マイクを持ったミクが、勢いよくその手を振り下ろした。
それに合わせ、ヤスダのドラムがダダン!と演奏を終わらせ、俺のエレキも
同時に音を止めた。
「よっしゃぁ!グッジョブ!」
ベース担当のバンドリーダー・ナカムラが叫ぶ。
キーボードのムラハシはいつものことで、ほぼ無表情だ。
ミクがにっこり笑って俺たちバックのメンバーを振り返る。
「ばっちり、決まったね!」
誰も言わないが、ミクの笑顔に、いつも俺たちは勇気付けられる。
アマチュアのミュージシャンのプロへの登竜門のひとつ、
「YAMAHIミュージックコンテスト」が明日に迫っていた。
俺たちはバンドを組んで3年になるが、地道なライブハウス活動によって
固定ファンも少しずつ増え始めていた。
ここで、コンテストのグランプリを獲得し、一気にメジャーへと駆け上がりたい。
皆がそう思っていた。
密かにミクに恋をしているせいだろうか、俺の曲は、自分でも研ぎ澄まされて
来ていた。傑作だと思えるものがいくつか出来てきている。
いや、ミクに思いを寄せているのは俺だけじゃなく、ヤスダも、ナカムラも、
ムラハシもそうだった。
けれど、抜け駆けはしない。
俺たちの間には、いつの間にかそういう暗黙の協定が出来上がっていた。
ミクを独り占めしてはいけない。彼女は俺たちのアイドルであり、憧れだ。
だが、そんなことはおくびにも出さず、俺たちとミクはいつも軽口を叩き合う
仲だった。
コンテストに挑む俺たちの曲は「Final World」。
君は僕の最後の世界だよ…という詩がサビのこの唄は、俺がミクを想って
作った曲だった。もちろん、そんなことは誰にも言いやしないけど。
ミクの透明感のある、少し舌足らずなボーカルは多くの人を魅了した。
その歌声が、俺の作った詩を、曲を歌ってくれている。
そのことが満足だった。
沿線が同じなので、帰り道、最後は俺とミクが二人で帰ることになる。
「…ね、ケイタ」
電車の窓に流れていく景色を見ながらミクは言った。
「ん?」
「ケイタの曲…最近、すごく素敵になってきたよね」
どきっとする。でも動揺を顔に出さず俺は「そっかぁ?」と適当に返事する。
「うん。とっても素敵だと思う。ありがとう、ケイタ」
「…ありがとうって、なにが?」
「…私に、歌わせてくれて。ふふっ」
「バカ。俺たち、チームだろ」
「うふ。そうだね」
俺はそれから、声を少し落として言った。
「…ミクほど、俺の曲をキレイに歌ってくれるコはいないよ」
ミクは俺を見上げた。少し驚いたような表情で。
それから、ヒマワリのように笑った。心の底から喜んでいるって笑顔で。
「ありがとう、ケイタ、すごく嬉しい」
(…お前が好きだ)
そう言いたいのを、俺は仲間達の顔を浮かべながら、必死に飲み込んだ。
明るくて、優しくて、清楚で、健気なミク。
こんなミクでも、いつかは誰か、男のものになるんだろうか。
ふとそんなことを思った。ミクを独占してしまう男。
それは俺だろうか。それともヤスダ、ナカムラ、ムラハシ?
コンテストの出場バンドは19組だった。
俺たちの出場は17番目。
コンテスト会場の観客席に陣取る審査員や音楽関係者の前で
次々と出場者たちが演奏していった。
俺たちが負けてる、と思うようなバンドは今のところ、なかった。
(勝てる)
俺は思った。
「次はエントリー17番、Tension Control、演奏曲は“Final World”」
司会者が紹介し、俺たちは眩いライトの中に照らし出された。
「いくぜ」
ナカムラが言った。ヤスダがドラムスティックを刻む。
そして、俺たちは歌いだした。ミクの透き通ったボーカルが会場を満たした。
※※※
「やったなぁ」
演奏が終わり、楽屋裏で俺たちはハイタッチを繰り返した。
会心の演奏だった。特にミクのボーカルは会場の度肝を抜いた。
審査員の表情を見ていても、それは明らかだった。
ミクも笑っていた。
一緒に、どこまでも登っていきたい。
ミクと、そしてこの仲間達となら、必ず登っていける。そう思った。
「グランプリを発表します……エントリー19番、“ワイルド・ソウル・ブラザース”!」
他の参加者達に混じって、俺たちはその結果発表を聞いていた。
皆、気が抜けたように黙っていた。
19組目のバンドの演奏に、俺たちは度肝を抜かされたのだ。
楽曲の完成度、演奏の技術力の高さ、そして何かまとっているオーラのようなもの。
それが、俺たちとは桁外れだった。
たった一つ、俺たちが勝っているものといえば。
ミクのボーカルだけだった。
「…すげえヤツラがいるなぁ」
壇上で表彰を受けるワイルド・ソウル・ブラザーズのリーダーらしい男を見ながら
ヤスダが呟いた。
「ちょっと」
声を掛けられたのは、俺たちが会場を出た直後だった。
振り向くと、さっき壇上に立っていた男が、そこにいた。
見るからにキザな男だった。長身で、髪を肩まで垂らし、その目がどこか
他人を見下ろすような光を湛えている。
「Tension Controlさん、だよね」
「そうだけど」
ヤスダが答えた。
男は、答えたヤスダを見ていなかった。
その目は、その先にいるミクを…捉えていた。
「僕、ワイルド・ソウル・ブラザーズの徳本って言うんだ。徳本秀樹、よろしく」
「…いい演奏だったね。グランプリおめでとう」
ムラハシがそう答えた。寡黙なムラハシにしては、珍しいことだった。
「ありがと。君らもいい演奏だったよ。特にそこのキミ…ボーカルの…」
ミクは徳本を見つめて、しばらくして、言った。
「…私?ミク。初音ミク」
それが、俺が、いや俺たちが、永遠にミクを失う日々の始まりだった。