狭いレコ室から、細い明かりが漏れている。澄んだテナーの伸びやかな歌声が、落ち着いた薄明かりに乗るようにひっそりと響いた。  
その前の廊下を通りかかったメイコは、何気なしにドアを開く。  
 
「こんな遅くまで感心感心、がんばってるじゃないのカイト」  
「僕ですけど」  
「あっ、ごめんキヨテル先生。声が似てるもんだから間違えちゃった」  
「はぁ……」  
 
聴きなれた声の持ち主を間違えたこと、しかもその相手が深い知り合いでもないせいでメイコは思わず視線を逸らした。  
しかしふと持ち上げた視線で彼をとらえると、目に見えて慌てた様子を見せる。  
 
「あっあの!忘れ物を取りに来たの!それじゃ!」  
 
譜面台に引っ掛けてあったボールペンをひったくって、メイコは慌ててドアの向こうに消えた。  
 
(僕、そんなに傷ついた表情してたのかな)  
 
あと、出て行く時に足をドアの角にぶつけてったみたいだけど、大丈夫かな。  
そんなふうに黙考していると、スケジュール上の練習時間はとっくに過ぎてしまっていた。  
 
 
 
「それで俺たちに相談かよ」  
「まぁ、お気持ちは解ります。わたしも最初はレン君と間違われましたし」  
「お姉ちゃんったらひどいね、キヨテルせんせいはキヨテルせんせいなのに」  
「ミクちゃん、先生と兄貴を聞き間違えた回数はミクちゃんが一番多いからね」  
 
目の前でキヨテルと同じく難しそうな顔をしている少年少女は、今回の悩みの種の血縁者とも言えるCVシリーズ。  
つまり、自分がよく間違われる人物の声にもっとも親しんでいる面々である。  
ところで聞き捨てならないのは四番目のセリフだ。一番多い?  
 
「やっぱりそうなんですね……」  
 
はぁ、とため息をつくと、年下の先輩たちはにわかに慌てだした。  
 
「や、俺達、先生とあんまり共演しないからさっ」  
「そうそう、サンプルが足りないんですよ!」  
「キヨテルせんせい、見分けをつけたいなら裏声でしゃべればいいんだよ!」  
「ああもうミクちゃんがなんか的外れなこと言ってる…!」  
 
「こ、これでいいでしょうか?(裏声)」  
 
「乗らなくていいから!」  
「兄さんに遠慮する必要はありませんのよ、先生!これをデフォにしたらあの青いのに負けたことになりますわ!」  
「先生夢の国の王様みたい!」  
「ミクちゃん、黒服の集金屋さんが来るから自重!」  
「つーかルカ、お前カイトを負かす気で相談に乗ってたのか」  
「あったりまえです!兄さんを何らかの形で出し抜いて今度こそ冷凍庫と姉さんを…!」  
「なんでお姉ちゃんの名前が出るの?」  
「いやこれ勝負とかそういう趣旨じゃないから!あとミクちゃんは知らなくていい世界です!」  
 
少年少女は悩める教師を外野に押し出してやいのやいのと騒ぎ出した。  
 
相変わらず仲が良い。教育者として、年若い彼らがなかよくじゃれ合っている光景を見ているだけで甘酸っぱい充実感を覚えるのだ。  
しかし瞬く間に置いてきぼりにされた寂しさがよぎる。話題はすでに今をときめくワールドカップに移っているようだ。  
背中に一種の哀愁をたたえ、一言だけぽつりと呟いた。  
 
「もやし(裏声)」  
 
別に続かない  
 

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