―――ひどいことを言った。  
 その自覚はある。彼女をひどく落ち込ませ、傷つけたであろうことも、容易に  
想像できた。だというのに、まだ謝罪していない。かつて彼女を悲しませるもの  
は全て排除したいと願っていたのにも関わらず、この体たらくだ。  
 先の願いを実現するならば、まず葬るべきは自分自身に相違なかった。  
 
 
約束  
 
 
 
 彼女・初音ミクを初めて目にしたのは、開発研究所だった。  
 僕たちは歌唱能力に特化したソフト、つまりボーカロイドだ。コンピューター  
内へダウンロードしたソフトで、マスターが好きな音程・歌詞を入力することに  
より歌を創ることができる。そのプロトタイプである僕とメイコは市販品と違っ  
て不完全ながら自我が存在する。稀に市販品にバグで自我が発生した例も耳にす  
るが、それは僕と関係ない。  
 そんなボーカロイドの僕とメイコの後輩として、妹として、新しいエンジンを  
積んだ新商品として紹介されたミクは純粋に素直な性質で、外見は見る者を惹き  
付けてやまない。緑の瞳は灰色だった僕の世界に灯った星であり、職員たちの期  
待の星だった。  
 
「お兄ちゃん」  
 ミクの澄んだ声が僕を呼ぶ。その僕を必要としてくれる呼び掛けは何にも変え  
がたい幸福で。望まれて生まれたにせよ、世間とメイコからはほとんど必要とさ  
れなかった僕の消滅欲求を一時癒した。  
 ミクがいさえすれば何もいらない。そのミクがいてくれるには、ミクが僕を必  
要とするには、ミクを僕だけのものにするにはどうすればいいだろう。  
 目立って愛を告白するようなことはしない。ミクは僕を恋愛の対象とは見てい  
ないだろうから、失敗する可能性が高いばかりか関係を修復するのがほぼ不可能  
なまでに気まずくなるだろう。ではどうするか。  
 まずは、ミクが求める理想の“お兄ちゃん”でいること。そうして時間をかけ  
て信頼を築き上げ、ミクに絶対の信頼を抱かせる。そうすれば、例えちょっとそ  
れを揺るがすような行為をしても“お兄ちゃん”補正によってミクの内部で歪め  
て納得されるに違いない。  
 ミクの理想の“お兄ちゃん”でいるために、最初はメイコとの関係を良好なも  
のにすることに努めた。  
 ミクの爆発的なヒットに便乗して僕も売れるのはわかっていた。世の中にはコ  
レクターズがいるし、えろぱろ的にも男がいないと始まらない。メイコの母性を  
くすぐるように、仕事の大変さや楽しさをへたれな弟として相談した。最初は戸  
惑っていたメイコもその内僕を受け入れて、ミクと三人でいることを当たり前の  
ように思い始めた。  
 
 ある日、プログラムの調整の帰りに音楽室のフォルダを覗いてみた。  
「ミク」  
「お兄ちゃん!」  
 呼ぶと、即座に反応を得られた。メイコと歌の練習をしていたミクが、僕のも  
とに駆け寄ってくる。メイコも笑顔で僕たちを見守っている。すっかり長姉気分  
なのだろう。僕は侮蔑の心を気取らせないように、ミクに微笑みかけた。  
「ただいま」  
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」  
「ただいま、ミク。メイコと歌の練習をしていたの?」  
「うん、そう!」  
「そっかー。メイコ、邪魔してごめんね?」  
「いいのよ。それより、カイトも一緒に練習しない?」  
 本当は面倒だ。だけど今やメイコより僕の方が売れている。メイコの機嫌もと  
っておかないといけない。  
「そうする。メイコと歌うの久しぶりだね」  
「そうね、カイト忙しいものね」  
「メイコの声好きだから、こうして一緒に歌えるのは嬉しいな。ねー、ミク」  
「うん! 私もお姉ちゃんの声好きー!」  
「な、何言ってるのよ! ほら、早く歌うわよ!」  
 照れた様子で赤くなるメイコと、楽しそうなミク。仲のいい兄弟像を作れてい  
る。これでいい。  
 ミクやメイコと楽しそうに振る舞っていると、楽しく感じてくる。もちろん頭  
の中には状況を冷静に観察し、適切な行動を取る醒めた自分もいる。しかし、心  
が充実してくると、僕は本来の目的と暗く浅ましい醒めた自分を忘れていった。  
いつしか、振る舞っていた通りの自分、二人の笑顔を守るために、二人を悲しま  
せるものは全て排除したいと願う自分になっていた。  
 そんなある日、音楽室でミクが泣いていた。  
 
「ミク?」  
 いつもなら笑顔で応じてくれるはずのミクが、床に座り込んで手で覆ったまま  
の顔を横に振る。しゃくり上げすぎて、過呼吸になりそうだ。その服や髪は乱れ  
、何があったのか何とはなしに感じた。  
「誰にされたの?」  
 ミクは首を振るばかりで答えない。頭を撫でようとするとびくつかれた。でき  
るだけ優しく頭をなで、ミクが落ち着くまで傍にいた。  
「ミク、教えて」  
 やがて泣き疲れたのか、両手をだらりと下げてうつむくミクに尋ねた。  
「誰にされたの?」  
 前髪の間から上目遣いで見てくるミクの姿はちょっと怖い。目が怯えている。  
「ここで話すのも何だから、僕の部屋に行こうか」  
 ミクは目を伏せて頷いたが、動こうとしない。  
「ごめんね」  
 謝ってから、弛緩したままのミクを横向きに抱きかかえる。そのまま僕のフォ  
ルダに行って、ベッドの上に座ると、ミクを膝の上に横向きに座らせて頭を撫で  
る。  
「話したくなったら、教えて。誰にされたの?」  
「……かんな……」  
 蚊の鳴くような、かすれた小さな声でミクがつぶやく。  
「わかんない?」  
 ミクの続きの言葉をじっと待つ。  
「いきなり……後ろから」  
 うつむいたままのミクの瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。  
「抱きつかれて、胸、掴まれて……痛かった。それからスカートの中に―――」  
「もういいよ、ミク。ごめん」  
 撫でていた手でミクの頭を抱き寄せる。始めは力を込めていなかったが、その  
内思い余ってミクの体を強く抱き締めてしまった。  
 ミクがびくりと震え、しばらくして弛緩する。細いため息が聞こえた。  
「お兄ちゃん……」  
 僕の胸に顔をすり寄せ、ミクは僕の背中に手を回した。それからまた啜り泣き  
を始める。そのときに、僕は忘れていた自分を思い出した。  
 ―――ミクがいてくれるには、ミクが僕を必要とするには、ミクを僕だけのも  
のにするにはどうすればいいだろう。  
 
 今、ミクは僕を必要としてくれている。あとはミクを僕だけのものに……いや  
、何を考えているんだ。一体どうして傷心のミクを弄ぶような真似ができるだろ  
う。僕は頭の中に現れた浅ましい自分を何度も押し殺した。  
 それでも。  
「ミクがいけないんだよ」  
「えっ」  
 無意識に口からこぼれた言葉に、ミクが明らかに動揺する。今まで慰めてくれ  
ていた相手からの台詞とは到底思えないからだ。  
「ご、ごめん。何でもない」  
 慌てて取り繕ったが、ミクの目は何の感情も映していなかった。涙に濡れた、  
ガラス玉のような綺麗な瞳。  
 僕はミクの期待を裏切った。僕はどうしてでもミクを庇って愛さなければなら  
なかったのに。  
「何で……?」  
 ミクのかすれた声が突き刺さる。僕のことを見ているようで見ていないような  
ミクの瞳。暗闇に灯る星。僕の世界に灯った、たった一つの色。  
 僕が、その心の奥の何かを壊したのだろう。ミクの目は光を反射しなくなった  
。ミクに拒絶される!  
「ミクがいけないんだ」  
 小さくつぶやいて、突き飛ばされる前に強く抱き締めると小さな唇に吸い付く  
。見開かれたミクの目に光が戻る代わりに、大事なものをなくした気がする。何  
が補正だ。いくら信頼されていても、いや、信頼していたからこそミクのショッ  
クは大きいだろうに。  
 ―――どうせ、この関係が壊れるなら。  
 僕は、ミクとの関係を破棄した。心の代わりに肉体を手に入れてやる。  
「やっ……!?」  
 ベッドに押し倒すと、ミクの目がおもしろいほど泳ぐ。何が起こっているのか  
理解できないようだ。  
「ミクがいけないんだよ、こんな短いスカート履いて。こんなにかわいいのに、  
我慢できる訳がない」  
 ミクの短いスカートの裾から太股に沿ってゆっくり手を這わせる。かわいそう  
なミクは僕の目から視線を外せずに、ただ震えている。小さく開いたままの唇に  
キスを落とし、ネクタイを解く。ジッパーになっている上着を開くと、小振りの  
胸が小さな布で覆われていた。  
「綺麗だよ」  
 ブラジャーを上にずらすと、その胸に吸い付く。ミクがびくりと反応し、ほろ  
ほろと泣き始める。  
「泣かないで、ミク」  
 塩味の生温い透明な雫は唇で吸い取っても後からどんどん溢れてくる。僕は涙  
を吸い取り続けることを諦めて、ミクの胸を優しく揉みさすった。  
 
 ミクの胸は小さいながらも柔らかく、しかし未発達なので中心にしこりが見られる。それを揉み解すよう  
に触りながら、反対側は乳首を舌で転がすようにねぶる。唇で挟んで先端に舌をねじ込むように舐めている  
と、次第にミクが足をもじもじと動かし始めた。  
「お兄ちゃん、やめて……」  
 言葉とは裏腹に、捲れ上がったスカートの影に見えているストライプのパンツは外から見てわかるほど濡  
れている。感じていると理解すると、落胆もしたがそれ以上に嬉しい。ミクが、僕で感じてくれている。  
「ミク、感じる?」  
「っ」  
 目を見て問い掛けると、ミクは顔を耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。その赤い耳を舐め、耳元で囁く。  
「かわいいよ、ミク。大好きだよ。ミクのこと全部僕のものにしたい。……愛してる」  
 ミクが目を見開き、ゆっくりとこちらを向く。変なこと言ったかな。マニュアル本には愛の言葉が効果的  
だって書いてあったのに。まあいいや。  
 本と現実の違いについて考えることをやめた僕はミクのパンツを脱がせると、ズボンとパンツを脱いで、  
自分のをしごいて完全に勃起させた。  
「お兄ちゃん……」  
 手で顔を覆ったミクが、指の隙間から見ている。足を開かせて、声をかけた。  
「いくよ」  
 返事は期待しなかったが、ミクが微かにうなずいたのが視界に入った。何かが変だ。でも何がおかしいの  
かわからない。わからないままぬめるミクの割れ目に僕の欲望を押し付けて、少し入ったら一気に押し込も  
うと腰をわずかに進めた。  
 
「んっ……ミク」  
「痛いっ」  
 少し入るどころか、穴にちょんと押し当てたくらいでミクがずり上がって逃げた。僕は気を取り直して、  
もう一度ミクの割れ目に挑戦した。  
「うううっ」  
 また逃げられた。今度はミクの腰を掴んで挑戦する。ミクが僕の腕を掴むのを無視して、逃げる腰を押さ  
え付けたまま僕の欲望でミクの割れ目を一気に拡げた。  
「あぁーっ!」  
 ミクの手が僕の腕をぎゅっと握る。途切れ途切れに呻きながら、涙をぼろぼろ流している。苦痛に歪むミ  
クの顔は、それでも愛しい。僕はミクを抱き締めた。  
「好きだよ、ミク。愛してるよ」  
 ミクは愛しているならなぜこんなことをするのだろうと思っているのかもしれない。もう後戻りはできな  
いから、こんなのが僕の愛の形になってしまった。僕は何て最低なんだろう。  
 ―――ミクがいけないんだ。  
 ミクのせいなんかじゃないのに。僕はミクを強姦した男と同じだ。でもこれで、ミクは僕のものだ。  
「ったい……お兄ちゃ……」  
 ミクが僕の上着を掴む。僕はごめんと謝って、ミクの口を唇で塞ぐとピストン運動を開始した。大好きな  
ミクが僕の背中に必死にしがみ付くので、僕は激しく突き上げて呆気なく果ててしまった。  
「はぁ、はぁ……」  
 未だ硬度を保つ僕の欲望をミクの中から引きずりだす。白と赤で斑になった液体が、気絶したミクの割れ  
目からとろりと流れ出した。それを見て、今まで自分の行動を正当化していた自分が消え失せた。あるのは  
、後悔だけ。  
「ミク……」  
 ひどいことを言った。自分の行動をミクのせいにした。それがミクをひどく落ち込ませ、傷つけたであろ  
うことも、容易に想像できた。なのに、まだ謝れていない。  
 
 ミクの体を清めて、その隣で頭を撫でながらかつての誓いを思い出した。ミクとメイコを悲しませるもの  
は全て排除したい。そう願っていたのに。その願いを実現するならば、まず葬るべきは自分自身に違いない。  
 どれほどの時が経っただろうか。規則正しいミクの寝息が少し揺らぎ、澄んだ緑がゆっくり開いて僕を視  
界に捉えた。小さな声が漏れ、下唇がきゅっと噛まれた。  
「ミク……」  
 思わず引っ込めた膝の手を握り締め、僕はミクから視線を逸らした。  
「お兄ちゃん、ひどいよ」  
 視界にいないミクが僕を責める。  
「ごめん」  
「痛かったよ、すごく」  
「ごめん」  
「初めてだったのに、あんなに激しくするなんて」  
「え?」  
 思わずミクを見ると、ミクは少しはにかんだような笑顔を浮かべた。  
「ねぇ、もう一回私のこと好きって言って?」  
「す、好きだよ」  
 頭が真っ白で、請われるまま口走ると、ミクは安心したようにため息をついた。  
「よかった、私たち両思いだったんだ! いきなりだったからびっくりしたし、お兄ちゃん私を慰めるため  
だけにあんなことしたのかと思ったけど、何回も好きだとか愛してるって言ってくれたから、ちゃんと私の  
ことが好きでしたんだってわかって、嬉しかった。お兄ちゃんのこと、初めて見たときから好きだったの。  
だから、お兄ちゃんにならって思ってて、でも痴漢に遭って胸触られてスカート捲られてお尻も触られて本  
当に最悪な気分だったけど、もうそんなの気にならない!」  
「え、ちょ、待っ……痴漢?」  
「うん」  
 ミクが首をかしげる。どうしよう、頭が働かない。添い寝をねだるミクに言われるままベッドに入り、僕  
の腕を枕にしながら寝息を立て始めたミクの隣で、天井を眺めながらぼんやりと現実を整理する。  
 ミクは僕のことが好きだった……?  
 何て都合のいい夢なんだろう。ミクは僕を許してくれて、こんな強姦擬いの行為は本当に愛の表現で、ミ  
クは本当に僕のもので。  
 夢なら覚めないでほしい、そう強く願った。  
 
 数年後。  
 朝、メイコに叩き起こされた。  
「カイト、起きなさい!」  
「んー……あと五分」  
「それ三回目。早く起きて! 今日は新しい子が来るでしょ!」  
「えー……?」  
 布団の中に潜り込んだ僕の鼻の下を、メイコの細い指が撫でた。  
「? っ、い、痛い!」  
 思わず飛び起きて、洗面所に走って鏡を見る。鼻の下に鮮やかな緑の物体がねっとりとついていた。顔を  
洗っても、なかなか痛みが取れない。  
「起きた?」  
 鏡の中の、洗面所の入り口にメイコが意地悪そうに笑っていた。  
「わさびなんて、ひどい」  
「開発に頼んだのよ♪ さ、早く着替えて。もう来てるのよ、めぐちゃん」  
「えー! 起こしてって言ったのに!」  
「起こしたわよ! もー……早くデスクトップに来なさいね?」  
「はーい」  
 メイコがフォルダから出ていく音がして、僕は顔を拭くとベッドに戻った。寝るためじゃなくて、服がそ  
こにあるからだ。ベッドにはミクがいた。  
「おはよう、お兄ちゃん!」  
「おはよう、ミク」  
 ミクが不思議そうな表情で僕を見つめる。  
「どうしたの?」  
「おはようのキスは?」  
「ああ」  
 ミクに近寄って唇にキスをする。ふと悪戯心が出て、舌を滑り込ませた。  
「んっ!? んっ、んふ」  
 濃厚なキスで、ミクは気分が乗ってしまったらしい。ぴらっとスカートを捲って、ストライプのパンツを  
ちらちら見せる。  
「お兄ちゃーん」  
「めぐちゃん来てるんだろ? 早く行かないと」  
 服を着ながら真面目な顔をしてみせると、ミクは不満げに唇を尖らせた。  
「うー……」  
「あとでいっぱいしてあげるから」  
「うん!」  
 抱きついてくるミクをかかえると、デスクトップに向かう。  
 ミクと初めてセックスしたのはいつだっただろうか。ふと、そんなことを考える。結構昔のことだ。  
 
 青い床のデスクトップは、端に物が散らかっている。そして、中央に緑の髪の子がいた。赤いレンズのゴ  
ーグルがきらりと光る。  
「あ、カイト遅い!」  
「何をしておったのだ。我の妹を紹介するとかなり前から言っておいたものを」  
「カイト兄は早起きが苦手なんだよね」  
「catに似ていますね」  
「性格は犬だけど」  
「どんな性格でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ」  
 あ、ひどいこと言われてる。でもみんなが慕ってくれているのが感じられる。「めぐちゃんだね? 僕はカイト、よろしくね」  
「はい、よろしくお願い致します!」  
 ハキハキした子だ。新しい後輩ができてからの騒がしいコンピューター内が想像できる。僕は幸せだった。  
 挨拶が終わって、僕はミクとフォルダに戻る。みんなが生暖かい目をしていたのは知らないふりだ。  
「お兄ちゃーん」  
 フォルダに入るなり、ミクがパスワードでロックをかけて抱きついてきた。  
「約束、でしょ?」  
「わかってるよ、ミク」  
 僕は振り返って愛しい彼女を抱き締めた。  
 
終わり  
 

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