『ennaxor』  
 
 
 
歌愛ユキは寝慣れないベッドで目を覚ました。  
窓の外はどんよりと曇ってはいるが、十分明るい。  
何より、さっきから何かを炒める音と焼けたパンらしき良い香りが、ユキの五感に覚醒を訴えていた。  
一糸纏わぬ状態でブランケットにくるまっていた体を起こし、床に散らばる服を集めようとする。  
 
(あれ……?)  
 
しかしそこには男性用のYシャツが一枚落ちているだけだった。  
このまま何も着ずにダイニングへ行くのも何だか気分が悪い。  
仕方なくシャツを羽織り、袖を何回か捲くった後、食欲を満たしに足を進め出した。  
 
「起きちゃった? ごめん」  
 
「ううん、もう起きるじかんだからいい」  
 
「そっか。じゃあもうすぐ朝食出来るから、テーブルに座って何か飲んでて」  
 
キッチンには昨日出会ったばかりの男性、氷山キヨテルが立っていた。  
会話をしながらも調理に意識を集中しているキヨテルに促され、  
ユキはテーブルの椅子を引き出してちょこんと座った。  
テーブルの上にはミルクピッチャーとオレンジジュースのピッチャーがあり、  
最初はミルクに手が伸びた。が、  
 
(……うーん)  
 
その白い色が、ユキに昨日散々キヨテルから注がれた「液体」を連想させ、  
しばらくの考慮の後にオレンジジュースをグラスに注いた。  
 
「さぁ、熱いうちにどうぞ」  
 
キヨテルが両手一杯に皿を持って、キッチンからテーブルへやってきた。  
皿の上には両面焼きの目玉焼きとカリカリベーコン。  
すでにテーブルの上にはシリアルやイングリッシュ・マフィンがドンと並べられている。  
 
「……全部たべるの?」  
 
「まさか。ユキが好きなのだけ採ればいいよ」  
 
キヨテルが自分のグラスにミルクを注ぐ姿を見ながら、  
ユキは二つに割れたマフィンを皿から取って、バターを塗ってかぶりついた。  
カリカリふわふわの感覚が、ユキの口の中いっぱいに広がってゆく。  
 
「どう?」  
 
「先生、りょうりするんだね」  
 
「まぁウチはマスターがあまり家に居ないからね。全部自分でやらないと」  
 
先生と言っても、ユキとキヨテルは実際に教える教えられるの立場ではない。  
世間で売られている「VOCALOID・氷山キヨテル」に「歌愛ユキ」が出会った時のデフォルトの呼称とされているだけだ。  
妙に生活感が希薄な、白を基調とした広い部屋の中。  
黙々と腹に英国式の朝食を貯めこみながら、VOCALOID同志の奇妙な食卓が続く。  
 
「……先生」  
 
ふとユキがマフィンを手に持ったまま、顔を上げてキヨテルに視線を注ぐ。  
ナイフでなかなか切れないベーコンと格闘していたキヨテルも、その視線に気づいて目を合わせる。  
 
「なんできのう、わたしを家に入れてくれたの?」  
 
「何で、って言われても……同じVOCALOID同士だし」  
 
「それだけ?」  
 
「……………」  
 
一瞬キヨテルが言い淀む。それだけでユキは何かを察した。  
つまり意識の何%かは「これからこの娘とイイことしよう」という気持ちがあったと言うことだ。  
別にそのことについて今更兎や角言うつもりは無い。  
あのまま昨夜の冷たい雨に雨具もなしに打たれていたら、間違いなく大変な事になっていたし、  
何より、ユキもまんざらではない快楽を味わったのだから。  
 
「ははっ。教師たるもの、雨のバス停で生徒が濡れてたら連れ込まないと」  
 
「じゃあ職員室でナボコフの小説のひとみたいにせきこまなきゃね」  
 
「……知ってるんだ」  
 
雨に濡れた体を風呂で温め、軽食をご馳走になった。  
二人でソファに座ってテレビを見ているうちに、  
キヨテルの手がユキのまだ膨らんでいない乳房へ伸び、そのまま成り行きでベッドへ。  
 
「別にいいよ。先生、妙に『歌愛ユキ』の体にくわしそうだし。わたしもきもちよかったし」  
 
「君こそ、デフォに比べたら随分手馴れてたけどね」  
 
ユキの舌は、別の意思を持った生き物のようにキヨテルの男性器の周りを這い、いとも簡単に精を放たせた。  
キヨテルの手は、確実に幼いユキの体に性的な高まりをもたらし、しかもそれを持続させた。  
下着は愛撫の賜物である液で透けるくらいに濡れ、脱がすと糸を引いた。  
すべてを脱ぎ捨てた二人は、そのまま何の躊躇いも無く繋がる。  
白濁とした欲望が何度もユキの未発達な子宮へ注がれた。不浄の穴まで手を出した。  
最後のほうは記憶が曖昧で、気づけばさっきのベッドの中だった。  
 
「むぅ、レディーに対してその言い方はどうなのかなぁ」  
 
ぷくっと頬を膨らませて抗議するユキの顔を見て、キヨテルはクスリと笑う。  
そのまま目を逸らし、ベーコンを咀嚼した後、つぶやいた。  
 
「……まさか君、体売ってる?」  
 
人権運動の異常な高まり・取締の強化に比例するように、ヒューマノイドに欲望をぶつける人間が増えてきた。  
法律的には確かに人ではないし、おまけに生活必需品の一部とあって上手く規制をかいくぐっていた。  
幼い容姿で作られた体であれば、当然その手のマニアには高く売れる。  
それを利用してか、自分の所有するヒューマノイドに売春をさせる者もちらほら。  
VOCALOIDシリーズも、残念ながらその例から逃れることは出来なかった。  
 
「ううん。ぜんぶマスター仕込みだよ。他の人とえっちしたのははじめて」  
 
高性能ダッチワイフのごとく扱われる者も居た。  
女性マスターのいるこのキヨテルも、男性マスターのこのユキもその例に漏れず。  
 
「わたしは一応おうた作ってもらってるから、まだ幸せかも」  
 
「そうか、よかった」  
 
「先生は?」  
 
「……私は」  
 
ただ、ユキはちゃんとVOCALOIDの役目を果たしているようだが、キヨテルはそうではなかった。  
買われてからここ数カ月、VOCALOIDとして使われたことが無い。  
仕事から帰ってきたマスターの世話をして、女体の火照りを己のボディで慰める。  
性処理用の家畜の如き扱い。その果てに、  
 
「今では何とも思わなくなってしまったけどね」  
 
「そっか……先生も大変だね」  
 
ふふっ、とキヨテルは自虐的なセリフを吐いた後に笑い、目の前の目玉焼きにまた手をつけ始めた。  
まるで最初から家事用アンドロイドとして生まれてきたかのような、淀みのない手つき。  
しかし、  
 
(ウソだ)  
 
ユキはそんなキヨテルの嘘をあっさり見破った。  
さっきから、リビングの隅にある真っ黒なエレキギターが気になって仕方なかったのだ。  
ピックガードは激しいピッキングで傷だらけ。  
ギターアンプの真空管は熱を未だ放ち、エフェクターも埃をかぶっていない。  
VOCALOIDとしての機能がそうさせたのか、ユキはそこまで感づいていた。  
 
(あたらしいおうた、うたいたいんだね……先生)  
 
とろとろの黄身が絡まったベーコンが運ばれるキヨテルの口。そこから紡ぎ出される声はどんな物なのだろう。  
ただひたすらに、内蔵のデモソングのみを歌い続ける日々。  
伴奏も無く、自分で弾き語りしながら、繰返し繰返し、毎日。  
 
その姿が目に浮かんで、ユキはしばらく俯いて何も食べられなくなってしまった。  
 
「どうしたの?」  
 
「……ううん、なんでもない」  
 
キッチンの辺りから電子音が聞こえてくる。  
何かのタイマーの音のようだ。  
 
「あ、乾燥機止まったね。君の服、全部洗って乾かしたから」  
 
「……パンツも?」  
 
「何をいまさら。君の体は全部昨日」  
 
「そういうこと言わないのっ! えっち!」  
 
普通の歌愛ユキのそれとは違う、真っ黒いジャンパースカートを着て、牛革の黒いランドセルを背負う。  
モノトーンはユキのマスターの趣味で、普通のユキとはちょっと違う影や落ち着きを演出している。  
 
「これなら街で見てもすぐ分かるね。また会えるかも」  
 
ユキのタイの乱れを直しながら、キヨテルは笑顔でそういい放つ。  
それに答えるユキの顔は、真剣だった。  
 
「じゃあ、会う?」  
 
「え?」  
 
「先生がいいなら、わたし……またここに来ていいかな」  
 
後ろ髪を引かれるような思いが、ユキの心の中を支配する。  
ユキが衝動的に家を飛び出してみたその先で出会った、一体のVOCALOID。  
成り行きで体を重ねてはみたものの、キヨテルの抱えているものはそれだけでは分からない。  
もっと知りたい。貴方の歌声が聞きたい。  
そんな願いを込めて、ユキは目をあわせてキヨテルにそう言った。  
 
 
 
―――――ある日、キヨテルがインターホンに出てみれば、  
そこには、数日前に一夜を共にしたあの真っ黒い歌愛ユキが立っていた。  
 
「えへへ、やくそくどおり来たよ」  
 
「……凄い行動力ですね」  
 
「うん。だってわたし、先生としたいことあるんだもん」  
 
ジャンパースカートのポケットから、ごく普通のUSBメモリが出てくる。  
それをキヨテルに差出し、ユキは満面の笑みを浮かべた。  
 
「おうたの伴奏。マスターに作ってもらったの」  
 
「え?」  
 
「今日はわたしとうたおうよ。先生?」  
 
人間の真似をして何回か「歌愛ユキを買った」事があるキヨテルだったが、  
身体でない物を求められたのは、この真っ黒ユキが初めてだった。  
考えでなく、本能に突き動かされるがまま、キヨテルはその場に膝まづいてユキをぎゅっと抱きしめる。  
抱きしめられながら、ユキはこの前の一夜では埋まりきらなかった心のピースが、  
やっとこれで埋まったような気分を味わっていた。  
 
(もうガマンしなくてもいいんだよ、キヨテル先生)  
 
 
 
おわり  
 

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