思えば、その時からおかしかったのかもしれない。
ルカが、俺を誘ってどこかに行こうなんて。
でも俺は、きっと浮かれしまっていたんだ。
密かな想いが、叶うと期待して。
「マスター、今度、どこかに遊びに行きませんか?」
ルカがそう言ったのは、確か4日前、俺が仕事から帰って、遅めの夕食を食べていた時だったと思う。
「あ、うん、いいけど、どこが良い?」
「・・・・・・見晴らしのいい所がいいです。海とか。」
ルカがそういうことを言うとは思わなくて、俺は少し、驚いた。
「変、ですか?」
返事を返さない俺に、ルカが不安そうに訊いた。
「ううん、全っ然」
俺は微笑んだ。
それじゃあ今度の日曜日にな。と言うと、ルカは、ありがとうございますと言って、
はしゃぎたいのをこらえるように、髪に手をやった。
そして、今日。
「ごめんな、結局、近場になっちまって」
暖冬と騒がれるのにふさわしい、暖かな陽射しが、ルカのリクエスト通り、
見晴らしの良い高台の上に立つこの公園に降り注いでいた。
俺とルカは、休日ののんびりした雰囲気をそこそこ満喫していた。
「いえ。かえってここでよかったです。こんないい所があるなんて、私、知らなかった・・・」
ベンチに座り、楽しげに話すルカは、本当に生き生きしていて、そんなルカを見ていると、俺も心が和んだ。一人暮らしの寂しさを、
そっと埋めてくれるルカに感謝した。
「お昼、食べますか?」
ルカが俺の分の弁当箱を差し出した。今朝、二人でちょっとバタバタしつつ作った、それはそれは楽しい弁当だ。
「あ、コレ俺?」
蓋を開けると、海苔とふりかけで器用に作った俺の顔が、おかずに囲まれて笑っていた。
「似てないですよね」
くすくすと笑ってルカが言う。俺は首を振った。
「俺が作ったのなんて、女の子かどうかも怪しいし」
「本当ですか?」
楽しみ。と言って、ルカが弁当箱を開ける。
「わあ・・・・・・、」
吹き出すのは、俺のほうが少し早かった。でも、すぐに二人で笑い出した。
「似てなーい」
「それを言うなよぉ」
ひとしきり笑った後に、改めて、自分が作ったルカの顔を見た。
ルカの言う通り、桜でんぶで描いた髪は不自然にボリュームがあって、かまぼこで作った唇は厚く、
まるでアフロの外人のダンサーのようだった。
「でも、嬉しいです」
そう言って笑って、ルカは、ちょうど女の子の髪のところ、桜でんぶをたっぷりとかけてあったそこを
口に運んだ。俺も、ルカにならって額に掛かった髪の部分を海苔と一緒にほおばった。
「ごちそうさま」
「おいしかったですね」
途中、焦げた手羽先が、俺の作った、あの不細工な女の子の弁当の二段目から出てきたり、作った時にルカがボールの上で
塩をこぼしてしまって、随分塩辛くなった卵焼きを俺が全部食べる羽目になったり、いろいろとハプニングはあったものの、
休日らしい、のびのびしていて、少しはしゃぎたくなるような、そんな雰囲気の中で、俺とルカは昼食を終えた。
「あ、そう言えば、今朝言ってた展望台って、どこですか?」
「あぁ、すっかり忘れてたな」
来る時に、歩きながらしゃべっていた事を思い出した。
「困りますよ?私、それが一番楽しみなんですから」
悪戯っぽく言うルカは、まるで遊園地に来た子供のようにはしゃいでいて、普段とは違う無邪気なルカの笑顔に、俺の胸は高鳴った。
「きれい・・・・・・」
うっとりした表情で、ルカが呟いた。このあたりは軒並み住宅地で、見下ろす風景は午後の眠たげな空気にとっぷりと浸かっている
ようにも見える。うす曇りの空から降り注ぐあたたかな陽射しが、街を包み込んでいた。
「マスター」
後ろでルカが、ぽつりと呟くのが聞こえた。
「どうし」
言いきる前に、どすん、と音がして、ルカが俺に体ごとぶつかってきた。呼吸が止まりそうになって、それから一瞬を置いて
針金を腹に差し込まれ、かき回されるような激痛が俺を貫いた。
「ル・・・・・・カ?」
顔を上げたルカの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「・・・・・・ごめんなさい」
ルカは、俺に詫びた。そして、ゆっくりと、俺から離れた。
そのとき俺は、初めて、ルカがナイフを持っていて、そのナイフにべっとりと赤いものがついているのを見た。
「好きです」
ルカが、ぼろぼろと泣きながら言う。
「マスターのこと、好きです、大好きです。だから――」
思考が、急に鈍っていく。痛みも、小さくなっていく。入れ替わるようにして襲ってきたのは、眠気。
幼い頃一度だけ経験した事のある麻酔のように、周りの景色が遠ざかっていく。
「死んでください、マスター」
そう聞いたのを最後に、俺の意識は暗闇の中に落ちていった。
仕事を終えて帰る車で込み合う道路の側に、白い塗装を施されたアパートがあった。一人の男が、
アパートの階段を上がり、郵便受けに無造作に新聞を突っ込んでいく。と、男の手がすべり、新聞が一部、
乾いた音を立てて落ちた。
おっと、と呟いてその男は、その新聞を拾い上げ、そして何となく、その新聞の一面を見る。
男は、見出しに書いてあった文字をを見た瞬間に、顔をしかめた。
「物騒な世の中だこと・・・・・・」
独り言を言って、男はその新聞も郵便受けに投げ入れた。消えかかった夕陽を浴びて、
『歌唱用アンドロイド、ユーザー男性を刺殺』の文字がかすかに浮かんでいた。
END