製品版ではなくDTMマガジンに付属されていたお試し版ミクの話。  
 
 
俺の目の前には少女が佇んでいる。別に誘拐した訳じゃない。  
どうやらこれが噂のボーカロイドという奴らしい。  
世間は広くなったものだ。  
準備をすませた俺は、起動のボタンを押した。  
少女は瞬きをすると目を開き、俺を見つめて言った。  
「初めましてマスター。私はボーカル・アンドロイドTYPE2初音ミク試作型。  
呼びにくければ、ミクとお呼びください」  
「へえ、アンドロイドねえ…ひょっとして空を飛べたりするのか?」  
俺の質問に、少女は笑って答えた。  
「出来ません」  
「じゃあ、すげえ怪力とか」  
「それもありません」  
…何だ、何も出来ないのか。  
いや、まてよ、詳細も確かめずに購入する俺も悪い。  
俺は何が出来るか聞いてみる事にした。  
「じゃあ何が出来るんだ?」  
少女は俺の質問に、また笑って答えた。  
「私はただ、歌うだけです」  
「歌うだけねぇ…。それって意味あるの?」  
俺の問いかけに、少女は嬉しそうに笑って続けた。  
「はい、歌う事で皆さんの心を安らぐ事が出来ます。歌うだけ、と言いますけど  
歌うという事は、鬱屈した気持ちを払うのに充分な効果があります。  
私の歌声が皆さんを楽しませる、それはきっと素敵な事なんです」  
なるほどねぇ。  
「そんなモンかねぇ…。ま、いいか、じゃあ一曲頼むとするか」  
「はい!お任せください!」  
俺のリクエストに少女は元気よく答え、自慢の歌声を披露し始めた。  
しかし……。  
ずれてる。調子も外れているし音階もずれている。  
彼女が自慢する歌声は、ただの鳴き声にしか聞こえなかった。  
「……言っちゃ何だが、あまり上手くはないな」  
「はい!当然です!」  
俺の言葉に、彼女は元気よく答えた。  
こんなに自信たっぷりに言われると、逆にこっちが恐れ入る。  
「私はマスターの趣味に応じてテンポや音域を変えることが出来ます。  
指示されていただかないと、綺麗に歌う事が出来ません」  
なるほどそういう事か。俺がどのように歌うかおしえてやらなければいけないんだな。  
「歌うために作られたのに、歌えないなんて変な奴だな」  
「えへへ、そうですね。これからよろしくお願いします」  
それからコイツと俺との、奇妙な共同生活が始まった。  
 
購入して数日後、ミクはまともに歌えるようになっていた。  
俺が渡したサントラに合わせて歌う。  
一通りの機能は俺も覚えたし、ミクもそれに応えられるようになった。  
「だいぶ上手くなったな」  
「はい、これもマスターのおかげです」  
ミクはニッコリと嬉しそうに微笑んだ。  
ミクは本当に嬉しそうに笑う。  
よっぽど歌う事が好きなんだろう。  
「よっし、歌も出来たし、MAD作って流すか」  
歌が出来ると、それを聞かしてみせたくなるのが人の性だ。  
幸い、そういう投稿サイトに今は事欠かない。  
「そうですね」  
俺の提案にミクは笑った。  
心なしか、その笑顔がさっきとは違って翳ったような気がした。  
「なんだ、あまり嬉しそうじゃないな。お前が歌った音楽がネットに流れるんだぞ」  
「嬉しいですけど…私は、見れませんから」  
見れない?  
どういう事だと思ったが、俺は単純な事実を失念していた事に気づいた。  
「そうか、ライセンスが切れるんだっけ」  
俺が購入したのはお試し版。  
試用期間は動作してから十日間、そう本にも書いてあったな。  
俺の心の中を知ってか知らずか、ミクは笑った。  
「はい」  
「そうか……」  
時が経つの早いものなんだな。  
柄にもなく感慨にふける俺に、ミクがおずおずと聞いてきた。  
「あの……身勝手ですけど、ひとつだけ、ひとつだけなんですけど、……お願いしていいですか?」  
そういや、ミクがお願いするのは初めてだな。  
色々と歌に注文はしたが、ミクは文句も言わずやってきた。  
俺はミクのお願いが何なのか、すこし気になった。  
「別にいいぜ、なんだ?」  
「あの…ライセンスが切れて、私が動かなくなっても、データを消さないでもらえますか」  
俺は、データを一部PCに移していた事を思い出した。  
バックアップというか、ミクに歌わせた曲の一覧だ。  
「変な奴だな、何でまた」  
「あの、その、私は試用期間が過ぎたら動作を停止しますけど、私のデータがそこにあれば  
私が居たという事実は残ります。……変な言い方ですけど、私じゃないけど私です」  
まっすぐ俺を見つめるミクのお願いを俺は拒否する理由も無く、  
当然と言わんばかりに首を縦に振った。  
「ありがとうございます」  
願いが聞き届けられて、ミクはホッと安堵の息をついた。  
まったく変わった奴だ。俺は一つの疑問を尋ねることにした。  
「なあオマエ、その、なんだ、消えるのが怖くないのか?」  
起動させて十日間、それがミクの活動時間だ。  
ただのプログラム。  
それはわかってるはずだ、だがしばらく一緒にすごせばそれなりに愛着も湧く。  
「怖いです」  
はにかみながら、でもしっかりとした口調でミクは答えた。  
 
それはそうだろうな。ミクは、コイツは起動した瞬間にすでに寿命が決まっている。  
どんなに足掻こうとわずか数日の命。  
でもミクは笑っていた。  
己の境遇を覚悟してなのか諦めているからなのか、俺にはわからなかった。  
「私はただ、歌うだけです。マスターは私と歌った数日、楽しかったですか?」  
逆に尋ねてくるミクの質問に、俺は頬を掻きながら答えた。  
「まあ……それなりに、な」  
少なくとも、つまらなくはなかった。そう思う。  
俺の言葉にミクは顔を明るくする。  
「じゃあ……」  
自分の手を胸にあて、目を瞑る。  
まるでそこにある記憶を、かみしめるかのように。  
「私は幸せです。私の歌で人を楽しくさせる事が出来た。それだけで、それだけで満足なんです。  
私は……歌うための存在だから」  
「変わった奴だな」  
「えへへ、そうですね」  
俺とミクは、顔を見合わせて笑った。  
 
それから俺は、ミクとしばらく過ごした。  
曲を作るでもなく、試用停止までの間、ただだらだらと過ごした。  
豆腐と葱の味噌汁でミクと一緒に朝食をむかえた。  
作曲時の失敗をミクと一緒に語り合った。  
街に出て、色んな物をミクに見せた。  
店にかかっているサントラに即興で歌をあわせた。  
日が落ちて、部屋に戻った後も俺は今までの事を話していた。  
「…あとは何があったかな」  
話の種を捜している俺に、ミクは哀しそうに笑って止めた。  
「マスター」  
まっすぐと俺を見つめるミク。  
俺はミクが何を言いたいのかわかっていた。  
でも、何か話しておかないと、気分が抑えられなかったのだ。  
「そろそろお別れです」  
はっきりとミクは告げた。  
今日は試用期間が終わる日だ。そんな事はわかっている。  
でも口に出さなければ、このまま居てくれる様な、そんな気がした。  
「もうそんな日か」  
「はい、そんな日なんです」  
そう告げて、ミクはゆっくりと立ち上がる。  
それを見つめる俺に、ミクは幼子を諭す母親のように話す。  
「ボーカロイド無料お試し版をお使い頂き、ありがとうございました。  
本作品は、ライセンス終了のため、機能を停止します。  
興味を持ったお客様は、当社から出ている製品版をぜひご利用になって下さい」  
前からわかっていた事、わかり切った事をミクは朗々と述べる。  
「でも…お前じゃないんだろ?」  
俺の問いかけにミクは答えず、寂しそうに笑った。  
「私をご利用頂き、ありがとうございました……マスター」  
そういって目を瞑った。  
ミクの身体がモザイクをかけたように歪む。  
ぼんやりと光り、やがてそれは全身を包む。  
しばらくすると、ミクは居なくなっていた。  
お試し期間が終わって、プログラムが終了したのだ。  
「はは……そうだよな。わかっていた事だよな」  
部屋にはポツンと一人、俺がいるだけだった。  
 
 
あれから数ヶ月がたった。  
ボーカロイドの存在は、随分世間に認知されてきたように思える。  
ネットではそれ関連の動画が流れ、検索をかければかなりヒットする。  
俺はミクの動画を見ながら、一人PCの前に座っていた。  
俺は、結局初音ミクを購入しなかった。  
別に金がなかった訳じゃない。  
俺のPCでは可愛らしいPVと共にミクの声が聞こていた。  
「……でも、お前じゃないんだろ?」  
デスクトップにあるフォルダを見て、俺は呟いた。  
あいつはすでにこの世にはいない。  
でも確かに、ここにいた。  
「……たまには外に出るか」  
PCの電源を落とし、俺は外に出ることにした。  
鼻歌を歌いながらいそいそと着替える。  
歌はいいよな、暗くなった気分を晴らしてくれる。  
「うし!」  
俺は両手で自分の頬を叩いた。  
「今日の夕食は味噌汁にしよう」  
口笛を吹きながら、俺はドアに鍵をかけ、街へと繰り出した。  
 
END  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!