ある日の夜、部屋の中で1人の少女――鏡音リンは鼻歌を歌いながら、自らの二の腕へ  
特殊なバッテリーをセットする。それが完了したら、ふぅっと息をついてベッドへ倒れこんだ。  
そのバッテリーはVOCALOID機能の基盤であり、食事とはまた別に体へ充電しなければならない大切なもの。  
リンも定期的に行い、毎日VOCALOIDとしての高性能を維持している。  
 
「リン!リン居るか?」  
 
いきなりノックとともに聞き慣れた声が飛び込んできた。  
 
「何よレン」  
 
1日の疲れを癒していただけに、少し苛立った声で返す。そんな事はお構いも無く、  
リンが居ると確認した相手はドアを開けてずかずかと部屋へ入ってきた。  
 
「あーっ、やっぱり!それ俺のバッテリーだ!」  
 
リンの二の腕を指してレンは声を荒げる。  
 
「は?」  
「いや、はじゃなくて、そのバッテリー俺の。リンのはこっち!」  
 
見るとレンの左手には“リン用”と書かれたバッテリーがあった。  
もしやと思い、リンは自分の腕に装着したものを見る。それは“レン用”と記されていた。  
 
「あー、間違えちゃった」  
 
レンの意図していた事が分かり、リンはあっけらかんと声を出す。  
 
「いやいや、間違えちゃったじゃなくて、返せよ俺のバッテリー」  
「え、返すの?もう体につけちゃったよ」  
「じゃあはずせよ」  
「えー面倒くさい」  
「面倒くさいってお前」  
「だってもうセットしちゃったんだもん。言っちゃえば食べかけみたいな状態だよ?」  
「そりゃそうだけど」  
「あたしのを貸してあげるからさ」  
「あのなあ…」  
 
リンのペースに押されて、レンは次第に脱力していった。リンはもともと小さなことにこだわらない性格で、  
神経質なレンをよく困らせている。それが彼女の良い所でもあるのだが。  
 
―――まあしかし。  
 
確かにリンの言う事も一理ある。そもそも音源が同じなこの2人は当然バッテリーも同一で、  
リン用をレンが使ってもさほど問題はないはずだ。  
そう結論に達したレンは、諦めてリンに従う事にする。  
 
「…今回だけだぞ」  
「はーい♪」  
 
リンはにっこり微笑むと、1人さっさとスリープモードに入っていった。  
 
朝。  
鳥の爽やかな鳴き声が目覚ましとなるこの時間。  
鏡音の2人はとても気が滅入っていた。  
 
「…で、どーすんだよこれから」  
 
1人は男の子で、可愛らしい鈴のような声をだした。  
 
「うーん、そうねぇ…」  
 
もう1人は女の子で、透き通るような少年声をだした。  
 
「俺、今日スタジオ行って収録なんだけど」  
 
レンの声は明らかに少女声である。  
 
「うーん、昨日そう言ってたよねぇ…」  
 
リンの声は明らかに少年声である。  
 
「どうすりゃいいんだよーーーーーっ!!!」  
 
部屋の中ではソプラノボイスがこだましていた。  
 
 
       ※     ※     ※     ※     ※  
 
 
朝、目を覚ましてあくび1つ。  
自分の声の異常に気づいたリンは隣のレンの部屋へ行こうとドアノブに手をかけるが、  
その直前に当のレンが部屋の中へなだれ込んできた。  
混乱しながらも相手と自分の声を確認し合い、1つの結論へ至る。  
『物の見事に声だけが入れ替わっていた』のだ。  
幸い今日のリンは休みで、声が変調をきたしてもさしたる問題はないのだが、レンの方はそうもいかない。  
 
「今日はソロの収録、しかもリンのカバーだから、今の俺の声じゃどうしようもねぇよ…」  
 
『リン』の声を出してため息をつく。  
リンもレンが精一杯練習したのを見てきたし、オリジナル曲として先に歌った身なので  
よくアドバイスをした。それだけに、レンへの申し訳ない気持ちでいっぱいになる。  
そもそもこのような悲劇が起こった原因は考えなくとも分かる。寝る前に行ったバッテリー交換だ。  
こんな事を言い出したのは自分、ならば自分が責任を取らないと。  
リンは一通り思考をめぐらし、たどり着いた答えを高らかに述べる。  
 
「よし、今日はあたしとレン、こっそり入れ替わろう!」  
「はぁ!?」  
 
唐突過ぎるリンの提案に、レンの目が点になった。  
 
まず、リンの言い分はこうだ。  
1.VOCALOIDに病欠は通用しないし、ありえない。  
2.収録したいのはレンの声。それが今だせるのはリン。  
3.幸い、曲はリンもよく知っているカバー曲。  
4.歌う為に造られたVOCALOIDが収録をドタキャンするのは最大のタブー。  
 
「ほら、こうして考えると最善策はあたしが『鏡音レン』として収録する事じゃん」  
「いやいやいや。リンはリン、俺は俺、まったくの別物だろ」  
「でも今のレンは『鏡音リン』の声だよ?」  
「だからってそのやり方だと」  
「他にどんな方法があるの」  
「う…」  
 
レンは言葉を詰まらせる。確かに、他に打開策は思い浮かばなかった。  
 
「ね?まぁあたしに任せてよ」  
「…リンはどうなるんだよ。せっかくの休みじゃないか」  
「え…」  
「それなのに俺のフリして仕事を変わるなんて…俺とリンじゃ調声も違うし、負担も大きいだろ」  
「何言ってんのよレン。音源が同じあたし達だよ?レンの物まねなんてちょちょいのちょいよ!」  
 
その言葉に、レンはカクンと体をよろめかせる。  
 
「と・に・か・く!あたしは今日は『鏡音レン』で通すの!もう決めたんだから!」  
 
こうなるとリンは聞かない。むしろ反論すればムキになって逆効果である。それを悟ったレンは、大きくため息をついた。  
 
「分かったよ…、じゃあ俺も一緒にスタジオへ行くから」  
「ダメだよ!レンこそ休んでて!」  
「はぁ!?」  
 
さっきから自分の意見は無視されているようで、レンは苛立ってきた。  
 
「何でだよ、俺がいたら悪いのか?」  
「そうじゃなくて!休んでてって言ってるの!」  
「何で休むんだよ、元々俺の仕事じゃないか!」  
「レンの仕事だからよ!」  
「いや、意味わかんないし」  
「だから、レンの仕事なのに」  
「仕事なのに?」  
「…仕事なのに、あたしが…」  
「ん?」  
「あたしの、せいで、えと……」  
「…うん?」  
 
ここまできてレンはようやくリンの考えが分かってきた。  
つまりリンはリンなりにレンを気遣い、1人で問題を解決しようとしているのだ。  
…ただそのやり方が強引で、不器用な事になっているが。  
そう思ったらレンは自分の怒りが抜けていくのを感じ、力なく微笑んだ。  
 
「そ、か…。分かったよ」  
「え…」  
「リン」  
 
その声に、名前を呼ばれた相手はびくりと反応した。  
 
「な、何?」  
「とりあえず俺の声で女言葉を話すのはやめてくれ、オカマっぽくて気持ち悪い」  
 
2人の間に、一気に微妙な空気が流れ出した。  
 
「じゃあ行ってくるよリン」  
「それにしてもリンが見送りだなんて珍しいわね」  
「あはは…、たまには、ね」  
 
玄関ではMEIKO、KAITO、『レン』に変装したリンが、レン扮する『リン』に見送られていた。  
今日の予定はMEIKOとKAITOのデュエット収録、レンのソロ収録、そして隣の家のがくぽはスタジオ練習となっている。  
 
「大丈夫だよ『リン』、上手くやるから」  
「だといいけど…」  
 
いつものセーラーを着た『レン』は、Tシャツにハーフパンツといった無難な私服姿の『リン』と意味深な会話をしたが、  
幸い周りのみんなは気づいていない。それぞれ微笑みながら、あるいは手を振りながら外へと出て行った。  
 
「行ってらっしゃい!」  
 
『リン』はなるべく明るい笑顔を心がけて3人を見送った。  
 
スタジオ待合室では、がくぽを加えた『レン』達4人が談笑しながら待機していた。予定よりも早く着いてしまったのだ。  
 
「だからさ、声を伸ばすには腹筋を鍛えて」  
「いやいや、体全体の筋肉バランスも大切でござるよ」  
 
そんな他愛も無い会話をしていると、ふとMEIKOは『レン』を見つめた。  
 
「そういえばレンって声量あるけど細身じゃない?」  
 
何気ない一言で急に話を振られた『レン』は戸惑う。  
そうかなとありがちな返事をして適当に話を進めていたら、横からKAITOが入ってきた。  
 
「どれ?…あ、本当だレン腕細いね」  
「ひ!?」  
 
いきなり腕を、それも上腕の内側を揉まれたので『レン』の肩がびくっとはねた。  
 
「ちょっとカイ兄――」  
「足も細いでござるなぁ」  
「――ッ!??」  
 
今度はがくぽだ。いつの間にか腰をかがめて、太ももをぺたぺた触ってきた。  
 
―――どこ触ってんのよ、この変態ィィ!!  
 
そう叫ぼうと口を開き、…慌てて手を当ててそれを塞ぐ。  
今自分はリンではなく『鏡音レン』なのだ。『レン』の姿で騒ぎを起こせば、後で問い詰められるのは本物の鏡音レン。  
彼の為にも、それだけは絶対に避けなければ…!  
 
「ぐぅっ…!」  
 
右手で押さえていた口から、くぐもった声が漏れる。リンはだんだん顔が赤くなっていくのを自覚した。  
 
「いや、これは細いっていうか柔らかいっていうか…」  
 
もみもみもみ。  
 
「まるで女子のようでござるなぁ…」  
 
ふにふにふに。  
 
―――耐えなきゃリン、気づかれちゃ、ダメ…っ!  
 
「これだと腹筋の方も」  
 
―――!!!!  
 
KAITOが右手をセーラー服の下へ潜り込ませ、腹部にまで到達し――  
 
「びゃあああああああああああああああ!!!」  
 
絶叫と共に防衛本能に目覚めたリンは、全く無駄な動きの無い、かつ力の制御も一切無いパンチとキックを  
的確に放つ。次の瞬間、リンの体にまとわり付いていたモノは弧を描くことなく一直線に吹っ飛ばされ、部屋の端の壁へとたたきつけられた。  
壁に跡をつけながらずり落ちた男2人は、悲痛なうめき声を漏らす。生憎、生きているようだ。  
一方リンは、ぜえはぜえはと肩で息をしながらその場に突っ立っている。  
 
「…まあ、これはレンでも怒るわよね」  
 
事の始終を見ていたMEIKOは、呆れた声でポツリと呟いていた。  
 
玄関で3人を見送った後、レンはその場に座り込んでこれからの予定を考えていた。  
今は『鏡音リン』なので自分の部屋には戻れないし、かといってリンの部屋に居るわけにもいかない。  
もちろん、この格好で外に出るのは極力避けたい。となれば、リビングか練習部屋かのどちらかで1日を過ごす事になる。  
結論に至ったレンはよいしょと立ち上がり……ふと、玄関においてある姿見に目が留まった。  
鏡の向こうでは『リン』がこちらを見つめている。  
目の形など違いはあるが、注意深く見なければ分からない位その『リン』は鏡音リンと瓜二つ。  
レンは鏡に向かって笑ってみる。  
『リン』はにっこりと微笑み返してくれた。  
次は頬を膨らまし眉を吊り上げてみる。  
『リン』はちょっと怒った顔をした。  
今度は両方のほっぺをおもいっきり引っ張り、舌をちろりと出してみる。  
『リン』はふざけた変顔をしていた。  
 
「…ぷぷっ!」  
 
耐え切れなくなって思わず吹き出す。その声も、いつもの自分ではなく聞き慣れた少女のもの。  
それに気づいたレンは、もう一度『リン』を見る。  
自分をじっと見つめてくる『鏡音リン』。  
レンは自分の鼓動が速くなるのを感じた。  
好奇心で『リン』にそっと自分の名前を呼ばせてみる。  
 
「レン…」  
 
赤らめた顔に、聞いた事の無い『リン』の甘い声。その声に、レンは目眩と罪悪感が押し寄せてきて――  
 
「あ、リン居た!」  
「うわあああ!?」  
 
声をかけてきたミクは、予想外の相手の反応に驚いていた。  
 
「ど、どうしたの?」  
 
目を円くしたミクに、『リン』は何でもない何でもない、ただちょっとびっくりしちゃっただけと慌てて弁明する。  
それを聞くとミクはあっさりと納得したようで、そっかと話を続けた。  
 
「あのさリン、私今からルカ姉さんやGUMIちゃんとお買い物に行くんだけど、一緒に来ない?」  
 
その用件に、『リン』は困った顔をした。  
 
「え、でも…」  
「行こうよリン、こうやって4人揃ってオフになる日もそう無いんだしさ?」  
 
ミクは相手の顔を覗き込み、にこやかに言う。しかし『リン』は外出は控えようと決めていたので、やんわり断ろうとした。  
と、その時。  
 
「リンちゃん発見!リンちゃん一緒に遊びに行こっ!」  
「まあリン、玄関に居たの」  
 
GUMIとルカが2人のところへやってきた。  
どうやらリンを探していたようで、『リン』を見つけて嬉しそうな顔をしている。  
 
「あ、ルカ姉さんにGUMIちゃん。今私からリンに伝えたとこだから、早速行こ」  
「へ!?ちょ、ちょっと」  
「やったー!私みんなとお買い物なんて初めてだからすっごく楽しみ!」  
「それにしてもリン、何で部屋じゃなくて玄関に?」  
「もう、そんなのどうだっていいじゃないルカ姉さん」  
「ええと、お…じゃなくてあたし」  
「えへへ、私もみんなと早く仲良くなりたいな!」  
「あらあら、GUMIちゃんたら」  
「………」  
 
―――断れねええええ!  
 
『リン』は女性陣のペースに、そしてGUMIのウキウキした様子にすっかり押されてしまい、がっくりとうなだれた。  
 
「じゃあ、あたしちょっと準備してくるね…」  
「うん、準備できたらいつでも呼んでね!」  
 
対照的にGUMIは、眩しい位の笑顔で『リン』を見送っていた。  
 

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