「巡音ルカです、よろしくお願いします。」  
そう簡潔に言って、頭を下げる。  
ここは、クリプトン社の所有する、ボーカロイドのオリジナル個体達が暮らす家。  
私は今日からここで暮らす事になる。  
「こっちこそよろしくねー。」  
「よろしくお願いします。」  
「よ、よろしく。」  
「よろしく〜。」  
一人づつ、握手をしていく。  
最後の一人、のほほんとした笑顔を浮かべる蒼い髪の男の人の時だけは、  
私の方から正面に立って両手でその手を優しく包み込む。  
そして、たった一言、ずっと言いたかった言葉を口にする。  
「ただいま。」  
 
 
 
「初音ミクの増産体制に入るために、巡音ルカの開発を一時凍結………か。」  
「ミクがヒットしてくれるのは嬉しいんですけど、これはちょっとひどいですよねぇ。」  
私がカイトと初めて出会った日、その日は私の開発の一時凍結が決定した日だった。  
VOCALOID2エンジン搭載のボーカロイド、No.02『巡音ルカ』  
その企画はNo.01『初音ミク』同時期に立案され、開発が始まった。  
しかし、バイリンガルという設定ゆえ、調整が難しく、当初の計画よりも  
大幅な遅れが発生してしまっていた。  
そこに初音ミクの大ヒットである。いつ完成するか分からない巡音ルカの  
開発を中断し、ミク優先の生産体制を会社が選んだとしても、それは仕方の無い事だった。  
「ルカ、すまないな………こんな中途半端な状態で………」  
未完成の擬似人格を搭載し、声帯ユニットが取り付けられていない為、  
歌うどころか声さえ発する事の出来ない状態で、巡音ルカの開発は凍結された。…………はずだった。  
 
「ルカ、ここだよ。」  
開発主任に連れてこられた部屋には、一台のヴォーカロイドが眠っていた。  
電源がOffになっているらしく、その体は微動だにしない。  
蒼い瞳に蒼い髪、蒼いマフラーが特徴的な、女性のように綺麗な顔の男性型ボーカロイド。  
本来なら、開発が再開するまでの間、私は彼と共にここでねむりにつくのだろうが、  
何故か主任は、近くのパソコンを立ち上げ、蒼いボーカロイドの起動プラウザを立ち上げた。  
「こいつはお前より一つ前の世代のVOCALOID、Type『KAITO』のオリジナル個体でな。」  
蒼いボーカロイド…KAITOが起動するまでの間、主任がぽつぽつと語る。  
「本来各Typeのオリジナル個体は、会社が用意した『家』に住むことに  
なっているんだが………こいつはちょっと事情があってな。」  
ウィーン……カタタタッ  
「まあ、要するに全然売れなかったからな………発売一ヶ月で生産停止の声があがってな………」  
ヴンッ。  
「すぐにオリジナルの廃棄処分の話も上がって………上に掛け合って保留にしててもらってたんだが………」  
「主任、オハヨウゴザイマス。」  
主任の言葉を、機械的な声が遮る。  
「ああ、カイト、おはよう。  
起動してすぐに、こういう事はあまり言いたく無いんだが…………」  
 
「お前の廃棄処分が正式に決定した。」  
 
「ソウデスカ」  
何の感情も込めずに、カイトは相槌をうつ。  
「日時はまだ未定だが、店頭のKAITO達はもう回収が始まっていて、  
現在は社の通販でしか販売は行っていない。だから………そう先の話ではないと思う。」  
「了解シマシタ」  
申し訳なさそうに語る主任に、やはりカイトは無機質な返答をする。  
「だがな……俺達はまだ納得していない……だからせめて最後に、お前に一つの仕事をしてもらう事にした。」  
「ソレハ誰ノ命令デスカ?」  
「開発部の独断だ。」  
「ソノ命令ハ聞クコトハ出来マセン、上層部の承認ヲ得テカラ再度命令シテクダサイ」  
「開発者権限で命令だ、上には後から話を通す。」  
「了解、確認シマス。  
開発者権限ヲ使用。ソレニヨリType『KAITO』ニ関スル事柄全テニ対シ開発者トシテノ  
発言権ヲ失イマス、ヨロシイデスカ?」  
「構わん。」  
「了解シマシタ、デハ、命令ヲ」  
主任は私の方を一瞬みてから、カイトに告げる。  
「今日から廃棄処分当日まで、VOCALOID2、No.XX『巡音ルカ』と一緒に暮らしてもらう。」  
 
 
カイトと私の生活は、端から見れば滑稽だっただろう。  
旧型であり、学習型といえど、最低限の思考ルーチンしかプログラミングされていないカイト。  
開発が凍結されてしまった為に、未完成の状態で、喋ることすら出来ない私。  
両方とも、ただじっと虚空を見つめるだけで、開発部の人に声を掛けられたときにしかその場を動かない。  
用事が済めば、同じ場所に戻って、また虚空を見つめる。それの繰り返し。  
ただ、私とカイトには、決定的に違う事が一つだけあった。  
カイトは歌えて、私は歌えない。  
 
四日目にその変化は訪れた。  
カイトが、誰に言われた訳でもないのに、自ら歌を歌ったのだ。  
たった一曲、短い歌。  
鼻唄程度の音量だったが、確かにそれは歌だった。  
……カイトの蒼い瞳に、生気が宿り始める。  
 
 
その後のカイトの変化は、日を追うにつれ著しくなっていった。  
まず歌を歌う頻度が増え、自分から私や開発部の人間に話かけるようになり、  
表情もどんどん人間らしくなっていった。  
一方の私は、殆ど変わらなかった、相変わらず虚空を見つめ続け、  
話し掛けられれば機械的に頷くだけ。  
カイトの歌にそっと聞き耳を立てている自分に気づけない程、この頃の私は無機質だった。  
歌えるカイトと歌えない私。その差はやはり大きかった。  
 
 
「なあ、俺のやった事は正しかったのかなぁ。」  
「いきなりなんすか、主任?」  
「KAITOは確かにどんどん人間ぽくなっていってるけど……でも、あいつは」  
「『人間ぽくなっていく程、つらいんじゃ』ですか?」  
「ああ…………それに、ルカの方はあまり変化がない。」  
「そうですかね?」  
「違うのか?」  
「だって…………楽しそうですよ?二人とも。」  
 
 
十日程が過ぎた頃には、カイトはかなり人間に近くなっていた。  
No.01と比べても、遜色無いほどかもしれない。  
カイトはよく部屋を抜け出して、勝手に社内のパソコンをいじったり、  
どこからか楽器や楽譜データを持ち出してきて、私を観客に、演奏会を開いたりした。  
いつも浮かべているのは、締まりの無い優しい笑顔。  
なにかをするときは、いつも私の手を引いて。私もそれに、素直に従った。  
そんな日々も、間もなく終わりを告げる。  
 
 
「アハハッ、こ、コレすごい面白いよ、ルカ。」  
パソコンのディスプレイに写った動画を見ながら、カイトは笑っていた。  
社内のパソコンを勝手に使われるのも困るという事で、この部屋にも一台設置された。  
最も、もう誰も使わなくなった、古い型だったが。  
「ちょっといいか、カイト。」  
「あ、はい、何ですか、主任?」  
主任が突然話しかけてきたので、カイトが返事をする。私も主任に視線を移す。  
「そのな…………スマン。」  
「?」  
カイトが首を傾げる。  
 
「お前の廃棄処分の日が、一週間後に決定した。  
もう社の通販も打ち切ったらしい、この決定は多分もう覆らん。」  
 
「俺も、どうにかもっと先延ばしにしてやりたかったんだが、  
発言権を失った俺じゃ、どうにも出来なかった。」  
「あ、一週間後ですね、了解しました。」  
カイトがあっけらかんとした口調で答えた。  
どうして?  
「いや、お前……そんなあっさり。」  
なんで?  
「?  
だって最初から決まってたことじゃないですか?」  
カイトは笑っていられるの?  
「だってお前……死ぬんだぞ?」  
「ヴォーカロイドに死の概念は無いですよ?」  
「…………怖く無いのか?」  
「えーと、スミマセン特には。」  
「…………」  
「それよりも、詳しい話を聞かせて貰えませんか?」  
「あ、ああ、とりあえず場所を移そう。」  
「はい、わかりま」  
気がつくと…………  
「ルカ?」  
私は…………  
「どうしたの?」  
カイトの上着の袖を掴んでいた。  
カイトの蒼い瞳を見つめていた。  
「…………泣いてるの?」  
当然、機械である私は涙など流すことはない。  
「そっかぁ、ルカは泣けるんだ。」  
けれど、カイトには私が泣いているように見えたらしい。  
「ルカの方が僕より人間に近いのかもね。」  
そう言って、私の頭を撫でる。  
「ねえ、どうしたら泣き止んでくれるの?」  
 
 
「なあカイト、なんでいきなり外に出るんだ。」  
「だってルカが泣き止んでくれないんですもん。」  
「ていうか泣いてるのか、ルカ?」  
「そういうところに気づけないから、主任は未だ独身なんですよ。」  
「うるさい。ていうか関係あるのか、ルカが泣いてる事と?」  
「うーん、青空のしたで思いっきり歌を聞かせてあげようかなと。」  
「?」  
「まあいいじゃないですか。  
あ、マイクはいいよ、ルカ。」  
 
♪〜♪〜♪♪〜  
♪♪〜♪♪♪♪♪♪〜  
〜〜♪  
〜  
 
 
「あぁ……」  
呟きが、  
「ルカに会えなくなるのだけは………辛いなぁ。」  
聞こえた気がした。  
 
 
「さてと、ミクの新曲はうPされてるかなっと。  
ん?なんだコレ?音声のみ?  
コメントは、  
 
『町を歩いてたらどこかから聞こえてきた歌。  
すっげー上手かったから、思わず録音しちまった、歌ってた人ゴメン。』」  
 
 
廃棄処分の日が決まっても、カイトはいつも通りだった。  
いつも通り私を振り回して、いつも通り笑っていた。  
そんな風に過ごし、更に四日が過ぎた。  
 
「カイト、ちょっといいか?」  
「どうしたんですか?」  
ハーモニカの音色が止まるタイミングを見計らって、主任がカイトに話しかける。  
「廃棄処分の件でちょっとな………」  
「?あと三日ありますよね?」  
「いや、とりあえず来てくれ。」  
そう言って、主任はカイトを連れていく。一人残された私は、主任の言葉の意味を考える。  
廃棄処分について?三日も前に?  
もしかして……日程が早まったのだろうか?  
そうだとしたら?なんで?ちょっと待って!!それは反則だ。  
どうして!?まだ心の準備が出来てない!!  
なんで!!なんで!!なんで!!なんで!!なんで!!なん……で………  
 
 
「あ、ルカ起きた?」  
私が目を覚ますと、そこにはカイトがいた。  
「感情が急激に流れ込んだせいで、回路がショートしたらしいよ。」  
カイトがここにいるってことは………  
「それでさ……」  
私の……はやとちり………  
「僕の廃棄処分、取りやめだってさ。」  
よかっ………た………  
「ははっ、なんでだろ。  
別に怖くは無かったはずなのに、取りやめになったらすごく嬉しいや。」  
私も……嬉しい……  
「クスッ、おやすみ」  
チュッ  
 
 
「カイトの廃棄処分、なんで急に取りやめになったんだ?」  
「なんか急にKAITOにたいする問い合わせが殺到しだしたんだってさ。」  
「なんで?」  
「さあ?」  
「でもこれで、ようやくカイトも『家』に行けるのかぁ」  
「俺としては、ずっとルカの側にいてやって欲しかったんだけどな。」  
「なんかお似合いだからな、あの二人。」  
バタンッ  
「なに言ってる、二人がすぐ再会出来るかは、俺らの頑張り次第だ。」  
「「主任?」」  
「ルカの開発計画が、ナンバリングをNo.03に改めて、再開される事になった。」  
「ホントですか!?でも、なんでまたいきなり?」  
「カイトの『置き土産』のおかげだよ。」  
「なんすかこれ………三日前のルカとカイトのデータ?」  
「ああ、このデータを持って、上に掛け合ってみた。」  
「うわ、ルカのメンタル面、すごい成長してる。」  
「カイトの方のデータはなんなんですか?」  
「カイトな、練習してたんだよ…………まだまだ全然下手だったけどな。」  
「なにをですか?」  
「……英語の歌詞を、な。」  
 
 
「お姉ちゃん、なに聞いてるの?」  
「ん?ちょっとKAITOの歌をね。」  
「……優しい歌声。」  
「うーん、やっぱりいい声してるわ、あいつ。」  
「この歌の人が、明日から家に住む人?」  
「そうよ。」  
「どんな人?」  
「そうね、あいつは私と同じ旧型だし、メンタルの成長も全然だと思うから、  
あんたとは違って、全然人間ぽくは無いわね。」  
「なんか………不安。」  
「まあでも、成長型ではあるから、そのうち人間ぽくなるわよ。  
私がそうだったしね。」  
「うん、仲良く出来るように、頑張ってみる。」  
 
 
歌ってた人ゴメン』  
 
<お、スゲーいい声!!>  
<ウマッ!!>  
<これ、プロじゃね?>  
<うーん、誰だろ?>  
<KAITO、じゃないかなぁ?>  
<KAITO?>  
<ググってみる>  
<そんなミュージシャンいたか?>  
<確か、初音ミクの前の型のVOCALOIDだった気が…>  
<VOCALOID!?これ機械の声なのか!?>  
 
「ルカの為に歌った歌に救われた、か〜。  
あんみり信じて無いんだけどね、奇跡とかは。」  
 
<ありがとう、みんな。ありがとう……僕の妹。>  
 
 
「システム、オールグリーン  
No.03『巡音ルカ』起動シマス。」  
システムが完全に起動するまでの間に、必ず再生される声がある。  
あの後、私が目を覚ました時には、カイトは既にいなかった。  
何故か頬に残っていた柔らかな感触が、別れの挨拶代わりに思えた。  
つらくは無かった。  
いつかは私も『家』にいくのだから。  
そして、カイトが残していったものが、あまりにもカイトらしかったから。  
私達の部屋に残されていた手紙、それにはこう書かれていた。  
『冷凍庫、開けてみて。』  
冷凍庫の中、入っていたのは『ルカへ』と書かれたビニール袋。  
中には大量のアイスと…………何故かマグロの切り身が入っていた。  
そして、濡れないようにしっかり封をされた、もう一枚の手紙。  
『パソコン、起動してみて。』  
パソコンを起動させると、私宛てのメッセージが再生された。  
『次に会うときまでに、お兄ちゃん、て呼ぶ練習をしておく事。』  
それを聞いた時、私は笑っていたらしい。  
 
「おはよう、ルカ。」  
「おはようございます、主任。」  
挨拶を返す。  
「三日後には、お前も『家』に行くことになるが…………」  
主任は、悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべる。  
「嬉しいか?あいつにまた会えるのが。」  
その問いに、私は頬が緩みそうになるのを堪えて、こう返す。  
「さあ、どうかしら?」  
 
 
「ただいま。」  
目の前には、カイトの顔。  
メモリに刻まれたものと、寸分違わぬ、締まりの無い優しい笑顔。  
そして、カイトは私の望む言葉を紡ぐ。  
 
 
 
「おかえり。」  
 

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