まるフラグなんて!恋に落ちる音がするからだめぇーっ!」
「お、落ち着いてくれ、ミク殿」
箸を持った手をぶんぶんと振り回しながら、ミクは叫んだ。
彼女が静止し、がくぽの姿を認めたとき、その目には涙が浮かんでいた。
「がくぽさんのカノジョは、私だもん……」
「え?」
「確かにルカさんは美人だし、大人だし、落ち着いてるし、胸もおっきいし、」
「……何を申すか、馬鹿者」
泣き出しそうなミクの頭を、がくぽは顔を赤くしながら、優しく撫でた。
「雪兎を作ってやるから、泣くな」
可愛いお主のために、などとは言わないが。
ヤキモチを焼いてくれて嬉しい、とも言えない代わりに、ミクを喜ばせてあげたかった。
***
「あ、ミク姉おかえりー!」
ミクが玄関を開けたとき、真っ先に飛び出してきたのはリンだった。
「ただいま、リン。これ、お土産」
「わあ、雪うさぎ!どうしたの、お盆なんかに載っけて」
「がくぽさんがね、作ってくれたの。お主のために作ったのだから持ってゆけ、って」
「……いいねぇ、ラブラブで」
リビングだと解けちゃうから、とケータイのカメラで撮影しながら、リンは呟いた。
そんな彼女の、姉を見る眼差しは、羨望というよりは呆れているのに近い。
「そういえば今ね、テレビにがっくんのお父さんが出てたよ。再放送だけど」
「え、まだやってる?」
「うん、多分。レンが見てた」
そんな会話を交わしながら、リビングの扉を開ける。
寛ぎモード全開のレンも、ひっくり返ったまま迎えてくれた。
「おっかえりー、ミク姉。今さ、神威さんのお父」
「残念でしたー、もう教えてあげたもんねー!」
「〜っくそ、リン!」
「何よ!」
「あーあ、兄弟喧嘩しちゃって……」
力の差もお構いなしに、ぼかすかと喧嘩を始める鏡音ツインズ。
本人たちには悪いが、こんな光景を見ていると、うちは平和だなあ、とミクは思うのだった。
「あ」
その時、騒ぎの所為なのか、二階にいたルカが顔を出し、ミクと目が合った。
やはりまだ遠慮しているのだろう、気まずそうに目を逸らす。
「っ、ルカさん!」
再び部屋に戻ろうとしたルカを、ミクが呼び止める。
勿論ルカは驚いて――呼び止められたというよりは、硬直しているようだった。
「えと、その……部屋に一人で閉じこもってないで、皆と一緒にテレビ、見ましょう?」
外じゃ雪も積もってるし、雪遊びでもしますか?と、呼び止めた勢いで付け加える。
体も表情も動かさないルカに、ミクが内心怯えていた、その時だった。
「……ふふっ」
「?」
「楽しい人ですね、ミクさんは。人気者なのがよく分かるわ」
綺麗なポーカーフェイスは崩れ、小さく笑うルカがいた。
慣れていないのか、少し不器用ではあったが、彼女は確かに、心から笑っていた。
「一緒にテレビ、見ても良いんですか?」
「も、もちろん!おこたでミカンもどうぞ!」
「雪遊び、しても良いんですか?」
「はい!雪合戦じゃ、手加減はしませんから!」
「……有難う」
ルカが、本当に嬉しそうに微笑む。
それに気付いた双子も、おいでよルカさん!と手招きした。
――メールしなきゃ、がくぽさんに!
不意にそんな意識に駆られて、ケータイを取り出し、急いでメールを打つ。
誤字・脱字も確認せず、勢いよく送信ボタンを押した。
『ルカさをと仲良くなれました!一歩前進です!がくぽさんのおかげ☆』
「……“さを”?これは“さん”と打ちたかったのか?ミク殿」
気持ちは分かるが動揺しすぎだろう、と呆れながらも、気付くと笑みを漏らしていたがくぽだった。
侍という古風な設定とは裏腹に、最新機器を指先で器用に操り、返信する。
『それは良かった。近々、我もルカ殿にご挨拶致したい所存。宜しくお伝え下され。
追伸、誤字や脱字には注意されたし。面白いので構わぬが。』
「だめー!宜しくお伝えするけど、だめー!って、誤字や脱字……きゃー!?」
「「「?」」」
いきなり慌てはじめ、奇声を上げたミクを、三人は不思議そうに見つめる。
テレビの中では相変わらず、がくぽの父上が格付けチェックされていた。
ルカが一員として溶け込んだ、仲睦まじい一家が見られるようになるまで、あと少しである。
終。