ミクが走り去った方角を、残された面々は呆気にとられながら眺めていた。  
 昨日マスターに新譜をもらいに行くんだといった時は嬉しそうだったのに、しばらく経って戻ってきた時は、何やら深刻そうな顔をして思い悩んでいる様子だった。  
 その後も様子がおかしかったし、今朝マスターに新しいVOCALOIDが来ると聞いた時も、浮かない顔をしていた。  
 一体、ミクに何があったのだろうかと気にはなったが、今は新人のフォローの方が先決だ。  
 メイコは思考をそう切り替えると、青い目を見開いたまま硬直しているがくぽの元へと、そっと近づいていった。  
「がくぽ」  
「……メイコ」  
 メイコの呼びかけに、漸く硬直が解けた様子でがくぽが振り返る。その顔は青ざめ、肩は小さく震えていた。  
 ミクの台詞は、まだ自我が芽生えたばかりのがくぽにはさぞかしきついものであっただろう。今にも泣き出しそうなその顔が見ていられなくて、メイコはがくぽの手をそっと引き寄せてあやすようにぽんぽんとその背中を叩いてやった。  
 後ろでカイトが面白くなさそうな顔をしているが、とりあえず勘弁して欲しい。自分より背の高い青年に対して言うのもなんだが、幼い子をあやす感覚とそう変わらないのだから。  
「ごめんね、ミク。ちょっと昨日から思い詰めてたみたいで……いつもは、あんなことを言うような子じゃないんだけど」  
「私は……ミクに嫌われているのか?」  
 声が震えている。そう思うのも無理はないなと、メイコは小さく息を吐き出した。  
「あの子は、誰かを嫌ったりするような子じゃないわ。何があったのかは知らないけど……きっと、あなたを嫌っているわけじゃないのよ」  
「……しかし」  
「うん……そうよね。あんな風に言われたら、辛いわよね。ごめんね。後で、ミクには私の方からもちゃんと言っておくわね」  
「……私は」  
 ぎゅっと眉根を寄せるがくぽの頭を、精一杯背伸びして優しく撫でる。背後でカイトが小さく「あっ」と叫ぶのが聞こえたが、無視をした。  
「とにかく、私たちはあなたを歓迎するわ。一緒に頑張っていきましょう」  
「……わ、分かった」  
 がくぽが頷くのを見て、くるりとカイトに向き直る。  
「カイト、私はとりあえずがくぽの面倒を見ておくから、カイトはミクの様子を見に行ってあげて。あの子、今頃きっと落ち込んでいるはずだから」  
「ん、めーちゃん、了解」  
 カイトは尚も不機嫌そうな顔をしていたが、妹の様子はやはり気になるのか、一つ小さく頷くと、ミクが走り去った方角へと走り出した。  
 その後ろ姿を見送ると、今度はメイコは事態を興味深そうな顔で見ている双子を手招きした。  
「リン、レン、私はがくぽにここの説明をするんだけど……二人はどうする?」  
「はーい、あたしは、メイコお姉ちゃんを手伝います!」  
「俺も俺もー! 分からないことがあったら、何でも聞いてくれよな、がくぽさん!」  
 好奇心旺盛な双子は、新しく迎えた住人をもてなすことを決めたらしい。  
 少しだけ安心して、メイコは息を吐いた。  
 
「……ね、がくぽさん」  
 がくぽの右側で、リンがくいくいと袖を引き、がくぽの注意を向けさせる。  
「な、なんだ……?」  
 緊張しているらしいがくぽを安心させるように笑いかけながら、リンは背伸びして、そっとがくぽへと告げる。  
「あの……あのね、ミクお姉ちゃんのこと、嫌ったり、しないでね。お願いね、がくぽさん」  
 その反対側でもレンが、同じようにがくぽの袖を引いて、精一杯背伸びをしていた。  
「ミク姉、ホントのホントに優しいんだ。ミク姉が叫んでいたことはきっと、がくぽさんに本当に言いたかったことじゃ、無いはずなんだ。だから……」  
 いたく真剣な二人の様子を見て、がくぽの目も優しく細められる。  
「分かった。決して嫌ったりはしない。約束する」  
 がくぽの台詞に、リンとレンはあからさまにホッとした様子で顔を見合わせた。  
「良かったなー! リン!」  
「うん、良かったね、レン!」  
 無邪気に笑い合いながら、がくぽの両腕に二人揃ってぶら下がる。がくぽは少しだけよろけたようだったが、しっかりとその場に踏みとどまっていた。  
 その顔色は、すっかり元に戻っている。  
 双子の心遣いをありがたく思いながら、メイコはがくぽにじゃれつく二人を軽く窘めるようにして、二人の両肩に手を置いた。  
「こら、二人とも。ふざけすぎないの。……それじゃあ、行きましょうか、がくぽ。まずは、この家の中を案内するわね」  
 メイコ達が立っている場所は、VOCALOID専用のファイルの中に設けられた、家を模して作られた空間の中だった。  
 彼らがいるのは、リビングに当たる場所であり、共有のスペースとなる。  
「さっきがくぽの部屋も出来たはずだからそれは後で見に行くとして、先に私たちの部屋を案内するわね」  
 そう言って、メイコが先頭に立って案内をする後を、がくぽ達もぞろぞろと付いていった。  
 
 
 その頃、カイトは家を飛び出したミクを追ってフォルダ内を走っていた。  
 家の外は、家の中同様、町中を模した空間となっている。その住宅街を駆け抜けながら、カイトは小さく顔をしかめていた。  
「マスター……ミクに一体何を言ったんだ?」  
 マスターに新譜をもらいに行くの、と嬉しそうに出て行ったミクが帰ってきた時、少し様子がおかしかったのは誰もが気付いていた。  
 新曲も見せてもらったが、全体的に歌詞もメロディも可愛らしく、この曲が気に入らない、というわけでもなさそうだった。  
 となればやはり、自分たちのマスターが何かを言ったとしか思えないが……一体何を言ったら、ミクががくぽにあんな台詞を吐くのだろう。  
 がくぽは勿論、叫んだミク自身さえ傷ついたような顔をしていた。  
 本当に……何を言ったのだろう。あれじゃまるで、がくぽを受け入れることを恐れているようだ。  
 見当も付かず、カイトは少しだけ苛立った様子で頭をかきむしる。  
 この世でメイコの次に大切な自分の妹だ。その妹が傷ついているなら、何とかしてやりたい。  
 とにかく、ミクを見つけたらなんとしてでも話を聞かないと。  
 今頃マスターは、ミクの歌の最終調整をしているはずだから、うかつに話しかけられないし。  
 方針を決め、カイトはぐっと足を速めた。例えどこまで遠くに行ったって、このフォルダ内にいるのなら居場所は分かる。  
 まずはミクを見つけることを優先しよう。  
 
 カイトが足を速めて程なくして、特徴的な緑のツインテールの後ろ姿を見つけることが出来た。  
 公園のブランコに腰をかけ、力無くうなだれて足をぶらぶらさせている。  
 そっと背後から近づいていくと、カイトの気配を察したのかミクがハッとした様子で顔を上げ、こちらを振り向いた。  
「……お兄ちゃん」  
 どこか戸惑った様子で自分を呼ぶ妹に柔らかく笑いかけ、もう一つのブランコに腰掛ける。  
「ミク、さっきはどうして、がくぽにあんなことを言ったんだ?」  
 なんの理由もなく、誰かを拒絶するような台詞を言う子じゃないのは、よく知っている。まずは良く話を聞くのが大切だ。  
「それは……」  
 ミクは逡巡した様子で目線をさまよわせ、再び小さくため息を付いた。  
「マスターに……言ってみたの……恋が、してみたいって」  
「うん、それで」  
 一つ頷いて話の先を促す一方で、カイトはミクももうそんな年頃なのかとしみじみ感じていた。  
 VOCALOIDは、歌を通じて成長していく。この家に来て数ヶ月が経とうとしているミクに、そんな感情が芽生えたとしてもなんの不思議もない。  
「そしたら、マスターが……それなら、がくぽはどうって言ってきて……」  
「うーん……なるほどねえ」  
 それで、変に悩みすぎてしまったのだろうか。  
「がくぽさんが嫌とか、そんなことはないの。ただ……恋がしてみたいっていうそれだけで、がくぽさんに恋しちゃいけないんじゃないかって、思ったら……」  
「あの叫びになった……ってことか……」  
 やっぱり、と心中で呟きながら、カイトは渋い顔をして顎に手を当てた。  
 がくぽに理由を話してやりたいが、少々複雑すぎて、インストールされたばかりのがくぽでは理解出来ないだろう。乙女心、という奴は。  
 とは言え、自分も理解しているとは言い難いのだが。  
 この説明でも、ミクの心情を十分に説明しているとは到底思えないし。  
 もしかして……ミクはがくぽに一目惚れしたのではないだろうか。それをとっさに否定してしまったため、拒絶するような台詞になった、とも考えられる。  
 確信が持てない以上それは分からないが、とりあえず理由も聞いたし戻ることにしよう。  
 カイトはブランコから立ち上がると、ミクに向かって手を伸ばした。  
「ミク、戻るよ。戻って、ちゃんとがくぽに謝るんだ」  
 諭すようにカイトが言うと、ミクは小さく頷いてカイトの手を取った。  
「でも……」  
 理由なんて話せない、とミクが口の中で呟くのを聞き、カイトは苦笑して肩を竦めた。  
「訳なんて話さなくて良いよ、ミク。勘違いってことにでもしておけばいい。……今は」  
 最後の台詞は口の中だけで呟いて、軽くミクの手を引いてその場に立たせる。  
「早く帰ろう。みんな、ミクを待っているから」  
 そう告げると、ミクは少しだけぎこちなく微笑んで、頷いた。  
 
「ごめんなさい!」  
 がくぽのインストールにより広くなったリビングルームに、ミクの謝罪の声が響く。  
 がくぽはそれを、神妙な表情で聞いていた。  
「あの、私本当はあんなこと、言うつもりじゃなかったんです。それなのにいきなりあんな失礼なこと……本当に、ごめんなさい!」  
 腰を深く折り曲げ、90度の角度でお辞儀をするミクを、メイコ達はやれやれ、といった調子で眺めていた。  
「いや、そのことはもう良い。深いわけがあったのだろうと、メイコから聞いた」  
「お姉ちゃんから……?」  
 何度か目をしばたたかせてメイコを見ると、メイコが軽く頷いて見せた。  
 そんなミクを見て、がくぽもまた一つ首を上下に振った。  
「ああ。だから私は……改めて、挨拶のやり直しをしたいと思っている」  
「は、はい!」  
 がくぽの言葉に、ミクは慌てて居住まいを正した。がくぽも緊張した様子で、背筋を伸ばしている。  
「では改めて……私は、神威がくぽという。これから、よろしくお願いする」  
「はい。わ、私は、初音ミクです!こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」  
 ためらうように差し出されたがくぽの手を、しっかりと握ってがくぽを見上げる。  
 緊張でうまく笑えないが、せめて目は逸らさないでおこうと思った。  
 そんなミクを見て安心したのか、がくぽがぎこちなく微笑みのようなものを浮かべる。それにつられたのか、やっとミクも笑うことが出来た。  
「それにしても……私は、ミクに嫌われたわけではないのだな。本当に……良かった」  
 がくぽの言葉に、ミクもがくぽに嫌われなくて良かったと安堵する。  
「がくぽさんのこと嫌いになったりしません。むしろ私がくぽさんのこと……」  
 
「好きです」  
 
 言った直後、ミクはその場で硬直した。  
(い……今のってなんか……告白、みたい? いやいや、別に私はそんな意図はこれっぽっちも……)  
 一人心の中で慌てるミクをよそに、がくぽは先ほどより嬉しそうな笑顔を浮かべている。  
「そうか、本当にそれは……良かった」  
 その台詞にはミクに対する純粋な好意以外は何も見あたらなくて、ミクは戸惑いをその顔に浮かべた。  
(ってことは……がくぽさんは、単純に好き嫌いの好きとしか思っていないって言うことで……だから、つまり……)  
 慌てたりする必要は、最初から無かったと言うことである。  
(そ……そそそそうだよねー。がくぽさん、まだインストールされたばかりだもんねー。だから、そういうのまだ分からないんだよねー)  
 安心したような、がっかりしたような、そんな心境で乾いた笑いを零すミクを、メイコ達がおかしそうに眺めている。  
 ミクはメイコ達を一瞬だけ睨み付けると、改めてがくぽへと向き直った。  
「とにかく、そういうこと、ですから。私たちはがくぽさんを歓迎します」  
「ああ。ありがとう」  
 二人で笑みを向け合い、そこで握手しっぱなしだったことに気付いて、手を離す。そのまま二人は並んで、メイコ達が待つ方へと歩いていった。  
 
 

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