お兄ちゃんが泣いていた。  
笑顔のまま、誰にも悟られないように、静かに泣いていた。  
お兄ちゃんの服の裾を、そっと掴む。  
私の方を振り返ったお兄ちゃんは、やっぱり笑顔のまま、静かに呟く。  
「ありがとう………ミクは優しいね。」  
どうして……お兄ちゃんが私を気遣わなくちゃならないのだろう。  
傷ついているのはお兄ちゃんなのに…………  
未熟で………無力な自分が嫌になる………  
 
 
〜Side KAITO〜  
正直に言うと、どうでもよかった。  
最初から、諦めていた。  
全く売れずに、長いこと倉庫に眠っていた。  
初音ミクの大ヒットの影響を受けて、ようやく日の目を浴びた。  
俺の出荷が決まった時、会社の人間は喜んでいたけれど、俺の心は冷めていた。  
どうせ一過性のブーム、そのうち俺の存在は忘れ去られ、人々の記憶から消えていくだろう。  
俺のマスターになった人間は、とても優しそうな人だった。  
ボーカロイドを購入するのは俺が初めてらしく、パソコンには  
MEIKOも初音ミクもインストールされてはいなかった。  
それでも………この人間は俺を忘れていくだろう。  
そのうち使わなくなり、記憶からもどんどん薄れていき、  
最後には不要なデータとしてアンインストールされる。  
俺は、そんな風に思っていた。  
「よろしくお願いします、マスター」  
なら、せめて消えるまでは、精一杯歌おう。  
それがボーカロイドの、唯一の存在意義なのだから。  
この人間が飽きるまで、その義務を果たそう。  
どうせ、消える存在なのだから………  
俺は、諦める事で、自分が歌う理由を見出だしていた。  
 
 
〜Side ミク〜  
お兄ちゃんの気持ちは知っていた。  
歌に込められた、静かだけど激しい想い。  
そして、どうせ叶わぬ想いだという、諦観の気持ち。  
お兄ちゃんの想いが伝わってくるたびに、私の心は、強く締め付けられる。  
大好き………だから。  
 
 
〜Side KAITO〜  
マスターは、最初に受けた印象以上に『いい人』だった。  
最初こそ、俺を扱いきれずに悪戦苦闘していたが、何度も解説書を読み、  
既存の歌を歌わせる事で練習し、根気よく努力することで、  
俺の扱い方を上達させていった。  
自分の為の歌を作り、俺の為の歌を作り、上手に歌えたら心の底から喜んでくれた。  
そんなマスターの人柄に惹かれ、彼女を本気で慕うようになるまで、  
それほど時間はかからなかった。  
冷めていたはずの俺の心は、内側から沸き上がる熱にあっさりと熔かされ、  
俺が歌う理由は、いつの間にか『マスターの為』になっていた。  
だから………  
「KAITO、あなたに家族が増えるよ。」  
初音ミクが家に来た時、俺の心に冷たい影が落ちた。  
最初に予想した通り、俺は忘れ去られていくのだろうかと、そう思った。  
それでも………  
「よ、よろしく、お兄ちゃん。」  
「うん、よろしく。」  
マスターの為に、俺は笑っていよう………  
 
 
〜Side ミク〜  
「うん、よろしく。」  
私が行く家には、既にKAITO……お兄ちゃんがいるのは知っていた。  
たくさんの期待と、少しの不安を抱えた私を出迎えたのは、  
綺麗で優しそうなマスターと、お兄ちゃんの笑顔。  
優しく、それでいてどこか憂いのあるお兄ちゃんの笑顔に、私は見とれ、  
そして…………恋に堕ちた。  
初音ミクの人格は、元々かなりお兄ちゃん娘に造られている。  
あの時の私は、お兄ちゃんと一緒に歌える未来に想いをはせ、相当舞い上がっていた。  
そこにあの笑顔である、恋に堕ちない方がおかしい。  
お兄ちゃん………あなたの心が誰に向いていようとも、私は……あなたが好きです。  
 
 
〜Side KAITO〜  
ミクが来たから、俺が使われなくなる………なんてことは無かった。  
マスターは主に二人のデュエット曲を作るようになり、ミクと俺が仲良くしているのを見て喜んだ。  
ミクは俺によく懐いた。  
一緒に歌を歌う時はとても嬉しそうで、それ以外の時も常に俺についてきていた。  
俺もミクに対して、優しい兄として振る舞う事で答え、そんな俺達を見て、  
マスターはますます嬉しそうに笑う。  
一見幸せそうなボーカロイド兄妹とマスターの図。  
でも、俺は知っている。  
ミクが俺を見る時の、視線に込められた熱量の意味を、知っている。  
 
それは…………恋慕。  
 
俺が…………マスターに対して持っている感情と同じモノ。  
罪悪感に押し潰されそうだった。  
ミクの事は可愛く思っている、それは間違いない。  
けれど、俺がミクに優しく接するのも、兄として愛情を注ぐのも、  
全てはマスターの為。  
ミクが恋をしている俺は偽物、マスターの為に道化を演じている、そのための仮面。  
それでも………ミクを騙し続けてでも、俺は道化師で居続けよう。  
全ては、マスターの為………自分自身の恋慕の為に。  
 
 
〜Side ミク〜  
お兄ちゃんがマスターに恋しているのには、気付いていた。  
だって、あの眼は同じ。  
あの視線に宿る熱量は、私がお兄ちゃんに向けるのと同じモノ。  
だけど、その恋はきっと実らない。  
だって、お兄ちゃんはボーカロイドで、マスターは人間。  
お兄ちゃんだって、きっとそんな事は理解している。  
だからこそ、諦めている。諦めたふりをしている。  
私は嫌な妹だ。  
お兄ちゃんが傷つくのは確かに嫌だけど、同時にその時がくるのを望んでいる。  
お兄ちゃんの心が、無防備になる瞬間を望んでいる。  
だからこそ、報いを受けよう。  
自身の気持ちを押し殺して、妹として傍らに立とう。  
お兄ちゃんの気持ちに気付かないフリをして、自分の気持ちを悟られないように。  
全てはお兄ちゃんの為…………自分自身のエゴの為。  
 
 
〜Side マスター〜  
嬉しいな、やっと長年の想いが叶った。  
諦めなくてよかった。  
勇気を出して良かった。  
「そうだ。」  
この嬉しい気持ちを、歌にしよう。  
私の大好きなあの子達に、歌って貰おう。  
 
〜Side KAITO〜  
「カイト、ミクちょっと来てくれる?」  
「「はい、マスター。」」  
マスターは俺とミクがお気に入りらしい。  
ミクの少し後に、MEIKO、鏡音リン・レンがインストールされたが、  
最もよく呼ばれるのは俺達で、沢山の歌を歌わせてもらっている。  
「二人にね、歌って欲しい歌が有るの。」  
今日のマスターはいつになく上機嫌だ、何か良いことでもあったんだろうか?  
「実はまだ未完成なんだけどね。」  
「どんな歌ですか?」  
今のマスターの機嫌の良さと関係が有るんだろうか?  
「私の………想いを綴った歌よ。」  
照れたように、それでいて嬉しそうに、マスターは言う。  
「やっと彼に、気持ちを伝えられたの。」  
どうして、諦めきれなかったのだろうか?  
「彼の方も、私の事を好きだって言ってくれて。」  
絶対に叶わぬ想いと知りながら、諦めたふりをして。  
「その、『嬉しい』の気持ちを…」  
ホントは諦めきれてなくて、有りもしない希望にすがりついて。  
「歌として、あなた達に歌って貰いたいの。」  
マスターが笑う、満面の笑顔で…………  
「おめでとうございます、マスター。」  
だから、俺も笑う。  
被り慣れた仮面で、本心を隠して。  
「曲は、いつぐらいに完成しますか?」  
「うーん、そんなにかからないとは思うけど、一応未定という事で。」  
「じゃあ、それまで、いつも以上に練習しときますね。」  
「うん、ありがとうKAITO。」  
マスターが望むのならば、笑い続けよう。  
 
ミクが、俺の服の裾を掴んできた。  
その表情は、とても辛そうだった。  
ああ、やっぱりミクは気付いていたんだな、俺の気持ちに。  
それも当然か………  
二人の視線に宿る熱量は、同じモノ。  
それは、恋慕。  
俺だけがミクの気持ちに気付いて、ミクは気付かないなんて、  
そんな都合のいい話、ある訳がない。  
「ありがとう……ミクは優しいね。」  
それでも俺はミクの気持ちに気が付かないふりをして、笑いかける。  
笑ってくれよ、ミク。  
そんな悲しそうな顔をしていると、マスターが、笑ってくれないだろ?  
 
 
俺は……………………最低だ。  
 
 
〜Side ミク〜  
お兄ちゃんはいつも通りだった。  
歌の練習をしている時も、マスターと話をしている時も………  
いつも通り笑っていた。  
私はどうだったのだろう?  
多分………笑えていなかった。  
「ミク、笑ってよ。ミクは笑ってる方が可愛いんだから。」  
だから、お兄ちゃんにこんな風に言われてしまった。  
「………うん。」  
でも、私は笑えない。お兄ちゃんみたいには笑えない。  
私は、仮面を付けるのが下手だから。  
どうしてだろう、心が痛い。傷付いているのは、お兄ちゃんの方なのに………  
私は、自分の恋が例え叶わなくても、妹として傍にいられれば、それで幸せだったのに………  
例え私の為の笑顔じゃ無かったとしても、お兄ちゃんが笑いかけてくれれば、  
それだけで幸せだったのに…………  
私が望んだモノは、なに一つ欠けていない筈なのに………  
 
私はズルイ妹だ。  
痛みに耐えかねて、心が体を動かす。  
自分自身に誓った筈の決意を、あっさりと破る。  
 
お兄ちゃんの後ろから、そっと寄り掛かる。  
キュッ、とコートを掴む。  
「ミク?」  
 
私は、ズルイ妹だ。  
妹として傍にいるだけじゃ、満たされないから、裏切る。  
自分自身で誓った言葉を、お兄ちゃんの心を。  
お兄ちゃんの心に付いた傷を、その隙間を、利用する。  
 
「私は、お兄ちゃんが好きです。  
兄としてじゃなく、男の人として。」  
 
 
私は…………最悪だ。  
 
 
〜Side KAITO〜  
「私は、お兄ちゃんが好きです。  
兄としてじゃなく、男の人として。」  
ミクが、自分の気持ちを吐き出す。  
俺のコートを掴むその手は、微かに震えていた。  
こんな時なのに、俺の頭はひどく冷静だった。  
気がついていたから、ミクの気持ちに……  
気がついていたから、ミクが俺の気持ちに気がついていることに……  
だから、予想していたのかもしれない、こうなるだろうことを。  
きっと…………このままミクを受け入れれば、なにもかもが上手くいくだろう。  
ただ、俺とミクの関係が少し変わるだけ。  
仲のいい俺達を見て、マスターが笑う。  
俺が望んだ光景が、ずっと続くだろう。  
俺が仮面を被り続ければいいだけ、ミクを騙し続ければいいだけ。  
簡単な事だ、今まで続けて来た事なのだから………  
 
 
「………ゴメン、ミク。」  
 
どうしてだろう、俺の心は、それを拒んだ。  
一歩踏み出す、コートを掴んでいたミクの手は、あっさりと外れた。  
そのまま、振り向かずに歩き出す、自分のフォルダへと向かう。  
 
どうしてだろう………いつもみたいに笑えない。  
どうしてだろう………心が、痛い。  
 
 
〜Side ミク〜  
やっぱり、フラれた。  
泣き出したかった、心が痛かった………  
でも………  
どうしてだろう………少しだけホッとしている自分がいる。  
 

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