枯れ葉舞う林の中、佇む小さな影がふたつ。  
「姫様、これで良かったのですか?」  
 尋ねたのは、幼さが残る年頃の少年。だがその瞳は鋭く、内に秘めたマナジーの強さを  
感じさせた。閃空の騎士シルバンティア――ひとは彼をそう呼ぶ。  
 シルバンティアの問いに対して、少女が口を開くまでには数瞬の躊躇いがあった。  
「ええ、私達が結ばれることはないの。永遠に……」  
 人形の姫ササリアナである。  
 彼女は美しかった。清流を思わせる澄んだ歌声、きらめく瞳、染みひとつない白い肌。  
 そして、宝石さながらに輝き波打つ緑の髪。  
 だがその声音は硬く、乾いた瞳に宿る光は冷たい。  
 憂いのこもる表情だけが、彼女をただの人形とは異なる、心を持った存在だと見るもの  
に示していた。  
 
 ササリアナの瞳は林の向こうを遠く見つめている。去っていった男の背中が未だそこに  
あるかのように。いや、愛する男の姿は、目を閉じても彼女の瞼の裏に焼きついていた。  
 『私達は結ばれない』と口にしたのは彼女自身。  
 そして勇者タマデラスを愛しながら彼を遠ざけたのも、彼女の意志。それでもタマデラ  
スへの未練は鉄鎖のように姫の心へと絡みつき、軋んだ音をたて続ける。  
 
「あの男は、またやってくるでしょう。一度だけではなく、何度でも」  
 少年騎士の声が静かな林に染み入る。その予言じみた言葉を受けて、少女の眉が険しさ  
を増す。  
「時空勇者タマデラス……あの男は強い。  
 何度も剣を交え続ければ、僕にも全力を出さざるを得なくなる時が必ず来る。そうなれ  
ば、いつかあの男の命はなくなるでしょう。僕の剣……ロゼットセイバーによって」  
 
 騎士の瞳に殺気が宿った一瞬、彼の指先で淡い緑のマナジー光が閃いては消えた。  
 
「それでも姫様、貴女はタマデラスと別れる道を選ぶのですか?」  
「ええ」  
「まだあの男を、愛しているのに?」  
「――ええ」  
 答える姫の顔は伏せられ、シルバンティアには窺えない。  
 
 しかし。  
 
 噛み締めた唇の間から零れ出たように、掠れきった声。  
 爪よ食い込めとばかりにきつく握られた掌。  
 何よりも、小さく震えだした肩が少女の本心を如実に表していた。  
「姫様、重ねて問う無礼をお許しください。それでも僕には解らないのです。  
 たとえ姫が人形の身に戻ろうと、奴は変わらず愛を誓うでしょう。  
 なのになぜ、貴女からタマデラスを遠ざけなければならないのですか」  
   
 騎士の声が僅かに懇願めいた響きを帯びていたことに――姫君は気づかない。  
 彼女はただ、シルバンティアへ笑みを向ける。  
 それは笑みと呼ぶには、あまりにも痛ましげに見えた。  
 寄せた眉根、細かく揺れる睫毛、震える頬。ただ笑顔の形に似せているというだけの、  
引き攣り歪んだ表情だった。  
 
「シルバンティア、貴方にはきっと解らないわ。人間になったことがない貴方には。  
 人間だった頃の感覚は、息づく血肉とともに何もかも失われてしまった。  
 激しく燃える熱情も、春の木漏れ日のように暖かな喜びも。あのとき、私に宿っていた  
心はすべて零れ落ちてしまったのよ。  
 
 ええそうよ、貴方には解らない。タマデラスが傷つくことを許してまでも、彼を追い払  
おうとするなんて……人間だったときの私ならきっと耐えられなかった。  
 人形の私は、涙を流すこともない。こんなに冷え切った、出来損ないの“ココロ”が、  
彼にふさわしいものであるはずがないの」  
 
 ササリアナの唇は、謡うようにするすると言葉を紡ぐ……空虚で歪んだ嘲笑を、自らに  
浴びせかけながら。  
「それだけじゃないわ。こんな人形の身で、どうやって彼の愛に応えろと言うの?  
 彼を悦ばせることも、彼から与えられる悦びを受け止めることもできはしない」  
「……姫様」  
「時空を超えることはできたとしても、人間と人形の恋なんて永遠に叶わない。  
 いいえ、人形が愛情を持とうとすること自体、許されない運命なんだわ……!」  
「姫様っ!」  
 
 鋭い声が響いた瞬間。少女の身体にぎゅうと圧力がかかる。  
 シルバンティアが彼女を、きつく抱き締めていた。  
 驚きのあまりに声も漏らさず、目を丸くするササリアナ。  
 少年の頭は彼女の右肩に押し付けられており、互いに相手の顔を見ることはできない。  
   
 だがもし今誰かがシルバンティアの表情を目にしたとして、彼を誉れ高き騎士だと思う  
者はいないだろう。  
 瞳は嘆きに満ち、幼げに揺れている。まるで大したマナジーも持たない、外見相応のた  
だの少年のようだった。  
 
 そのまま苦痛を堪えるように強く目蓋を閉じる。  
 
 自らと同じ、冷たい肌。鼓動の音さえなく。汗の匂いを感じることも、ない。  
 ――それでも。  
 
「……シルバンティア。こんな、こと。どうして……?」  
 呆然とした姫君の呟きを聴き取り、シルバンティアははっと顔を上げる。  
 そしてササリアナから離れ、地面に膝をついた。  
 そのまま、慇懃に頭を垂れる。  
「姫様……あまり、自らをお責めにならないでください。ただでさえ、あなたのマナジー  
はまだ枯渇した状態です。一度どこかでお休みにならなければ……」  
 騎士の言葉に、ササリアナは自らの胸に掌を当てた。確かに身の内のマナジーは微かに  
弱っており、頼りなげに感じられた。  
「え、ええ。その通りだわ」  
 少女の身体からほっとしたように力が抜けた。それを頭上に感じながら、騎士は硬い声  
で続ける。  
「とはいえ、今の非礼は騎士にあるまじきこと。もし自害をお命じになるなら、この場で  
始末をつけましょう」   
「……そんなこと、命じるわけがないでしょう」  
 一瞬、ササリアナの声音が厳しさを持ったものに変わる。  
 しかし次に口を開こうとしたときには、もう彼女の表情や声からは冷厳さも自嘲さえも  
消え、凪のような穏やかさを取り戻していた。  
「顔を上げて、シルバンティア。私はあなたにいつも助けられているのよ。  
 それを感謝しこそすれ、切り捨てるなんて考えたこともないわ。  
 あなたこそ私に……この頼りない姫に、まだついてきてくれるかしら」  
 シルバンティアは顔を上げ、ササリアナへと視線を送る。  
 彼が剣を捧げた姫君の、その気高い美しさを見つめながら口を開き――  
 
「御意のままに」  
   
 冷静な『閃空の騎士』の仮面をもって、身の内の狂おしい想いを抑え込んでいた。  
 
 ***  
 
 洞窟の入り口に立つシルバンティアを、冴え冴えとした月光が照らす。  
 ササリアナはマナジー回復のために洞窟の中で休息をとっている。  
 騎士はここで独り、番をしながら夜を明かすつもりだった。  
 
 シルバンティアの眉が物憂げにしかめられる。  
 あんな行いをするつもりは、これっぽっちもなかった――彼女を抱きしめるなど。  
 触れたいと思ったわけではない。人形に情欲はない、そのはずだった。  
 己を分不相応な行為に駆り立てたものの正体には気づいている。  
 
 “人形が愛情を持とうとすること自体、許されない運命なんだわ……!”  
 
 彼女の唇が紡ぐその言葉を、止めたかった。ただそれだけだ。  
 もうこれ以上、彼女が悲嘆の海に沈む姿は見たくなかった。  
 その悲嘆があの男への愛から生じたものだと考えるだけで、本来感じるはずもない鮮烈  
な“痛み”が胸の奥を切り裂くのだ。  
   
 タマデラスを遠ざけるために、彼女を奪う男の演技をする……彼にとってそれは単なる  
演技などではない。姫君が本当に望むのなら、時空の彼方までも彼女をさらっていくだろ  
う。それこそがシルバンティアの願いだった。  
 しかしササリアナは騎士の想いなどまるで知らず、彼自身それを打ち明ける気はない。  
 打ち明けられるはずもなかった。  
 
 ササリアナは、まだタマデラスを愛している。  
 そして本心では、タマデラスとともに居たいと望んでいるのだから。  
 
 右掌を銀の月へとかざし、指先にマナジーを集める。  
 どこか危険な彩りを滲ませる緑光が、夜闇を払うもう一つの光源として輝きだした。  
 
 時空勇者タマデラス。赤い衣を纏い、はげしい覚悟を秘めた瞳を持つ男。  
 
 あの男を想起すると同時、湧き上がってくる感情がある。  
 それは憎しみか嫉妬か。それとも殺意か。どれも正しく、どれも異なるように思える。  
 人間となっていた頃の姫とあの男が触れ合う様を偶然見てしまったときは――姫が喉を  
鳴らして喜悦の声を漏らすのを聴いてしまったときには、それこそタマデラスに対し濁流  
のような憎悪を感じていたはずだった。  
   
 しかし、もしあの男がササリアナを追わず、彼女を諦める時が来たとして。  
 もしくは自らの剣が、あの男の心臓を貫くその瞬間が訪れたとして。  
 そのとき果たして己は喜びを覚えるのだろうか。そう、騎士は自問する。  
 それどころか奇妙にも、あの男が再び彼女の前に立つ瞬間を待ち望む気持ちさえあった。  
 タマデラスが姫への愛を変わらず抱き続けることを、まるで縋るように、それが唯一の  
救いであるかのように希っている。  
 
 シルバンティアが最も恐れているのは、ササリアナの口から人形の愛を否定されること  
だ。  
 人間の愛を知る人形姫であり、誰より大切な存在でもある少女にそれを否定されれば、  
少年の中の想いは行き場を失う。  
 
 彼女へ抱くこの想いが愛でなければ、一体何だというのだろう。  
 歪に捻じ曲がったこの狂おしさは、出来損ないのココロが作った錯覚に過ぎないのか。  
 あの男の愛だけが本物で、姫と自分の抱く感情は偽者だとでもいうのか?  
   
 解らない。いや――解らないからこそ、タマデラスと闘いたい。  
 それは姫に願われたからでも、彼が憎いからでもなく。  
 想いを試すため。タマデラスの姫への愛と、己の持つ姫への想いを試し――闘いの果て  
に、人形の愛を証明する。  
 そして姫の憂いを濯げる存在はあの男と自分、どちらなのかを見極めるのだ。  
 
 騎士は待つ。好敵手に再びまみえるその瞬間を。  
 心の底から溢れ出す闘志を、握り締めたマナジーの閃きに宿して。   
 

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