***  
 
 
強い光を感じて、目が覚めた。  
停止していたはずのエアコンは自分より早起きをして、既に仕事を始めている。  
 
「あっ。おさ……おは、おはようごじゃ、ございますっ!」  
寝ぼけているがくぽが見上げた先には、ミクが立っていた。  
カーテンを開けにきたらしい彼女は、がくぽに噛みまくりの挨拶をするなり、  
寝室を飛び出していった。  
 
何だあれは、しかしミク殿は愉快だなあ。  
――そう暢気に考えながら、がくぽは大きな欠伸をする。  
ふと目線を落として、タオルケットの下が全裸であることに、漸く気がついた。  
 
「……あー……」  
そして、自分がどんな行為に耽っていたのかを思い出した。  
不意に恥ずかしくなって、髪を掻き上げてみる。すると何故だか笑えてきた。  
一人で赤面したりニヤついたり、忙しい男である。  
 
ふと時計を見ると、11時を過ぎていた。  
がくぽは足元に落ちていた浴衣と下着を拾い上げ、さっと身につける。  
 
腰が怠い。  
立ち上がり、歩きながら思う。  
扉の陰から顔を出してみると、見慣れた後ろ姿と、浅葱色の髪が目に入った。  
 
「お早う、ミク殿」  
「ひっ!」  
「な……。ひっ!とは何事か、ひっ!とは。我も傷つくぞ」  
がくぽは呆れたように言うと、椅子に腰掛けた。  
テーブルの上には、美味しそうに焼けた、鯵の干物が並んでいる。  
おどおどしているミクと交互に見遣ると、再び口を開いた。  
 
「すまなかった。その……夜明けまで。あと回数も」  
がくぽが謝った途端、がんっ!と派手な音がした。  
戸棚の角で、ミクが小指をぶつけたらしい。  
痛そうに顔を歪め、声にならぬ声をあげている。  
 
「ミク殿、流石に動揺しすぎであろう」  
「だっ、だって、がくぽさんが変なこと言うから!」  
「夜明けまで、と申しただけだ。回数のことと」  
「……もー!ばか!それが変なことなんですってば!」  
ミクは真っ赤になりながら、グラスに冷えた麦茶を注ぐ。  
思わずがくぽもつられて赤くなり、照れ臭そうにそれを受け取った。  
 
「まあ、何だ……6回のうち2回くらいは、夢だと思ってくれても構わぬゆえ」  
「違います、5回ですっ!がくぽさんが、い……イッた、のは6回ですけど!」  
あの後に寝室で2回、風呂場で1回、ベッドに戻って1回。  
風呂場での行為の際に、がくぽは1度、ミクの口で果てたのだった。  
二人揃って力尽き、眠りにつく頃には、夜が明けていた。  
 
「こんなに明るいうちから、何と破廉恥なことを申しておるのだ。まったく」  
「〜っがくぽさんが!回数、逆サバ読むからっ!」  
二人とも真っ赤になりながら、大きめのテーブルに向かい合う。  
 
どんな朝も、妙に意識して照れてしまう。  
この初々しさは1年経とうと、いや恐らく何年経とうと変わらない。  
 
「待てミク殿、それは醤油ではなくソースだぞ。玉子かけご飯に、新たな波を呼ぶ  
つもりか?」  
「わっ、ほんとだ!……って、がくぽさんこそ、お箸逆さまですよ」  
「む」  
ミクは醤油の瓶を、がくぽは箸を、それぞれ持ち替える。  
そして、二人ほぼ同時に、小さく頭を下げて「いただきます」と呟いた。  
朝食と呼ぶには量の多い、朝昼兼用の食事だ。  
 
「……その、大丈夫か。ミク殿は。腰とか」  
「だ!大丈夫、です、けど。とかって何ですか、とかって!変なこと言わないで  
くださいってば、食事中だしっ」  
「うむ」  
それは考えすぎだとか、何故そういった方向に考えるのかだとか、突っ込みたいことは  
幾つかあったが黙っておいた。  
迂闊に口にして、干物を没収されては堪らない。  
 
「でも。う、嬉しかった、です」  
玉子かけご飯をちまちまと食べながら、ミクは恥ずかしそうに呟いた。  
がくぽが何も言わないうちから、一人で真っ赤になり、俯いている。  
 
「ん?何がだ?」  
「な、何回も、してくれた、から……」  
かちゃん。  
がくぽは箸を落とした。  
拾い上げる間もなく、彼もみるみるうちに赤面していく。  
 
「あっ、その、変な意味じゃなくて!何て言うか……嫌じゃなかったです、っていう……」  
「分かっておる」  
軽く咳払いをしながら、照れた口調で返した。漸く箸も拾う。  
 
どぎまぎしながらの食事は、何だか食べた心地がしない。  
初めて愛し合った日の翌朝もこうだったな、などと思い返してみる。  
その時はまず、互いに妙に意識してしまって、目も合わせられずにいたのだが。  
現在は朝の挨拶が出来るようになっただけ、進歩したということか。  
 
「……ご馳走様。湯を浴びてくる」  
がくぽは律義に合掌してから、空になった食器を持って立ち上がった。  
冷静さを取り戻したかのように見えるが、頬はまだほんのりと赤い。  
せっかく美味しそうな鯵を焼いてもらったのに、味わった心地がしなかった。  
 
洗い桶の中へ、さっと濯いだ食器を入れる。  
冷蔵庫の前を通り掛かった途端、がくぽは忘れていたものがあることに気付いた。  
 
「しまった!」  
慌てて扉を開くがくぽに、ミクも驚く。  
不安げに背後から見つめていると、紙製の、取っ手の付いた白い箱が見えた。  
 
「がくぽさん?それって」  
「忘れておった……苺のショートケーキ、ミク殿の好物ゆえ買っておいたのだが」  
すまぬ。と力無く謝るがくぽに、ミクは首を横に振る。  
 
「そんな、わざわざありがとうございます!気持ちだけでも嬉しいですし、ほら、  
多分まだ大丈夫ですよ!」  
「……食べるのか?」  
「冷蔵庫の中だったし、平気ですって」  
「あまり気が進まぬのだが」  
ちらりとミクを見ると、彼女は瞳を輝かせて、白い箱を凝視していた。  
甘いものに目がないことは分かるが、少しは消費期限とやらを気にしてほしいと思う。  
だが、ここで取り上げてしまえば、鬼!だの冷酷!だのと今日一日中言われるのだろう。  
 
「仕方がない。が、腹を壊すでないぞ」  
「はーい!やったあ、ケーキ!」  
ミクは嬉しそうに皿を出してから、いそいそと箱を開ける。  
がくぽの分の皿も出してくれたのだが、ケーキはミクの分しかないことを告げると、  
残念そうに引っ込めた。  
 
「でも、あれ?がくぽさん、箱一回開けました?」  
シールで封をされているところが、切られている。  
不思議そうな顔をするミクを、がくぽはまあまあと宥めた。  
彼女がどんな顔をするのか、思わず気になってしまう。  
 
「え……」  
ミクは驚き、戸惑うような表情を見せる。  
ケーキの隣に、ピンク色のビロードの、丸みを帯びた小箱を見つけたのだ。  
その形や大きさから、これの中身が何なのかは、すぐに分かった。  
しかし、認めてしまうのは悔しいというか、恥ずかしいというか。  
 
「えっと、マ、マトリョーシカ?」  
「そんな訳がなかろう」  
素早いツッコミ。  
呆れた表情で見つめてくるがくぽを、ミクは直視出来ない。  
何故か、涙まで浮かんできた。  
 
「何がいいのかと迷った揚句、これしか思い浮かばなくてな」  
小箱を取り出し、開けるように促される。  
何となく分かってはいても、改めてその中身を知ってしまうことは少し躊躇われた。  
悪気はないのだが、思わず突き返してしまう。  
 
「っが、がくぽさんが、開けて。ください……」  
悲しそうな顔をするがくぽに、ミクは真っ赤になりながら言った。  
 
その言葉を聞いて安心したのか、ふと表情を和らげ、がくぽは微笑んだ。  
ミクから小箱を受け取ると、彼女に中身が見えるように開く。  
 
「……綺麗……」  
きらりと輝く、女の子らしいデザインの指輪。  
銀色の小さな花に、やはり小さな石が埋め込まれている。  
爽やかなミントブルーの石が、可愛らしい印象を引き締めているようだった。  
 
「ほれ」  
「え、あの、何ていうか!指輪はその、女の子のロマンが」  
「ロマン?」  
「好きな人に、嵌めてもらいたいなーって……あ!深い意味はないんですけど、うん、  
ないですよ!?」  
慌てて言うと、がくぽに笑われてしまった。  
恥ずかしくて首筋まで真っ赤になるミクが、尚更可笑しいらしい。  
堪えきれない笑みを漏らしつつ、がくぽは指輪を取り出す。  
 
「手を出して」  
「へっ」  
「嵌めてほしいと申したのは、ミク殿であろう?ほれ」  
なかなか手を出さないミクの代わりに、がくぽはそっと、彼女の小さな手を取った。  
左手。  
そしてやはり左手の、薬指に指輪を嵌めてやる。  
 
「……!」  
「うむ、似合うな」  
嬉しそうに、そして満足そうに笑うがくぽ。  
左手薬指の指輪の意味が分かっていないのか、それともわざとなのか。  
 
「ミク殿?」  
わなわなと震えるミクの顔を、不思議そうに覗き込んだ。  
途端に、彼女は勢いよく顔を上げる。  
怒っているのかと思っていたが、涙を堪えながら笑っているではないか。  
 
「何か、びっくりしちゃって。でもすっごく嬉しいです……ありがとうございます!」  
ミクはそう言って、とびっきりの笑顔を見せた。  
左手の薬指に嵌められた指輪を眺めては、嬉しそうに笑う。  
 
そんなミクの体が、突然ふわりと浮いた。  
驚く彼女の間近に、辛抱堪らなさそうながくぽの顔がある。  
 
「がくぽさん?」  
「あー……その。少し遅れるゆえ、誕生パーティーの準備はゆっくりで構わぬと  
連絡しておいてくれ」  
お姫様抱っこで、寝室へと向かう。  
わけが分からなさそうにしていたミクも、やっと気付いた。  
 
「ばっ、ばか!がくぽさんのばか!」  
「馬鹿で結構。お主が可愛いのが悪いのだ」  
「て言うか、あんなにしたのにまだ足りないんですか!ちょっと聞い――……」  
ばたん。  
寝室の扉が閉められ、もう何も聞こえなくなった。  
 
暫くして甘い声が微かに漏れてきたというが、それはまた別の話である。  
 
 
終  
 

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