「最近ますます暑いわね、夏バテで痩せちゃうかも」  
口調は困ってるけど顔は嬉しそうにニクさんが言った。  
 
(朝からカツ丼をニコニコしてぺろりと平らげてるのに、よくそんな台詞を言えるよね)  
なんていつもなら軽口で返すけど、今日は出来ない。何しろ今日は大事な「お願い」をするつもりで、俺は昨日からずっと緊張していたから。  
 
「夏バテ防止にはやっぱりパッと気晴らしするのがいいんじゃない?」  
やば、ちょっと話急すぎた?ニクさん不思議そうに俺を見てる。  
「あ、ほら今ニクさんが食べたカツ丼も卵とじじゃなくてソースカツ丼だったでしょ?  
そうやっていつもの食材も違う味付けすればまた食欲出るみたいに、  
気晴らしに出かけて気持ちを入れ替えるのも食欲増進に効果あるんじゃ?って話」  
ああダメだダメだ、めちゃくちゃこじつけっぽい。なんか早口になってるし。  
 
ニクさんはじっと俺を見つめたあと、得意気に笑った。  
「ふふ、つまりレン君はこう言いたい訳ね。『俺もご飯作るばっかじゃなくて気晴らししたいよー、どっか連れてけー』。どう?図星でしょ〜」  
 
うう、やっぱバレバレかぁ。けどいいや。もう素直に言っちゃおう。  
「うん、当たり。ごめんね遠回しの催促なんかして。でも俺どうしてもニクさんと行きたいところがあるんだ」  
ニクさんは少し驚いて目を見開いた(って言っても「見開く」ってほど開かないけどね)。  
「あ、あら珍しい。いつもそんな素直だったらも〜っと可愛いのに。  
いいわよ!お盆休みもあるしどこでも連れてってあげる!  
いつもおいしいご飯作ってくれるレン君に、ニクさんからのご褒美よ!  
さあ言ってみて。どこに行きたいの?遊園地?動物園?水族館なんかも涼しそうでいいわよね!」  
 
…なんか子供扱いされてる。けどこの際だ、気にしない。  
「えっと俺が行きたいのは」「うん、どこどこ?」「行きたいのは」「うん!」「海!、なんだけど…」「!」  
あ〜、ニクさん固まってる。やっぱり。予想通り。  
「う、海ねえ。海も良いけど山も良いわよ、涼しいし」「やだ海が良い」「けどほらお天気荒れると危ないかも」  
「大丈夫、天気予報ずっと晴れだよ」「んー晴れたら晴れで日焼け怖いしなー。完全防備でもちろん海に入るの無しなら…」「そんなの意味ないよ。俺はニクさんと泳いだり遊んだりしたいの!」  
「でもでも、それじゃ、」「それじゃ?」  
 
「水着、着ないといけないじゃない…」  
 
ニクさんはそう言うとちょっと淋しそうに目を伏せた。  
 
 
ニクさんはいつもダイエットダイエットって言いながら、その実ちっとも太ってる事を気にしてない、様に見える。  
だけど本当はそうじゃない。毎日一緒に過ごしてれば、俺にもそれくらい分かる。でも…  
 
「いいじゃん、水着。海なんだから着るのが当たり前だよ」  
「嫌よ。あたしの水着姿なんてみっともないだけだもん」  
「そんなことないよ!」あ、つい大きな声を。ニクさんの目も今度は大きく真ん丸になってる。  
「そんなことない。」もう一回今度は静かに言いながら、俺はニクさんの手を握る。少し、震えていた。どっちが?多分、二人とも。  
「俺、生まれてから今まで一回も海行った事ないんだ」ニクさんが顔をあげる。  
「だから初めての海は一番好きな人と行きたい。それで一緒に泳いだり遊んだり。そういうのにずっと憧れてた」目を逸らさずニクさんと向き合う。  
 
「…そう。でもそれは君の勝手な都合だよね?あたしがそれに従わなきゃいけない理由はあるの?着たくもない水着まで着て。」  
「俺は今のニクさんが好きなんだ!だから、だから…」その後は言葉にならなかった。  
色んな事が頭を渦巻いてどう言葉にすれば良いのか分からなくなったから。あとはただ俯くしかなかった。  
…本当は分かってる。これが只のわがままだって事。ニクさんが水着に何かトラウマあるのも知ってた。そもそも誰だって自分の自信がない嫌いな部分を晒したくなんかない。  
 俺もずっと自分の声が嫌いだった。VOCALOIDなのに滑舌悪いし鼻声だし。大っ嫌いだった。  
でもそんな俺の声をニクさんは優しい顔で笑いながら、「大好き」って言ってくれたんだ。  
その言葉は本当にニクさんの心からの言葉で、だから俺は、僕は本当に嬉しくて…。  
 
「レン君」ニクさんの声に顔をあげる。そこにはちょっと困った笑顔のニクさんがいた。  
「ごめんねレン君。やっぱり海には行けないの」謝らないで。悪いのは僕なんだから。  
「だってあたし水着持ってないから。だからまずは水着を買わなきゃ!」「え?」  
「何ボーってしてるの?そうと決まれば早速出かけるわよ!レン君の水着だって買わなきゃだし時間ないよー」  
「でもそんな、僕のわがままなのに…」  
「あはは、『僕』だなんてまるでここに来たばっかりの頃のしゃべり方して。レン君おっかしー。」  
かーっと頬が熱くなる  
「ぼ、『僕』なんて言ってない!ニクさんの聞き間違い、勘違い!」  
「そう?じゃ海に行きたいって言うのもあたしの聞き間違い?勘違いだったかな〜?」  
「そ、それは違うよ。本当だよ!」  
「だったらさっさと片付けして出かける準備!早くしないと水着選んでる間に夏も海もどっかいっちゃうわよ!」  
「う、うん了解」あまりに急な展開に半分混乱しながら、とにかく俺はまずは片付けしなきゃと食器を持ってキッチンへ向かう。  
そんな俺にニクさんが後ろから小さな声で。  
「…ありがと、レン君」  
「え〜?何か言った〜?」照れくさいから聞こえない振り。  
「ううん、何でもない。さ、あたしも準備しよっと」ニクさんが自分の部屋に行くのを見ながら、俺は思う。  
あの時ニクさんがくれた「大好き」を、少しは返せたかな。ニクさんにもっと自信持ってほしいって俺の「お願い」は、ちゃんと通じたかな。それなら、俺はすごく嬉しい。だってやっぱり俺はニクさんが大好きだから。  
 

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