「暇とはかくも恐ろしきかな」  
 
 
 
 
「ただいまー、ごめんね遅くなって!仕事が長引いちゃったの」  
「お帰り」  
「おう、お帰りー!ネギ買ってきてくれた?」  
「スーパーでネギ大安売りしてたから、頼まれてた分よりいっぱいあるよ」  
「マジで!?サンキューマスター、大好きっ!」  
 一週間ぶりに家に帰ってきたマスター…じゃなくて大量のネギに駆け寄って行くミク姉。  
 全く、マスターとネギとどっちが大事なんだろう。  
 一度聞いてみたいけど、ミク姉の事だ。凄くイイ笑顔で親指立てて「ネギ!」とか言いそうで聞けない。  
「あれ、がくぽ君とリンちゃんは?」  
 マスターがリビングを見て首をひねる。  
 …やっぱりな、気づくよな。うん。  
「今日火曜日だよね。みんなでテレビ見てると思ったんだけど…」  
 毎週欠かさず見てるドラマはいつも通りテレビ画面に映ってる。  
 でも、この場にがくぽとリンがいないのは恐らく初めてだ。  
 理由は…知ってる、と言うよりわかるけど、なんて説明したらいいか…。  
「あいつらならずーーっと部屋にこもって」  
「ちょミク姉待って待ってェェ!」  
 頭上に?マークを浮かべてるマスターを尻目に、ぼろぼろと余計な事を喋ろうとするミク姉の腕を引っ張って廊下まで連れて行く。  
「何?あたし何かまずい事言ったかい?」  
「うん、激しくまずい。…あれは絶対にマスターに知られたくないよ…」  
 
 あれ、とはもちろんがくぽとリンの事。  
 マスターが仕事に行った一週間前の夜から、あの二人はがくぽの部屋に入ったきり一歩も出て来ない。  
 思い切り歌の練習ができるように俺達の部屋は全部防音仕様になってるから、外から呼んでも声は届かないし。  
 勿論、踏み込んで直接声をかけるなんて選択肢は最初から存在しない。  
 
「ミク姉もわかってるんだろ…あのドアの向こう側がどんっだけ爛れた世界か」  
「そりゃ見なくても分かるさ、普段のあいつら見てれば。  
でもさあ、隠しておけないよ流石に。マスターも不思議がってるし、ここは腹くくってバラすしかないって」  
「……」  
 確かに、マスターに知られずにどうにかするのは無理かもしれないとは思う。…思うけど。  
「んー、ここかなぁ?」  
 二人を探すマスターの声が聞こえてくる。部屋のドアを片っ端から開けて調べてるらしい。  
 ああ、もうすぐあの部屋に行き着いてしまう。  
 …やっぱりだめだ!彼氏どころか好きな男すらまだいない純度120%のマスターに見せていいものじゃない!!  
 
「…レン君、何してるの?」  
 早急に結論を出した俺は、今にもドアノブに手をかけそうなマスターの前に立ちふさがった。  
「あ、あのさ、二人ともさっきから昼寝してるから、起こさないでやってくれないかな。デュエットの練習して疲れてるんだ」  
ボーカロイドたるもの、ちょっとやそっと歌って疲れるなんて有り得ない。  
とっさに口から出ちまったけど、なんつー苦しい言い訳d  
「そっかー、そんなに頑張ってたんだ。じゃあ起きるまでそっとしとくね!」  
 わあ、信じてるよこの人。  
 物事を深く考えないマスターらしいっちゃらしいけど。  
 
 嬉しそうに立ち去るマスターと入れ違いに、ネギをかじりながらミク姉がやってくる。  
「やー、すげーね君ぃ。あたしゃ絶対ごまかしきれないと思ってたよー」  
 くふくふと妙な笑い方で顔を近づけて喋るミク姉。うわネギ臭っ。  
「ミク姉…俺がどうにかするから、マスターに見られないようにここで見張ってて」  
「おぉっ!ついに禁断の扉が開かれるんですね!?あたしも行く行くー!」  
 何を一人で盛り上がってるんだ…。  
「来なくていいから。ちゃんと見張っててってば」  
 いくらデリカシーの欠片もないネギ狂いでも、多分一応女だ。  
 犠牲になるのは俺一人で十分(俺だって良く知らないけど)。  
 真っ最中だったらどうしよう…ものすごく気が進まないけど、俺にしかできないんだ!  
 ミク姉に後ろを向かせて、俺は深く息を吸い込む。  
 そして……がちゃり、とそのドアを開けた。  
 
 途端、嗅いだ事のない異臭が鼻を突いた。  
 汗の臭いと…何だ?青臭いようなイカ臭いような…。  
「ねえ、変な臭いすんだけど。なんぞこれ。見ていい?」  
 身を乗り出して来るミク姉を押し返して、急いで中に入ってドアを閉める。  
   
 そこは想像以上の、なんていうか、あれだ、大惨事。  
 
 二人分の服と下着が散らばってるのはまだいい。  
 どっかで見たような卑猥な形の器具だの、ロープだの、細いベルトの真ん中にボールがついてるやつだのその他諸々が無造作に散乱してる。  
 俺にはどう使うのか見当もつかないような物まで。  
 で、肝心のがくぽとリンは…  
「……。お前らさあ…」  
 呆れてもう物も言えない。  
 二人は全裸でベッドの上に寝転がって熟睡していた。  
 正体不明の液体で全身べたべただし。  
 
 しかも未だに、局部が、結合した、まま、だ。  
 
 いかん、目から汗が…。  
 
「……」  
 黙って部屋から出た俺を見て、ミク姉は目を丸くした。  
「どした?もう始末終わったの?」  
「…ごめん、やっぱ手伝って。心が折れた…」  
「?」  
 
 ミク姉と一緒に改めて部屋に入る。  
 一瞬「臭い…」と眉をしかめてたけど、寝こけてる馬鹿共を目にした瞬間、その顔がぱぁっと輝いた。  
「へーっ!へーっ!テレビとか漫画でしか知らなかったけど実際こんな感じなんだ!へー!」  
「おいおい何撮ってんだよ。つーかそんな漫画読んでたのかよあんた…」  
 こっちはこんなもん見せて下手すりゃ泣き出すかとか心配してたんだけど。  
 もーなんなのこいつ、突っ込み所が多すぎる…。  
 >ワ<←こんな顔できゃいきゃい騒いでるミク姉にため息が漏れる。とりあえず換気しよう。  
 
「…あれ?」  
 
 窓を全部開けた所で、妙な違和感を感じた。  
 鈍感なリンは別として、がくぽはどんなに良く寝てても些細な物音ですぐ目が覚める方だ。  
 至近距離でこれだけ騒がれてもぴくりともしないってのはおかしい。  
 急に不安になって、俺はベッドの側に寄った。  
 がくぽに触ってみる。…ひやりとした、金属的な冷たさ。  
 リンも同じくらい冷たい。  
 鼻と口に手を近づけてみたけど、息がかかる事はなかった。  
 …これはまさか。  
 
「どうしよう、ミク姉、壊れて、壊れたかも、ミク姉むがっ」  
「まあ落ち着きんさい」  
 かじりかけのネギを口に突っ込まれて我に返る。  
 ミク姉に突っ込まれる(二重の意味で)日が来るとは…。  
 呆然として動かない二人を見下ろすしかできない俺をよそに、ミク姉は腕を組んでなにやら考え込んでる。  
「んー、まだ壊れたとは限らないし、修理業者に見てもらえばいいよ」  
「そうだけど…ここには呼べないじゃん。どうやって連れてけば…!」  
「タクシーと言う手がある」  
「あ、そっか」  
 この状況でものほほんとしてるミク姉を前にしたら、焦る気持ちが少し減った。   
 今日程ミク姉の動じない性格に感謝したことはない。  
 
 まず服を着せなきゃ始まらない。  
 がくぽとリンを引き離そうとしたけど、腕も足もがっつり絡み合った状態で停まってるもんだから離れやしない。  
「だめだねえ…こうなったらいっそ切っちまうとか」  
 真顔で怖い冗談言うな。どっから出したんだその斧。  
 
 結局、力づくでなんとか剥がして、べたべたした体を拭いてきれいにして、いつもの服を着せるまでにかなり時間がかかってしまった。  
 マスターが感づいたりしないだろうかと冷や汗をかき続けたせいか、俺は一通り終わった瞬間気が抜けて床にへたり込んだ。  
「やだもーこいつら、別居させたい…なんで俺がこんな苦労しなきゃならないんだ(泣」  
「おーい、まだ終わってないよー。タクシー呼んだから早く運び出そう」  
 そうだ、もう一頑張りだ。  
 仕事で疲れてるマスターにこんな事で心配かけたくないし。  
 
 ミク姉がマスターに話しかけて気を引いてる間に、俺が玄関まで運ぶ作戦で行く事になった。  
 リンを持ち上げるのはぎりぎり大丈夫だけど、体重がリンの2倍近いがくぽはどうしたって無理。でかいし。  
 脇の下から抱えて引きずるしかない。くっそ、半分も進まないうちに疲れてきた。  
 …二階の部屋じゃなくてほんとに良かったよ。  
 玄関にたどり着いたと同時に、家の前で車が停車する音が聞こえてきた。  
 覗き穴から見えた車は確かにタクシーだ。インターホンを鳴らされる前にあわてて外に出る。  
 出てきたのが人間じゃない事にタクシーの運転手は怪訝な表情を浮かべた。  
 「すいません、修理しに行きたいんですけど、この二人を乗せるの手伝ってもらえますか」  
 なんか変な言い方になったけど、特に言及はせず言った通りに手伝ってくれた。  
   
 ふー、これで後は業者に見てもらうだけだ。  
 安心しきった俺は、ある重要な事をすっかり失念していた。  
 
 
 
 
 
 どうしよう。  
 その一語だけがぐるぐると巡る。  
   
 不都合な部分は省いて簡潔に事情を説明して、無事に二人を引き渡したはいいものの。  
 修理に何日もかかるくらい大変な壊れ方だったら。  
 …あるいは再起不能だなんて言われるかも知れない。  
 待合室の椅子に座って頭を抱える俺。  
 周囲の視線を感じるけどそんなんどうでもいい。  
   
 もう……帰って来ないのかな。  
 一緒に暮らせないのかな。  
   
 俺一人苦労してばっかだったけど、マスターと俺達の5人の生活はすごく充実してた。  
 一緒に歌ったり、テレビ見たり、時々マスターにどっか連れてってもらったり。  
 当然血の繋がりなんてない。  
 だけど、本当の家族と同じ暖かさに溢れてた。  
 
 …楽しかった。本当に、楽しかったんだ。  
 
 最悪のパターンが頭の中を支配する。  
 
 どんな馬鹿な事してもいいから目の前でラブシーン繰り広げてももう怒らないからお願いだから!  
 
「帰って…来いよ……ばかやろー…」  
 
 ぼたぼたと落ちる涙を拭いもせず、祈るような気持ちで検査が終わるのを待った。  
 
 
「動き過ぎ、ですね。軽く充電しておきましたので、もう大丈夫でしょう」  
 
 意識がはっきりしたがくぽとリンは早くもピンピンしている。  
 
 専門用語がちりばめられてて良くわからなかったけど、  
要するにろくに充電もしないで長時間体力を消耗し続けたせいでエンストしてしまったらしい。  
 
 
 えーと。  
 それはつまり。  
 
 
 
 
 
 
「ヤり過ぎって事かコラァァーーーーーーーーーーー!!!」  
 
 さして広くもない部屋に怒声が響き渡る。  
 いや、叫び声と言った方が正しいかもしれない。  
「もう、てめーらはもう、もう!!」  
「落ち着きなってー。仲良しなんだからいんじゃね?」  
「仲が良いにも程があるわァァァ!!!!」  
 
 あああ、いくら叫んでも足りやしない!!  
 
「離せ、ミク姉離してくれ!!今日と言う今日はもう、まとめてロードローラーの錆にしてやるァァァァァ!!」  
「ご、ごめん、収録終わってちょっとはしゃいでて…マスターいなくて暇だったし…」  
「動けなくなるまで篭るつもりはなかったんだがな…主上が外出するとあって、つい…没頭してしまった。申し訳ない」  
 二人揃って頭を下げる。  
 
 じゃあなんだ、暇潰しでこうなったってのか!  
 俺はそんなくっだらねー理由で動けなくなった奴らの為に死ぬ程気ィ張って、苦労して、心配して…  
 
 
 
「俺の……俺の涙を返せーーーーーーーーーー!!!!」  
 
 
 
 
 俺さ、ほんと人間じゃなくて良かったと思うんだよ。  
 普通の人間だったら俺、今頃きっと胃に穴開いてるよ。穴だらけだよ。  
 
 
 …暇って怖いな。  
 

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