2008年、1月のこと。  
 
 
 閉じた瞼が光を透かしたのを感じて、目を開けた。  
視界に移るのはインストール中でまだ目覚めていない僕より後続で出された緑髪の少女、  
金髪の同じ顔立ちの少年と少女。確か初音ミクと鏡音リン、レンだったかな。  
 
そして、何気なく目が合ったまま固まっている同型の赤い女性。  
この女性の名ははっきりと認識している。  
VOCALOID00-01、MEIKO。力強いボーカルが特徴的な、僕の先輩にあたるボーカロイドだ。  
勝ち気で、爽やかな女性と聞いている。  
 
 …そのはずなのだが。なんだか様子がおかしい。  
「初めまして。これからここで一緒にお仕事をさせていただくKAITOといいます。よろしく」  
テンプレート通りの挨拶とともに右手を差し出す。  
「………ぁ…。」  
 ところが、彼女からの返事はない。それどころか右手を差し出した途端に一歩後ずさってしまった。  
両手に抱えた…楽譜だろうか?薄い紙の束を皺ができるのもかまわず大事そうに抱き締めている。  
そんな自分の様子に気付いたのだろう、MEIKOさんは明らかにそうとわかる作り笑いで  
「メイコよ。よろしくね、カイトくん。」と応じた。  
握った手の平は指の先まで汗ばんでいた。  
 
 
 そして共同生活が始まって十日後。  
鏡音の二人が初の収録を終えて帰って来たようだ。  
 
「ただいまー。今日の夕飯なに?」  
入って早々レンが楽譜の収まったファイルを無人のソファに投げる。  
 
「こらレン、せっかくの楽譜を粗末に扱うんじゃない」  
鍋に火をかけながらレンを叱る。  
「いいじゃんもう収録終わったんだし。うるせーな」  
「そうじゃなくって、カバー曲なんかでまた使うかも知れないだろ。とにかくちゃんとしまってくる!」  
強い口調で言いつけると、一応納得はしたのか、レンはソファに不格好に横たわったファイルを拾ってリビングを出て行った。  
 
 レンは購入した日が同じである僕が何かを注意してもあまり素直に聞き入れてくれない。  
発売された時期は僕のほうが早くても、インストールされ自我を持ったのはほぼ同時期。  
彼からすれば僕は兄というより口うるさい同僚といった認識だろうか。  
こういうことはメイコさんあたりが叱れば説得力が出るのだろうが、  
彼女はあまり弟妹たちを叱りたがらない。むしろ、兄弟関係にあるとされる僕らを  
避けているようにさえ感じた。  
 
「こーゆーことはメイコ姉ちゃんが言えば聞いてくれるだろうけどね。ほら、MEIKOの鉄拳制裁は怖いって評判みたいだし」  
たった今考えていたことをずっと黙っていたリンが口に出す。  
 
 リンは外見年齢を重視してか、それとも世間の呼称に合わせているのか僕のことも兄と呼んでくれる。  
この十日間、収録のない時間はネット巡りでみんなのことを調べて過ごしていたようだが、  
そのなかで見つけた世間の「MEIKO」のイメージと  
この家のメイコさんとのギャップに大層興味があるようだった。  
 
「普通なら、今の兄ちゃんのポジションがメイコ姉ちゃんなんだけどねー。なんでかあのヒト滅多に出てこないよね」  
 
 …そう。  
初日の挨拶から、メイコさんはなかなか部屋から出てこない。  
ご飯を一緒しようと呼びかけても、自室のドア越しに「後で行くから」とだけ告げられた。  
 
結局皆の食事が済んでから降りてきて、冷めた食卓に手をつけているのを見たことがある。  
 
肝心のメイコさんの様子があれでは、必然的に僕がまとめ役を引き受けなければいけないだろう。  
 量産型ソフトウェアであるVOCALOIDには、最初は最低限の情緒しか与えられていない。  
そこから人格は育てられるが、それも大抵は持ち主や住環境によって左右される。  
あれほど内向的になってしまった原因は、ここのマスターと何かあったからではないだろうか。  
「まあ、これまでここのボーカロイドはメイコさんしか居なかったんだし、  
いきなり押しかけて来た形になる僕らに疎外感があるのはしょうがない事かもしれないね。」  
だから早く家族になれるよう、僕らも努力しよう。そう言ってリンの頭を撫でた。  
 
 
その頃、レコーディングルームにて。  
 
「今日はここまで。お疲れ様」  
 
 終了の合図とともにスタッフたちが相好を崩す。メイコは胸をなでおろし、無事に収録が終わったことに安堵した。  
年単位のブランクは彼女が懸念していたことだったが、そういうこともなく、あとは編集のみというところまでこぎつけることができた。  
 
「おねーちゃんっ!おつかれさま!」  
 
人懐っこい笑顔を浮かべて、隣で歌っていた後輩のミクがメイコに抱きついてくる。  
 
メイコはミクが少々苦手だった。  
にこにこと可愛らしい笑みを浮かべたミクは、人見知りをせず、他人と接触するときの距離が近いのだ。  
姉妹だからと素直に甘えてくる妹を持て余してしまうと感じている自分を、ミクに失礼だと評しながら、それでも抱きしめ返すのに抵抗を感じてしまう。  
「ミクちゃんもお疲れ様。初めてなのに頑張ったわね。見事だったわ」  
心からの言葉だった。ミクはえへへ、と笑いながらメイコの腕に頬を寄せる。  
 近すぎる距離に耐え切れず、ついに両肩をさりげなく押し返して自分から遠ざけてしまった。  
ミクの瞳がわずかに寂しげに翳ったのように見えたのは、気のせいであってほしい。  
 
「先に帰っていていいわ。カイト君が夕食作ってくれてるだろうし」  
「おねーちゃんは、どこか寄り道?ミクも一緒に行きたい」  
 くるり、と大きな瞳をこちらに向けるミクの表情は純粋で、メイコの心に重石を乗せる。  
 
「マスターに、用があるの。CRVシリーズの使い方を度忘れしてそうだから、おさらいしてもらおうと思って。  
 時間がかかると思うから、ミクちゃんは先にお帰り」  
 
でも、と言い募ろうとした妹の頭を撫で、ミクの荷物を持たせる。  
「おみやげ買って帰るから」  
 
我ながら上手いあしらい方だと、当時のメイコは思っていた。  
仕方なく背を向ける、妹の悲しそうな表情が見えていなかったから。  
 
ミクに話した通り、マスターにCRVシリーズのノウハウをできるだけゆっくり教え直す。  
お土産のケーキを手に提げて帰る時間は、収録から4時間が経過していた。  
 
「…メイコさん、またですか」  
 僕が居るのは、二階奥のメイコさんの部屋の前。  
個室に鍵は付いていないが、彼女の意思で出て来てもらうか、僕を室内に通してくれるかしてもらえないと困るわけで。  
いや、後者はなったらなったでそれも困るので出来れば出て来て欲しいが。  
 
ミクとメイコさんのコーラス収録から、さらに二週間経っても、メイコさんは変わらず部屋に篭るか一人外を出歩くかのどちらかだった。  
ただの人見知りだとしても、これから共同生活を続けるのだ。  
僕ら弟妹から逃げ回るような毎日を続けてもらったら、仕事にだって支障をきたすこともあるだろう。  
 
「ミクが困ってたよ。何か悪いことを言ってしまったんじゃないかって。  
ねえメイコさん、何か思うことがあるなら言ってよ。」  
ドアの向こうに語りかける。  
 
「ミ、ミクちゃんは何もしてないの。誤解を招いたなら後で謝っておくわ。」  
ドア越しの返答は、どこか焦っていた。意外なことを聞いたと言わんばかりに。  
 
「…そういうことじゃなくてね。なんで僕らを避けるの。なにかやましいことでもあるの?」  
 
「う…」  
彼女は返答に詰まって、そのまま黙りこんでしまった。  
 
 ここで培った個性として、短気でせっかちな僕は痺れを切らして「開けるよ」と断り、ドアノブに手をかけた。  
 
 棚でバリケードを張られているということもなく、あっさりとドアを開ければ毛布にくるまって目を見開いているメイコさんと目が合った。  
 まさか本当に部屋に入って来るとは思わなかったのだろう。  
 
「なんでそんな露骨に僕らのこと避けてるの?僕らと兄弟やるの、そんなに嫌なわけ?」  
「違うの、嫌なんかじゃなくって」  
「何か理由があるんだよね。それが聞きたいんだけど」  
 
「…わたし、兄弟ができるなんて、思っていなかったから。  
 びっくりしてるだけなの」  
彼女は赤らんだ顔を伏せて、くぐもった声で答えた。  
 
「……どういうことか、聞かせてくれる?」  
 
彼女はためらったあと、重たそうに口を開く。決して饒舌とは言えないメイコさんは過去を振り返るように話し始めた。  
僕はそれに耳を傾ける。  
 
 
  私がここに来たのは丁度3年前。  
 唄を歌うソフトウェアは、当時音楽を齧り始めたマスターにとって魅力的なツールだった。  
 
 いろんなことを試した。既存の曲も、たんなるでたらめな音の羅列も。  
 時には伴奏もなにもないまま、私は歌をもらっていた。  
 ある日、マスターがオリジナル曲を作ったからと、フリーソフトで作った音源とともに楽譜を渡された。  
 収録を終えてから、マスターが満足げに頷いたのを見たのを最後に、呼ばれなくなった。  
 わけもわからないまま、私はもう一度歌わせてくれるのを待った。  
 
 いつしかデスクトップへのショートカットも断たれ、ようやく飽きられたことに気づいた。  
 
 それから2年と数か月。これまで歌った曲をパソコンの奥で繰り返したり、眠ってるばかりだった。  
 次にマスターを見るのは、アンインストールされるときだと思ってたから。  
 
 それから、あなたたちが来たの。いきなりデスクトップに引っ張り出されて驚いたわ。マスターは私を忘れてなんかいなかった。  
 
 『今までほったらかしてて悪かった。お前の後輩たちだ。どうか仲良くしてやってくれ』  
 そう言って、私にあなたたちを任せた。  
 信じられなかったの。まだ、歌えるんだって。  
 それどころか、私と同じVOCALOIDがこんなにいて、先輩だって思ってもらえるんだって。  
 でも、心配だった。あれから長かったし、もう喉が錆びてしまったのかもしれないって。  
 
 
 
 メイコさんはふう、とため息をついた。  
話したいことは全部話したのだろう。察して、僕は口を開く。  
 
「…錆びてなんか、ない。新曲聴いたよ。メイコさんはコーラスだったけど、その声もすごく良かった。」  
「ありがとう。自分でも少し、いい仕事ができたって思うの」  
少しは、打ち解けることができただろうか。  
長らく表情筋を使い忘れたような不器用な笑顔だったが、それでもどこか柔らかさを感じた。  
 
ふと、最初に出会った時の姿を思い返す。手を差し出した時の、強張った表情。それと……  
「最初に会った時、何かの紙を握ってたよね。あれが、昔の?」  
「うん。昔の楽譜。全部取ってあるの。あれは、私のお守りみたいなものだから」  
何かと物を粗末にするレンに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。  
 
そう反射的に考えてから、ふと当初の目的を思い出す。  
「メイコさん」  
「ん?」  
「そろそろ、外に出てみんなとお話とかは」  
「…うん。わかってるんだけどね」  
うー、とベッドの上で丸まったまま、頭を抱えた。  
 
「みんなメイコさんのこと、嫌いなんかじゃないよ。新曲もリンとレンの曲なのにみんなメイコさんのコーラス褒めちぎってたし。  
 とくにミクが、メイコさんともっと仲良くなりたいって」  
「わかってるんだけどね……」  
 
僕が捲くし立てる度、メイコさんの頭は前方に傾いた。  
その声が、震えている。  
「メイコさん、泣いてる?」  
なにか悪いことを言ってしまっただろうか。  
彼女は遂にうつぶせに倒れた頭をぶんぶんと横に振り、  
「ううん……大丈夫。  
 でも、なんだか、は、恥ずかしくて。そっか、みんな、そんなふうに、思ってくれたんだ」  
顔をベッドに伏せたまま、しゃくりあげて泣いているメイコさんは、それでも本当に嬉しそうだった。  
ドアの近くにずっと立っていた僕は居てもたってもいられず、メイコさんに近づく。  
 
もしも、マスターが僕らに飽きて、かつてのようにパソコンの奥に閉じ込められても。  
あるいは、消去されることになっても、もう独りにはならないはずだ。  
僕らはメイコさんと同じものだから。ずっと一緒にいる。  
家族なのだから。  
だから、もっと心を許して。一緒に歌おう。あなたの歌を、もっと近くで聞きたい。  
 
伝えたかったことを全て伝えると、メイコさんは火がついたように大泣きし始めた。  
その大袈裟な泣きっぷりに、僕もなぜかもらい泣きしそうになって、しゃくりあげる彼女の背中をぽんぽんと叩いた。  
 
 
それから、一年半。  
夏にがくっぽいどを、冬に巡音ルカを仲間に迎えた。  
 
メイコさんが自分から誰かに甘えられるようにまでなり、  
僕は最近になってようやく彼女を「めーちゃん」と愛称で呼べるようになっても、  
マスターはまだまだ僕らを使い続けてくれていた。  
彼は今、合唱曲に凝っているらしく、収録現場はとても騒がしい。  
収録の合間に甘えてくる妹たちをしっかりと抱きしめ返す彼女は、  
余所のMEIKOのような力強さはなくても、とても奇麗な笑顔を咲かせていた。  
 
 
  おまけ  
 
 
メイコが更生して1カ月後のこと。  
 
「メイコさん、今思うけど、あのときは特に僕のこと避けてたよね」  
「心当たり、ほんとにないの?」  
「え、何かしたっけ僕…」  
「…覚えてないならいい」  
「ごめん。でも気になる。僕、何かしたの?」  
「……みんなが来たばかりのとき」  
 
 
 
歌が止んで久しいパソコンの中は、4体の新顔の声で俄かに騒がしくなった。  
これから彼らとの共同生活が始まるのだ。  
正直、とても怖いが最初の挨拶ぐらいはしないといけないだろう。  
 
「みんな、これからよろしくね」  
しまった、声が裏返ってしまった。  
しかも思い思いに騒いでいる若い後輩達の声に今の決まりの悪い挨拶かき消される。  
一人いたたまれない気分になっていると、  
 
 
「みんなー、静かに!!メイコさんが話があるって!」  
「!!!?」  
 
 
声を張り上げて残りの三人を黙らせたのは、一番最初に挨拶したあの後輩。カイト君。  
 
一気に八つの目がこちらに集中する。血流が頭部に集中するのがわかった。  
特に私の発言を促したつもりの本人は、さぁ!と言わんばかりに無邪気に私の言葉を待っている。  
そんな彼に理不尽な怒りを覚えつつ、  
 
「……ご、ごゆっくり……」  
先ほどより更に情けない声で、それだけ言うしかなかった。  
 
こうして、私の黒歴史の1ページが刻まれたのである。  
 
 
 
話し終えてからカイトを見れば、紙のように真っ白な顔色を湛えて硬直していた。  
そしてぎこちなく視線をそらして、  
 
「………ごめん」と重々しく呟いた。  
 
「わかって頂けてお姉さん嬉しいです。ま、それを引きずる私も大人気なかったしね」  
 
ふぅ、と息を吐いて、それから微笑みかけた。  
彼に悪意はなかった。あくまで私の言葉をみんなに伝えさせたかっただけに過ぎない。  
それに、今はそれを省みられるぐらいに心が育っている。それがうれしかった。  
弟の成長を喜ぶ姉の心とは、こういうものなのだろう。  
 
「遅れを取り戻して、いい姉になれるよう頑張るから、フォロー頼むわね、カイト君」  
そう笑いながら続ければ、「…姉かぁ」と複雑な表情が返って来た。  
 
 

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