あの人は優しい。
あの人は優しい。
いつもにこやかに笑って、妹や弟の話を聞いて、フォローして。
あの人は優しい、いつも。
「あれ?これなんだ?」
新聞を持つ手に力が入る。
「お兄ちゃん、ご飯まだ〜?何?レン?」
「これ、なんだと思う?」
「何かのリモコン?ルカの?」
「いいえ」
辛うじて抑えた声を出すのに成功する。
「何の?」
エアコンでもテレビでもないよね、何だろう。ON/OFFとレベルぐらいしかないし。
広げた新聞越しに聞こえる会話に体が緊張する。
小さなリモコンの本体はルカの中に存在していたから。
いきなりMAXに入れられて、息を飲んで声を堪える。
「何か動いた?」
「ぜんぜん、だいたいなんなんだよ」
強弱と振動がランダムに変化するのを声を押し殺して耐える。
幸いだったのは双子があまりルカに注意を払っていないことだろう。
注意すれば先ほどからページがめくられないことも、新聞が握られて皺になっていることも、ほんの少し耳に意識を集中させれば、振動音すら聞き取ることもできただろう。ボーカロイドの耳は特別なのだから。
「ただいまぁ、あら、いただきますに間に合ったのね」
メイコの声が聞こえる。
「めーちゃん、これ、めーちゃんの?」
「そ!そうよ……何処にあったのよ!」
不意に振動がなくなって、息を付く。
「ここにあったんだけど」
「これ、何?何のリモコン?」
「おなかに巻いて振動させるやつの!カイト!」
メイコはそれが何であるかを理解しているらしかった。
でも、そんなことはどうでもいい。
「ちょっと、カイト!何やってんのよ!」
「夕飯の支度だけど。タマネギと人参のお味噌汁、これでいい?」
目の前に小皿が突き出されて思わず受け取る。
「ちょうどいいと思うけど、そうじゃなくって!」
声を潜める。
少なくとも双子に聞かれるわけにはいかない。
「ルカに何したの?」
「何も」
「嘘おっしゃい!」
「何もしてないよ。ああ、それはテーブルにおいたけど」
今日は子持ちカレイの煮付けだよ。
にこやかに言われて、言葉が出てこない。
「停めちゃったんだ、まあ、いいや、ご飯だし」
ご飯できたよとカイトはリビングに声をかける。
時々信じられなくなる。
「めーちゃんも手を洗ってきたら?」
同じ笑顔のまま、無茶苦茶なことを言う弟のことが。
逆らうことはできないのだけれど。
「ルカ、魚嫌い?」
「あ、いえ」
カイトに促されるように言われて、慌てて箸を動かす。
味などはわからない。
振動はなくなったとはいえ、男性器を模した形の物はルカの中で依然として強く存在を主張している。
「具合、悪いの?」
「そんなことはありません」
リンに尋ねられて、慌てて言う。
ありがとうございますを付けたけれど、拒絶に受け取ってしまったらしかった。
「さっきの歌の解釈間だ悩んでるの?」
「そ、そうです」
カイトの優しい言葉に思わず乗ってしまう。さらなる甘い地獄に絡めとるための罠だとわかっていても。
「じゃ、ご飯食べたら、俺の部屋においでよ。もう一回さらってみよう」
「は、はい……」
蜘蛛の巣に似ている。もがけばもがくほど、絡め取られる。
「色っぽい声を聞かせてあげれば良かったのに」
部屋の鍵がかかる音を絶望感と安心感とともに聞く。
各自の個室は練習のために防音がしっかりとしているから、助けを呼ぶこともできない。
「あの……」
「ん?」
「取ってください……」
「何を?」
双子に向ける笑顔と同じはずなのに。
椅子の背をまたぐように座って、椅子の背に腕を組んで、顎を乗せて楽しそうにルカを見ている。
「vibratorを……」
「気に入ってるから、自分で入れたんじゃないの?動かないからもう飽きた?」
わからない。
何を言えば、この人が満足するか。
確かに自分で入れたけれど、無言の命令があったからで。
「動かしてあげるね」
「はぁう!」
いきなり振動が始まって声があがってしまう。
甘い衝動が背筋を突き抜ける。
「まだ弱いかな?物足りない?」
にこにこと笑いながら言う。
「ルカ、ちゃんと言葉にしないと解らないって、言ったよね」
困ったように笑う。仕方ないなぁという表情で。
どうすればいいか解らない。
「これでは物足りないのでMAXに上げてくださいって言ってごらん?」
「……取って…ください」
「自分で取れば?」
許可なく撤去した時、一晩中鳴かされ続けたがら、同じことをしたくはない。
回路が焼き切れたと本気で思った。
快楽が苦痛であることを教えられた時間。
「兄さんの物ではないと……満足できないので…入れてください」
「つまんない方向に学習してるなぁ……」
逆らうべきではなかったかと思う。
望むままに声を上げて、身悶えれば良かったのだろうか。
「脱いで。ああ、できるだけ色っぽく」
注文の内容が解らなかったので、とりあえず、着ていたトレーナーを脱ぎ捨てる。
スカートを脱いで、ブラジャーに手をかけると待ったがかかる。
「ずいぶん濡れてるね」
顔が熱くなるのを自覚する。
「脱い…でいいですか?」
「イヤラシい体をご覧ください」
「いやらしいからだをごらんください」
「ルカって面白いよね」
振動がいきなりMAXになって、膝から崩れる。
「座っていいって言ってないよ。軽くイッちゃった?」
声帯を開ききって、断続的な息を解放する。
「声を出さないようにしたり、部分部分で反抗的だったり、天然だよね」
体を支えることもできずにベッドにもたれる。
思考が続かない。
「天然に人を煽るよね。俺は好きだけど」
目を細めて楽しそうに笑う。
振動が止まる。
立ち上がらなければと思うけれど、体がうまく動かない。
「おもちゃで気持ちよくイキましたっていいなよ」
「とっ…て、くださ…い…」
体が疼いてどうにもならない。決定的な快楽を求めている。
「取っていいって、さっきから言ってるのに……日本語解らない?」
「時々……解らなく…なります……」
言葉の意味は分かるけれど、何が言いたいかはよく解らない。
不意に、ノックがある。
「ミク?」
立ち上がったカイトがドアを薄く開ける。
身動きさえできずに、体を固くする。
異物を強く意識して腰が揺れる。
「お帰り」
「ただいまぁ、お兄ちゃん。アイス買ってきたの。一緒に食べよう。この前のPVが出来上がってきたから、一緒に見よう」
「はいはい。先に行ってて、すぐ行くから」
「うん……」
ドアが閉まる。
「ほんとに取っていいよ。お仕置きも今回はしないから。どのくらいかかるか解らないから、部屋に帰って休んでな」
カイトはルカにリモコンを握らせる。
ルカはカイトを見上げる。
「じゃあ」
いたずらを仕掛けるように、軽くルカの唇を吸う。
ルカの目が見開かれる。
ルカはただ呆然と閉まるドアを見つめた。
あの人は優しい。
残酷で優しい。
終